茜の卒業旅行
――慎二十一歳・茜十八歳、高校卒業直後――
「卒業旅行、行こう。」
茜が卒業式から帰ってくるなり、開口一番そう切り出してきた。式の余韻も冷めやらぬうちに、もう次の予定を立てているあたり、いかにも茜らしい。
「卒業旅行って、普通は友達と行くものじゃないか?」
俺が高校を卒業した時はそうだった。あの時は引越しやら何やらで忙しかったから日帰りでテーマパークに行くくらいだったな。男だけで行ってもなかなか楽しかったのは良い思い出だ。
「友達とは後日別に行く予定なんだ。これは、婚約者としての卒業旅行。」
1ヶ月で2回の旅行のプランを立てるのはバイタリティが相当にあるな、という感想が浮かんだ。
俺は断る理由もなかったし、何より断る気もなかったので頷いた。そうと決まったらプランニングだ、という間もなく茜は駅かどこかで貰ってきたらしいチラシを見せてくる。
「温泉、行ってみたいんだよね。」
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そんなこんなで行き先は山間の温泉地に決まり、早当日。
「温泉旅行とは、意外な選択だったな。」
率直にそう思った。俺の卒業旅行の時みたいにテーマパークが定番だと思っていたがトレンドの移り変わりだろうか。
「そんなことないよ、大きいお風呂好きだし。湯船に浸かってる時には良い閃きもしやすいっていうからね。」
どうやら単純な好みらしい。
もっともらしい理屈を添えながらも、どこか浮かれた様子を隠しきれていない茜を見ていると、こちらまで楽しい気分になってくる。
朝早く起き、最寄駅にある駅弁屋でお弁当を購入。
電車に揺られながら2度ほど乗り継ぎをし、数時間の旅路となった。新幹線でもう少し早く着くこともできたが、そこは風情を大事にしたいタイプらしい。
俺もこういうゆったりとした時間は好みだから外を見ながら朝ごはんを食べ、ぼんやりとしていた。
温泉街の麓の駅に到着し、ここからさらにバスに乗る。そうして温泉街に着く頃には13時頃になっていた。
石畳の道、湯気の立つ足湯、どこか懐かしい雰囲気の漂う町並みに、茜は目を輝かせていた。
「写真、撮ろうよ。」
スマホを取り出し、俺の腕を引っ張って隣に並ばせる茜。すっかり慣れた様子でシャッターを切る姿に、この一年ほどで随分と距離が縮まったことを実感する。
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チェックイン時間まで時間があったので、お昼を食べることにした。
(お昼ご飯を食べる描写)
良い時間になったので宿に向かい、荷物を置いた。
浴衣に着替えて温泉街に繰り出そうということになったため、それぞれで着替える。
「あれ、茜は帯の締め方って知ってる?俺わからないや。」
帯を締める段階で手詰まりを起こしたので茜に聞くことにした。
「おやおや、慎くんは知らないみたいだね。教えてしんぜよう。」
仰々しく浴衣に着替えた茜が物陰から出てきて、帯の巻き方を教えてくれる。だがその巻き方の講座は耳をすり抜けていた。
「これで出来上がりだよ、って慎、聞いてた?」
「恥ずかしながら見惚れていました。」
頬が赤くなっていることを自覚しながら白状する。その直球ストレートは思考の外だったみたいで
「な、何を言ってるんだ!ちゃんと聞いててよ。」
茜も真っ赤になってしまった。なんとなく気恥ずかしい時間が流れ、いそいそと温泉に入るための準備を無言でする時間になってしまった。
ということで、温泉街の中でも結構有名な薬効のある温泉に入ることになった。もちろん、男湯と女湯は別だ。
「名残惜しいけど、ここで一旦お別れだね。」
振り向きつつそんなことをいう茜に、先ほどの帯の締め方の時がフラッシュバックする。
「……お前、なに言ってるんだ。」
少し動揺してしまった。
「冗談だよ。のぼせない程度に楽しんでおいで。」
笑いながら手を振る茜を見送り、俺は男湯の暖簾をくぐった。
比較的幅広い年代がいるようで、まだ陽も高い時間帯ながら十数人が入っていた。出る時間を決めていたので都度時計を見つつ寛ぐ。
風呂から出たらどうしようか、やはりベタにコーヒー牛乳かと思案を巡らせる。
温泉から上がり、浴衣姿でマッサージチェアに座る茜。
「おかえり。」
「ただいま。コーヒー牛乳、飲むか?」
茜が頷いたのを見て、2つビン入りのコーヒー牛乳を買ってくる。
2人で一息に飲み干すと、茜が訪ねてくる。
「ねえ、慎。」
「ん?」
「高校生活、あっという間だったね。」
どうやら感慨に耽っているらしい。温泉地だからか、ノスタルジックになっているのだろうか。俺もそんな感情が湧いてきている。
「そうだな。お前が入学してきた時のこと、まだ覚えてるよ。」
「あの頃から見たら、今の私たち、随分変わったと思わない?」
「変わったな。手を繋ぐのも、肩に寄りかかるのも、今じゃ当たり前になってる。」
「ふふ、そうだね。」
満足げに笑う茜の横顔を、俺はしばらく見つめていた。まだ陽の高い中でこんな話をしてるとちょっとだけむず痒くなる。
「そろそろ外に出るか、くる時に見た射的、やって見たいんだよな。」
それからというもの、温泉街の散策を行った。射的で計算通りの弾道にならず首を傾げる茜。蒸し立ての温泉まんじゅうをタダで食べさせてもらい、あまりの美味しさにお土産を買ってしまった俺たち。
二軒目の温泉で温泉卵用の卵が売られているのを見つけ、試して食べて見たところ大変美味しかったりした。
そんな散策をしているうち、暗くなり始める時間になっていた。
旅館に戻り、少々の休憩の後に夕食を楽しむ。
「この魚の煮付け、味がとても好みだなあ。」
「そうだよね、私も好きな味。」
「おひつご飯てなんでこんなに美味しいのかな。もう一杯だけおかわりしちゃおうかな….。」
「これを我慢するのは損だよ、俺はおかわりで。」
「いや〜食べた食べた。こんなに食べて大丈夫かってくらい食べたね。」
部屋に戻った俺たちは休憩していた。布団が隣り合わせに敷かれていたのでその上に転がり込む。
「明日の朝ごはんも楽しみだな。」
「今はそんなこと考えられないよ、消化しないとね。」
実際俺もかなり満腹だ。動く気もしないので茜に話しかけることくらいしかできない。
「大学生活、楽しみか?」
「楽しみだよ。やりたい研究ももう決まってるし。慎は教職課程の方、順調?」
「ぼちぼちだな。でも、お前が頑張ってるの見てると、俺も気合入るよ。」
「それは何より。」
そう言って、茜は俺の手にそっと自分の手を重ねてきた。指を絡め、しっかりと握る。いつもの悪戯っぽい触れ方とは違う、どこか確かめるような手つきだった。
「これから先も、こうして隣にいてくれるんだよね。」
珍しく不安げな声だった。いつも自信満々な茜らしくない、素直な問いかけに、俺は迷わず頷いた。
「当たり前だろ。婚約者なんだから。」
「……そっか。」
安心したように、茜は小さく息を吐いた。それから、いつもの調子を取り戻したように、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「よし、明日も朝ごはん食べたら観光しようね。」
「気が早いな、お前は。」
「善は急げ、でしょ?」
繋いだ手を離さないまま、茜は布団の中へと入っていった。俺も自分の布団に入り、早めの就寝になりそうだった。2人で並んで寝ることなんてこれが初めてだが、やけによく眠れそうな気がする。
繋がれた手の温もりだけが、やけに鮮明に残っていた。
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翌日は、朝から温泉街を散策し、名物の湯豆腐を食べ、土産物屋を冷やかして回った。たわいもない時間だったが、こういう何気ない一日こそが、後々まで記憶に残るものなのかもしれない。
帰りの電車の中、茜は俺の肩に頭を預けて、すっかり眠り込んでいた。寝顔を見つめながら、俺はふと、この先の未来に思いを馳せる。
大学生活が始まれば、お互い忙しくなるだろう。それでも、こうして隣にいることだけは、変わらないでいたい。
そんなことを考えながら、俺は眠る茜の髪を、そっと撫でた。