原作主人公に幸せになってほしい系オリ主 作:ほいぽい太郎
夜が明け、あたりが白み始めた頃のことだった。
ずしん。ずしん。
地響きに似た音が外から聞こえ、家が小刻みに揺れている。棚の上の何かが、カタカタと小さく鳴った。
ずしん。ずしん。
その音は鳴りやむことなく、次第に大きくなっていく。
……やけに外が騒がしい。
目覚ましのアラームが鳴っていないってことは、まだ早朝だよな。布団にくるまっていた俺は、その音から逃れるように耳を塞ぎ、ぎゅっと目を瞑ることに専念した。
それでも、振動は絶えず続く。枕越しに、頭の芯まで響いてくる。
……誰だよ、朝っぱらから騒音まき散らしてる奴は。工事でもしてんのか? 始めるにしても九時以降だろ。こちとら疲れが全く取れてないんだ。少しは静かにしてほしい。
はぁ。まったく、近所迷惑だと思わないのだろうか。誰か注意する奴はいないのかよ。
……いないのか。
なら、俺が注意するしかないか。早いとこ追い払って二度寝したい。
俺は寝ぼけ眼のままベッドから這い出し、開き窓を叩き開けて叫んだ。
「おい、うるせーぞ! 朝っぱらから近所迷惑だろう……が……」
窓を開けたすぐ先に、顔があった。
窓枠と同じか、それ以上に巨大な顔が。
朝日を背にして、丸い目がふたつ、俺の方をじっと見つめていた。生温かい鼻息が、前髪を揺らす。
「へっ?」
何だ、コイツは……。
一瞬、頭が真っ白になる。だが、それの正体に見当がついた瞬間、すぐさま我に返る。
……まさか、巨人!?
これは、あの夢の続きなのか?
「っ!」
巨人は俺の姿を見つけるや否や、窓に手を突っ込んできた。窓枠がめきめきと悲鳴を上げて砕け散る。俺は咄嗟に顔を引っ込め、後ろへ跳ぶ。
枕元に置いておいた二本のナイフ。それを滑るように掴み取る。刃こぼれだらけになった、あのナイフだ。
家の中まで侵入してきた巨人の指。一本一本が丸太のように太いそれを、細切れに切り刻む。柔らかい。昨日の夢と同じ、バターのような手応え。壊れかけの刃でも、この体が振るえば十分な威力を発揮する。
巨人は痛みを感じていないのか、指を失った手のひらで室内を闇雲に掻き回す。棚が倒れ、椅子が壁に叩きつけられて砕けた。
その腕を横目に、俺は隣にあったもう一つの窓へ駆け寄り、勢いのまま肩から叩き割った。ガラスの破片と一緒に外へ飛び出す。
巨人は、片手が窓から抜けなくなって、外で地団駄を踏んでいた。間抜けな姿だった。その背中を駆け上がり、うなじを一閃する。
巨人は、そのまま動かなくなった。
俺はうなじから窓枠へと飛び移り、もといた部屋へ戻る。
あらら、ひどい有様だなこりゃ。巨人に荒らされた家具が、あちこちに倒れ、散らばっている。床には砕けた窓枠の木片とガラス。外では、巨人の死体がしゅうしゅうと蒸気を上げ始めていた。
さっきまで感じていた眠気は、完全に吹き飛んでしまった。
壊れずに残っていたベッドに腰を下ろし、今の状況を理解するために思考を巡らせる。
おかしい。
何がおかしいって、そりゃ全てだ。
俺は確かに、夢の中で眠ったはずだ。それなのに、まだ夢の中にいる。夢の中で眠ったら現実に戻る。それがセオリーだろ、普通。
俺的には、もう巨人相手に無双する夢は十分楽しんだ。こんな経験は、しばらくしなくていい。だから早く覚めてほしい。
それに、夢の中の昨日と今日で、明確に違うことがある。
昨日の俺は、巨人を殺すのに没頭しすぎて、夢から覚めることなんて考えてもいなかった。けれど今は違う。俺は今、夢から覚めたいと心の底から思っている。
それでも、覚めない。
目を閉じて、開ける。崩れた部屋。窓の外の蒸気。何も変わらない。
……夢に囚われた、ってところか。
鬼滅の刃に出てくる鬼、
やってみる価値は、あるか。
俺は右手のナイフを持ち上げ、刃を自分の喉に向けた。後は掻っ捌くだけだ。
その時だった。
悪寒が、全身を駆け抜ける。
背骨を冷たい指でなぞられたような感覚。首筋の産毛が一斉に逆立ち、ナイフを握る指先から、すうっと血の気が引いていく。
巨人を殺していた時には、一度も感じなかったもの。自分の命に危険が迫っているという、体からの警報。
顔が青ざめていくのが、自分でもわかった。
まさか。怯えているのか? 夢の中なのに?
喉元に向けた刃先が、かすかに震えていた。昨日、何百体もの巨人を斬っても一度もぶれなかった、この手が。
……喉を掻っ切る前に、確かめなければいけないことができた。
ナイフをベッドの上に置く。そして両手で、自分の頬を思いきりつねって引っ張った。
「いっ……」
目を見開いた。
痛い。
じんじんと熱を持った、鈍い痛み。手を離しても、頬にはその余韻がしつこく残っている。
夢の中では、ありえないはずの感覚だった。
いや、
だからこそ、おかしい。
この痛みは本物だ。思い込みでも、幻の痛みでもない。紛れもない、本物の痛み。
昨日、巨人と戦っている間は、痛みを感じることなんてなかった。巨人の攻撃はかすりもしなかったし、疲れを知らないこの体だ。仮にどこかを擦りむいていたとしても、アドレナリンが出まくっていて気づかなかっただろう。あの時は、夢中だったから。
……まさか。
いやいや。そんなはずは、ない。
それでも、脳みそに一つの可能性が浮かんでしまった。
ずっと頭の片隅で、わずかながら考えていたこと。そんなことありえないと、目を逸らし続けていたこと。
今までのことが、全て夢なんかじゃなく――「現実」で起こっていたという可能性を。
その可能性に行き当たった瞬間。
心にぽっかり空いていた穴を埋めるように、すとんと腑に落ちてしまった。納得してしまったのだ。
理屈では説明できない何かが、俺を納得させてくる。この感覚は、どこから来るのか。まるで、自分が何者かに支配されているような気分だった。夢だと信じたいのに、それを誰かが静かに否定してくる。そしてその否定に、言い返す気力が湧いてこない。
頬の痛みが、まだ残っている。
それが、答えだった。認めてしまった。ここが現実だってことを。
……ここが現実なら。
俺は今まで、一体何をしていた?
自分の背丈の何倍もある化け物を相手に、遊びと称して殺して回った。あの瞬間、ボタン一つでも掛け違えていたら。足を一度でも滑らせていたら。殺されていた、食われていたのは俺の方だったってわけか。
あの時は、死んでもいいと思っていた。食われたところで、どうせ本当に死ぬわけじゃないだろうと。
今になって考えると――死に急ぎ野郎は、俺の方じゃないか。
あの無限にも思えた巨人どもと、もう一度戦う? もう無理だ。できるとしても、やりたくない。
手で口を押さえる。胃の底から、何かがせり上がってきそうだ。今になって、自分がしてきたことに底知れない恐怖を感じ始めている。
そして、恐怖の次にやってきたのは、もっと重たいものだった。
あの、巨人に食われていた人たちも。手足がぐちゃぐちゃになった、あの凄惨な死体も。全部、本当だった。
俺は、救えたんじゃないのか?
救えたはずだ。この体なら。
それを俺は、「気分」で選んだ。
たとえ夢の中でも、人が食われる姿を見るのは堪えるから。だから、気が向いた時だけ助けた。この女の人は美人だから助けよう。この人の顔は気に食わないから、いいや。この人は口が臭そうだから、パス。助けられそうだけど、今からあっちに向かうより、目の前の巨人で遊ぶ方が楽しい。
そんな、くだらない理由で。身勝手にも、命を選別した。
巨人に食われていく人間からは目を逸らして――あの時、俺は何を思っていた?
耳障りな叫び声を聞かせるな。
確か、そう思っていた。
思い出したくないのに、記憶は勝手に鮮明に蘇る。屋根の上から見下ろした路地。巨人の手の中で、こちらに向かって伸ばされた細い腕。何かを叫んでいた口の形。俺はそれを見て、次の巨人の方へ跳んだ。
透き通る世界は、全てを見せていた。俺は全てを見ていた。見た上で、選ばなかった。
……何人、死んだんだ。
俺の気分で、一体何人が巨人の餌になった?
俺なら、絶対に助けられた命だってあった。それを見殺しにして、自分の快楽だけを優先した。
そんなもの――俺が殺したも同然じゃないか……!
「…………っ」
いや。
いや、違う。あの時は夢だと思っていた!
……そうだ。あの時はまだ、夢の中だと信じていた。誰だって、こんな非現実的な状況を夢だと勘違いする。気づいたら知らない場所にいて、自分の姿まで違う誰かに変わっていたら。ここが現実だなんて、誰も想像すらしない。
俺は悪くない。
悪いのは、俺をこんな場所――地獄に送り込んだ奴だ。
俺は悪くない。悪くない。悪くない。悪くない……。
「悪くないんだよっ!!」
箪笥の上に置いてあった花瓶を掴み、床に思いきり叩きつけた。
甲高い音。白い陶器の破片が、部屋中に飛び散る。花瓶に挿してあった、とうに萎れた花が、水と一緒に床に広がった。
肩で息をする。
どこへ向ければいいのかわからないこの感情を、俺は物に当たることで、なかったことにしようとした。この感情を、自分に向けることだけはしたくなかった。向けてしまえば、心が壊れてしまうと思ったからだ。
こんな先の見えない世界に放り込まれて。自分が誰なのかもわからない状態で。目の前で人が死んでいき、俺はそれを見殺しにした。
床に散らばった花びらを見つめながら、ふと思う。
少し、ライナーの気持ちがわかった気がする。
こんな状況に陥れば、まともな精神なんて保てない。心が二つに分かれてしまうのも、仕方なかったってわけだ。
それでも、あいつには帰る場所があった。故郷が。待っている家族が。それが心の支えになっていたはずだ。
俺には、それがない。
この世界のどこにも、帰る場所なんて存在しない。母親らしき人の手紙は残っていた。でもそれは、俺じゃない誰か――ヨリーチに宛てたものだ。俺はヨリーチなんかじゃない。ヨリーチと呼ばれる人間を乗っ取った極悪人だ。
何か、支えが欲しい。生きる理由が。
それが何かわからないままでは、俺はこのまま、ここから一歩も動けなくなりそうだ。
死にたくない。でも、生きたくもない。
その矛盾が、自分の中でどんどん大きくなっていくのがわかった。
俺はその場から動くことが出来なくなり、虚空を見つめる。
*
どれくらい、そうしていただろう。
床の水たまりに、朝日が差し込んで揺れていた。窓の外では、巨人の死体がとうに蒸発しきって、骨の一片も残っていない。まるで、最初から何もいなかったみたいに。
自責の念と、途方もない虚脱感。その二つに挟まれて、頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。何かがゆっくりと、軋みながら外れていく音がした気がした。
そして、その狂気の果てに。
俺は一つの結論を見出した。
――ああ、そうだよ。
この世界は、どこまで行ってもあの物語の中だ。
だったら、いっそその物語を追体験するってのはどうだ?
エレン。ミカサ。アルミン。リヴァイ兵長。ハンジさん。画面越し、紙越しにしか会えなかった魅力的なキャラたちと、直接話せる。本来なら絶対にありえない機会だ。
俺が多少干渉したところで、物語の大筋は変わらない。昨日、それを思い知った。カルライーターを殺そうとしただけで、あれだ。物語の終わりは、エレンによって決められている。
なら、その過程で何をしたって問題じゃあない。
やりすぎたら、未来のエレンが止めてくれるさ。昨日みたいに。
口の端が、ゆっくりと吊り上がっていくのがわかった。
見殺しにした奴らに報いるとか。全ては自分の責任だとか。そんなことを考えるようなお人好しじゃない、俺は。
俺は決して謝らない。
俺は決して悩まない。
楽しもう。この狂った世界を。
そんでもって――エレンに、幸せになってもらおう。たとえ、最後には死んでしまうとしても。せめてその時まで。
あと、これだけは譲れない。俺は、ミカサがジャンとくっつくのは嫌だ。俺はエレミカ派なんだ。誰が何と言おうと、ここは俺の世界だ。俺の勝手にさせてもらおう。
そう、決めた。
俺の心の支えは、この世界を自分の都合のいい世界に変えるという意志だ。
まともでいたら、この現状に頭をやられる。だったら、狂っていた方がちょうどいい。
不思議と、胸の中の重たいものが軽くなっていた。いや、軽くなったんじゃない。見えない場所に押し込めただけだ。それでいい。今は、それで。
俺は、床に落ちていた萎れた花を一本拾い上げ、割れた窓の外へと放った。
そうと決まれば、移動だ。このウォール・マリアから。
目指すはウォール・ローゼ南方の突出区、トロスト区。ここからだと、百キロ以上はあるはずだ。
問題は二つある。まず一つ目は足だ。馬はもう、この辺りには一頭も残っていない。昨日のうちに、馬で逃げおおせた人たちが乗って行ってしまった。厩舎があっても、中は空っぽだろう。
だとすると、方法は一つ。自分の足で走ること。これしかない。
まぁ、この体なら正直、全く問題はない。三日三晩走り続けることだって可能なはずだ。昨日、あれだけ動いて息一つ上がらなかったんだから。
そして二つ目の問題は、俺と巨人ども、どちらが先にウォール・ローゼにたどり着くか、だ。
シガンシナ区からこの辺りまで入り込んでいた巨人は、昨日あらかた殺した。それなのに、さっきの巨人はこの家のすぐそばまで来ていた。それはつまり、壁の穴から新しい巨人が次々とウォール・マリア内に入ってきている証拠だ。
仮に、俺がトロスト区にたどり着く前に、巨人どもが先にウォール・ローゼへ到達したとする。そうなれば、トロスト区の門は閉ざされるだろう。巨人を中に入れないために。
そうなったら、他の突出区――クロルバ区やカラネス区へ迂回しなければならなくなる。迂回すれば、その分時間がかかる。
それに、俺にはどうしてもトロスト区に行きたい理由がある。
そこには、あいつらがいるはずだからだ。
エレン、ミカサ、アルミンの主人公組。それに、ライナー、ベルトルト、アニのマーレ組。あいつらはこれから、トロスト区の近くで訓練兵団に入る。
あいつらに、どうしても会いたい。あいつらをこの目で見ることが、俺の至上命題だ。
もし、あいつらがいなかったら。ここは「進撃の巨人によく似た、別の世界」ってことになる。物語なんて存在しない、ただの地獄だ。そうなったら、さっき決めたことも全部意味がなくなって、俺の心は今度こそ壊れるだろう。
エレンに似た誰かがいることはわかっている。カルライーターのようなものは、確かに迷いなくあの家に向かった。だが、それが本当にエレンなのか。直接この目で見なければ、わからないだろ。
俺が休まず全力で走れば、多分、巨人どもより早くトロスト区に着ける。巨人と人間とでは歩幅も違うから、普通の人間にはまず無理な話だが。
都合のいいことに、俺は普通の人間じゃない。継国縁壱と同じスペックを持つ超人だ。俺なら、たどり着ける。
それに、ウォール・マリアの中にはまだまだ人がいる。巨人が入ってきたという知らせさえ届いていない村もあるだろう。巨人どもは、人の気配に引き寄せられる。そういう村が、時間稼ぎをしてくれるはずだ。
……すまないが。俺は、お前らを助ける気はない。
いい子ちゃんぶるのは、俺には向いていない。さっき分かった。
さて、早急に準備をしよう。
そう思った瞬間、ぐぅ、と盛大に腹の虫が鳴った。
……そういえば、昨日はリンゴ一個しか食べていなかったな。どれだけ化け物じみた体でも、腹は減るらしい。
何か腹ごしらえになるものはないか。荒れた部屋を抜け、台所を物色する。
戸棚の奥から、カチカチになったパンが出てきた。竈の上の鍋には、作りかけだったらしいスープ。この家の人も、昨日の昼、何も知らずに夕飯の支度をしていたんだろう。
パンはかびている様子もない。スープの方はすっかり冷え切っていたが、食えなくはない。
俺は立ったまま、硬いパンにかじりついた。うまく嚙み切れないパンをスープでふやかして無理やり飲み込む。具は芋と、少しの豆。塩気が薄くて、正直うまくはない。
それでも、昨日食べたリンゴと同じくらい、ちゃんと味がした。
……夢じゃないからか。
ナイフも新調していくか。昨日の二本は、もう限界だった。台所に残されていたナイフの中から、できるだけ刃の厚い二本を選んで拝借する。古い二本は、礼を言うつもりで台所の机の上に並べて置いていった。
推定・俺の家から持ってきた革袋に、金貨だけでなく、残りのパンや水を入れた革の水筒、使えそうな布切れなんかを詰め込む。最後に、この体の母親らしき人物の手紙を一番奥にしまった。どうしてそうしたのかは、自分でもよくわからなかった。
袋の紐を締め、肩に担ぐ。
よし。これで準備は整った。
最速で、トロスト区を目指すぞ。
俺は扉を開けた。
朝の冷たい空気が、頬を撫でる。さっきつねった場所が、まだ少しだけ痛かった。シリアスパート終了。センチメンタルな気分はもうおしまいだ。
――悪いな、エレン。
これから俺がやることは、お前にとって都合の悪いことかもしれない。それでも、俺は進むのを止めないだろう。
こんな地獄で心の支えになるのは、今からすることなんだ。どうしても、やりたいんだ。
お前なら、わかるだろ?
皆さんは今でも覚えているトラウマ級な夢はありますか?
私は黒のロングコートを着た男にナイフでメッタ刺しにあった夢ですね。これだけなぜか忘れずに覚えているんです。刺された直後、目が覚めたんですけど。起きた後しばらく動悸が止まらなかったです。