茜の誕生日は、二月のある寒い日だった。
俺は大学院に進学し、茜は大学二年。出会ってから、もう五年が経とうとしていた。
「今年は二十歳か。」
朝食の席で、何気なくそう呟くと、茜は少し得意げな顔をした。
「ようやく、だね。」
「ようやく?」
「色々と、節目ってやつだよ。」
含みのある言い方が気になったが、深く追及はしなかった。この時はまだ、その「節目」が何を意味するのか、俺は正確に理解していなかったのだと思う。
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誕生日の夜、俺は奮発して、少し高めのレストランを予約していた。茜の好きそうな、落ち着いた雰囲気の店だ。
「こんな店、よく知ってたね。」
「茜の誕生日だからな、それくらいは調べるさ。」
照れ隠し半分でそう答えると、茜は嬉しそうに目を細めた。
食事が進み、デザートが運ばれてきた頃、茜がふと真剣な顔つきになった。
「なあ、慎。」
「どうした、急に。」
「私たちの婚約、覚えてる?十二の時に、親が勝手に決めたやつ。」
「忘れるわけないだろ、散々振り回されてきたんだから。」
「あれから、もう五年だね。」
茜はグラスの水面を見つめながら、どこか懐かしむような声で続けた。
「正直、最初はどうなることかと思ってたんだ。顔も知らない相手と結婚しなきゃいけないなんて、冗談じゃないって。」
「おい、本人を目の前にしてよく言うな。」
「でも。」
茜は俺の抗議を無視して、まっすぐにこちらを見た。
「今は、違う。ちゃんと、この五年で、慎のことを好きになったんだ。」
不意打ちのような告白に、俺は言葉を失った。付き合っているような関係ではあっても、こうしてはっきりと言葉にされたのは、初めてのことだった。
「……茜。」
「だから、二十歳になったこの機会に、ちゃんと言っておきたかった。これから先も、よろしくね。」
いつもの不敵な笑みではなく、どこか照れくさそうな、年相応の笑顔だった。俺はしばらく呆然としていたが、やがて、ずっと言えずにいたことを口にする決心がついた。
「……実はさ、俺の方は、もっと前からだったんだ。」
「前から?」
「初めて会った日。瀧本の家の庭で、お前が本を読んでいて、顔を上げた瞬間。あの時にはもう、やられてたんだと思う。」
正直に言ってしまえば、拍子抜けするくらい単純な話だった。しかしそれ以来、あの日の光景だけは、何年経っても鮮明に思い出せる。
茜は目を丸くして、それからみるみる顔を赤くしていった。
「……それ、五年も黙ってたんだ……。」
「言うタイミング、なかっただろ。向こうは婚約者を値踏みするような顔で見てくるし。」
「う……それは、悪かったと思ってる。」
珍しく素直に謝る茜の様子に、俺はつい笑ってしまった。一目惚れだったと告げるのが、こんなに気恥ずかしいこととは思わなかった。
「……こっちこそ、よろしく。ずっと前から、好きだったよ。」
それだけ言うのが、精一杯だった。
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食事を終えて帰る道すがら、茜がもう一つ、切り出したいことがあると言い出した。
「実は、提案があるんだ。」
「提案?」
「うん。今度、部屋を一つにまとめない?」
唐突な提案に、俺は思わず足を止めた。
「それ、つまり……。」
「同じ部屋で寝るってこと。二人とも、二十歳と二十三歳。もう子供でもないし、婚約者としての関係も、次の段階に進めてもいい頃合いだと思うんだ。」
理路整然と語る茜だったが、よく見ると、耳の先がほんのり赤くなっている。どうやら、本人も相当に緊張しているらしい。
「……いいのか、急に。」
「急じゃないよ。この五年、ずっと考えてたんだ。ソファで寄りかかって寝るたび、本当はもっと、ちゃんと隣で眠りたいって思ってた。」
素直な言葉に、俺の方が顔が熱くなるのを感じた。
「わかった。……部屋、まとめよう。」
「……ほんとに?」
「茜がそこまで言うなら、断る理由もない。」
そう答えると、茜はぱっと表情を明るくして、俺の腕に抱きついてきた。
「やった。じゃあ、早速週末に模様替えしよう。」
「気が早いな、お前は。」
「善は急げ、って言うじゃないか。」
上機嫌な茜を見ながら、俺は不思議な感慨に包まれていた。あの出会いの日から五年、ここまで長いようで短い道のりだった。顔も知らなかった少女と、今ではこうして将来を具体的に語り合っている。
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週末、俺たちは二人がかりで部屋の模様替えをした。ベッドを一つにまとめ、お互いの私物を整理し直す。慣れない共同作業に、何度も笑い合いながら、少しずつ一つの部屋を作り上げていった。
そうして始まった、新しい生活。
カーテンの隙間から差し込む月明かりが、隣で眠る茜の横顔を薄く照らしている。規則正しい寝息、時折寝返りを打つ拍子に伸びてくる腕。俺はそのすべてにまだ少し緊張しながら、天井を見上げている。
――そう、これが、俺の話の「今」だ。
二十三になった俺が、二十歳になった婚約者と、同じ部屋で眠るようになって、まだ二週間と少ししか経っていない。思えば長い道のりだった。ノックすら躊躇っていた頃から、手を繋ぐことに慣れ、肩に寄りかかって眠るようになり、そして今、同じ部屋で夜を過ごしている。
五年という時間は、確かに俺たちを、ここまで近づけてくれた。
これから先、俺たちがどんな関係を築いていくのか、正直まだ想像もつかない。それでも一つだけ、確かなことがある。
隣で眠るこの少女と、これからも共に歩いていきたい。そう思えることだけは、間違いのないことだった。