転生した世界は、知っている世界で、まったく知らない世界だった。
ボクこと、
アル・ムーディが目覚めたその世界には、前世にはない超常が存在していた。
魔法生物と呼ばれる現代科学では到底説明がつかない生態を持つ動物たち。
念じ、指向性を持たせることで魔法を扱う魔法族。
空飛ぶ箒、ゴースト、妖精。
絵物語でみるようなものが、すべてこの世界には在った。
だからボクは最初、異世界に転生したと思った。
よくある、ネット小説に存在するような剣と魔法のファンタジー。
少し文明が進んでいるような気がするのは、きっとそのほうが色々と便利だからだろう。
近年では貴族社会が存在するだけでそれ以外の文明はほぼほぼ現代と同等という作品もあるから、別に不思議な話じゃなかった。
でも、違った。
「早く杖を拾わんか! そんなんでは死喰い人に殺されてしまうぞ!」
油断大敵を座右の銘にしているらしい
死喰い人?
どこかで…………
そんな違和感を持ちつつも、
ボクは大伯母とともに生活し、その戦闘ノウハウを文字通り叩き込まれた。
ステューピファイで気絶したのは、二度や三度の話ではない。
「お前みたいなちんちくりんの男は、相手が死喰い人でなくとも襲われる!
自衛の術を持て!」
ちんちくりんなのはまだボクの体が子どもだからだ。
いつかはムキムキマッチョな高身長イケメンに成長し、美人なお姉さんをきらりスマイルで射止める男になるのだ。
そう反駁しても、大伯母は鼻で笑うだけだった。
「まだ一つの魔法しか使えんお前にそんな夢物語が叶えられるか!」
そういって、大きな杖から出る赤い閃光が、ボクの未完成な防御魔法を突破して全身を痺れさせた。
避けられればいいのだが、大伯母の失神呪文はボクの動きを正確に読み取って放たれる。
躱すという選択肢は、最初のうちに潰えてしまった。
ボクは、薄れゆく景色のなかで、やはり、と自問自答する。
ここは、ハリー・ポッターの世界だ。
厳密には、ウィザーディング・ワールドの世界だろうか?
あの眼鏡の魔法使いが宿命の闇の魔法使いと戦う物語。
聖書の次に売れたと謳われる、魔法×学園の言わずとしれたファンタジー文学。
前世では、同級生たちが良く読んでいたのを覚えている。
ボクは、あまり触れてこなかった。
地上波で流れていたのを、流し見したくらいで、それも最初の作品だけ。
最初の作品をよく観ていないから、続きを観ても楽しめないだろうと敬遠していた。
こんなことになるなら、友人に勧められたとき素直に観ておけばよかったと思う。
いやでも、ボクはゴッド・ファーザーとパルプ・フィクションを観て男らしい振る舞いを覚えるのに必死だったし、そもそも友人からその前に勧められた異世界からの侵略者から人々を防衛する組織の漫画を読み終わっていなかったのだ。
それに、
この世界は、たぶん、『ハリー・ポッター』の作品そのままをではないと思う。
明確に、違う、といえる箇所が、一つあった。
‐‐‐
ホグワーツ魔法魔術学校。
それがボクが入学する学校の名前で、
『ハリー・ポッター』の舞台でもある。
ボクは、キングス・クロス駅の9と3/4番線にえいやと飛び込んだ。
「ほんとにすり抜けた……」
赤い特急列車に乗り込んだ。
ボクは緊張から、太ももにあるホルスターに収まった杖を握って確かめる。
この世界では、全人類が魔法を使えるわけではない。
魔法族だけが、使うことができる。
もちろん、非魔法族という魔法を使えないはずの人間からも魔法使いが生まれることもある。
こういう人物はマグル出身として、差別にあうこともあるらしい。
ボクことアル・ムーディは、闇の魔法使いの制圧・捕縛を行う闇祓いという職業に代々携わってきた家系に生まれた。
魔法が発現した直後から大伯母によって行われてきた訓練も、この闇祓いという職業に就くことを見込まれてのものかもしれない。大伯母本人は自衛のためというのを口念仏にしていたが、実際のところどうだろう。
少しダボダボのローブの裾を引いて、
ボクは、特急内を散策した。
ほとんどの部屋が埋まっている。
今朝も大伯母の訓練があって、乗車が遅れてしまったからだと内心で毒づいた。
あの人は、世間が浮いている。
平和な時代に戻ったというのに、一人だけまだ警戒心を緩めず、むしろ日増しにその猜疑心は増している。
その姿にどこか儚いものを覚えると同時に、これからのおぼろげな展開を考えるとあながち間違いでもないとも思っている。
ボクは『ハリー・ポッター』という作品を最初の映画くらいしか観たことがない。
その記憶さえ、転生してから11年経ったのだ、記憶は霞がかっておぼろげだった。
この世界が『ハリー・ポッター』のものであるというのも、
「やぁ、君。席を探しているのかい?」
誰かに呼び止められる。
凛とした、少女の声だった。
それだけでドキリとする。
いや、違う。
ボクが女性に耐性がないからではない。
振り向いた。半ばひきつった笑みを浮かべて。
そこには──────
「なら私のとこにおいでよ。ベイビー」
文面にすると歯が浮くような言い回しだが、口調は淡々としていた。
浮世離れした少女だった。
ブロンドの髪にアクセントとなった黒のピアスが、入射した朝日を反射してきらりと一瞬、漁火のように光った。
キリっとした目元は、一度見たら忘れられないほど深い印象を脳髄に与えてくる。
笑ってるように口元をかたどっているが、翡翠の目は見開かれたまま。
暗がりでみたら、一瞬だけ足がすくみそうだ。
上げた前髪がチャーミングなおでこを強調していなかったら、美人の怪異を見たと錯覚してしまったことだろう。
その子は、ボクよりも少しだけ身長が高かった。
隣にいる黒髪の二人も、身長が高い。
いや、それだけじゃない。
二人は、明らかにボクと異なる部分があった。
胸が、大きい。
暫定ブロンド少女の隣にいる二人は、11歳であるというのに胸がかなり発育していた。
ボクの身長が少し低いこともあって、気を抜くと、染色体XYの本能で目線を向けてしまいそうだ。
その二人も、美人さんだった。
耳あたりまでのショートカットで一瞬男性と見間違えそうになるけど、首から下がその勘違いを修正させてくる。
しばし言葉に詰まっていたが、
向こうの三人も何も喋らなかった。
むしろ、三人はボク以上に、いやボクが向こうからどう見えているかはわからないが、舐め回すようにボクの体を上から下まで見た。
上から下へ、下から上へ。
顔を注視し、喉あたり?を注意深く観察したあと、より素早くなった視線がボクのローブの輪郭を縫うように体中を巡った。
「クラッブ、ゴイル。」
ブロンドの少女が、両脇にいる二人の肩を掴んだ。
二人の名前、どこかで、聞いたことがあるような……、いや、気のせいだろう。
「不躾ですまないね。ただ、迷っていたみたいだから、親切心で話しかけただけなんだ」
「あ、あ、はい、わかってます」
少女が、ボクに手を差し出す。
おずおずと握ると、少し汗ばんでいた。
緊張している? いや、まさか。この様子だ。きっと少し前に運動でもして汗をかいていたのだろう。
にぎにぎと力を込められる彼女の右手をしばらく握ってから、
その親切に甘えてボクは彼女たちのコンパートメントに乗り込んだ。
「良かった、君
まったく喜びが伝わってこない。
依然、目を見開いて無表情だった。
「君、男の子かい?」
頷いた。
まるでボクが男っぽくみえないと言われているようで、少し不満があった。
でも、それ以上に緊張していた。
「そ、そーです」
「そうだと思ったんだ。母上から、男の子には優しくするように言われていてね」
その言葉は、前世の基準ではおかしいのだろう。
少なくとも、ボクの生きた世界は、男性が女性を守るという形式のほうが一般的だった、いや、個人的価値観の違いはあるが、少なくとも社会通念や婚姻後の苗字の仕組みとしてはそちらのほうがまだ多数派だったと思う。
キングス・クロス駅についたとき、辺りには女性しかいなかった。
「幸運だよ、君にあえた私も、私に会えた君も」
そう、
この世界は、貞操観念が逆転している。
男女比が、1:10だ。
これが、ボクが、この世界を、長らく『ハリー・ポッター』のものだと納得できなかった要因だった。
「って…………」
黒髪の少女が、自分の指を眺めてうめいた。
そこからは、血が吹き出ている。
まったく気づかなかった。
「ど、どうしたの……?」
「さっき、ウィーズリーの出涸らしにやられたんだ」
出涸らし、というのが誰のことがよくわからなかった。
でも、ウィーズリーというのは少し聞いたことがある。
確か、マグル保護法を考案した、いや、もっと昔にどこかで…………。
とにかく、
いまは傷の治療が先だ。
ボクはハンカチを取り出して、彼女の指に巻いた。
「ぁ、────」
「ごめんね、ホントは消毒とかしたほうがいいんだけど」
「消毒……?」
黒髪の女の子は不思議そうにした。消毒という言葉がわからなかったらしい。
「こいつらは食べることしか考えていないから、そういったことを知らないんだ」
ブロンドの少女がそういった。
「栄養がすべて胸にいっている」
嫉妬のようなものがあるかと思ったが、彼女の口ぶりからはそういったものは感じられない。むしろ憐れみまで覚えているようだった。この世界では、胸が大きいことはあまり魅力にならないのだろうか?
ずいぶん長く大伯母と俗世を離れた日々を送っていたから、そういったことにもボクは疎かった。
できれば彼女たちから多くを学びたいが、いきなり他人の容姿や生活を根掘り葉掘り質問するのは失礼だろうか。
「ありが、とう。あとで返す…………」
「うん。待ってるね」
黒髪の少女は、指に巻かれたハンカチを大事そうにもう片方の手で包みながら、背筋を少し丸めた。
いまのコンパートメントは、黒髪の二人の少女が、ボクの対面の席に隣り合って座り、
ボクの隣にブロンドの少女が座っている形だ。
ブロンドの少女が距離を詰めてくるので、窓際のボクはドギマギするばかりだった。
そのとき、
「おやつはいかがかな?」
と車内販売のおばあちゃんがワゴンを押してやってきた。
黒髪の少女たちが目を輝かせて、手当たり次第にお菓子を注文する。
ボクはそもそも何を売っているかわからなかったから、注文のしようがなかった。
とりあえず、それっぽいチョコレートを指差しで二つ、買ってみた。
「まいどぉ」
お菓子をほくほく顔で食べてる二人を見ると、なんだかボクも嬉しい気分になった。
ボクも、チョコをかじってみる。
口の中で少しチョコが動いた。よくみたら蛙の形をしている。
「こんなところの菓子なんて、母上がもらってくるデザートに比べれば見窄らしいものだね」
ブロンドの少女は、そう言って、翡翠の目を少しだけ細めた。
かなり自信家な人らしい。
でも、食べないなんてもったいない。
彼女の手を取って、その上にチョコを一つ乗せた。
「でも、おいしいよ?」
「………………」
少女は、無言でボクの渡したチョコをみつめた。
柳のような細くて綺麗な指先に乗せたまま、しばらくみつめていた。
箱を開けて、食べ始める。
逃げようとジタバタする蛙型のチョコレートをなんとも言えない瞳で見つめた後、口のなかに無造作に放り込んだ。
「ね?」
「………………」
さきほどまで饒舌だった少女は、口にお菓子を含んだこともあって、ほっぺたをお菓子の形に膨らませたまましばし無言だった。
ボクは、手元に残ったお菓子のパッケージを見る。
なんだか幻覚で少し不健康そうな顔をした老人が映っているカードが同梱されていた。
おそらく、このお菓子の特典なんだと思う。
カードには、
『腐ったハーポ』
と書かれている。
「んぐ、有名な闇の魔法使いだね」
ブロンドの少女が、チョコを飲み込んで言った。
「バジリスクの繁殖方法を編み出した、最初の闇の魔法使いだ」
「へぇ、良く知っているね」
「私の家には普通の魔法族じゃ到底買えないような書物がたくさんあるからね。昔から読みふけったものだったよ」
少し自慢げにする少女が可愛かった。
表情が薄くて目を大きく開いているから最初こそ少しだけ怖かったが、だんだん彼女が情緒豊かな人物だとわかってきた。
「それに、私もこいつらも、スリザリンに入るからね」
「スリザリン?」
確か、主人公たちのライバルが所属する寮じゃなかっただろうか?
「君はずいぶんと物を知らないんだね。もしかして、…………」
何か言葉に詰まったように、ブロンドの少女はこちらを見つめた。
少しだけ、戸惑いというか、猜疑のようなものを感じる。
ボクは正直に話すことにした。
「ずっと大伯母の家で魔術の特訓ばかりさせられて、ろくに新聞も読んだことがないんだ。だから、君たちにたくさん迷惑をかけるかも」
すると、なぜかブロンドの少女と、他の二人の少女はため息をついた。
安心したような、
疲れたような顔だった。
「よかった、君は魔法使いの生まれなんだね」
「そうだよ。なのに、魔法以外はなんにも知らないんだ」
「じゃあ」
ブロンドの少女が、
ボクをじろりと見て、
引き込まれるような瞳で覗き込んだ。
「私が、色々と教えてあげるよ」
「あ、ありがとう」
その瞳に釘付けになったが、実際にありがたい話だった。
「なら、いま一番知りたいことがあるんだ」
「なにかな?」
ブロンドの少女が、ほんのわずかに、喜色を浮かべた、ような気がした。
ボクは、魔法使いのカードを握りしめる。
「君の名前。」
「え…………」
意外だったのか、少女はしばし呆然とした。
それから、瞳に理性を戻し、
「ドラコ・マルフォイ」
と答えた。
ボクは、
握りしめていたはずのカードを、コンパートメントの床に落とした。