「いいですかな皆々、寮では規律に沿って行動すること。規律の間隙と行間については監督生に指示を仰ぐこと。そして何より────」
黒い服と黒い髪の美人でクールな女性の先生、セブルス・スネイプというらしいその先生が、マントを翻した。
「────男子の着替えを覗かないこと。
もし覗かれたとあれば」
スネイプ先生が、ふっ、と口元を妖艶に歪ませて少し笑ったが、それはむしろ威圧の要素があった。
「即刻私に知らせるように」
‐‐‐
寮では男女ともに生活することになる。
大伯母が聞けば、知っていたと返すだけか、ありえんと憤慨してホグワーツに乗り込んでくるか、どちらかだろう。
ボクの価値観は前世基準で、着替えを覗かれることに抵抗はない。
毎回合言葉を言わないと開かない入口や日ごとに移動する階段に比べれば、全く大した問題ではなかった。
これから成長期に入って、ボクの体は大人の男として成熟するだろう。
割れた腹筋、可能性を秘めた上腕二頭筋。ベッドにおさまりきらないほどの僧帽筋。
見たものたちが惚れ惚れするほどの筋肉美を見せつけるイケイケジェントルになるのだ。
ボクはまだバルクが全く足りない腕でマッスルポーズを決めた。
「なにしてるんだい?」
言われて、飛び跳ねる。
いつのまにか近くにマルフォイさんが来ていた。
「な、なんでここに……?」
「君がいったんじゃないか。ずっと私の隣にいるって」
そういえばそうだった。
自分で言ったことを不履行にするのはマッスルに反する。
ボクは、ベッドをぽんぽんと叩いて、マルフォイさんを招いた。
彼女は、若干緊張した様子でボクの隣に座る。
「今日、ハリー・ポッターをずいぶんよく見ていなかったかい?」
そんなことを聞かれた。
ハリー・ポッターを見るのはボクにとって当然だった。
彼……じゃない彼女は、ボクが唯一知っているといえる情報源だった。
見たはずのハリー・ポッターシリーズ一作品目のことも記憶がおぼろげなボクにとって、唯一の手がかりなのだ。
彼女の近くにいれば安全とも言えそうだが、逆に主人公の近くにいるからこそ巻き込まれるということもある。
どのように身を振るべきか、無意識のうちに視線をひかれていた。
「生き残っただけの彼女よりも、聖28一族の代表マルフォイ家でありながら次期スリザリンのシーカーとなる私のほうが、君を守ってあげられるよ」
そう言って、
マルフォイさんはボクの手に自分の手を置いた。
ちょっと手元がビクついている。
ボクも自分から美人さんに触れようとしたらちょっと挙動不審になっていただろうから、その仕草には共感と好感を覚えた。
「そんなこと考えてないよ。
それに、」
ボクは、彼女の白くて少し体温の低い手から、自分の手を引き、そして上から重ね直した。
「マルフォイさんがどんな人でも、ボクがマルフォイさんの隣にいることには変わらない」
「………………」
マルフォイさんは、ほんの少し、本当に少しだけ、眉をひそめていた。
不快というよりは、理解できないものを理解しようと悩んでいるような表情だった。
「アル。君は、私が純血でなくとも、はたまたシーカーにならずとも、私の隣にいると言っているのかな」
「うん」
確定事項だった。
ボクは、彼女が許す限り、彼女の傍にいたいと思っている。
その彼女が許す限り、という部分がだいぶ難しいところだけれど。
「クラッブもゴイルも、もともとは家のつながりだ。」
マルフォイさんは、杖をいじりながら呟いた。
「でも、君は違う。だから、何というか…………」
言語化できない感情があるらしく、
マルフォイさんが膝を抱えた。
もしかしたら、ハリー・ポッターなどに対しては強くでていただけで、その実、心中に柔いものを抱えていたのかもしれない。
「マルフォイさん、」
「…………ん」
「もっと聞かせてほしい」
ボクがそういうと、彼女はゆっくりと上体を倒した。
真似て、ボクも倒れる。
ぽつぽつと、彼女の口元からとりとめのない言葉が漏れる。
幼少期に受けた教育。
家の格の重要性。
クィディッチへの憧れ。
具体的なところをときどき飛躍しながら、教えてくれた。
知識を得られるというのもあるけれど、すべてマルフォイさんを構築した過去だ。
ボクはときどき相槌をうちながら彼女の話に耳を傾けた。
‐‐‐
起きた。
起きたということは、眠っていたということだ。
隣に、びっくりするほど美しい少女の顔があった。
この世界での顔面偏差値は高いが、さすがにマルフォイさんのこの破壊力の姿形は他と一線を画すると思いたい。ボクのストライクゾーンド真ん中というのもあるが。
いや、そんなことより、この状況だ。
ボクはマルフォイさんの隣で眠りこけていたらしい。
そして、
なぜかボクとマルフォイさんは同じシーツを被っている。
シーツのなかをみた。
ボクは、服を着ている。
マルフォイさんもそうだ。
「お、お目覚めか」
クラッブさんがボクの顔を覗き込んで言った。
彼女の胸が大きすぎるので、ボクはクラッブさんの顔の上半分しか見えない。
「ん…………なんだ……」
隣のマルフォイさんも、クラッブさんの声で目が覚めたようだった。
もぞもぞとシーツを引っ張ろうとして、うまく引けないことに気づき、横を見てボクと目が合った。
「ぁ…………」
眠たそうな眼が、徐々に見開かれる。
印象的な目元が、爬虫類の目覚めを思わせる。
「おはよう、マルフォイさん」
「あ、ああ」
クラッブさんが笑った。
「私が二人にシーツを着せたんだ」
「余計なことをするな」
マルフォイさんがシーツを払って、立ち上がった。
「そろそろ朝食の時間だよ」
スリザリン寮の一人が、緑のネクタイを締めながらそう言った。
慌てて、ボクは着替える。
なぜかみんなも慌て始めた。
「アル……その、目に毒だ」
クラッブさんが打って変わって緊張した様子で言ったのを見て、ボクは納得する。
この世界では、ボクは前世でいう女性的な立ち位置なのだろう。
前世の世界でも、男子更衣室でいきなり女子が服を脱ぎ始めたりしたらびっくりするはずだ。
でも授業に遅れるわけにはいかないので、
ボクはベッドのカーテンを閉めた。
閉めてから、気づく。
すでに着替えのローブをとっていたマルフォイさんを巻き込んでいた。
彼女は、ボクのベッドの上で、自分のローブをもって目を泳がせていた。
泳がせている、んだよな……?
横目で何かを睨んでいるようにも見える。
「と、とにかく、遅れるなよ!」
その声に急かされて、
ボクは服を脱いだ。
きゅ、とマルフォイさんの口元が鳴った。
気にしていられない。
ボクは頭のなかで必要な教科書を羅列しながら、
上着を脱いだ。
お風呂には昨日入ったから、下着はそのままでいい。
でも、正直暑いから上は変えたかった。
「マルフォイさん、ちょっとあっち向い──────」
言おうとして、言葉に詰まった。
理由は二つある。
一つは、
マルフォイさんが、ボクのほうをガン見していたから。
その見開いた目で、ボクの上半身を脳裏にやきつけんばかりに凝視していた。
もう一つは、
マルフォイさんも、着替えていたからだ。
ちょうど、上の服を脱ぐところで、
白いフリルのついたブラに包まれたそれが、露出していた。
眩しいほどの肌に、やわらかそうな布地。
失明するかと思った。
「ごめん!」
ボクは我に返ってすぐ後ろを向いた。
後ろには緑のカーテン。
視界一色のせいで、見てしまった光景が脳裏から離れない。
「こちらこそ、悪かった」
少したどたどしい言い方で、マルフォイさんが言った。
「その、気を悪くしたかな? 私は別に、君の着替えを見るつもりはなかったんだけど、なんというか」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
衣擦れの音から推察してゆっくりと振り返る。
マルフォイさんはすでに着替えを終えていた。
そのローブの下に、さきほどの白い下着があることを想像してしまう。
クラッブさんやゴイルさんが大きすぎて忘れていたけど、マルフォイさんも着痩せするタイプだったようだ。
11歳でその発育は普通なんだろうか?
身長もみんなボクより高いし。
女性の成長は男性より早いとはいうけれど、前世でここまで差があっただろうか?
もしかして、ボクが成長していないだけ?
まさか、そんなことは断じてない。
これからだ。
低くしゃがむほど、高く飛べるものだ。
‐‐‐
温室で行われる薬草学の授業。
ゴーストが教鞭を振るう魔法史の授業。
組分け帽子を被せたあの先生が教える、変身術の授業。
どれもボクには斬新なものだった。
だってそうだろう。前世では科学が進むに連れて多くの伝承が、伝説が否定され、そのほとんどが民俗学でのみ語られるようになった。
でもこの世界では、ドラゴンも吸血鬼も存在するのだ。
どの授業でも、ハーマイオニーという少女が目立っていた。
どうやら相当に教科書を読み込んできているようで、予習のせいかを見せようとことあるごとに手を上げている。
というかこの子、見たことがある。
ウィンガーディアムレディオサー!の人じゃないだろうか。違うっけ。
利発なハーマイオニーさんに対し、マルフォイさんはおもしろくなさそうな顔をしていた。
マルフォイさんはボクの隣に座ってくれている。
たまに彼女の横顔に見惚れ、授業の内容が入ってこないことがあった。
彼女が席を空けている間にクラッブさんやゴイルさん、パンジー・パーキンソンさんが座ってくるが、だいたいマルフォイさんが戻ってきて無言の圧で退かせるのがお決まりだった。
「あなたたちもう付き合ったの?」
とパンジーさんに聞かれるが、もちろんそうではない。
「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ」
影のある美人教師、セブルス・スネイプ先生の魔法薬学の授業では、
彼女は、露骨にハリー・ポッターさんを敵視していた。
あと、なぜかボクも敵視されている。
なぜだろうか。
「この教室は舞踏場ではない。異性どうしが授業中に手をつなぐことなどなきように」
と言って、ボクとマルフォイさんを見た。
マルフォイさんはキョトンとしつつも、首をかしげるように頷いた。
それを確認したあとに、スネイプ先生はそのかっこいいマントを翻して「ポッター!」と呼び、質問攻めにした。
‐‐‐
「スネイプ先生、どうしたんだろう」
ボクはマルフォイさんに聞いてみた。
スネイプ先生はスリザリンの寮監ということもあって、基本的にはボクたちを贔屓する。
でも、ボクとマルフォイさんの関係には認められないものがあるようだった。
「ああ、」とマルフォイさんはイヤリングを揺らした。
「スネイプ先生の嫌っていた、ジェームズ・ポッター……ええと、ハリー・ポッターの父親がいるんだけど、その人がよく教室でイチャついていたらしい。
スネイプ先生は、私たちじゃなく、調子に乗ったハリー・ポッターにご苦言を呈されたのだよ」
なるほど、
と相槌を打って、
ボクはマントを翻して教室を去るスネイプ先生の背中を眺めた。
でも、明らかにボクたちに言っていたような気もする。
スリザリンでの不純異性交遊は厳しく取り締まられそうだ。
いまのところ、マルフォイさんはボクに向こうから触ってくることはない。
むしろ、どこか労りのような、表現が合っているかわからないが、紳士的な対応を感じる。
スネイプ先生が、イチャつきでマルフォイさんを減点することはないだろう。