科学王国の忍 作:あいまい
私の名前は、
忍者は、現代では数は激減したものの、要人の護衛、暗殺、スパイ活動等で、未だ歴史の裏で暗躍していた。……いや、正確には、『暗躍していた時期もあった』というべきか。いくら優れた身体能力や隠密術があろうと、張り巡らされた高精度の監視カメラ、指紋や網膜による個人認証、そして進化を続ける科学捜査の発展には逆らえない。どれほど気配を消そうが、熱感知センサーに引っかかればそれでおしまいなのだ。
我が久能家も、時代の荒波に揉まれ、じりじりと追い詰められていた。そして私が中学3年生になろうとする頃、父は、ぽつりと信じられない言葉をこぼした。
「一子。父さん、普通の仕事しながらユーチューバーになるわ。忍者系ユーチューバーね」
「なんて?」
真剣な眼差しで、あっさりと忍び業の廃業を宣言した父。そうして我が家は、代々守ってきた山奥の田舎を離れ、大都会・東京へと引っ越してくることになった。
右も左もわからないまま、大都会のコンクリートジャングルへと放り出された私を待っていたのは、手厳しい都会の洗礼だった。
引っ越し初日。新宿駅の複雑怪奇な出口の迷宮で、上を見上げてキョロキョロしていた私は、完全に格好の獲物だったのだろう。見るからに髪の毛がカラフルで、チャラついた格好をした男たちに声をかけられた。
「ねえ君、可愛いね。スタイルもいいし、モデルとか興味ない? 短時間でめちゃくちゃ稼げる良いバイトがあるんだけど、ちょっとお茶でもしながら話さない?」
世間知らずな田舎者の私は、都会の人はみんな親切で、困っている私を助けてくれようとしているのだと本気で勘違いしてしまった。
「えっ、本当ですか!?都会ってすごいですね!」
満面の笑みを浮かべ、彼らの怪しげな事務所かどこかへ騙されてついていきそうになった、まさにその時。私の背後から、鼓膜が破れそうな大声が響く。
「待てーーー!!! 嘘をついて女性を誘うのは良くないことだぞ!!!」
驚いて振り返ると、そこには学ランがはち切れんばかりの巨体を誇る男子が、正義感で燃え上がるような眼差しで立っていた。
男たちが少年を威嚇し、不穏な空気が流れる。しかし、少年の背後から、両耳を塞ぎながら呆れ果てた顔で歩いてくる、ネギのように逆立った髪の少年がもう一人加わったことで、流れが変わった。
「相変わらず声デカ過ぎだデカブツ。脳の細胞が数千個死滅したわ」
そのネギ頭の少年は、白衣のポケットからスマホを取り出し、迷いなく耳元に当てた。
「おい、そこのゴロツキ。テメーらのやってる誘導文句は、東京都迷惑防止条例の第7条、不当な客引き・スカウト行為にバッチリ抵触してんな……あ゛ぁ〜、もしもし警察ですか? 今、駅前で───」
「チッ、おい、ズラかるぞ!」
ネギ頭の少年が警察へ通報した瞬間、男たちは一瞬で顔色を変え、蜘蛛の子を散らすように人混みへと逃げ去っていった。都会の悪党というのは、思いのほか引き際が早いらしい。
「ありがとう、本当に助かったよ!私、田舎から出てきたばかりでさ!信じてついて行っちゃうところだったよ!」
私がペコリと頭を下げて手を合わせると、大柄の少年は、「おお! 無事でよかった! 都会にも良い奴はたくさんいるから安心してくれ!」と豪快に笑った。
一方、もう一人の少年は、私から少し距離を置いたまま、呆れたように小さく息を吐き出した。
「ハッ、あんた。見ず知らずの他人の言葉を疑いもしねえとは、危機管理能力が低すぎんじゃねえか?」
口調は少しぶっきらぼうだけれど、その瞳には悪意なんて微塵もなくて、むしろ私の無警戒さを本気で心配してくれているのが伝わってきた。
これが、私と彼ら───石神 千空君と大木 大樹君との出会い。
彼らとは、私が新しく通う中学校で、運命的にも同じクラスになった。
そして、大樹君の紹介で知り合った小川 杠ちゃんともすぐに仲良くなった。手芸部のエースである杠ちゃんと、忍具のメンテナンスで縫い物をよくする私は、お互いの手先の器用さという職人肌な部分で意気投合し、すぐに何でも話せる大親友になった。
それから私たちは同じ高校に進学し、いつも4人でつるむようになった。千空君の実験に付きあったり、大樹君の底なしの体力に驚かされたり、杠ちゃんとお喋りをしたり。忍びの里を離れた私の日常は、彼らのおかげで、眩しい青春の色彩に染まっていた。
◇
───そして、運命の高校1年の春。
「一子ちゃん、今日は手芸部がお休みなんだ。放課後にどこか寄って行かない?」
昼休みの賑やかな教室の片隅で、杠ちゃんが少しはにかみながら私の席までやってきてくれた。おっとりとした声の中に、どこか弾むような嬉しさが滲んでいる。
普段は手芸部の活動で忙しい杠ちゃんと、放課後に2人きりで遊べる機会は意外と貴重だ。私はそのお誘いが嬉しくて、思わず机の上でパッと顔を輝かせた。
「うん、いいよ! じゃあ、駅前に新しくできたカフェに行かない?私───」
あそこのパンケーキがずっと気になっていたんだよね、と。そこまで言いかけた、その瞬間だった。
教室の空気を一変させるように、前触れもなくガラリと前扉が開いた。入ってきたのは、大樹君だった。
何か事件でも起きたのかと思うほどに血相を変え、顔をリンゴのように真っ赤に染めた大樹君が、教室へと踏み込んでくる。その全身から放たれる凄まじい緊張感とただならぬ熱量に、それまで雑談を楽しんでいたクラスメイトたちの会話がピタリと止まった。
教室内が水を打ったように静まり返る中、全員の視線が一斉に大樹君へと釘付けになる。大樹君は周囲の目など一切気にする余裕もない様子で、杠ちゃんの席へとやって来た。
「杠!放課後、校庭のクスノキの下に来て欲しい!杠にどうしても伝えたいことがあるんだ!!!」
言うだけ言って、大樹君は嵐のように去っていった。
教室中が色めき立つ。杠ちゃんは顔を真っ赤にして、完全にフリーズしていた。私はニヤニヤしながら、杠ちゃんの背中をポンと叩いた。
「杠ちゃん、私のことは気にしないで、行ってきなよ!応援してるからね!」
「う、うん……!ありがとね、一子ちゃん!」
杠ちゃんは照れくさそうに、でも嬉しそうに頷いてくれた。
放課後。私は、千空君のいる科学室へと向かった。
廊下の死角からスルスルと壁を登り、点検口から天井裏へと滑り込む。埃っぽい暗闇の中を音もなく渡り、科学室の真上へ。
千空君の頭上にあたる天井のパネルを指先でそっと押し上げ、逆さ吊りの姿勢でニュッと顔を突き出した。眼下では、案の定、白衣を着た千空君がフラスコを揺らしながら、怪しげな薬品の調合に没頭している。
「千空君!大樹君が!大樹君が遂に杠ちゃんに……!」
天井から降ってきた私の声に、千空君はビクつきもしないどころか、手元のフラスコから目を離しさえしなかった。ただ、心底呆れ果てたというように深くため息をつく。
「クノイチテメー、少しは普通の人間らしくドアから入るって概念を脳みそに刻み込みやがれ」
「ごめんごめん、つい職業柄ね」
千空君からのツッコミを笑顔で受け流しながら、私は天井の隙間から床へと向かって、吸い込まれるように身を投げた。空中で華麗に一回転し、シュタッと一切の足音を立てずに着地を決める。
「ほらほら、そんなことより!見に行こうよ、千空君!」
私は着地の余韻もそこそこに、千空君の白衣の袖をぐいぐいと引っ張った。この科学室の窓からでは、校庭の隅にあるクスノキの様子が見えにくいのだ。
千空君は、「引っ張るんじゃねえよ、白衣が伸びんだろ」と文句を言いつつも、フラスコをそっと実験台に置き、私に連れられるまま科学室の外へと足を進めてくれた。廊下を早足で進み、校庭全体が一望できる大きな窓へと向かう。
私が窓辺に駆け寄り、ガラスにピタリと顔を張り付けるようにして校庭を見下ろす。
クスノキの前には、ガチガチに緊張して直立不動になっている大樹君の姿があった。まるで見えない敵と対峙しているかのように拳を握りしめ、肩にものすごい力が入っているのが遠目からでもよく分かった。そして、そこへ少し遅れて、小さく息を弾ませながらやってきた杠ちゃんが合流する。
「2人がお付き合いし始めたらさ、私たちもデートしよっか。杠ちゃんたちと一緒に。ダブルデートってやつね」
「ククク、しねーよ。付き合いたての奴らの邪魔してやんな」
「でもあの2人、そんなのお構いなくデートに千空君を連れ出しそうじゃない?」
「あ゛ぁ〜、確かに、それは否定できねぇな」
千空君は口元を不敵に歪め、窓枠に気怠げに肘をつきながら、どこか楽しそうに眼下の2人を見つめた。
窓の外では、大樹君が大きく胸を膨らませて限界まで息を吸い込み、まさにその熱い想いを言葉にして叫びかけようとしていた。
(がんばれ、大樹君……! 杠ちゃん……!)
2人の背中を少しでも押してあげたくて、私はギュッと両手を握りしめ、固唾をのんで心の中で叫んだ。
───まさに、その瞬間だった。
「……? 千空君、空が……」
昼間だというのに、空が異常なほどの緑色の光に染まった。
それは一瞬で空全体へと広がり、爆発的な波となって、私たちのもとへと押し寄せてくる。
「一子、窓から離れ───」
緑色の光が私たちの身体を突き抜ける。指先から、腕から、全身の皮膚がみるみるうちに硬い質感へと変貌していく。
(何これ……千空君……大樹君……杠ちゃん……)
大切な友達の顔が脳裏をよぎり、そして───私の意識は、深い、深い底へと吸い込まれるように、真っ暗に途絶えたのだった。