原作主人公に幸せになってほしい系オリ主 作:ほいぽい太郎
よし。トロスト区の近くまで来たぞ。
地平線の向こうに、見覚えのある灰色の壁が見えた時は、さすがに少しほっとした。ウォール・ローゼ。シガンシナで見たのと同じ、空を切り取るような巨大な壁だ。
なんとか、巨人どもより先に着くことに成功した。
途中、先行していたらしい巨人と何度か出くわした。周りに建物も木もない、だだっ広い平原だ。足場になるものが何もない場所で巨人とやり合うのは初めてだったが、結果から言えば難なく倒せた。巨人の体そのものを足場にすればいいのさ。それだけの話。
トロスト区の外門の周りには、黒山の人だかりができていた。
ウォール・マリアの中の村や街から逃げてきた人たちで、門の前はごった返している。荷車に家財道具を山と積んだ家族。年寄りを背負った若者。泣きわめく赤ん坊を必死にあやす母親。誰もが、巨人の脅威から一刻も早く逃れたい一心で、門の向こうへと押し寄せていた。
その列は、門をくぐってトロスト区の中に入っても途切れなかった。外門を入ってすぐのところで、駐屯兵団が身元の確認を行っていたからだ。
俺も、その列の最後尾に並ぶ。
さて、どうしようか。
このままシガンシナ区から来たと正直に言えば、怪しまれるだろう。シガンシナ区からの避難民は、そのほとんどが昨日のうちに、シガンシナ区とトロスト区を結ぶ船で避難を終えている。今日、シガンシナ区から歩いてやってくる避難民なんて、いるはずがない。残った者は、ほとんどが巨人の餌になっているだろうから。
……いや。そこまで考えて、考えすぎだという結論に至る。
駐屯兵団は、この膨大な数の人をさばくのに相当な時間を取られているはずだ。一人ひとりの身元を隅々まで確認するのは、時間効率を考えれば不可能に近い。
それに、この身はまだ子供だ。子供なら、多少地理に疎くても不自然じゃない。
シガンシナ区から近くの街へ出かけていて、そこから避難してきたことにすればいい。昨日出発して、今着いたことにしておけば問題ない。
設定はこうだ。兄と二人で、ウォール・マリア内の街へお使いに出ていた。そこへシガンシナ区陥落の報せが届く。兄は家族の安否を確かめるためにシガンシナ区へ引き返し、俺は一人でトロスト区へ避難してきた。
俺的なこだわりポイントは、存在しないはずの兄だ。
兄とはもちろん、あのお方。お労しや兄上。
我ながら完璧な設定だ。
そんなことを考えているうちに、列は進み、俺の番が来た。
簡素な机の向こうに、駐屯兵団の男が座っていた。紋章の入ったジャケットはしわくちゃで、目の下には濃い隈が浮いている。昨日から一睡もしていないのかもしれない。流れ作業のように名簿にペンを走らせながら、男は死んだ魚のような目で尋ねてきた。こちらを見ることもせずに。
「名前と出身地を答えてくれ」
「名前はヨリーチ。出身地はシガンシナ区です」
機械のように動いていたペンが、ぴたりと止まった。男が顔を上げる。
「シガンシナ区?」
男は訝しげに訊ねてきた。
「ここまでどうやって来たんだ? すまないが、シガンシナ区からの避難民は昨日ですべてのはずだ。今日になってここまで来るのは、とてもじゃないが不可能だと思うが……」
来た。そりゃ疑問に思うよな。
俺は、道中で考えておいた言い訳を、ここで披露する。
「はい。私はシガンシナ区の出身です。けれど、シガンシナ区が陥落した時、私はシガンシナ区にはいませんでした。兄上と一緒に、ウォール・マリア内の街へお使いに出ていたんです」
「それで、今その兄はどこに? 一緒にはいないようだが……」
「早馬が、シガンシナ区に巨人が入ったという報せを届けに来た時……兄上は、シガンシナ区にいる家族の安否を確かめるために、戻っていきました。私は、一日かけてここまで歩いてきました」
そこで少しだけ目を伏せる。
それを聞いた男は、事の顛末に想像がついたのだろう。同情するように顔を曇らせた。
「……そうだったのか。すまない、不躾なことを聞いてしまった。兄さんの名前を聞いてもいいか? ここに来た時、すぐわかるように」
兄が巨人に食われたであろうことを、俺に悟らせないように。男はそうやって、話の向きを変えてくれた。疲れ切った顔をしていても、根は優しい人なのだろう。少しだけ、胸がちくりとした。
「兄の名前は、ミチカツです」
元ネタの兄上の名を使わせてもらおう。どうせこの世界にはいないしね。お労しや兄上。
「ミチカツか。少々変わった名だな……。よし、行っていいぞ。この先をまっすぐ行くと、ウォール・マリアから来た人たちの避難所がある。そこへ行くといい」
「ありがとうございます。失礼します」
俺は頭を下げ、早々にその場を離れた。
ふぅ……うまくいったな。巨人を殺すよりも緊張したぁ。
考えておいてよかった。相手が疲れていて、ろくに頭が回っていなかったおかげで、うまく騙されてくれたみたいだ。
出身地だけは、偽らなかった。それが正解だと思う。
ライナーたちみたいに出身地を偽ると、そこから墓穴を掘ることがある。原作でも、アニの正体が割れた後、出身地が同じだったことからライナーとベルトルトにまで疑いの目が向けられた。もし三人が別々の出身地を名乗っていたら、バレるのはもっと先になっていたかもしれない。
まぁ、俺の場合は壁内人類の敵じゃないから、偽ったところで大した問題にはならないだろう。だが、余計な疑いをかけられれば、それだけ無駄に労力を使う。嘘は少ない方がいい。
閑話休題。
ちょうどその時、どこかで鐘の音が鳴った。
太陽の位置から察するに、正午か。案外早く着いたもんだな。
*
駐屯兵団の人の話では、避難民の寝床は出身地ごとに区分けされているらしい。
案内された通りに進むと、避難所と思しき場所に着いた。
石造りの大きな建物だった。高い天井、むき出しの梁、壁際に積まれた空の木箱。元々は倉庫として使われていた場所だろう。中に一歩入ると、汗と泥と、何日も洗っていない人間の匂いがむっと鼻をついた。
中もやはり、人でごった返している。床には隙間なく人が座り込み、毛布にくるまって横たわっている者もいる。誰もが疲れ切った顔で、虚ろに宙を見つめていた。
俺が割り当てられたのは、もちろんシガンシナ区から来た人たちの避難スペースだ。
つまり、倉庫外にいる人とここにいる人たちが――シガンシナ区から逃げ延びた、全員。
ぱっと見、多いと思う。だが、あの街の大きさと比べると、あまりにも……。
「少なすぎる」
思わず、声に出ていた。
目算で、ざっと三百人前後……か。
こりゃひどい。昨日、あの露店通りだけでも、これくらいの人は歩いていた気がする。いったい何分の一が生き残ったんだろうか。
あの露店のおじさんの顔を、無意識に探していた。見つからなかった。いや、ここは三百人もいるんだ。見落としただけかもしれない。そう思うことにした。
建物の中に入ったはいいが、いかんせん寝るスペースが見当たらない。雑魚寝できるかどうかも怪しい。
こりゃ、外で寝るしかないか。
俺はいったん外に出た。
避難所の前の広場では、食料の配給がまだ続いているらしく、ここにも長い列ができていた。木の器を手に、人々が無言で順番を待っている。
俺は、この体の母親らしき人が残した革袋に食料を詰めてきたから、並ぶ必要はない。
肩に担いだ革袋の重みを、そっと確かめる。この革袋が、今の俺の生命線だ。
中の金貨は、今ここにいる人たちにとってはとんでもない大金だろう。家も財産も失って、誰もが明日の食い物の心配をしている。そんな中で金貨の詰まった袋を持った子供がいると知れたら、どうなるか。盗まれる可能性は十分にある。最悪、子供一人くらいどうにでもできると考える大人が出てきてもおかしくない。
まぁ、この体なら返り討ちにはできるだろうが、それはそれで面倒だ。大金を持っていることは、絶対にばれないようにしなければ。
俺は革袋の口をきつく縛り直し、ぼろ布を上から巻き付けて、汚い荷物に見えるように偽装した。
「――くせに。お前なんか見たこともないくせに!!」
配給所の方から、怒鳴り声が聞こえた。
まだ声変わりもしていない、少年の声。それなのに、腹の底から絞り出したような、強い怒りがこもっていた。
……なんか、聞き覚えのある声だ。
大声に引き寄せられて、配給の列の周りに人だかりができ始めている。
この声って……。
「巨人がどうやって人をっ!」
心臓が、どくんと跳ねた。
俺は人ごみをかき分け、声のする方へと向かった。この声の主を、確かめなくちゃあならない。そうしないといけない。しないとダメなんだ。
自分でも笑ってしまうくらい無駄に洗練された動きで、大人たちの肘と肘の間、荷物と荷物の隙間を、軟体動物のようにすり抜けていく。誰にもぶつからず、誰にも気づかれずに。昨日巨人の腕をかいくぐった技術を、こんなところで使うことになるとは。
人ごみを抜けた先。
駐屯兵団のジャケットを着た男と、地面に転がっている少年の姿が見えた。
黒に近い茶色の、少しぼさついた髪。泥と煤に汚れた頬。そして――地面に倒れたまま、それでも男を真っ直ぐに睨み上げる、翡翠色の目。
確信した。
この少年こそが、俺が待ち望んでいた、この世界で誰よりも会いたかった人物だ。
「エレン」
俺は、小さくそう呟いた。
本物だ。画面の中でも、紙の上でもない。生きて、息をして、怒っている。
いたんだ。この世界に。
喉の奥が、ぐっと熱くなった。今朝からずっと胸の底に沈んでいた重たい何かが、ほんの少しだけ浮き上がった気がした。
――ここは、ちゃんと「進撃の巨人」の世界だった。
「う、うるせぇ!」
駐屯兵の男は、エレンの言葉に激昂していた。顔を真っ赤にして、拳を振り上げながらエレンに近づいていく。
様子から察するに、駐屯兵が避難民への配給に何か心ない嫌味でも言って、エレンがそれに噛みついたってところかな。で、子供が大人に喧嘩を売れば結果は見えている。返り討ちにされて、地面に転がされた、と。
主人公がリンチにされるのは、見るに堪えない。
それに、ようやく会えたんだ。ここは媚びを売るついでに、助けてやろうか。駐屯兵の一人くらい、怪我をさせずに黙らせる方法はいくらでもある。
そう思って、俺は一歩を踏み出そうとした――その時。
「ごめんなさい!」
俺より先に、小さな影がエレンの前に飛び出した。
金髪の、おかっぱ頭の女の子……?
エレンに、金髪の女の子の幼馴染なんていたっけ。そう首を傾げかけて、ああ、と気づく。
アルミンだ。
俺は注意深くアルミンの顔を見る。大きな青い目。細い肩。ははっ。本当に女の子にしか見えない。原作でも散々女の子と間違えられていたが、リアルで見ると、男だと言われなければ本当に判別不可能だ。
「お腹がすいて、イライラしてたから、だから大人の人にこんな失礼なことを……。ほんとっ、ごめんなさい!」
アルミンは小さな体を折り曲げるようにして、深々と頭を下げた。
振り上げられていた駐屯兵の拳が、宙で止まる。
頭を下げる小さな子供。その後ろで倒れている子供。拳を振り上げた大人の兵士。
男は、ようやく周りを見回した。そして、自分が民衆から冷ややかな目で見られていることに気づいたらしい。避難民たちの、無言の、刺すような視線。
まずいと思ったのか、男は舌打ちを一つすると、何か捨て台詞を吐いてそそくさとその場から去っていった。
……むぅ。
せっかくエレンと親しくなれる絶好の機会だと思ったのに。タイミングを逃した。
けど、さすがはアルミンだ。
謝るという、一見ただ下手に出るだけの行動。それで周りの民衆を一瞬で味方につけ、兵士を引き下がらせた。殴られる前に、相手が殴れない状況を作り出したんだ。十歳の子供が。
救世主の片鱗は、この頃から既に見え隠れしていたんだな。
うんうん、と目を瞑って一人で感心しているうちに、人だかりはばらけ始めていた。
目を開ける。
エレンたちは、どこかに行ってしまっていた。
……しまった。
まぁ、そんなに時間は経っていない。まだ近くにいるだろう。
俺は、透き通る世界を使ってエレンたちの居場所を探った。人ごみの向こう、建物の陰。人間の体の中の、骨格や筋肉の形が透けて見える。その中から、目当ての小さな三つの影を探し出す。
なんとも贅沢な使い方だ。
「いた」
人ごみから少し外れた、太い石柱の裏。
そこに、三人はいた。
エレンと、アルミン。そしてもう一人。黒髪を肩のあたりで切り揃えた、目鼻立ちの整った少女。首には、この季節には少し暑そうな赤いマフラーを巻いている。
ミカサだ。間違いない。
三人は何か話し込んでいた。というより、エレンが一方的にかなりの剣幕でまくし立てていた。
「こんなモンいらない!」
エレンは手に持っていたパンを、アルミンに投げつけた。アルミンが慌ててそれを受け止める。
俺は気配を殺し、話の内容を聞こうと、近くの積み荷の陰に身を隠した。
隠れたのと、ほぼ同時だった。
エレンが、ミカサにぶっ飛ばされた。
……あ。また転んだな、エレン少年。今日だけで何回地面と仲良くしてるんだろ?ていうか、いったい何を言ったんだよ。
俺は耳を澄ませる。
えー、何々?
ミカサは、倒れたエレンを見下ろしながら、静かに、だがきっぱりと言葉を紡いでいた。自分たちは弱い。巨人を殺すことなんてできない。だから今、何よりも大切なのは生き延びることだ。だから、あなたを飢え死になんかさせない――。そんな内容を、淡々と、エレンに説いていた。
なるほど。エレンは多分、配給のパンなんかいらない、施しなんか受けずに自分一人で生きていける、みたいな啖呵を切ったんだろうな。
まぁ、駐屯兵にあれだけ馬鹿にされた直後だ。そう言いたくなる気持ちも、わからんでもない。
けど、少し安心した。
今のエレンは、年相応にちゃんと子供だ。怒って、意地を張って、殴られて。未来のあいつとは、まだ違う。……倫理観は、すでにどこかぶっ壊れてそうだけど。
ミカサはアルミンからパンを受け取ると、エレンの口に無理やりそれを押し込んだ。エレンはむせながら、それでも、そのパンを噛んで、飲み込んだ。
……ん? 今思ったけど、これって原作に出てくるワンシーンじゃないか? 確か、こんな場面があった気がするんだよな。
エレンは、パンを頬張りながら泣いていた。
声を殺して、ぼろぼろと。怒りなのか、悔しさなのか、悲しさなのか。たぶん、その全部だ。
……これはまた、一層関わるタイミングを逃してしまった感が拭えない。泣いている奴のところに、見知らぬ子供がのこのこ出ていって「仲間になってくれ」なんて言えるわけがない。
まぁ、機会はこれからいくらでもある。今日のところは後日に回すか。
俺は物陰から、こっそりと踵を返そうとした。
その時だった。
「そこにいるの、誰?」
ミカサの声だった。
……そこにいるのって。
まさか、俺のことを言っているのか?
そう思って振り返ると――ばったりと、ミカサと目が合った。
黒い瞳が、まっすぐに俺を射抜いている。迷いが一切ない。最初から、そこに俺がいることを知っていた目だ。
……マジかよ。
うまく気配を消していたはずなのに、気づきやがった。野生動物かよ。いや、アッカーマンか。
「あなた、さっきからずっと私たちのことを見ていた。私たちに、何か用があるの?」
さっきから、ずっと。最初から気づいていたのか。
なら、なぜ最初から声をかけなかった? ……決まっている。俺が自分たちを尾けているという確証が得られるまで、あえて泳がせていたんだ。そう考えれば辻褄が合う。
はぁ。天晴れだよ。
やっぱり、主人公の周りにいる奴らは特別なんだな。だから主要キャラを張れるのか。
仕方ない。というか、逆に好機だ。向こうから声をかけてくれたんだ。仲良くなるチャンスじゃないか。
俺は、積み荷の陰からわずかにしか出ていなかった体を、すべてさらした。
その瞬間。
エレンとミカサが、なぜか目を見開いた。
「お前は……」
エレンは、さっきまでの涙が嘘のように消え失せた顔で、呆然と俺を見ていた。アルミンは、そんな二人の様子に戸惑ったように、俺とエレンの顔を交互に見比べている。
……これは、しくじったか?
嫌な可能性が頭をよぎる。俺が憑依する前の「ヨリーチ」が、この二人の知り合いだった可能性。シガンシナ区は広いようで狭い。同じ年頃の子供同士、顔見知りだったとしても全然おかしくない。
まずい。ヨリーチの記憶なんて、俺は一つも持っていない。名前を呼ばれても答えられない。
何か言い訳はないか、言い訳は……。
「……お前。あの時、屋根の上にいなかったか?」
エレンが、突拍子もないことを言い出した。
「あの時?」
思わず聞き返す。前後の文脈がさっぱりわからない。
「ああ、そうだ。あの時。巨人が壁をぶち破って、中に入ってきた時だ」
あー……あの時って、そういう……。
ていうか、あれ見られてたのかよ。調子に乗って巨人を殺しまくっていた時の。巨人を殺すのに夢中で、周りなんか何にも見えてなかったわ。
でも、待てよ。俺の無事を喜ぶ言葉じゃなくて、真っ先にあの黒歴史について訊ねてきたってことは――少なくとも、知り合いではなさそうだな。ひとまず、最悪の可能性は消えた。
さて、正直に言うべきか?
……誤魔化したところで、エレンは自分の目で見ている。下手に否定すれば、余計に怪しまれるだけだ。
「ああ。確かに、俺は屋根の上にいた。そこからなら、巨人の居場所が把握できるから」
「……いただけじゃねぇだろ。俺は見たぞ。お前が屋根の上を飛び回って、巨人を殺しているところを」
この様子じゃ、結構がっつり見られてるな。
そして、ミカサの目がヤバい。
さっきまでの懐疑的な目つきが、明らかに変わっていた。半歩、エレンの前に出るように重心を移している。両手は体の横に下ろしたまま、けれど指先にはいつでも動けるだけの力がこもっていた。透き通る世界で見るまでもない。敵意だ。
そりゃそうか。ミカサからすれば、俺は生身で巨人を殺す化け物だ。その力が自分たちに振るわれない保証なんて、今のところどこにもない。警戒して当然だ。エレンもきっと、同じことを考えて――
「どうやったら……」
エレンが、地面から勢いよく立ち上がった。そして、ミカサが止める間もなく俺の両肩を掴む。
「どうやったら、お前みたいに巨人をぶっ殺すことができる!!!」
……あー。そっちか。
全然そんなこと考えてなかった。猪突猛進なお頭で。
エレンは、鬼気迫る表情で俺に詰め寄ってくる。肩を掴む指に、子供とは思えない力がこもっていた。
「お前はその力を、どこで身につけたんだ! その力があれば、俺だって……俺だって、母さんを救えたかもしれないのに……」
昨日の凄惨な出来事を思い出したのだろう。エレンの声は、最後には悲鳴のように掠れて、そのままうなだれた。肩を掴む手が、小刻みに震えている。
……悪いが、この力については俺もよくわかっていないんだ。継国縁壱と同じ力が使える。でも、それがなぜ使えるのかは、俺にもわからない。
それに。お前の母さんを救えなかったのは、俺も同じだ。いや、俺はもう少しで、救えたかもしれなかった。
その言葉は、喉の奥に飲み込んだ。
やがて落ち着いたのか、エレンは一度大きく深呼吸して、顔を上げた。
「……悪い。取り乱した」
「大丈夫だ。少し驚いたが」
エレンが俺の肩から手を離す。
その瞬間、ミカサがエレンの襟首を掴んで、自分の方へぐいと引き寄せた。
「何すんだよ、ミカサ!」
エレンが抗議するように振り返る。だが、ミカサはそんなことはお構いなしに、エレンを自分の背中の後ろへと下がらせた。
「質問に答えて。あなたは、なんで私たちに近づいたの?」
低い声だった。
これは、本当に警戒されているな。答え方を一つ間違えれば、殺し合いに発展するんじゃないか。この体でアッカーマンとやり合って負ける気はしないが、そうなった時点で、俺の壁内ストーリーは終わりを迎える。
ここが正念場と見た。
努めて笑顔を作る。……作れているかは怪しいが。まずは、敵じゃないことを証明しなければ。
「質問に答える。けど、まずはそっちの黒髪の子の質問からだ。どうして君たちに近づいたか、だったな。理由は簡単だ」
一拍、間を置く。
「仲間になりたかったんだ」
「はぁ?」
エレンが、間の抜けた声を上げた。三人とも、頭の上に疑問符を浮かべている。
俺は、目を伏せた。
「俺の家族は、目の前で巨人に食われた」
空気が、変わった。
エレンたちは、絶句していた。それはまるで――自分たちと同じではないか、と。
人間は、同じ境遇の奴には自然と仲間意識が芽生えるものだ。傷の舐め合いが大好きなんだ、人間は。張り詰めていたミカサの肩から、ほんの少しだけ力が抜けていくのを感じる。
「俺の知り合いは、もう誰一人として生き残っていない。俺はまだ子供だ。一人じゃ生きていけない。だから、支え合える仲間が欲しかった。そんな時、同い年くらいの君たちを見つけて……もしかしたら、仲間になってくれるんじゃないかと思った。だから、話しかけるタイミングをうかがっていたんだ」
ちらりと、三人の反応を確認する。
よし。流れはこっちにある。
アルミンを騙せるかが一番の心配だったが、あの様子なら、うまく信じてくれているだろう。
「……あなたが私たちをつけていた理由は、わかった」
ミカサが口を開いた。
「それじゃあ、なんで巨人を殺せたの? 普通の子供は、巨人なんて殺せるわけがない。あなたは、何者?」
核心を突いてきた。
頭を回せ。うまい言い訳を考えろ。
「……俺の両親が食われた時。体に、雷みたいなものが走ったんだ」
ミカサの目が、わずかに揺れた。
「自暴自棄になっていた俺は、気づいたら巨人を殺していた。巨人を殺せる力に、突然目覚めたんだ」
ミカサが、はっとした顔をする。
そうだよな。お前にも、そういう経験があるはずだ。人さらいの小屋で、エレンに「戦え」と言われたあの瞬間。体の奥で、何かが目を覚ましたあの感覚。だから、否定することはできない。
納得材料を、さらに投下していく。
「俺は無我夢中で、巨人を殺しまくった。両親の仇だと思って……。もう、何の意味もないのに」
ここで、苦笑を一つ混ぜておく。
手に入れた力が、手に入れるにはあまりにも遅すぎた。そこに焦点を当てさせるためだ。
これは、エレンの深層心理を刺激するための一言だ。さっきの様子から察するに、エレンは「俺の力が自分にあれば母を救えた」と思っている。なら、その気持ちを俺も同じように抱いていたことにしてしまえばいい。力に目覚めても、一番大事な時に何もできなかった。その無力感を、俺も抱えていることにすれば、エレンの心も少しは休まるだろう。
ちらりと、エレンの方を見る。
……そんな、悲しいやつを見る目で見るなよ。
これ全部、作り話なんだぜ。悲しいやつは、お前の方だよ、エレン。
「俺が何者かなんて……そんなの……わからない。俺は、自分のことを普通の人間だと思っていた。でも今は、この力が怖いんだ。いつか、誰かを傷つけてしまうんじゃないかって……」
両手を前に出して、小さく震わせてみせる。自分の力に怯えているように。
これで、同情は得られた……か?
――その様子なら、効果は十分だったようだ。
「ごめん……。そんな話をさせるつもりじゃ、なかったのに」
ミカサが謝ってきた。さっきまでの刺すような敵意は、ほとんど消えていた。
「お前も、家族を巨人に食われたんだな」
エレンが、ぽつりと言った。
「お前も、ってことは……君たちも?」
自分で言っていてクソ白々しく感じる。だが、騙せているのなら、このまま突き通すしかない。
「ああ。俺とミカサは……あ、こっちの黒髪な。俺とミカサは、母さんを巨人に食われた」
「……っ」
俺は、悲痛そうな顔を作る。
動いているか、俺の表情筋。この無表情な顔から、少しでもいいから動いてくれ。頼む。
――いや。
動かそうとしなくても、動いていたかもしれない。俺は、その瞬間を見ていたのだから。大岩の前で、巨人の手の中で、弱々しく指を叩いていた人の姿を。
エレンが、手を差し出してきた。
「いいぜ。今日からお前も、俺たちの仲間だ。いいよな? アルミン、ミカサ」
「へ? あ、ああ、もちろんだよ」
「ん」
いきなり話を振られたアルミンが、びくつきながらも頷いてくれた。ミカサは短く一言。
……すまないな、アルミン。
お前が、この世界の誰よりも怖くて仕方ないんだ。だから、わざとお前を蚊帳の外にして話を進めさせてもらった。お前に冷静に考える時間を与えたら、俺の嘘なんて一瞬で見抜かれそうだから。
「ああ。ありがとう」
俺は、エレンの手を握り返した。
泥だらけで、まだ小さくて、温かい手だった。
「君たちのことは、なんて呼べばいい?」
「ん? 俺はエレン。エレン・イェーガーだ。気軽にエレンって呼んでくれ。黒髪の方がミカサ。金髪の方がアルミンだ」
「了解。よろしく、エレン。ミカサ。アルミン。俺の名前は、ヨリーチだ」
ふぅ……本当に疲れた。巨人を相手取るより、何十倍も疲れた。こんなこと、もう二度としたくない。
さっき駐屯兵に話した内容と、少し齟齬が出てしまったが……まぁ、あの人とはもう関わることもないだろう。大丈夫だろ。
これにて、めでたしめでたし――
「そういえば」
アルミンの野郎が、何かを思い出したかのように口を開きやがった。
え? 何? 今、めちゃくちゃいいところだったのに。完全に締めの空気だったじゃん。
「もしかして、『巨人狩り』って君のことかい?」
巨人狩り?
何だそれ。鬼狩りの亜種か?
「巨人狩り? 何だ、それは」
「アルミン、巨人狩りなんて俺も知らないぞ」
エレンも首を傾げる。
「昨日の夜から広まりだした噂のことだよ。エレンは夜までどこかに行ってたから、知らなかったと思うけど」
アルミンは語り始めた。巨人狩りと呼ばれる者のことを。
曰く、巨人をナイフ一本で倒した。
曰く、二本のナイフで巨人をめった刺しにした。
曰く、空を飛んでいた。
そんな荒唐無稽な噂が、避難民の間で流れているらしい。
あー……。それ、十中八九俺だね。
「目撃者の証言と、その容姿がほとんど一致しているんだ。顔に炎が燃えているような痣があって、赤みがかった髪色。そして何より、十歳くらいの少年だということ」
アルミンの青い目が、俺の額の痣と、髪と、そして顔を順番になぞっていく。
……俺、そんなにみんなに見られていたのか。
やばいな。厄介事の匂いしかしない。
もし俺が巨人狩りだとバレたら、少なくとも「ちょっと署まで来てもらおうか」的なノリで連行される可能性がある。もしかしたらそれ以上にヤバいことになるかもしれない。
アルミン……。
「……もしかして、俺のことを兵団にバラそうとしてる?」
「い、いやしないよ! そんなこと!」
アルミンは、首がもげそうな速さで頭を横に振った。よかったゲスミンしないんだね。
「ただ、このままだと、将来的にバレる可能性が高いと思うんだ。ここにいるのはシガンシナ区から来た人たちだ。巨人を殺している少年の姿を見た人なら、きっと忘れられない。ヨリーチの見た目は、印象に残りやすいからね」
「なら、どうすればいい? 俺は正体を隠すために、どこかに引きこもって暮らさなきゃならないのか?」
「いや、そこまでの問題じゃないと思う」
アルミンは顎に手を当て、少しだけ視線を宙に泳がせた。頭の中で、何かを組み立てている顔だった。
「たぶん数日のうちに、僕たちを養うだけの食料の備蓄が底をつくはずだ。ウォール・マリアの人口がまるごと流れ込んできたんだから。そうなれば、僕らも働かざるを得なくなる。働かざる者食うべからず、だよ。でも、僕らみたいな子供にできることは限られてる。例えば――荒れ地の開拓に回される、とかかな」
俺は、目を見開いた。
そこまで考えているのか。
しかも、当たっている。俺は原作の知識で、この先の未来をすでに知っている。避難民たちは食料不足から、壁の内側の荒れ地の開墾に駆り出される。アルミンは、その未来をこの時点でズバリ言い当てていた。
たった十歳で、一日しか経っていないこの状況から、ずいぶん未来を見てやがる。怖すぎ。
「……それが、俺の正体がバレないことと何の関係があるんだ?」
「考えてみてよ。ここにいる全員が、同じ場所で同じ仕事をすると思う? 開拓する荒れ地だって、一か所とは限らない。一つの場所に人を集中させるのは、あまりにも効率が悪いよ。だから、必ず人数を分散させるはずなんだ」
アルミンは、指を一本ずつ折りながら続ける。
「そうなれば、ヨリーチの顔を見たことがある人が、自分の周りから自然と少なくなる。正体がバレる可能性は、格段に低くなると思う。それに……」
「それに?」
「い、いや、なんでもない」
アルミンは一瞬、何かを言いよどんだ。視線が、ほんのわずかにエレンの方へ揺れた気がした。
「そ、それに、正体を隠す方法はもっと他にもあるんだ」
……話を逸らしたな。
何を言いかけたのかは気になる。だが、本人が話したくなさそうにしているんだ。ここは黙っておくのが吉だろう。お前とは、まだ会って十分も経っていないしな。
「その、正体を隠す方法について教えてくれ」
「変装するんだ」
変装?
「……女装でもすればいいのか? 確かに今の俺の顔なら、髪も長いし、誤魔化せるかもしれないが……」
「ち、違うよ! なんでそうなるのさ!」
アルミンの顔が、一瞬で真っ赤になった。女装が似合いそうなやつナンバーワンが動揺してる。
「す、少しだけここで待ってて!」
そう言い残して、アルミンはどこかへ走って行ってしまった。
察しの良さは恐ろしいレベルだが、いじりがいのある性格をしているな、アルミン。
「面白いな、アルミンって」
俺は、ぼそりと呟いた。
「だろ? アルミンは面白いやつなんだ」
エレンが、にやりと笑った。さっきまで泣いていたとは思えない、得意げな顔だった。
そして、アルミンがいかにすごい奴であるかを語り始めた。本をたくさん読んでいて、何でも知っていること。大人でも思いつかないようなことを思いつくこと。壁の外の世界のことを教えてくれたのも、アルミンだということ。
それに同調するように、ミカサがこくこくと頷きまくっていた。……この子、こういう時はちょっとかわいいな。
今の会話だけでも、アルミンが卓越した知性を持っているのはうかがい知れる。
未来のエレンも、もっとアルミンを頼っていれば、何か別の解決の糸口を見つけられたかもしれないな。……いや。頼れなかったんだろうな、あいつは。
アルミンの話でエレンたちと盛り上がっていると、向こうから、アルミンが息を切らしながら戻ってきた。
「ぜぇ……ぜぇ……ごめん、遅くなった」
その手には、何かが抱えられていた。
「変装に使うのは、これだ」
アルミンが、持っていたものを広げる。
それは、フード付きのマントだった。
くすんだ茶色の、厚手の布。ところどころ丁寧につくろった跡があって、長く大事に使われてきたものだとわかる。
「僕のおじいちゃんがくれたものなんだ。これで頭を覆うといい。そうすれば、バレにくくなるはずだ。君は顔が特徴的すぎるからね。顔を隠してしまうのが一番手っ取り早いと思う」
「……俺に、貸してくれるのか? このマントを」
「うん。大事に使ってよね。それ、一着しかないんだから」
アルミンは、少し照れくさそうに笑った。
受け取ったマントは、思っていたよりも重かった。布の奥から、ほんのかすかに、古い本の匂いがした。
アルミンのおじいさん。確か、原作では――。
……いや。今は考えるのはやめよう。
「ああ。ありがとう、アルミン。大事に使うよ」
マントを羽織り、フードを目深にかぶる。痣も、髪も、布の影にすっぽりと隠れた。
いや、ほんとにアルミンは俺の命の恩人だ。俺が原作に関われなくなる可能性を、ひとまず消してくれた。ありがたやー、ありがたやー。
こうして、俺たちは仲間になった。
今はまだ、嘘で始まった関係だ。でも、いつか本当に、かけがえのない仲間になりたい。エレンやアルミンとは、もっと仲を深めたい。
ミカサはちょっと怖いけど……頑張って、仲良くしようと思う。
エレンとミカサをくっつけるには、多少は仲良くなっておかないと話にならないしな。
フードの影で、俺はこっそりと、決意を新たにした。
主人公組との邂逅でした。