第一話 その名はまどか
「っはぁ、っはぁ…」
白と黒でマス分けされた世界を、”私”が走っている。
息遣いだけが響き、髪が走るリズムに合わせて揺れている。
”私”が立ち止まり、緑の非常灯が目に入ると非常口へと”私”は足を進めている。
扉を開ける。するとそこは異世界だった。
「……はぁっ!」
扉の先では、見たこと無いほど異様な光景が広がっている。
よく見ると遠くのビルの屋上に人影があり、認識した瞬間その人影は化け物に向かって飛ぶ。化け物からの攻撃を避け続け、手元にある小さな盾で彼女を攻撃から守る。しかし、桁が違いすぎる。どちらが優勢かなど、一目瞭然だった。
「ひどい……!」
「仕方ないよ。彼女一人では荷が重すぎた」
「でも、彼女も覚悟の上だろう」
”私”が隣を見ると、小さな白いぬいぐるみが喋っている姿があった。
黒髪の女が耐えきれず、化け物の攻撃で吹き飛ぶ。
「そんな……あんまりだよ!こんなのってないよ!」
「諦めたらそれまでだ」
赤い目が少女を見る。
「でも、君なら運命を変えられる」
「避けようのない滅びも、嘆きも、全て君が覆せばいい。そのための力が、君には備わっているんだから」
「……ほんと、なの」
”私”の足が一歩前に出る。
「私なんかでも、ほんとに何かできるの。こんな結末を変えられるの……!?」
「もちろんさ!だからボクと契約して────」
「魔法少女になってよ!」
”私”は不安げな表情をしながら顔を落とすが、もう一度上げる。
その時には、覚悟を決めた表情をしていた。
それと同時に私は引っ張られたような感覚に陥っていくのだった。
眩い朝日が網膜を刺激する。
目を擦りながらもはぁとため息をつく。
「…アホくさっ」
「おはよう、父さん」
「おはよう、まどか」
「母さんは?」
「タツヤが行ってる。手伝ってやって」
「へいへい」
寝ぼけながらも歩いていく姿を見ながら、父さんと呼ばれた男は柔らかく微笑む。
おきてーと呼ぶ声が廊下まで届く。その声はまだ幼い。
扉を開け、カーテンを開ける。そして一向に起きない女の掛け布団を、取る。
「さっさと起きろ」
「ぐわぁぁ!目がぁ…目がぁ!………あれ?」
小気味良い歯ブラシの音が鳴る横で、私は髪を整える。
「最近、どんなよ」
母が掠れた声で尋ねた。髪はまだ寝ぐせでぼさぼさで、服もよれている。
「仁美がまた性懲りもなくラブレターが届いてやがったよ。今月になってもう二通目」
「フン、直に告るだけの根性もねえ男はダメだ」
がらがらがらら、ぺっぺぇっ!と二つ分のうがい音。
歯ブラシが置かれ、からんと鳴る。
「和子はどう?」
「先生はまだ続いてるってよ。ホームルームで惚気を聞かされて困ってるってクレームが入るぐらい。確か今週で三カ月目だから記録更新だーって喚いていたな」
母さんはドライヤーとくしを持って髪の仕上げにかかる。
私は顔を水で洗う。
「今が危なっかしい頃合いだよ~」
ドライヤーのスイッチを切る。
タオルを取ると私は顔を拭く。母さんは化粧に入っていた。
「本物じゃなかったらこの辺でボロが出るもんさ。まぁ乗り切ったら一年はもつだろうけど」
「だろうな」
口紅を塗る。メイクブラシでほほを彩った。
化粧品をポーチにまとめ、閉じる。
いつの間にか母さんはスーツに着替え、その姿はキャリアウーマンそのものになっていた。
「完成!」
一方私は”黄色のリボン”を手に取ると髪を結んでいく。
「アンタもたまには赤でも使ってみたら?」
「今日は黄色がラッキーカラーなの」
「なら毎日ラッキーカラーね」
リボンをポニーテールの髪に結ぶ。
「たまにはいいじゃーん。それならまどかの隠れファンもメロメロだ」
「悪いけどファンもなにもいないっての」
「いると思っておくんだよ。それが~美人の秘訣っ」
「「珈琲、おかわりは?」」
私と父が尋ねる。時間は八時前。
家を出るには丁度いい時間だった。母さんは、やんわりと断ったあとタツヤと父にキスを交わす。
そして私とハイタッチをして、元気に社会へと歩いていく。
「いってらっしゃーい。さ、僕も急がないと」
父さんの声とともに時計を見た私はコーヒーカップを置くとカバンを持ち弟と父の声を背に受けながら、通学路へと進む。
通学路、川沿いにて。
私は見知った顔を見つけるとすぐさま近づいていく。気づいたのか、ウェーブがかった緑髪の少女、短めの青髪の少女が振り向く。
「おっはよー!」
「おはようございます」
「まどかおそーい!」
彼女達はいつもまどかと一緒にいる親友たちだった。
三人が等間隔に並ぶ。
「ラブレターなんかじゃなく直に告白できるようでなきゃダメだってさ」
「相変わらずまどかのママはかっこいいなぁ。美人だし、バリキャリだし」
「そしてやっぱりまどかの母にしてまどかありだねぇ〜」
「そうか?」
「ならラブレターを貰ったら?」
「木っ端微塵になるまで破る」
「あら大胆」
授業が始まるチャイムが鳴る。
「今日は皆さんに、大事なお話があります。心して聞くように!」
足を一歩踏み出し、彼女は宣言した。
「目玉焼きとは、固焼きですか!?それとも半熟ですか!?はい長澤君!」
「え゛っ!えっと、ど、どっちでもいいんじゃないかと……」
「その通り!どっちでもよろしい!たかが卵の焼き加減なんかで、女の魅力が決まると思ったら大間違いです!」
「女子の皆さんはくれぐれも、半熟じゃなきゃ食べられな~いとかぬかす男とは、交際しないように!」
「ダメだったか~」
「ダメだったんだね~」
「そして、男子の皆さんは絶!対!に卵の焼き加減にケチをつけるような大人にならないこと!」
……他愛もないことだった。
言いたい事を言い終わったらしく、すっきりとした様子の先生。
「はい、あとそれから。今日は皆さんに転校性を紹介します」
そっちが後かよと誰かがツッコむ。
その後ろには、一人の歩く少女の姿があった。
「じゃ、暁美さん、いらっしゃーい」
黒髪の少女は、びしっとした姿で教室の眼前まで歩いていく。
きりっとした顔で、美しかった。教室の中も若干ざわつくが、彼女は意に介さずだ。髪長ーいとか、すごい美人、とか言葉が飛び交う。
「それじゃ、自己紹介いってみよう!」
「…暁美ほむらです。よろしくお願いします」
そう言い、暁美ほむらはまどかが居るであろう席を見る。
そう、居るであろう席を。
「……えっと、暁美さん?」
「……あの、
鹿目まどかはどこにいますか」
──暁美ほむら
どうなってるの…
幾度となく時間遡行をする上で、多少の変化があることは珍しくない。
性格や趣味が多少変化していることもあった。だから、何が起きても動じないと思っていた。
だけど……今回は、あまりにも違いすぎた。
(どうなってるの、一体……)
元々まどかは明るくて人当たりのいい子だったけど、魔法少女になっていない今は内気で引っ込み思案な子だったはず。
なのにどうして……
だから、思わず訊かずにはいられなかった。
「……ねえ」
「あなたは、本当に鹿目まどか?」
「ふん〜ふふん〜ふっふふ〜ん♪」
涼しい風を全身に浴びながら屋上の床に寝転び、私は空を見上げる。
私はいつも授業を抜け出しここに来てはぼーっと空を見上げている。
いつもの雲一つない青空に満足し、私は目を瞑り眠ろうとする。
しかし、そんな私を邪魔するかのように屋上の扉が開くと同時に1人の生徒が私に近づいてくる。
「……貴方が鹿目まどか?」
片目を開け、私の至福の時間を奪った目の前の女を視認する
「だったらなに?」
「……」
床に寝転びながらも、その女を見る。
やはり黒髪が特徴的で、目つきの悪そうな顔だなと顔を見ながらも、どこかで見たような気がしてままならない。
「…… 鹿目まどか。あなたは自分の人生が、尊いと思う?家族や友達を、大切にしてる?」
唐突な質問だった。
咄嗟のことに口ごもるが、すぐに返す。
「…それがさやかや仁美、私の家族の事を言っているなら私はアイツらを大切にしてやりたいと思っている」
「…本当に?」
「あぁ。なんか文句か?」
女の表情は変わらない。感情の色など欠片も見えないままだ。
「そう……もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね」
「さもなければ。全てを失うことになる」
「……」
ほむらの表情は変わらない。だが鋭くこちらを射抜く視線の圧は強い。
「あなたは、鹿目まどかのままでいればいい。今まで通り、これからも」
ほむらはそう言い残し、しゃんとした姿で扉まで歩いて行く。
ふと私は聞き逃した事を女の背中に向けて叫ぶ。
「お前、名前は」
女は立ち止まった末にこちらを振り返り、
「…暁美ほむら」
「ふーん」
そう言うとほむらは屋上から姿を消すのだった。
「なんというか燃え上がれーって感じの名前だな」