場所は変わって、時間軸は少し前へと遡る。 緑の木々が鬱蒼と生い茂り、その間から木漏れ日が奇妙な色の植物を照らし出している森の中。
上条当麻は、あてもなくその森を迷っていた。
(あー……早く帰って、洗濯と料理とテスト勉強をしなければならないというのに……!)
見渡す限りの森である。どこまでも果てしなく続いているようで、空の色も空気の匂いも普段知ってる物とは違う。
どう考えても地球の何処か──少なくとも学園都市の延長線上、とは思えない。肌感覚的に、これは『異世界』と言うやつかもしれない。
何しろ、こんな異常事態には嫌というほど慣れてしまっている。
「またか」とすんなり状況を受け入れてしまっている自分が恨めしかった。この世界は、かつて行った『北欧神話の世界』とは違う……そんな冷静に判断する自分もとにかく恨めしい。
あの時の更に別の世界から来た『軍人』や『妖怪』などと一緒に死線を潜り抜けた記憶は忘れたくても忘れられられない。
高校生としてのテスト勉強の時間は一向に増えないのに、超常現象や異世界サバイバルに対する経験値だけが無駄に上がっていく。
それにしても、だ。自分と一緒に居たはずの妖精がどこにも見付からない。
(オティヌスは何処に居るんだ……?)
上条の頭を占めているのは、自身の現状よりも逸れてしまった同居人の安否であった。
彼の知る『魔神』オティヌスの姿は、たったの15センチメートル程の人形サイズしかない。
あんな小さな体で、こんな得体の知れない森に放り出されて無事でいられるのだろうか。野犬やカラスにでも見つかったら一溜まりも無い。心配で胃がキリキリと痛むし、嫌な汗が出る。
しかし、それとこれとは別問題として……腹が減った。
この訳の分からない世界に放り出されてから、気絶していたのだ。その時間も含めて何時間が経過したのだろう。
まさか丸一日経っているわけではないよな、と嫌な想像を振り払う。
それに、空腹とは別の妙な感覚が上条を苛んでいた。世界全体から薄っすらと拒絶されているかのような違和感。
上条の右手に宿る、異能の力を打ち消す『幻想殺し』が、この世界を構成する何らかの法則と絶えず反発し合っているような……肌がピリピリとするような感覚があった。
「あー……腹減ったな。不幸だ……ぐべっ!?」
考え事をしながら歩いていた上条の足先が、木の根に引っかかった。
無様に前のめりで転倒し、顔面から土にダイブする。口の中に入った泥をペッペと吐き出しながら体を起こしたその時、上条の視界に『それ』が入った。
足元に、誰かが不自然に掘り返したような小さな穴がある。動物が掘ったのだろうか、それはともかく、その穴の底からキラリと光る『缶詰』のフタが見えていたことだ。
こんな未開の森に缶詰?誰かが落としたのか?。
僅かな期待を胸に抱きながら、上条は素手で土を掘り返した。出てきた缶詰は決して新しい物ではなかった。ラベルは土で汚れ、少し凹みまである。
それでも、缶詰というぐらいなのだから保存状態が悪くても中は食えるはずだ。上条のサバイバル本能がそう告げている。
だが、土を拭ってパッケージの文字をよく見た瞬間。上条は大きく意気消沈した。
「……?ペットフードかよ……」
落胆とともに缶を見詰める。中央には生産者の表記なのだろうか、無駄にドヤ顔をしたアホ面の見知らぬ子供(エルフィン)の顔写真がデカデカとプリントされていた。
「誰だよこのふざけた顔……」
上条はそれを恨めし気に見つめた。しかし背に腹は代えられない。猫缶や犬缶だとしてもだ。
人間が食べても直ちに害にはならない……はずである。
少なくとも非常食にはなるかもしれない。そう判断した上条は、アニマル缶をポケットに入れようとした。
そこで後ろから甲高い大声が響き渡った。
「あーっ!泥棒!!」
ビクゥッ、と上条の肩が跳ねた。声の主はバターであった。上条はその少女の名前を知らない。
犬の獣人であるバターは習性があった、自分のおやつのアニマル缶をこの森に埋めて隠すのだ。
大抵は隠した事自体を忘れてしまうのだが、今日はたまたま思い出して掘り起こしに来た所だった。そして、見知らぬ人間が自分の宝物を掘り出している現場に遭遇したというわけだ。
振り返った上条は、目を丸くして驚いた。 泥棒呼ばわりされたこと以上に、背後に立つ人物が『人間とは思えない姿形』をしていたからだ。
少女と言うにはあまりにも頭身が低く、妙に丸っこくて『もちもち』している。ほっぺたなど、つきたての餅のように柔らかそうだ。
それに、頭に生えている犬の耳や、お尻から生えている尻尾はどう見てもコスプレではなく本物である。
(……獣人!?)
上条は自分の手の中にあるアニマル缶と、涙目で怒っている犬耳少女を交互に見た。
どうやら、自分は完全に他人の隠し食料を盗む泥棒と勘違い──いや、事実として盗みかけていたのだから勘違いじゃないが、とにかくそう思われている。
異世界において、現地民とのファーストコンタクトでの関係破綻は死を意味する。とにかく平謝りして缶詰を返すのが最優先事項だ。
「いや、悪いっ!これには深い事情が──ってか、ちゃんと返すから……!」
「なにぃっ!?泥棒だって!?この俺が成敗してやる!!」
上条が言い訳を口に仕掛けた瞬間、今度は全く別の方向から勇ましい大声が轟いた。
「今度は何だ!?」と上条が視線を向けると、少し離れた場所に、これまた『もちもち』とした獣人の少女が三人立っていた。
ホワイトタイガーの獣人ティグ、キツネの獣人ルポ、そしてクマの獣人ベニーである。
彼女たちは獣人の村の反アニマル缶戦線の活動(ごっこ遊び)の最中であり、白熱していた所にバターの悲鳴を聞きつけて走ってきたのだ。
リーダー格のティグの目は、「悪党を倒すイベントが発生した!」と言わんばかりにキラキラと輝いている。
猛烈に嫌な予感がする上条。上条当麻のこういう時の勘は嫌になるほどよく当たる。
「やっちゃえ隊長ー!悪党をボコボコにしてやるのだー!」
ルポが後ろから無責任に煽る。
「ちょっと待って。変な体だし耳も尻尾もないよ?……あれ?もしかして『人間』なんじゃ……」
唯一、ベニーだけが上条の異常(この世界においては体型が違い、獣耳や羽が無い事)に気がつき、ブレーキをかけようとしたが──彼女が口に出すよりもティグの行動の方が速かった。
「覚悟しろ泥棒ーっ!!」
ティグが腰に下げていた双剣に手を掛けた。
(──来る!)
上条の全身の毛穴が開き、死の危険を告げる警報が脳内で鳴り響いた。
次の瞬間。上条は躊躇なく首をすくめ、地面に伏せるように体を沈み込ませた。
ヒュン!と風を切り裂く破擦音。上条の頭髪の数ミリ上を猛烈な速度の剣閃が通過していった。
頭髪が幾つか剣圧で持っていかれた。これはティグの剣速の鋭さのせいであり、魔道図書館に何時も何時も頭を噛まれているせいで上条の毛根が弱くなってるのではないと信じたい。
戦慄する上条。自分とあの子の距離は10m以上は離れていた。間違いなくそう断じられる。
だが、あの丸っこい見た目からは想像もつかない素早さだった。
獣人特有の圧倒的な身体能力による踏み込みがその距離を一瞬で消したのだ。冷や汗をかく暇すらない出来事。
そして上条は致命的な事実を思い出した。
(目の前の女の子が持ってるのは『双剣』だ……!つまり、もう一刀来る!)
地面に付いた右手を軸にして、体を強引に横へ転がそうとする上条。
しかし、相手の連撃は反射で対応できる限界を超えていた。上条が僅かに体を動かしたのが精一杯だった。
ティグの左の剣が無慈悲に閃く。
「──っ!!」
上条は起き上がろうとしたが、バランスを崩して頬から地面に激突した。
(あれ……?)
右肩から先の感覚が無い。
地面に顔を擦り付けたまま視線を下に向けると、あるはずの『右腕』が、肘の少し上あたりからポッカリと消え失せていた。
切断された事実を脳が認識した瞬間、遅れて凄まじい激痛が爆発した。
「が、ああああぁぁぁぁぁぁっ!?」
ブチャッ!という生々しい音と共に切断部から赤い鮮血が勢いよく噴き出し、周囲の草木を赤く染め上げた。
(動け動け動け、殺されるぞっ!)
上条は残された左手で地面を掴み、痛みに歯を食いしばりながら必死に身構えた。グズグズしていると、確実に三撃目が来て首を刎ねられる。
しかし──いつまで経っても、追撃は来なかった。 殺す時間はいくらでもあったはずだ。
「……え?」
上条が痛みに歪む顔を上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
さっきまで意気揚々と剣を振るっていたティグが、短い悲鳴を上げたかと思うと白目を剥いて地面にパタリと倒れ伏していたのだ。
彼女の顔や服には、上条の右腕から噴き出した血がベッタリと掛かっていた。
「た、隊長ーっ!?どうしたのだ隊長!!」 「ひぃぃっ!血!いっぱい血が出てるよ!!」 「泥棒さんが真っ二つになっちゃったぁぁぁ!!」
ルポ、ベニー、そしてバターが、気絶したティグと血まみれの上条を見て、この世の終わりのようなパニックを起こし泣き叫びながら右往左往し始めた。
このエーリアスという世界には『死』の概念がない。世界樹の加護により、どんな攻撃を受けても痛いだけで済む。欠損はおろか流血すら滅多に起こらない平和な世界なのだ。
そんな彼女の目の前で、生々しい切断と鮮血のシャワーが展開されたのである。ティグはショックのあまりキャパオーバーを起こし気絶してしまったのだ。
上条には理由はよく分からない。だが、とにかくこれは千載一遇のチャンスであるのは理解できた。
「っ……!ここは退かせてもらう!」
上条は歯を食いしばって立ち上がると、地面に落ちていた『自分の右腕』ついでに騒動の元凶である『アニマル缶』を左手でガシッと拾い上げて一目散に森の奥へと逃げ出した。
背後で響く獣人の少女たちのパニックの声を遠ざけながら、上条は走り続ける。
留まって会話をすれば良かったのかもしれないと一瞬思った。だがそれが吉と出るか分からない、この世界の常識を上条は全く知らない。
(止血しないとヤバい……!)
焦燥感に駆られながら自身の右肩を確認した上条は、そこで奇妙な現象に気がついた。
最初に噴き出した血以降、切断面からの出血がピタリと止まっているのだ。傷口が薄い膜のようなもので覆われて、生命維持が保たれているような感覚がある。
(何らかの魔術的作用……か?俺の『幻想殺し』が切断されて離れた事で、この世界の治癒法則が適用されたのか?)
上条は走りながら推測する。少なくとも今直ぐ失血死する危険が去り、止血の手間が省けたのは不幸中の幸いだった。
「それにしても……」 上条は左脇に抱えた自分の右腕を見つめて大きくため息をついた。
「俺の右腕が脱臼したり、切断されてぶっ飛んだりするのは……これで一体何度目だ……?」
アウレオルス、フィアンマ、オティヌス、コロンゾン。強敵と戦う度に右腕を失ってきた記憶が蘇る。
どうして自分は極普通の高校生であるはずなのに、こんな物騒な経験ばかりが積み重なっていくのだろうか?。
「日常生活には一切必要ない経験値ばっかり上がっていく……。ああもう、本当に不幸だっ!」
異世界の森の奥深く、切断された自身の右腕とエサの缶詰を抱えて走る少年のぼやきは、誰に届くこともなく木々の間に消えていった。
上条が大急ぎでその場から逃げ出した後。
エルフィン、教主、ネル、そしてオティヌスの四人が獣人の村の広場に到着したのは、時間が経ってからの事だった。
村の中心部では普段はガキ大将のように振る舞っているティグが、地面に座り込んで大声で泣きべそをかいていた。
彼女のトレードマークである不遜で自信満々な調子はどこへやら。獣人の長老から渡されたタオルで、顔をぐしゃぐしゃに拭っている。
能天気な者が多い獣人の頂点に立つようなどこか憎めない子である。教主はその痛ましい姿を見て、さすがに可哀そうに思った。
(あの活発なティグがここまで泣きじゃくるとは、余程の恐怖を感じたに違いない……)
心を痛めながら彼女のそばに歩み寄る途中。
タオルで顔を隠したティグの口角が、ニィッと釣り上がって笑顔になったのが見えたのだ。
不思議に思った教主が自らの持つ本音を読み取る能力を少しだけ使ってみると、ティグの脳内からはこんな声が聞こえてきた。
『へへんっ!あいつ、俺様の剣幕にビビって腕を置いて逃げ出したんだ!つまり俺の勝ちだ!俺様ってば最強!!』
「…………」
教主は乾いた目を向けた。心配して損したと呆れ果てる。あの惨状を目の当たりにして気絶した挙句、脳内変換で勝利判定を下すそのメンタルの強さだけは評価すべきかもしれない。
「で、その人間とやらは腕が取れてピューって赤い水が出たから逃げていったのね?それってケチャップ?それともトマトソースかしら?」
事情を聞いたエルフィン。まるでピンと来ていない様子で首を傾げた。
「うーん、お料理の途中でケチャップが爆発でもしたんでしょうか?お掃除が大変そうですねぇ」
ネルもまた、気持ち悪そうな顔をしながらトンチンカンな感想を述べている。
無理も無い。このエーリアスという世界において、擦りむいて鼻血が出る程度の少々の出血ならまだしも腕が切断されて血のシャワーが吹き出すような『大量出血』は、誰の記憶にも存在しないのだ。
彼女たちにとっては、「赤い液体が大量に出た=赤色の調味料」という程度の発想にしかならないのである。
しかし教主は別の意味で驚愕していた。
このエーリアスで、人がそこまで致命的に傷付くという物理法則が働いた事にだ。世界樹の加護がある限り、どれほど強力な物理攻撃も魔法も致命傷には至らない。それがこの世界の絶対のルールのはずだ。
その傍らでただ一人、オティヌスだけは平然としていた。彼女は感情の読めない静かな顔のまま、スタスタとティグの前に歩み寄ると──。
「あだっ!?」
振りかぶった右手で一切の容赦なくティグの頬を引っ叩いた。それはそれは、とても良い音が響いた。
「い、痛ぇっ!何すんだよお前!」
理不尽なビンタにティグが牙を剥いて怒り出すが、教主が慌てて間に入り「まあまあ、落ち着け落ち着け」と必死に宥める。
出会って間もないが、オティヌスが怒ってるのを感じる教主。
「……なるほど、『幻想殺し』のせいか。もしかしたらと予期していた事ではあるがな」
そしてオティヌスは腕を組み、納得したように頷いた。「なにそれ?」 エルフィンがほっぺを揺らして尋ねる。
「分かり易く言うと、あの人間の右手には世界樹の加護だろうが何だろうが、あらゆる異能の力を打ち消す性質がある。だから右腕がこの世界の『死なないルール』を消してしまい、あいつの剣で普通に切断されてしまったというわけだ」
「よくわかんなーい」
「ふふ、バカには難しい話だったな」
「バカって言うなーっ!」
エルフィンが地団駄を踏む横で、ネルが「ひっ」と悲鳴の如き声を上げた。
「せ、世界樹様の加護が……効かない……っ!?」
彼女は世界樹教団の司祭長であり敬虔な信徒である。その信仰の根幹であり、世界の絶対法則であるはずの世界樹の加護を『無効化』するなどという、恐れ多い存在の登場を想像すらできなかったのだ。ネルの手がカタカタと震えている。
教主はひそかに冷や汗を拭った。(腕が切断されて逃げ出したと聞いたが……さすがに大丈夫なのだろうか)
痛覚、失血という概念もそのまま受けているのだとしたら、森の中で行き倒れている可能性が高い。いくらなんでも危険すぎる。
「気にするな」
教主の不安を見透かしたように、オティヌスが気楽な口調で言った。
「あの人間は、大体いつもこんな感じの受難を週1ペースで受けているからな。腕の1本や2本飛ぶくらい、あいつにとっては朝のゴミ出しと同程度の日常イベントだ。幻想殺しが離れた事で世界樹の加護も受け継いだだろうし死んではいないだろうよ」
「いやどんな人生送ってんだよ」
教主は思わずツッコミを入れてしまった。地球時代にそんな地獄のような経験を週1で繰り返しているとは、一体どれほど不幸な星の下に生まれた存在なのだろうか。
「うぅぅ……あたしのアニマル缶……」
そこへ犬の獣人であるバターが、両手で顔を覆いながら泣きそうな声で割って入ってきた。泥棒(上条)に大事なおやつを持ち去られてしまったことが、彼女にとっては一番の悲劇だったらしい。
「アニマル缶?」 オティヌスが右目の眼帯の奥で僅かに眉をひそめた。 教主が咳払いをして、そのアイテムについて説明した。
アレは、この世界に住む『エルフ』たちが作り出した代物だ。中には食べると一時的に知能が高くなる怪しい薬が混入している。なお、効果が切れると副作用で知能が大きく後退するという、極めて危険なシロモノである。
かつてエルフたちは、そのアニマル缶をばらまく際に妖精の国の仕業に見せかけるためにわざと缶のパッケージにエルフィンの顔写真を貼り付けていたのだ。
獣人達はそれを食べても平気な者が多い。真偽は定かではないが、元々の知能が低すぎるために副作用のマイナス影響を受けないからではないか……と、推測されている。
「そうよ!」 エルフィンが急に話に食いつき、胸を張って言い訳を始めた。
「私もね!そのアニマル缶をいーっぱい食べたせいで、知能が後退してこんな風になっちゃったのよ!ホントはもっとお利口さんだったんだから!」
「女王様は、アニマル缶を食べる前からいつもそんな感じでバカだったじゃないですか」
ネルが一切の感情を排した無慈悲な笑顔で即座に反論した。
「うるさーいっ!ネルのバカ!ブラック司祭長!」
「誰がブラックですか。残業代はちゃんと心からの笑顔で支払っています」
エルフィンが顔を真っ赤にして怒鳴るがネルが涼しい顔で返す、何時もの漫才が始まる。
「しかし、失礼だが……このメルヘンな世界にも、缶詰を量産するような工業的な技術力があるんだな」
オティヌスが周囲の牧歌的な風景と、アニマル缶という近代的な産物のギャップに疑問を呈した。
それに答えたのは教主だった。
「これを作ったエルフだけど、元々は宇宙の侵略種族なんだ。かつて地球の国家に戦争を仕掛けたもののあっさりと負けて捕虜になった。その後に次元転移装置を作り上げて、このエーリアスに逃げ込んできたようだよ」
「ほう」 オティヌスは興味深そうに呟いた。
「私は『そういう歴史』を見たことが無いが……ふうむ。つまりお前や私の知る地球とは、また更に別の次元の『地球』というわけか。宇宙戦争が起こるような世界……実に興味深い」
知的好奇心を刺激されたのかオティヌスはわずかに口角を上げた。
ともあれ、上条が右腕とアニマル缶を抱えて逃げた方角は分かっている。
獣人の村を抜けて、迷うことなく森を突き進めば、その先にあるのはエルフたちが築き上げた科学都市──『モナティアム』だ。
次の行き先は決まった。
「ちょっとあんた覚悟しておきなさいよ」 出発しようとしたオティヌスの前に、エルフィンがわざとらしく口をへの字に曲げて立ちはだかった。
「エルフの街はね、変に大きい四角い建物がいーっぱいあるのよね。ピカピカ光る変な板はあるし。見てると目がチカチカして気分が悪くなる時もあるわよ。だから、妖精のあんたも驚いて腰を抜かさないように気を付けなさいよねっ」
フン、と鼻を鳴らすエルフィン。
教主が彼女の本心を読んでみると、『ふふん、エルフの街のデカさに驚いて口を開けてアホ面を晒したところを指差して大爆笑してやるわ!』と言う、底意地の悪い本音が丸見えだった。
スッ、と教主は無言で右手を伸ばし。パチンッ!「あいたぁっ!?」 エルフィンのおでこに、何度目かになる鋭いデコピンを叩き込んだ。
エルフィンがおでこを押さえて涙ぐむ横で、オティヌスはただ「ああ、そう」とだけ短く空返事をした。
モナティアムが高層ビル群の立ち並ぶサイバーな都市であろうと、オティヌスにとっては知ったことではない。
「行くぞ。あいつがアニマル缶とやらを食って本物のバカになる前に合流しなければな」
オティヌスはエルフィンのマウントなど一顧だにせず、エルフの都市モナティアムが待つ森の奥へと、しっかりした足取りで歩き出した。