原作主人公に幸せになってほしい系オリ主 作:ほいぽい太郎
エレンたちと知り合った後。
俺は、避難所での場所取りができておらず、寝る場所がないことを打ち明けた。
「はぁ? だったら昨日はどうやって寝たんだ?」
エレンが眉をひそめる。
「ん? ああ、言っていなかったか。俺がトロスト区に来たのは、ついさっきのことだ。昨日は、ウォール・マリアの中にある民家を借りて一夜を過ごした」
「過ごしたって……あの、巨人たちがひしめいている地獄でかい!?」
アルミンが、信じられないという顔で声を上げた。まあこれは事実だしな。このことまで嘘つかなくていいだろう。
「いくら巨人を殺せるからって……夜なんて周りは全く見えないし、いつ巨人が現れるかもわからないのに……。よく、生きていたね」
「それについては問題なかった。なぜかはわからないが、巨人は日の当たらないところでは動きが止まるみたいなんだ。夜には、ほとんどの巨人が動かなくなっていた」
「巨人が、夜に……?」
アルミンが小さく呟き、何かを考え込むように顎に手を当てた。そこに疑問を持つとは流石アルミン。ハンジさんと気が合いそうだね。でも気にするのは今じゃなくていいぞ。どうせ訓練兵になったら教えてもらえることさ。
「本当なら、そのまま逃げられたと思う。でもあの時、巨人を殺しまくったせいで疲れが無視できなくなって、休まざるを得なかったんだ」
確かに俺はあの時疲れていた。精神的にだけど。
「なるほど。だったら……」
アルミンは、エレンとミカサと顔を見合わせた。三人は言葉を交わさないまま、お互いに小さく頷く。それだけで通じ合っているのが、少し羨ましかった。
「俺たちの寝床に来いよ、ヨリーチ。幸い、もう一人寝られるくらいのスペースはあるぜ」
エレンが、当たり前のことのように言った。
「それは助かるが……いいのか? 見ず知らずのガキを、それも化け物かもしれない俺を、自分たちの縄張りに招き入れて」
「何言ってんだ? もう俺たちは仲間だろ? 仲間に化け物もくそもねーよ。困った時は助け合うもんだ」
エレンは、何の迷いもなくそう言い切った。
……ああ。こういうところなんだよな、こいつは。
まっすぐで、熱くて、損得なんて考えない。だから、みんなこいつの後をついていく。なんでこいつからあいつになっちまうんだろう。まったく度し難いな。
「エレン……ありがとう」
嘘で手に入れた仲間の、嘘のない言葉が、少しだけ胸に刺さったが、これからのための必要経費として割り切る。どうせこれから嘘つく機会なんて山ほどあるんだ。一つ一つに気にしていたら、キリがない。
エレンたちのおかげで、俺は自分の寝床を確保することができた。
案内されたのは、避難所の奥の一角だった。確かに、スペースはあった。藁を敷いた床に、くたびれた毛布が数枚。隣の家族との間には、仕切りの一つもない。プライバシーのかけらもない雑魚寝が強制される場所だ。
そこには、エレンたちのほかに、白髪の老人が一人座っていた。アルミンのおじいさんだという。俺が頭を下げると、皺だらけの顔をほころばせて、ゆっくりと頷いてくれた。
荷物は、このまま肌身離さず持っておくのがいいだろう。俺は革袋を抱え込むようにして、壁際に腰を下ろす。
その時、俺は気づいた。
避難スペースの向こう側。人の頭の隙間から、三人組の子供がいるのが見えたのだ。
そもそも、この辺りには子供が少ない。巨人の恐怖に負けた大人たちが、子供を囮にする大罪を犯してまでここまで逃げてきた――そういう者も、きっと少なくないのだろう。大人だけの集団はよく見る。大人と子供が一緒にいる姿もまあ、なくはない。しかしそれが子供だけの集団になると話は変わってくる。かなり目立つのだ。エレンたちが目立っていたのと同じ理由で、あの三人組もよく目立っていた。
一人は、短く刈った金髪の、体格のいい少年。一人は、黒髪で背の高い、ひょろりとした少年。そしてもう一人は、金髪をきつく後ろでまとめた、小柄な少女。
三人とも、周りの避難民と同じように薄汚れた服を着て、疲れた顔をしていた。だが、決定的に違うところが一つある。
絶望していない。
周りの大人たちが虚ろな目で宙を見つめている中で、あの三人だけは、何かに耐えるような、張り詰めた目をしていた。失ったものを嘆く目じゃない。これから何かをしなければならない者の目だ。
間違いない。
ライナー。ベルトルト。アニ。
……まさか、同じ場所に避難していたとはな。いや、あいつらの場合は「避難」というより「侵入」に近いんだが。
昨日、シガンシナ区の壁を蹴り破った張本人と、内門を叩き壊した張本人が、今、俺と同じ屋根の下で、配給のパンを食べている。あいつらの境遇には同情する点がありまくるが、なんとも変な感覚だ。ライナーが旗振り役をしているのが見えた。自認マルセルになってしまった後みたいだ。アニがライナーのことを気持ち悪い物として侮蔑の様相を醸し出していた。
「ヨリーチ? 遠くを見つめて、どうしたの?」
俺の視線に気づいたアルミンが、不思議そうに訊ねてきた。
しまった。あまりにも凝視しすぎていたようだ。以後、気をつけないと。この隣にいる金髪の少年は、俺の視線の動き一つからでも、何かを読み取りかねない。
「ん。いや、向こうに俺たちと同じくらいの子供が見えてな。子供だけでいるのは珍しいと思っただけだ」
そう言って、ライナーたちの方を指さした。
アルミンが、俺の指の先を目で追う。そして、納得したように頷いた。
「確かに、ここで子供だけっていうのは珍しいね。大人の姿が見えないってことは……エレンたちと同じような目に遭ったんだと思う」
同じ目、ね……。
真逆なんだけどな。あいつらも、子供の身でここに放り込まれた。違うのは、そうなるように自分たちで引き金を引いたってことだけだ。引き金を引いた奴と撃たれた奴じゃ360度違うな。
ここでライナーたちと接触するのは、得策じゃない。
俺が巨人狩りであることが、バレている可能性があるからだ。特に警戒すべきは、アニとベルトルト。あいつらは、シガンシナ区に巨人がなだれ込んでから、ライナーが鎧の巨人で内門を破るまで、しばらく壁の上にいたはずだ。その間に、屋根の上を跳び回る俺の姿を、豆粒ほどでも見ているかもしれない。自分らの幻覚ではないことを広まっている噂で分かっているだろう。容姿の特徴もな。
もし見られていたら。壁の中に、巨人を素手同然で殺せる子供がいる。あいつらの任務にとって、これほど厄介な存在はないだろう。
あいつらに無駄な警戒心を持たれたら、これからの計画に支障をきたす。最悪、始祖を探すついでに、俺を消そうとしてくるかもしれない。関わって、いいことは一つもない。
バレないように、この数日を乗り切る。
そう心に決めて、俺はアルミンから借りたフードを深くかぶり直した。
フードの隙間から、もう一度だけ向こうを見る。
金髪の少女が、ちょうどこちらを見ていた。
――いや。俺じゃないはずだ。俺の隣で騒いでいる、エレンを見ていたのだ。少女はすぐに興味を失ったように、視線を手元のパンに落とした。
俺は、止めていた息を、静かに吐き出した。
*
それからしばらくして、夜になった。
避難所のあちこちで、ランプの小さな灯りがともる。すすり泣く声。いびき。赤ん坊のぐずる声。それらが混ざり合って、低いざわめきになって天井に溜まっていた。
いろいろなことがあった一日だったが、なんとか終えることができそうだ。正直、安心している。
俺は、寝る前に自分の持ち物を整理することにした。
周りに背を向け、毛布で手元を隠すようにして革袋の口を開ける。金貨を周りに見えないように静かに取り出し、自分の足で隠す。そして今朝詰めてきたものを一つずつ取り出していった。
予備にと詰めた包丁が一本。カビかけているパン。革製の水筒。それから、使えるかどうかもわからないようなガラクタの数々。錆びた釘。紐の切れ端。片方だけの手袋。
今朝はとにかく急いでいたから、目に入ったものを片っ端から突っ込んできた。……が、こうして並べてみると、かさばるだけのガラクタの多いこと多いこと。
これは売れそうにもないし、捨てるしかないか。
そうして中身を全部出し終え、空になった袋を逆さにして振った時だった。
ことり、と。袋の底で、何かが動く音がした。
……ん?
中は空のはずだ。袋の底を指で探る。革が二重になっていた。縫い目の一か所だけが、わずかにほつれている。そこに指を差し入れると、硬いものに触れた。
引っ張り出したのは、手のひらに収まるくらいの、木製の小箱だった。
この革袋は、もともと俺が目覚めた家の台所の床下に隠されていたものだ。母親が、金貨と一緒に残したもの。その袋の底に、さらに隠されていた。
今までのガラクタとは、比べものにならないほど上品な造りだった。黒く艶のある木肌。角は丁寧に面取りされ、手に吸い付くように滑らかだ。そして蓋には、何かしらの文様が彫られていた。
円の中に、花びらのような意匠。
……これは、家紋か?
時代劇か何かで見たことのある、あれだ。
いや、待て。ここは中世ヨーロッパがモチーフの世界だぞ。なんで、こんな和風なものが。
指先が、なぜかかすかに震えていた。
俺は、そっと蓋を開けた。
中には、柔らかな布に包まれて、一対の耳飾りが大切にしまわれていた。
薄い木の札に描かれた、赤い日輪。その周りを放射状に走る線。花札のような、独特の意匠。
見覚えが、あった。
継国縁壱が、つけていた耳飾りと、瓜二つだった。
――ぽたり、と。
手の甲に、何かが落ちた。
「……あれ?」
涙だった。俺の目から、不思議と涙がこぼれ落ちていた。
どうして、俺は泣いているんだ。
この涙の理由が、わからない。
けれど、この耳飾りを見た瞬間。胸の中が、とても懐かしい気持ちと、言葉にできない寂しさでいっぱいになった。誰かの手が、この耳飾りに触れていた。誰かの耳で、この日輪が揺れていた。その光景を、確かに知っている気がする。思い出そうとすると、霧の中に手を伸ばすように、するりとすり抜けていく。
継国縁壱がつけていたから懐かしい、とか、そういう話じゃない。
きっと、これはこの体の記憶なのだろう。
本当のヨリーチの。おそらく、ヨリーチの知っている誰か――母親か、父親か、それとも別の誰か――が、この耳飾りをつけていたのではないか。
袖で乱暴に目元を拭う。
俺は、この耳飾りを、何のためらいもなく自分の耳につけた。
これはつけなければいけない、と思ったのだ。理由はいくつかある。
つけていれば、俺が乗っ取る前の、本当のヨリーチの記憶が戻るかもしれない。
それに、自分が何者であるかを、忘れないためでもある。俺はこの体を乗っ取った略奪者で、体が超人なだけの、ただの一般人だということを。この耳飾りが耳元で揺れるたびに、それを思い出せるように。
あとは、単純に。この耳飾りをつけたら、より一層継国縁壱っぽくなれるから。継国縁壱がエミュが捗りそうだ。
だってかっこいいんだもん、この耳飾り。
……最後の理由が本心であることは、置いておこう。
耳たぶに触れる。かすかな重み。からん、と札が小さく鳴った。
さて、問題はこの箱だ。かなりの高値で売れそうだが……。
……いや、よそう。何か嫌な予感がする。
箱の文様が和風なのが、どう考えてもおかしい。俺の顔が東洋人顔であることと、関係があるのだろうか。継国縁壱に似ているんだから、東洋人顔なのは当たり前と言えば当たり前だ。だが、この壁の中で東洋人の血を引く生き残りは、ミカサだけだったはずだ。
それなのに、俺みたいな奴が存在している。そして、この家紋。
手紙にあった言葉が、頭をよぎる。――私たちは多くの秘密を知りすぎた。消されるのは、そう遠くない未来だった。
きな臭いったらありゃしない。
俺がシガンシナ区にいたのにも、何か理由があるのか? 原作では、東洋の一族は壁の王に逆らって迫害されていたって話だったが……。
……やめておこう。これ以上の詮索は。
めんどくさいことに巻き込まれそうだ。こういうのは原作の流れに絡めるから面白いのであって、俺一人で勝手に解決しても、つまらないからな。
俺は小箱を布で包み直し、母親の手紙と一緒に、革袋の二重底の奥へと戻した。
そんなこんなで、整理は終わった。ガラクタを捨てれば、かなり身軽になるだろう。
問題は、金貨だ。
これを持って歩くと、じゃらじゃらうるさいんだよな。いくら布で包んでも、走れば音がする。それに、アルミンの読み通りなら、すぐにトロスト区から荒れ地の開拓に回される。使う暇なんて、ほとんどないだろう。かといって、内地の土地を買えるほどの額でもない。
完全に、宝の持ち腐れ状態だ。
……エレンたちに、分けるか。
もし俺のせいで何かが狂って、こいつらが訓練兵になる前に餓死でもしたら、困る。それに――。
隣を見る。エレンが、ぶつぶつ文句を言いながら毛布を広げていた。
「エレン。ちょっといいか? 話があるんだが」
「何だよ」
俺が鎧の巨人でこいつが超大型巨人ってヤツだ。みたいな会話が頭によぎった。違う違うと頭から雑念を振り払う。
「これを、お前らにやろうと思ってな」
俺は毛布の陰で革袋の口を少しだけ開き、中から金貨を一枚取り出して見せた。ランプの灯りを受けて、金色が鈍く光る。
「! これ……お前……どこでこんなもん手に入れたんだ?」
エレンは目を見開いたが、すぐに声を潜めた。周りに悟られないよう、ぐっと顔を近づけてくる。こういうところは、ちゃんと頭が回るんだな。
「親の遺産だ。もしもの時は、これを持って逃げろって言われてた」
嘘ではない。手紙には、確かにそう書いてあった。……書いたのが本当に俺の親なのかは、わからないが。
「もしもの時ってことは……お前の両親は、巨人が入ってくることを予期してたのか?」
「違うと思う。敵は巨人だけじゃないだろ。人間だって、時には恐ろしい獣になる」
「……ああ。そうだな」
エレンは、何かを思い出したように黙り込んだ。
視線が、ちらりとミカサの方へ向く。ミカサは黙って、首の赤いマフラーに顔を埋めていた。
……ああ、そうか。こいつらは知っているんだったな。人間が獣になる瞬間を。この年で、もう。
しばらくして、エレンが再び顔を上げた。
「で、何でその金貨を、俺たちに分けるって話になってるんだ?」
「こんな大金を持っていたら、周りから狙われるかもしれない。どこかに隠すにしたって、アルミンの推測じゃ数日後にはここを離れることになる。どうあがいても、俺一人じゃこの金の使い道がない」
そこで一度、言葉を区切る。
「それにな、エレン。俺は、お前たちに恩を感じているんだ。身寄りのない俺を、仲間に入れてくれた恩を。ここで、その恩を返したい。だから、受け取ってくれ」
エレンは、しばらく金貨と俺の顔を交互に見ていた。
それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「……仲間に恩とか、そういうのはいらねーって言っただろ」
そう言いながらも、エレンは差し出した手を引っ込めなかった。おぬしも悪よのう。
俺は周りから見えないように、毛布の下で金貨を数枚ずつ、エレンとミカサ、そぬしてアルミンの手に握らせた。ミカサは無言で受け取り、アルミンは何度も「本当にいいの?」と小声で確認してきた。
そして最後に、壁際で静かにこちらを見守っていた老人に向き直る。
「アルミンのおじいさんも、受け取ってほしいです。あなたも、俺がここにいることを認めてくれた。それだけで、救われているんです」
アルミンのおじいさんは、皺だらけの手を小さく振った。
「いやいや、わしのような老いぼれが、子供からそんなものは受け取れんよ」
「お願いします。持っていてくれるだけでいいんです」
最初は渋っていたが、何度も頭を下げて説得を続けると、やがて折れてくれたのか、困ったように笑いながら受け取ってくれた。
「……アルミンは、良い友達を持ったな」
乾いた、温かい手だった。
この金があれば、未来は変わるのだろうか。
アルミンのおじいさんが死ぬ、あの未来は。
来年、政府はウォール・マリア奪還という名目で、口減らしのために大勢の避難民を壁の外へ送り出すはずだ。その中に、このおじいさんも含まれている。
だが、兵団の人間に賄賂でも渡せば、もしかしたら、作戦への参加を見逃してもらえるかもしれない。原作キャラの一人や二人救ったっていいじゃないか。なあエレン?
ランプの灯りが、一つ、また一つと消えていく。
俺は耳飾りに触れ、毛布にくるまった。明日どうなるかもわからないこの世界で、俺たちは、ただ眠るしかなかった。
*
数日後。アルミンの予想通り、俺たちは荒れ地の開拓に回されることになった。
トロスト区から荷馬車に揺られて半日。たどり着いたのは、石ころだらけの痩せた土地だった。鍬を入れれば、すぐに硬い岩盤に当たる。根を張った雑草は、子供の力では引き抜けない。朝から晩まで土を掘り返し、石を運び、また掘り返す。それが、俺たちの新しい日常になった。
配られる食料は、日を追うごとに減っていった。
黒パンが薄くなり、スープが水っぽくなり、やがてそのスープすら出ない日が増えた。大人たちは痩せこけ、目ばかりがぎょろつくようになった。子供の中には、冬を越せなかった者もいた。
俺の体は、相変わらず疲れを知らなかった。誰よりも多く石を運び、誰よりも深く土を掘った。目立たないように、手を抜くのに苦労したくらいだ。フードは、一日たりとも外さなかった。こんなところでヘマやらかして原作に合流できなくなるわけにはいかないからな。
エレンは、毎日のように怒っていた。こんなことをして何になる、と。ミカサは黙ってその隣で鍬を振るい、アルミンは、本を読む時間がなくなったことを、少しだけ寂しそうにしていた。
*
そうして一年。
開拓は進められたものの、案の定、食糧難は避けられなかった。耕しても耕しても、増え続ける口を賄えるほどの実りは得られなかった。
そして、中央政府は決断を下した。
ウォール・マリア奪還作戦。
巨人に奪われた領土を取り戻すという、聞こえのいい名目。だがその実態は、食い扶持を減らすための口減らしだった。働き手にならない老人や、行き場をなくした避難民たちが、ろくな訓練も装備もないまま、大量に作戦へと投入された。
アルミンのおじいさんも、例に漏れず作戦の参加者に選ばれた。
出発の朝。俺は、おじいさんの元へ走った。
――あの金貨を使ってください。兵団の誰かに渡せば、きっと。
そう言おうとした俺に、おじいさんは、ただ穏やかに笑って首を横に振った。
そして、作戦は決行された。
投入された人数は、二十五万人。人口の、およそ二割。
生きて壁の中に戻ってきたのは、わずか百数十名だった。
その中に、アルミンのおじいさんの姿はなかった。
アルミンの元に残ったのは、おじいさんがいつもかぶっていた帽子と――一枚も手のつけられていない、金貨だけだった。
おじいさんは、俺が渡した金貨を、一枚も使わなかったのだ。
賄賂を渡していれば、見逃してもらえたかもしれない。それでも、おじいさんはそうしなかった。
『この金は、お前たちが使いなさい』
そう言い残して、去っていったという。
その犠牲によって、残された人々の食糧不足は、わずかながら改善された。
――わずかながら。たったそれだけのために。
*
その夜。
開拓地の外れ、納屋の壁にもたれるようにして、アルミンはうずくまっていた。形見の帽子を、胸に強く抱きしめて。
「僕はわかっていた。わかっていたんだ……! どうあがいても食糧不足が来るって……。それなのに、何の対策もしなかった。だから……おじいちゃんは……死んだんだ……。僕のせいだ」
声は、途中から嗚咽に変わっていた。小さな肩が、震えている。
――違う。
その年齢でできることなんて、限られている。十一歳の子供に、国の食糧政策をどうにかできるわけがない。アルミンは、何一つ悪くない。
悪いというなら、俺だ。
俺は知っていた。アルミンよりもずっと前から、正確に。おじいさんがこうなることを、ずっと前から知っていた。知っていて、金貨を何枚か渡しただけで、それ以上は何もしなかった。
対策として金貨を渡した。それで何かが変わると、思い込もうとしていた。その結果が、このざまだ。
……いや。
きっと、アルミンのおじいさんはわかっていたのだろう。
もう、かなりの年だった。自分がこれから先、生きているだけでアルミンの負担になる。少ない食料を、孫から奪うことになる。それを、わかっていたのだろう。
だから、金貨を使わなかった。自分を生き延びさせるための金を、孫の未来のために残した。
ああいう覚悟は、誰にでもできることじゃない。
俺は目を閉じ、一人の男に敬意を表して、静かに黙祷を捧げた。
瞼の裏に、あの日の乾いた、温かい手の感触が蘇った。
「全部、巨人のせいだ」
低い声がした。
エレンが、アルミンの横に、壁に背を預けて立っていた。拳を、白くなるほど握りしめて。
「あいつらさえ叩き潰せば……俺たちの居場所だって、取り戻せる」
今はまだ夢物語にしか聞こえない言葉だ。だが、エレンはそれを、いたって真面目に語っていた。
そしてエレンは、アルミンと同じ目線になるように、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
「アルミン。俺は来年、訓練兵に志願する」
「えっ」
アルミンが、顔を上げた。
アルミンにとっては、突拍子もない宣言だったのだろう。
ミカサは、その言葉を聞いて、やはりか、というように目を伏せた。きっと、ずっと前から気づいていたのだ。エレンがいつか、そう言い出すことに。
俺としては、当然そうであってくれないと困るわけだが。物語が始まらないのだよ。
「巨人と戦う力をつける」
エレンの言葉には、並々ならぬものが込められていた。誰が反対しようと、たとえ一人になろうと、自分はやる。そんな覚悟が、まだ幼さの残る横顔から滲み出ていた。
その覚悟は、アルミンへと伝わったのだろう。
アルミンは、ぎゅっと唇を噛みしめた。目に溜まった涙を、こぼすまいと堪えている。そして、その目に、少しずつ光が戻っていく。意志のある目だった。エレンと、同じ目だった。
「僕も……」
「アルミン……」
エレンは、アルミンが何を言おうとしているのかを察した。
「僕も!!」
アルミンは、帽子を抱きしめたまま叫んだ。その瞳に、もう涙はなかった。
「私も行こう」
ミカサが、観念したように静かに言った。
「ミカサ、お前はいいんだぞ! 生き延びることが大事だって言ってたろ」
「そう。だから、あなたを死なせないために行く」
……これ、何かの告白だろ。
なんでこれで真っ赤にならないんだよ、エレン。むしろ、おめえは俺の母ちゃんか!って言いたそうな顔しやがって。
まぁいい。ここは、俺も決意表明しておいた方がよさそうだな。
「俺も行く。もとより、そのつもりだった。巨人どもをすべて殺さなければ、死んでいった家族に顔向けできない」
口から出るのは、相変わらず作り物の言葉だ。家族なんていない。顔向けする相手も、いない。
それでも、さっき瞼の裏に浮かんだあの手の感触だけは、作り物じゃなかったたはずだ。
「ヨリーチ……」
エレンは、自分と同じ考えの仲間を見つけたような顔で、俺を見た。
「それに……」
俺は腕を組み、ふんぞり返るように偉そうな構えをとった。
「?」
三人が、俺の不自然な行動に揃って首を傾げる。
「ミカサは別だが。お前たちは俺よりも弱いんだ。俺が守ってやらないと、すぐに巨人の餌になってしまう」
「こ、コイツっ!」
エレンが勢いよく立ち上がった。
だが、その顔に浮かんでいたのは、怒りではなかった。歯を見せて、笑っていた。一年ぶりに見る、エレンの笑った顔だった。
アルミンも、目元を拭いながら小さく吹き出していた。ミカサは、ほんのわずかに口元を緩めていた。
まぁ実際、そうだしな。普通に食われるやん、おたくら。
エレンが、立ち上がったまま俺たち三人を見回した。
そして、決意する。
「わかった。4人で……」
夜風が吹いて、俺の耳元で、日輪の耳飾りがからんと鳴った。
――ようやく、始まるのか。物語の本編が。
魅力的な登場人物たちに、ようやく会える。
ああ。楽しみだなぁ。
次からようやく訓練兵になります。