ディネルース・アンダリエルと三杯のお茶   作:芝三十郎

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一杯目 クッキーのミルクティー

 応接室は、先ほどまで見ていた近代的な工場とはまるで趣を異にしていた。

 

 壁際には創業当時から使われていたという古い棚や薬箪笥が置かれ、真鍮の薬缶や乳鉢、天秤などが飾られている。

 

 照明こそ電気式だが、すずらんをモチーフにした台座のデザインが、昔のガス燈を思わせる。

 

 総じてこの室内だけは、世界大戦以前の九星紀に、なお留まっているようで、ディネルースには懐かしい。

 

(事故渋滞では仕方がない。そんな時に女王の車列が行っては、国民に迷惑をかけてしまう。護衛達にもだ。そう、護衛……)

 

 ディネルースは、椅子の傍の、何もない空間に目をやった。

 

 あの頃、必ず彼女の傍らにいた姿、たくましい四つ足の体躯を丸めて寝そべる灰色の巨狼アドヴィンは、もういない。単に彼女の安全を守るという以上に、種族を超えた友として、長くともに過ごしてくれた。だか、そんなアドヴィンも、つい先年に世を去ってしまった。

 

 今の護衛たちは闇エルフ族による女王警護隊だが、その顔ぶれも、昔とは随分変わった。将来有望な闇エルフ将兵を自分の護衛に専任させるのは、ディネルースの本意ではないからだ。例えば、かつて中尉時代に警護隊長を務め、亡夫グスタフ王の命を救ったこともあるリトヴァミア・フェアグリンは、今では大佐となってアンファングリア師団で連隊を率いている。そのような若者の成長と栄達を、ディネルースは喜んでいる。

 

 が、昔なじみが身の回りを去る寂しさは、心のどこかに降り積もっているのだった。

 

(思えば、昔は賑やかだった……)

 

 ディネルースがふと息をついた頃、ポットとカップを盆にのせたマルグリットが戻ってきた。

 

 さあ陛下、粗茶でございますがと、目の前でカップに濃い橙色の茶を注いでくれる。

 

「……ん?」

 

 ディネルースは不審に思った。

 

 カップから立ち上る香気を手で扇ぎ寄せてみると、やはり間違いないようだ。

 

 理解し難いことであっても、事実は事実と認めるのがディネルースの主義である。

 

「これは……クッキーの香りがする。 まるでアーモンドクッキーのような」

 

 老婦人はニコリと微笑した。

 

「仰せの通りですわ、陛下。こちらはクッキーの紅茶です。アーモンドというところまで、ご明察でございます」

 

 女王の威厳を忘れて、ディネルースは、ぽかんと口を開けてしまった。驚くやら呆れるやらである。

 

「よ……何百年か生きてきて、恥ずかしいのだが。紅茶にクッキーを合わせるならともかく、クッキーの香りがする紅茶など、聞いたこともない」

 

 マルグリットは目の端の皺を深め、心から嬉しそうに微笑んだ。

 

「無理もございません。こちらは我が社の新商品です。わたくしの知る限り、世界に二つとない、クッキー風味の紅茶ですわ」

 

「お茶なのに?」

 

「お茶なのに、です。陛下、お砂糖は?」

 

「あなたのお勧めに従おう」

 

 かしこまりました、と答えると、マルグリットは優美な手つきで角砂糖を一つ投じて、ミルクをゆっくりと注ぎ入れた。

 

「このお茶は、ミルクティーが合いますの。それも甘めの」

 

 さあ、どうぞと勧められるまま、好奇の念を覚えつつ、カップに口をつけてみる。その味は奇妙という他なかった。感じる味は紅茶そのものである。そのくせ、口中から鼻腔に抜ける香りはクッキーそのものだ。クッキーの香りがミルクと混ざり合い、菓子と茶を一口に楽しんでいるようである。

 

「これは……実にうまい、いや、まことに美味しい。確かにミルクティーに合いますね」

 

 一杯を飲み終える頃には、胃の腑から鼻腔までクッキーと紅茶の香りが満ちている。あたかもキャメロットの慣習のように、たっぷりの菓子と茶をゆったり楽しんだような満足感がある。

 

 ふう――とついた息から、心身の疲労が宙に掻き消えていくようである。ミルクと溶け合ってまろやかな甘さといい、鼻腔を満たすクッキーの香りといい、あたかも駘蕩たる春風に心身を撫でられ、草地に寝そべっているような心地だった。

 

「実に不思議だ。私はいま、紅茶を頂いたのか、それともお茶請けのクッキーを頂いたのか。香り付け紅茶といえば、林檎や檸檬のような果実だけかと思っていたが。クッキーの香りを茶葉につけるとは。いかなる技術で?」

 

「実は、エリクシエル剤づくりの応用ですの。ハーブの精油をアンゼリカの葉に吹き付ける技術を使いました」 

 

「クッキーを……精油にしたのか?」

 

 マルグリットは妖しげな笑みを浮かべた。

 

「それこそ魔女の技ですわ、陛下」

 

 ディネルースはくすくすと笑った。

 

「なるほど、やはりな。まさか菓子を茶葉に一体化するなど、現代の科学でも手に余ろう。まさしく魔法のような味だ」

 

 もう一口を賞味すると、温かな甘味が全身に染み渡るようだった。疲れがどこかへと去ったかわりに、活力が湧く心地がする。無意識のうちに、ディネルースの目は机上をさまよった。

 

 それと察したように、マルグリットはいつの間にか机上に置かれていた蓋つきの小鉢に手をやった。

 

「お勧めするのを忘れておりましたわ。いかがでしょう、お茶請けにおひとつ」

 

 蓋が除かれると、あらわれたのは数枚の丸いクッキーだった。

 

「ふ、ふふ……あはは! ぜひとも頂こう」

 

 女王の慎みを忘れて、ディネルースは久々に声を上げて笑い、さっそく一枚を口に運んで、もう一度カップを口に運ぶ。本物のクッキーと、それと変わらぬ香りのミルクティーが口中に混ざり合い、舌と心を楽しませた。

 

 そうして、もう一枚、もう一口と賞味しつつ、マルグリットから会社の昔語りや、彼女の母親から聞いたという、ベレリアント戦争中の闇エルフたちの話を面白く聞いた。何とも楽しい時間だった。

 

 気づけば、カップも小鉢も空になっている。

 

「マルグリットどの、たいそう美味しかった。常はコーヒーと酒ばかりで、お茶がこのように美味しいものだとは。生き返ったような心地だ。時に茶はエリクシエルに優るとは、まことだな。さて――」

 

 そろそろ立ち去るべき時分かと思ったが、秘書はまだ戻らない。ということは、まだ待たねばならぬようである。

 

(うん、仕方がない。事故渋滞ではな。国民に迷惑をかけるわけにはいかんから。ここでゆっくりとしても、公務を怠けていることにはなるまい)

 

 そう自分に言い訳をしたディネルースは、自分より遥かに年下の老婆に、もう少し甘えてみたい気分であった。

 

「いや、実に美味しかった。できれば、もう一杯、おかわりを所望してもよろしいだろうか?」

 

 マルグリットは、魔女の末裔に相応しい、どこか謎めいた風情で、すかさず言った。

 

「身に余る光栄でございますわ。陛下、この辺りでは、お客様には紅茶を三杯までお出しせねば、亭主の名折れと申しますの。あと二杯、献じる栄に浴したく存じます。せっかくですから、また別のお茶を」

 

「今度はクッキーではなく? それは楽しみだ。何を頂けるのだろう」

 

 マルグリットは微笑するのみで答えず、一礼して立ち上がった。次のお楽しみということらしい。

 

 

 

(二杯目「エルダーフラワーとカモミール」に続く)

 

 

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