科学王国の忍者 作:あいまい
音もなく、一子は太い木の枝に着地した。杠ちゃんが作ってくれた毛皮の外套が、わずかに初秋の風に揺れる。
「……よし、ここら辺の獣道に仕掛けた罠の具合はバッチリ。あとは時間が経つのを待つだけだね」
一子は山奥の里で育った。幼少期から、里のおじさんたちの狩猟を特等席で見学させてもらい、泥にまみれて並んで獲物を追ったものだ。だから、森の動物たちの足跡や習性を読むのは朝飯前だった。
罠を複数個仕掛け終えた一子は、獲物がかかるまでの時間を利用して周囲の斜面を巡り、薬になるクズの根やキハダの樹皮を手際よくむしり取っていく。それと同時に、むかご、大根、ヒラタケなどの野菜も収穫していった。
しばらくして罠の様子を見に戻ると、立派な角を持つニホンジカが足を捉えられて暴れている。
「ごめんね。命、いただくよ」
愛用の石器を抜き、一瞬で鹿の急所を突いて絶命させた。
手際よく近くの川辺まで運び、解体を始める。まずは頸動脈を切って血抜きを行い、皮を剥ぎ、内臓を傷つけないように慎重に刃を入れていく。一子が慎重に摘出したのは、小さな袋状の器官───鹿の胆だった。
「これは立派な胃腸薬。……本当に鹿は捨てる部位が無いなぁ」
一子は、今日の収穫の一部をどこかへプールしておこうかとも考えたが、すべてを司へ差し出すことに決めた。今のうちに恩を売りまくっておくことが、今後のスパイ活動を有利に進めるための布石になると判断したからだ。
一子は収穫物を持って、拠点へと戻る。流石に量が多すぎたので、人を呼んできて、協力してもらった。
拠点に戻った一子が広げた山ほどの成果を見て、司は明らかに驚きの表情を浮かべた。
「これは……驚いたな。復活したばかりの君が、たった1日でこれほどの収穫を持ち帰ってくるなんて」
「えへへ!私、中学3年で都会に引っ越すまでは、ずっと山奥の田舎で暮らしてた生粋の山ガールなんだ!だから罠の仕掛け方も、お肉の解体も、猟師のおじさんたちに叩き込まれてて得意なんだよね!」
一子は嘘偽りのない過去を、満面の笑顔でハキハキと答えた。それを聞いた司は、感心したように穏やかに目を細める。
「なるほど、採取のプロフェッショナルというわけか。素晴らしいね。うん、君を復活させて本当に良かった」
「お役に立てて光栄だよ、司さん!」
司から手放しで褒めちぎられる一子。ふと視線を感じて横を見ると、司のそばにいた女性───南が、ぷくーっと頬を膨らませて露骨に嫉妬の表情を浮かべていた。
(大丈夫だよ南さん、あなたの愛する司さんは奪わないから。……というか私は将来、彼を害することになる存在なんだよね)
そんな暗い本心を1ミリも表に出さず、天真爛漫な女子高生を演じながら、一子はふと、ずっと抱いていた素朴な疑問を口にしてみた。
「ねえ司さん。ちょっと気になったんだけどさ。これからこの国がずっと続いて、復活する人や子供たちがたくさん増えたら、食料って足りなくなるよね?農業とか、本格的に始めなくて大丈夫なのかな?」
司は一子の質問に少し驚いたような顔をしたが、すぐに悲しげな、だが絶対的な拒絶を孕んだ瞳で首を振った。
「そうだね、一子。君の言う通り、人口が増えれば狩猟だけでは行き詰まる。……だけど、俺は大規模な農耕を始めるつもりはないよ」
「え? どうして?」
「農耕が始まれば、土地の所有が生まれ、蓄えの奪い合いが起きる。それはやがて、持てる者と持たざる者……既得権益という汚い階級制度を生むんだ。歴史が証明している。だから俺は、この帝国の人口を、自然のサイクルが崩れない一定の数にコントロールし続ける。それ以上の復活はさせないし、厳格な選別を行う」
司の穏やかな声の裏にある冷徹な結論に、一子の背筋を冷たいものが駆け抜けた。
「そっか、司さんはそこまで考えてるんだね!」
笑顔の仮面を張り付けたまま、一子は内心で確信していた。この人は立ち止まらない。理想のためなら、どれだけの血が流れようと歩みを止めない。
ここ数日見てきて分かったが、この男は決して悪人ではない。仲間には慈愛深く、一子の成果にも心から感謝してくれる。これほどの狂気に至るまでに、一体どんな過去があったのだろう。
一子は笑顔の下で、静かにそんな思考を巡らせていた。
◇
司のもとを辞し、今日の収穫物を使ってさっそく夕食を作ろうと歩いていた、薄暗い夕方の道中。
木の幹にもたれかかって立っていた男が、一子に向けて静かに声をかけてきた。
「司君に随分と面白い質問をしていましたね。ただの女子高生にしては、少々先が見えすぎている」
槍を携えた男───氷月だった。その細められた瞳が、値踏みするように一子を射抜く。
一子は不意を突かれて少し驚いたが、すぐにあえて軽い調子で首をすくめてみせた。
「えー? むしろこれからのことを考えていない人が多すぎじゃないですか?私、育ち盛りですし、いっぱいご飯食べたいんです!」
「……そうですか。食い気ゆえの疑問でしたか。今日の収穫分も含め、君は実にちゃんとしてますね」
氷月はそれだけ言うと、音もなく歩き去っていった。一子は彼が去っていく背中を見送りながら、小さく息を吐く。
(なんだあの男。突然話しかけてきたくせに、とっとと話を終わらせてどっかいっちゃったよ。あいつ絶対にモテないな)
一子が小さく毒づき、気を取り直して歩き出そうとした、まさにその時だった。
息をつく暇もなく、前方からドタドタと地鳴りのような足音が響いてきた。
力仕事から戻った大樹君だ。彼は一子の姿を見つけるなりフリーズし、顔に大量の冷や汗をかき始めた。広場の周囲には、まだ他の人間たちの姿がチラホラと見えている。一子の心臓が嫌な音を立てた。すごく嫌な予感がする。
(大樹君……!無理だと思うけど、完璧な演技お願いね……!)
一子の切実な祈りも虚しく、大樹君は目をバキバキに血走らせた。あからさまに不自然な動きでそっぽを向くと、喉が裂けんばかりの地鳴りのような大声を張り上げた。
「きょ、今日も美しい夕日だな、完全に初対面だった一子さん!!!」
「ぶっっっ!!」
焦った一子は、光速で大樹君の前に回り込み、その巨大な胸板を強引に押し出した。
「あははは! 大樹君ってば筋肉と一緒に脳みそまでビルドアップされちゃったの!? それにそんな大声出さなくていいからね、ほら! 川のお水でも汲んできてー!!」
「あ、あぁ……!うぉぉぉ!俺は水を汲んでくるぞーーー!」
大樹君は、川へ向かって走っていった。周囲にいた陽たちが呆れたように見送る。
その大樹君と入れ替わるように、別の激しい足音が響いてきた。
「はぁ、はぁ……!た、ただいま、戻ったよぉ……!」
息を激しく切らせた男が、猛スピードで広場へと駆け込んできた。顔のひび割れ、ボロボロに傷ついた衣服。
一子は面識こそなかったが、司から聞いていた情報を一瞬で引き当てた。───伊豆へ千空君の生死を確かめに行っていた男、あさぎりゲンだ。
何かから必死に逃げてきたのか、それとも一刻を争う報告があるのか。限界を超えて急いで走ってきたことだけは、その激しい呼吸が証明していた。
「ゲン……!? その怪我は一体……!」
集まってきた司や氷月、一子たちの前で、ゲンは激しく肩を上下させながらも、息も絶え絶えに首を振った。
「司ちゃん……! 原始的な村があったよ。その連中とモメてちょ〜っとケガしちゃったんだけどね〜。で!そこに千空ちゃんは」
ゲンはそこで一度言葉を切り、息を整えると、飄々とした笑みを浮かべてニッコリと言い放った。
「影も形もいなかった!死んでるよ〜間違いなくね!」
一子は、ゲンの表情を注意深く見る。しかし、観察しても、彼の表層からは嘘の証拠を1つも掴めなかった。
(千空君が本当に死んでいるのか。それとも、ゲンの言う通り、千空君の姿を確認できなかっただけなのか。……あるいは、ゲン自身が何らかの理由で千空君側に寝返っているのか)
どの可能性であれ、千空君が生きている可能性が少しでも残っているなら、取るべき行動は1つしかなかった。
ゲンの報告を受けた司は、一切の容赦のない声音で村の制圧を決定する。
「ゲン、君は千空の死体を見たわけじゃない。万が一どこかで生きていれば、いつか村を見つけて科学王国を創るだろう。うん、考えうる最も危険なシナリオだ……戦闘員が揃い次第、武力で村を制圧する。――氷月。村の制圧の任務、任せてもいいかい?」
「えぇ、司君のご命令とあらば、構いませんよ。準備が整い次第、向かわせていただきます」
千空君たちの元へ、今にも攻撃の手が向けられようとした、まさにその瞬間。一子は迷わず一歩前に踏み出した。
「はい!私も侵略しに行きたいです!」
千空君に、自分が石化から復活したことを伝えるため。一子は侵略部隊への同行を志願した。
「ふむ……そうだね、確実に村は制圧しておきたい。分かった。頼めるかな、一子」
司の許可が下りた瞬間、一子はさらに深い欺瞞を重ねるべく、あえて狂信的な笑みを浮かべてみせた。
「任されました!必ずや村人を皆殺しにしてきます!」
「いや、抵抗されればやむを得ないが、殺さなくてはいいよ」
司は少し困ったように眉を下げ、ふっと優しく微笑んで一子を制した。
「あはは、ごめんなさい。私ってば、つい物騒なこと言っちゃって」
司の言葉に一子は内心で息を吐く。あえて暴論を吐き『無用な殺生はするな』というルールを引き出す計算は成功した。これで村人を守る大義名分ができた。しかし、そんなことよりも、
(もしかしたら、千空君に会えるかもしれない───!)
一子の胸の奥底は、もっと単純な期待に支配されていた。