一
弟がやってきたのは、エリックが六歳の春、その半ばのことだった。
その日、屋敷の門の前に一台の馬車が停まった。飾り気のない、けれど造りのしっかりした馬車だった。ボレアス家の紋章を付けた騎士が、二人付き添っていた。
馬車の扉が開いて最初に降りてきたのは、見知らぬ中年の女だった。乳母なのだろう。胸に白い布の包みを抱えていた。
包みの中から、泣き声が聞こえた。
細くて、かすれた、けれどちっとも止む気配のない泣き声だった。
「あれが、弟ですか」
玄関の広間の窓から、エリックは門の方を見下ろしていた。
「ええ。エルヴィン様と仰るそうですよ」
隣でエルマが答えた。
「フィリップ様とヒルダ様が、お名前をつけてからお送りになったそうです」
「エルヴィン」
エリックはその名前を口の中で転がしてみた。
エリック。エリス。エルヴィン。
「三人とも、エから始まります。偶然にしては、揃いすぎています」
「ええ。きっと、お母上がそうお考えになったのでしょうね」
エルマは目を細めた。
「離れて暮らしても、兄弟だと分かるように」
「なら、成功しています。僕は今、分かりました」
エルマは何か言おうとして、口元を押さえた。
乳母の腕から、弟はエルマの腕に移された。
伯父は玄関の広間で一度だけ包みの中を覗き込み、「そうか」とだけ言って書斎へ戻っていった。
ユリウスは少し離れたところから、背伸びをして包みを覗き込んだ。
「……これが、僕の二人目の護衛か?」
「そうなるかもしれないと、伯父上が」
「小さすぎるだろ!」
「生まれて、ひと月だそうです」
「ひと月で、剣が振れるようになるのか?」
「なりません」
「じゃあ、いつ振れるんだよ」
「僕が剣を持ったのが五歳なので、五年後くらいだと思います。それまでは、僕が二人分やります」
「長いな!」
ユリウスはもう一度包みを覗き込んだ。
赤ん坊は真っ赤な顔で泣き続けていた。
ユリウスはしばらくその場を離れなかった。
揺り籠はエリックの部屋に運び込まれた。
寝台の隣にちょうど一つ分、空けてあった場所だった。一昨年の冬、伯父は「その時に考えておく」と言った。考えた結果が、これだったらしい。
その夜、弟は泣き止まなかった。
エルマが抱いても、揺すっても、乳母が乳を含ませても、子守唄を歌っても。揺り籠の中で弟はひと晩じゅう泣き続けた。
エリックは自分の寝台を抜け出して、揺り籠のそばに座った。
「エリック様。お休みにならないと」
「僕もここに来た夜は、ひと晩じゅう泣いていたんですよね」
「……ええ」
「その時、誰がそばにいましたか」
「私が、おりました」
「なら、今夜は僕の番です。エルマは休んでください。明日の朝、エルマが眠そうだと、エルヴィンが困ります」
「明日のお稽古に障りますよ」
「稽古は眠くてもできます」
エルマはしばらく黙ってエリックを見ていた。それから、黙って毛布を一枚持ってきた。
エリックは揺り籠の縁に手をかけた。
弟の顔を覗き込む。
小さかった。信じられないほど、小さかった。握りしめた拳が、エリックの親指の先ほどしかない。
母の腕から離されて、知らない匂いの知らない場所で、どうしていいか分からなくて、ただ泣くことしかできない。
覚えていない。でも、たぶん、自分もこうだったのだ。
その時は自分がそばにいてやろう。
一年前の夜、窓辺でそう決めた。
エリックは揺り籠の中に、そっと指を差し入れた。
弟の小さな拳に、指先が触れた。
拳が、ほどけた。
そして、エリックの人差し指を、ぎゅっと握った。
思っていたよりも、ずっと強い力だった。
泣き声が、わずかに細くなった。
しゃくり上げるような声になり、それから、ぐずるような声になり。やがて、すうすうという小さな寝息に変わっていった。
エリックは動かなかった。
指を握られたまま、揺り籠の縁に寄りかかって、じっとしていた。
「……まあ」
エルマが口元を手で覆っていた。
「エリック様の指を握ったら、泣き止みましたね」
「離してくれません」
「離さないでしょうねえ」
「僕、このまま寝るんですか」
「そうなりますねえ」
「……掴んだら離さないのは、僕だけじゃなかったんですね」
エルマはくすくすと笑いながら、エリックの肩に毛布をかけてくれた。
エリックは揺り籠の縁に頭を乗せた。
指の先に小さな温かい手があった。
その夜、エリックは揺り籠のそばで眠った。
夜明け前、泣き声で目が覚めた。
エリックは揺り籠の縁から顔を上げた。まだ指を握られていた。
弟を見下ろした。真顔だった。
「……エルヴィンは、今日はもう、泣かないでください」
二
七歳の誕生日の朝、目を覚ますと枕元に小さな包みが置かれていた。
麻布で丁寧にくるまれ、赤い紐で結ばれている。手に取ると、軽くて、柔らかい。
開けなくても中身は分かっていた。
紐をほどく。麻布を広げる。
中から出てきたのは、手袋だった。
赤い毛糸で編まれた、子供用の手袋。手の甲の部分に、白い糸で小さな模様が編み込まれている。よく見ると、それは剣の形をしていた。
「剣だ」
思わず声が漏れた。
去年は襟巻きだった。その前は帽子。その前のことは覚えていないが、エルマによれば、エリックがこの屋敷に来た年から、毎年欠かさず届いているのだという。
どれも手編みで、どれも赤い毛糸で、差出人の名前はどこにもない。
「あー! う!」
隣の小さな寝台から声がした。
もうすぐ一歳になる弟が、寝台の柵につかまって、立ち上がっていた。
この屋敷に来てから、エルヴィンは驚くほど大きくなった。這い回り、つかまり立ちをし、最近では柵につかまったまま、横に数歩歩けるようになった。そして兄の姿を見つけると、決まってこうして声を上げる。
「あー!」
「おはよう、エルヴィン」
「う!」
エルヴィンは柵を掴んだまま手をばたばたさせた。兄の手の中の赤い手袋に手を伸ばしていた。
「これは僕のだ」
「あう!」
「お前のは、ここに来た時に届いただろう」
エルヴィンがこの屋敷に来た時、その荷物の中にも贈り物がひとつ入っていた。白い毛糸の小さな帽子だった。てっぺんに兎の耳のような飾りが二つ付いていた。エルヴィンはそれを、寒い日には必ずかぶせられている。
「う! う!」
エルヴィンは諦めずに手を伸ばし続けた。
エリックは少し考えてから、手袋を片方、弟の手の届くところに差し出した。
エルヴィンはそれをぎゅっと掴んだ。
そして口に入れた。
「食べ物じゃない」
「あぶー」
「返せ。それは食べても腹は膨れない。僕が保証する」
「あー!」
手袋は涎まみれになって返ってきた。
エリックは濡れた手袋を見下ろして、溜息をついた。
それから、改めて、乾いている方の手袋を右手にはめてみた。
少しだけ大きかった。来年の冬にはちょうどよくなるだろう。
エリックは手袋の内側に指先を押し当てた。
赤い毛糸。
エルマは母の髪は燃えるような赤だったと言っていた。
毎年少しだけ大きい。一年でどれくらい大きくなるかを知っている人。あるいは知りたいと思っている人。
「エルマ」
朝食の後エリックは訊いた。
「この手袋、母上からですよね」
エルマの手が止まった。
「……なぜ、そう思われます」
「赤い毛糸で、毎年、少しだけ大きいです。エルヴィンの帽子と、編み目が同じです。エルヴィンは、母上から離されてすぐに、ここへ来ました。母上以外に、僕とエルヴィンの両方に毎年編んでくれる人を、僕は思いつきません」
エルマはしばらくエリックの顔を見ていた。
それから、毎年と同じ笑顔で、毎年と同じ答えを返した。
「お二人のことを、とても大切に思っていらっしゃる方からですよ」
「それは、答えになっていません」
「ええ。私の口から申し上げることでは、ございませんから」
エルマはエリックの頬を両手でそっと挟んだ。
「いつか、ご自分で確かめてくださいまし」
三
冬の中庭は吐く息が白い。
エリックは赤い手袋をはめて木剣を構えていた。毛糸越しの感触はいくらか頼りなかったが、手がかじかまない分、いつもより振りやすかった。
「おい」
声がした。
振り向くと、ユリウスが中庭の入り口に立っていた。珍しく、きちんと着替えている。八歳になった従兄はこの一年でずいぶん背が伸びた。
「おはようございます、従兄上」
「なんだそれ」
ユリウスの目はエリックの手元に向いていた。
「その手袋。女みたいな色だな」
「赤です。女の色でも、男の色でもありません。従兄上の外套の裏地も赤です」
「う、うるさい。誰からもらったんだ」
「たぶん、母上です」
「たぶん?」
ユリウスは眉をひそめて近づいてきた。そして、エリックが何か言うより早く、その右手から手袋をひったくった。
「従兄上」
「ふうん。手編みか。下手くそだな、これ」
ユリウスは手袋を指先でつまんで、ひらひらと振った。
「僕のところには、こんな安物は届かないぞ。父上が商人に言って、ちゃんとしたものを買ってくれるからな」
「返してください」
「なんで? たぶん、なんだろ。誰がくれたかも、はっきりしないんだろ。どうでもいいじゃないか」
「返してください」
エリックの声が、低くなった。
ユリウスは面白がるように口の端を吊り上げた。そして、手袋を持った手を中庭の隅の方へ向けた。
そこには昨夜の雨が溜まった泥の水溜まりがあった。
「いらないなら、捨ててやるよ」
ユリウスの腕が振りかぶられた。
エリックは迷わなかった。
木剣を持ったまま、もう片方の手でユリウスの手首を掴んだ。掴んで捻り上げた。自分でも驚くほど力が入っていた。
「い、いたっ、痛い! 離せ!」
ユリウスの手から赤い手袋が落ちた。
水溜まりの、ほんの手前に。
「エリック様!」
ベルンハルトの声がした。
太い腕が、エリックの身体を後ろから抱え込むようにして引き剥がした。エリックの手がユリウスの手首から離れる。
ユリウスは手首を押さえて地面に尻もちをついていた。目に涙が浮かんでいる。
「お、お前……っ、何するんだ! 父上に言いつけてやる!」
ユリウスは叫ぶと、使用人に助け起こされながら屋敷の中へ駆け込んでいった。
中庭にしんと静寂が落ちた。
エリックはベルンハルトの腕の中で、自分の手を見下ろしていた。
指先がまだ熱かった。
いつもなら待てた。ユリウスが飽きるのを黙って待てた。今日も待とうと思えば待てたはずだった。
待たなかった。
「……ベルンハルト」
「はい」
「僕は、悪いことをしましたか」
ベルンハルトはエリックを下ろして、しばらく髭を撫でていた。
「主家のご嫡男に手を上げた。それは、悪いことでございます」
「はい」
「ですが、手袋を守った。それは、悪いことではございません」
「両方ですか」
「両方でございます。剣の世界では、よくあることで」
回廊の方からエルマが駆けてきた。腕にエルヴィンを抱いていた。
エルマは水溜まりの手前に落ちていた赤い手袋を、そっと拾い上げた。泥がついていないか、何度も何度も確かめてから、エリックに差し出した。
「汚れておりませんよ。大丈夫です」
エリックは手袋を受け取った。
毛糸はかすかに湿っていた。
「あう」
エルマの腕の中で、エルヴィンがエリックの方に手を伸ばしていた。
エリックは手袋をはめていない方の手を、弟の方に差し出した。
エルヴィンが、その人差し指をぎゅっと掴んだ。
一年前の夜と同じ力だった。
四
伯父の書斎に呼ばれたのは、それから一刻ほど後のことだった。
二年前と同じように、エリックは机の前の椅子に座った。今度は足の先がかろうじて床に届いた。
伯父は書類から目を上げなかった。
「ユリウスの手首が、腫れているそうだ」
「はい。僕が捻りました」
「理由を言いなさい」
「従兄上が、手袋を水溜まりに捨てようとしたからです」
エリックは膝の上で両手を握った。
右手にはまだ赤い手袋をはめたままだった。外すのを忘れていた。
「手首を捻ったことは、謝ります。痛い思いをさせるほどの力は、要りませんでした」
「……それで」
「手袋を守ったことは、謝りません」
羽根ペンの音が、止まった。
伯父はゆっくりと顔を上げた。
その視線がエリックの右手に落ちた。赤い毛糸の手袋。手の甲に編み込まれた、白い剣の模様。
伯父は長いこと、それを見ていた。
何かを確かめるように。あるいは何かを思い出すように。
「……そうか」
ぽつりと、それだけを言った。
エリックは伯父の顔を見上げた。怒っているのかどうか、やはり分からなかった。けれど、いつもの平坦な声とはどこか違って聞こえた。
「理由はどうあれ、主家の嫡男に手を上げたことは許されない。三日間、稽古を禁ずる」
「はい」
「ユリウスには私から言っておく。二度と、お前の持ち物に手を出すなと」
エリックは伯父の顔を見た。
それはエリックが言おうと思っていたことだった。言う前に伯父の方から言われた。
伯父はもう書類に目を戻していた。
「下がりなさい。……いや、待て」
腰を浮かしかけたエリックを伯父は呼び止めた。
そして、机の引き出しから一通の書状を取り出し机の上に置いた。封蝋が割られている。
「雪が解けたら、ロアへ行け」
エリックは動きを止めた。
「エルヴィンも連れて行きなさい。迎えは向こうから寄越すそうだ。滞在は七日」
「どうして、春なのですか」
「エルヴィンはまだ乳飲み子だ。冬の道中に耐えられん」
エリックは何を言われたのか、一度だけ頭の中で並べ直した。
ロア。
父と、母と、妹がいる町。
「……どうして、ですか」
今度の「どうして」は春の理由を訊いたのではなかった。伯父にも、それは分かったらしかった。
伯父はしばらく黙っていた。窓の外の白銀の王城の方を見ていた。
「フィリップが、頭を下げてきた」
伯父はエリックの方を見ないまま言った。
「あれが私に頭を下げるのは、生まれて初めてのことだ」
その声には二年前に「フィリップによく似ている」と言った時と同じ、エリックには名前の分からない響きがあった。
「ただし」
伯父はエリックの方に向き直った。
「一度きりだ」
エリックは息を止めた。
「二度目はない。それがフィリップとの約束だ。そのつもりで、行ってきなさい」
「……はい」
「下がりなさい」
五
その夜、寝室に戻ると、エルヴィンは小さな寝台の上で、すやすやと眠っていた。
白い毛糸の帽子を、枕元に置いて。
エリックは寝台の脇の小さな箱をそっと開けた。
中には今までに届いた贈り物が全部しまってあった。一番上に今日の赤い手袋。その下に去年の赤い襟巻き。その下に赤い帽子。そのさらに下に、もう小さすぎて入らなくなった赤ん坊用の靴下。
全部赤い毛糸だった。全部少しだけ大きかった。
エリックは手袋を取り出して両手で包み込んだ。
それから、エルヴィンの枕元の白い帽子を見た。
同じ人の手の、同じ編み目。
エリックは手袋を胸に押し当てた。
確かめたいと思った。
顔を見て、声を聞いて、この手袋を編んだ手を、自分の目で見て。
六
冬が過ぎ、雪が解けた。
エルヴィンは春の初めに一歳になった。
誕生日の朝、枕元には贈り物がなかった。
「エルヴィンの贈り物が、届いていません」
エリックはエルマに言った。
「今年は届きませんねえ」
「毎年届いていました。僕の分は、七年、一度も遅れていません。遅れるなら、理由があるはずです」
「さて。どんな理由でしょうね」
エルマはなぜか嬉しそうに笑ってエリックの襟を直した。直す必要のない襟だった。
迎えが来たのは、それから数日後の、よく晴れた春の朝だった。
屋敷の門の前に一台の馬車が停まっていた。一年前、弟を乗せてきたのと同じ馬車だった。その周りをボレアス家の紋章を付けた騎士が四人、馬上で囲んでいる。
馬車の前に一人の老人が立っていた。
白い髪をきっちりと撫でつけ、黒い執事服に身を包んでいる。背筋はまっすぐに伸び、朝の光の中で微動だにしない。
エリックと、エルマに手を引かれたエルヴィンが門の前に出ると、老人は深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。フィットア領主、サウロス・ボレアス・グレイラット様の執事を務めております、アルフォンスと申します」
低く、落ち着いた声だった。
「フィリップ様と、ヒルダ様のお言いつけにより、お迎えにあがりました。若様方」
若様方。
「若様、と呼ばれたのは、初めてです」
エリックは正直に言った。
「ロアでは若様とお呼びいたします。慣れていただきとうございます」
「慣れるまで、何日かかりますか」
「七日あれば、十分かと」
「滞在は、七日です」
「では、ちょうどでございますな」
アルフォンスはゆっくりと顔を上げた。
その目がエリックの手元に落ちた。
赤い毛糸の手袋。春の朝にはもう暑いのに、エリックはそれをはめていた。
それから、エルヴィンの頭の白い毛糸の帽子。
ほんの一瞬、老執事の目元が柔らかく緩んだ。
「……よくお似合いでございます。お二人とも」
アルフォンスは馬車の扉を開けた。
中には柔らかい敷物と、いくつもの毛布が用意されていた。
「乳飲み子がおられますゆえ、道中は急ぎませぬ。日に少しずつ進み、宿では十分に休みを取ります。五日の道のりを、七日ほどかけて参りましょう」
「七日かけて行って、七日いて、七日かけて帰るんですか」
「左様でございます」
「なら、エルヴィンは、道の上で一番大きくなりますね」
アルフォンスは口元を緩めた。
「若様も、道中、弟君の様子をよく見ていて差し上げてください」
「はい。見ます。夜も見ます」
「夜は、乳母殿にお任せくださいませ」
「……起こされると、機嫌が悪くなるので、そうします」
エリックはエルマを振り返った。
エルマはエルヴィンの手を、アルフォンスの連れてきた若い乳母の手に移した。それから、目を赤くして、それでも笑っていた。
「行ってらっしゃいませ、エリック様。エルヴィン様」
「行ってきます」
「あう!」
エルヴィンが、乳母に抱き上げられて、手をばたばたさせた。
馬車に乗り込む前に、エリックは一度だけ屋敷の二階を見上げた。
書斎の窓に人影があった。
伯父だった。
伯父は何も言わず、ただこちらを見下ろしていた。そしてエリックと目が合うと、すっと窓辺から姿を消した。
それから、もうひとつ窓があった。
二階のユリウスの部屋の窓だった。
窓の端から顔が半分だけ覗いていた。エリックが見上げると、その顔は慌てて引っ込んだ。
エリックは首を傾げた。
手首に、まだ包帯が巻いてあるのが見えた。
帰ったらもう一度謝ろうと思った。手首のことだけ。
馬車の扉が閉まる。
車輪が乾いた石畳を噛んで動き出す。
向かいの席で、乳母の腕に抱かれたエルヴィンが、兄の方に手を伸ばしていた。
エリックは手袋を外して、人差し指を差し出した。
エルヴィンが、それを、ぎゅっと握った。
まだ見ぬ家族のいる町へ。
「凪の水帝」を読んでいただき、ありがとうございます。
第一部の3話以降は毎日0時に投稿する予定です。
第二部以降は決まり次第あとがき、もしくは活動報告で告知予定です。