女王ディネルースを乗せた御料車が辿り着いた視察先には、石造りの建物群があった。大きさの揃った石を積み、漆喰で固めた壁面は全体的にやや黒ずんで、耐えてきた風雪の長さを思わせる。
だが、その上に乗る屋根は鉄板造りらしく、遠目にも鮮やかな赤色だ。長い歴史と洗練された洒脱さが奇妙にしっくりと同居して、この会社の性格を表しているように思えた。
(なるほど、魔女の会社か)
という納得感が、車を降りるディネルースには既にあった。
さまざまな種族の社員一同が整列しての出迎え、その先頭に立っていたのは、痩せた人間の老婆であった。黒に近い葡萄色の長衣をまとっている。襟元には生成りのレースを覗かせ、胸には小粒の真珠を一連。頭には同色の小さな帽子を載せ、薄鼠色の手袋を嵌めている。
最近の礼式と流行からすれば随分古風な装いだ。世界の全てを一変させた二度の世界大戦より昔、前星紀の生まれには相応しい出迎え姿で、ディネルースには馴染みがある。
「ご来臨の名誉を賜り、社員一同、光栄の極みでございますわ、陛下」
そう言って深々と辞儀をし、ゆっくりと面をあげた老婆の背筋は、ぴんと伸びている。かつては白雪のようだったであろう肌には無数の皺と染みがあるが、与える印象は優しげだった。あたかも、幹は細く、優美な外形だが、吹雪にも毅然として耐える糸杉を思わせた。
「私はマルグリット・ベルガーと申します。当社『食品店』の会長を務めております」
「会えて光栄だ。よろしくお願いする」
老婦人はチラリと微笑を見せ、女王を工場へといざなった。工場も石造り、赤い鉄板屋根の巨大な建物であった。
「エリクシエル工場の中では、陛下にも少々のご不便をお願いいたしますわ」
マルグリットはそう言うと、自らの帽子と手袋を外し、入り口の社員に預けた。かわりに受け取った白手袋をはめ、同じく白い衛生帽に白髪を収めると、老会長は厳格な工場長に変身したようだった。
ディネルースも愛用の手鞄を秘書に預け、僅かな警護のみを伴って、工場内の案内を受けた。かつて多くのオルクセン兵の命を救った万能薬、エリクシエル剤の製造工程は、大要、次のようであった。
まず案内されたのは、長い机のある部屋で「細断室」の標識があった。白衣と衛生帽に身を包んだ五人ほどの人間の女たちが、白手袋にハサミを持って机に向かっている。静謐な室内に響くのは、植物を切り刻むハサミの音である。
「ご存知の通り、エリクシエル剤の主な材料はアンゼリカ草とモミの雌花ですが、まずは花、葉、茎、根の部位ごとに分けねばなりません」
「まるごとでは何か問題が?」
「均一に乾燥させるためですわ。葉と茎は温風で、根は少し低い温度で、時間をかけて水分を飛ばしますの。次の部屋が乾燥室です」
マルグリットの案内で次の部屋に入ると、そこには金網を張った浅い棚が幾段にも重なった大型の棚が並んでいた。内部で扇風機が回っている。周囲では太い蒸気管が壁を這い、温度計の針が小刻みに震えていた。
「主な材料であるアンゼリカの葉とモミの雌花を乾燥させている間に、アンゼリカの根や茎、ナツメグや他のハーブは、次の蒸留棟へ運びます」
案内された次の棟には、磨き上げられた銅製の大釜が並んでいた。丸々と膨れた胴から細い首が伸び、天井近くで折れて、幾本もの冷却管へ繋がっている。
ディネルースは、かつてグスタフとともにキャメロットを訪問した際に、似たものを見たことがあった。彼女の愛飲する蒸留酒、エイリッシュ・アードリックの醸造場で見たポットスチルという設備だ。
「まるで酒造所だな」
「原理はよく似ておりますわ。水蒸気で成分を連れ出し、冷やして精油にします。それを乾燥を終えた葉と雌花に馴染ませるのです」
そのための混合室には、横倒しの樽のような金属の機械があった。樽のようなものはゆっくりと回転している。
「機械の中で精油を葉に吹き付けて、全体に馴染ませていくのです」
ディネルースはゆっくりと息を吸った。混合室の中には、甘い花のような、森の木々のような、時には酸い果実のような、何とも言えない複雑な香気が満ちていた。
「混合が終わったら、いよいよ抽出です。あちらの釜で」
それは釜というより、大型の漏斗のような黒い機械だった。周囲には蒸気管らしいものが巻きついている。作業台に乗って上から見下ろせば、漏斗の中では葉やさまざまな材料が湯に浸されている。漏斗の底から生える、船の舵にも似た攪拌具がゆっくりと回転し、全体をかき混ぜていた。
(これが、現代の魔女の大釜というものか)
という感想を、ディネルースは己のうちにとどめた。
「ここで温水を加え、数時間かけて薬効成分を抽出します。煮立たせてはいけませんの。温度が上がりすぎますと、せっかく馴染ませた精油まで飛んでしまいますから」
「だから蒸気管なのだな」
「ええ。火を直接当てるより、ずっと細かく温度を調節できます」
釜の側面には、幾つもの温度計と圧力計が取り付けられていた。白衣の工員が時折その針を確かめ、壁際の弁を僅かに開けたり閉めたりしている。
「抽出を終えましたら、底の弁を開けて薬液だけを濾過槽へ送ります」
マルグリットが示した先には、背丈ほどもある銀灰色の円筒が何本も並んでいた。釜から伸びた管が、その上部へと繋がっている。
「ずいぶん近代的な設備なのだな」
感心してみせたディネルースに、マルグリットは微笑して答えた。
「はい、陛下。ここまでは」
マルグリットが次の区画へ案内すると、そこだけ機械音が少なくなる。これまでとは一変して、小さな瓶が机の上に数多く並んでいた。その一つずつの前に白衣の工員たちが立っている。半数ほどは人間の女性、もう半数はコボルトで、少数ながら闇エルフの姿もあった。
彼女らは瞑目し、各自の瓶に手をあてている。よく見れば、瓶の表面には複雑な魔術刻印が描かれていた。
「最後の工程、術力注入です。これだけは昔のままですわ。一名ずつ、少量ずつしかできません。最初は、小匙一杯ほどの薬液に三日ほどかけて術力を馴染ませます。その種液を少しずつ増やしていくのです。熟練の工員でも、一日に扱えるのは小瓶一本分ほど。無理をすれば、翌日は起き上がれなくなりますわ」
「それでは、生産量を増やしたければ、設備ではなく術者を増やすしかないのだな」
「仰る通りですわ。といっても、魔術を使える者は、そう多くありませんから、急な増員はなかなかできません。昔、ベレリアント戦争の時は、ヴァルダーベルクの闇エルフの皆様に応援に来て頂いて、たいへん助かったと、母が申しておりました。闇エルフの皆様は、本当に一生懸命に働いてくださったと——」
ディネルースは頷いた。
あの戦争は、今となっては八十年ほども前のことだ。オルクセンに命からがら亡命した一万二千の闇エルフ族のうち、八千余りはアンファングリア旅団の将兵として出征した。
オルクセンに残った約四千の闇エルフの女たちは、その多くが徴用という形、実質的には依頼に応じて、このエリクシエル工場へ工員として派遣されたのだ。その間の農地は、近郊の村から助けに来た、魔術を使えないオークやドワーフが代わりに世話してくれた。
そうしてエリクシエル作りに闇エルフたちは、虐殺を生き残ったかけがえのない同胞たちをはじめ、出征将兵の命を守るためにと、倒れるほどに術力を振り絞って働いたという。
その甲斐あって増産された霊薬は、敵の銃弾を身に受けて、死に瀕した将兵の命を数多く救ったのだ——とは、旅団長として戦地で活躍したディネルースのよく知るところだ。しかし、
「人間と一緒に働いたとは知らなかった。なぜ誰も教えてくれなかったのだろう」
そう尋ねると、マルグリットは莞爾と笑った。
「それが私たちの願いだったからです」
「種族の功績を隠すことが?」
「存在を隠すことがですわ。私たち、オルクセンの人族は……ずっと恐れてきたのです。魔種族も、人族も」
「…………」
「ご存じでしょうか。かつて魔女狩りの時代には、多くの同胞が、同じ人族に命を奪われました。聖星教に反する存在だと決めつけられて、突然に捕らえられ、まともな裁判もなく、無惨に……」
「…………」
「故郷を失った私たちの先祖は、決死の覚悟でオルクセンに逃げ込みました。けれど、お許しください。魔種族を信じてのことではありません。魔種族に食べられるかもと恐れながら、他にも行くところがなかったのです」
「…………同じだ。私たち闇エルフと」
「それからは、理解のある少数のオークやコボルトとだけ関わりながら、ずっと隠れ住んできました。一族の秘宝だったエリクシエル剤を提供するのと引き換えに、何とか安全を守って」
ディネルースは、自分たち闇エルフ族の幸運を思った。虐殺され、逃げ込んできたという点は同じでも、闇エルフはやはり魔種族だ。
不老、長命、強靭。オークやドワーフ、コボルトたちと同じ時間を生きている。
しかし人間たちは違う。長く生きても百年にも達しない短命で、脆弱な種族。この会社で最年長だろう老会長マルグリットも、その生きてきた時間の長さは、ディネルースの四分の一にもならないはずだ。
そのような決定的な違いをもちながら、恐るべき魔種族に囲まれて生きてきた人間族の覚悟と孤独を、ディネルースは思った。
そして、彼女がまだオルクセンを恐るべき野蛮国と信じ、それでもオーク王の前に膝をついて、種族の助命を嘆願した日のことを、ありありと思い出した。目の周りに熱さを感じながら、ディネルースは残りの視察を終えた。
工場の前で再び社員たちと目見えた壇上で、ディネルースは予定通りに挨拶を行ったが、その最後に、原稿にない言葉を足した。
「——あなたたちの長きに渡る苦労と献身に感謝します。そして、ご苦労様でした、と申し上げたい。あなたたちは立派なオルクセン連邦の一員。かけがえのない同胞です」
整列してそれを聞いていた白衣の職員たちは、その多くが時折、目蓋を押さえていた。
こうして視察の予定を終えたディネルースに、コボルトの秘書が尋ねた。
「少し休憩なさいますか、陛下」
「いや、予定通りでよい」
——女王などが予定外に長居しては迷惑だから。
という意図を口には出さないが、ディネルースは弁えている。
予定を思いつきで変えたりしては、随行や警護の者たちの負担が増える。彼らにも交代休憩の予定や、待機場所の確保といった多くの都合があるのだ。
「それでは、お車をまわします。少しだけこちらでお待ち下さい」
鷹揚にうなづいたディネルースは、応接室の椅子に腰掛けた。
かと思うと、秘書がすぐに戻ってきて、告げた。
「申し訳ありません、首都高速で交通事故が起こったそうです。既に大渋滞となっており、暫くこちらでお待ち頂くほかは」
「高速道路を通らなければいいではないか」
「それでは警備に差し支えが……」
私は構わないぞ、と言いたかったが、警備担当に無理な苦労をかけるのも悪いと思い、ディネルースは口をつぐんだ。
「陛下、今少しこちらでごゆるりとお過ごしくだされば、私どもは光栄に存じます」
声をかけたのは、いつの間にか応接室へ戻ってきていたマルグリットだった。
「ううん、しかし迷惑をかける」
「とんでもございません。それに視察でお疲れでございましょう」
ディネルースは、椅子に預けた背中の奥に、鈍い重さがあることに気づいた。
(確かに、疲れているな)
朝から謁見が一件、式典が一件、それからこの視察だった。この後にも予定がある。
マルグリットは、はるか年長の君主よりも、世界の真理を知るような風情で言った。
「ぜひ私たちの秘術をお召しください」
「……エリクシエル剤を?」
「とんでもございません。あれには副作用が明らかになりましたもの」
エリクシエル剤による回復は、寿命の前借りだと分かったのだ。そのため現在では、命を救うのに他の手段がない時にのみ、救急医療の切り札として使われている。
「——ですから、昔よりずっと需要が減っております。そこで近ごろ、エリクシエル用の設備を転用して、別のものを作り始めました」
「というと?」
「紅茶ですわ」
ディネルースは一瞬、聞き違えたかと思った。
「……紅茶?」
「はい。薬草を乾かし、刻み、花や果実を混ぜ、香りを馴染ませる。途中まででしたら、エリクシエル剤と製法はよく似ておりますでしょう?」
「なるほど」
言われてみれば、先ほど見てきた設備の多くは、そのまま製茶にも使えそうだった。
「いまお持ちいたしますわ。お茶というものは、時としてエリクシエルよりも、疲れた心身によく効くものでございます」
(一杯目 「クッキーのミルクティー」に続く)