結界「他者封印」によって命の根源である生気をゴリゴリと削り取られていた上、魔術回路の基盤を持たない一般人の肉体で突発的に「魔眼」を全開にしてしまった絵名への代償は絶大だった。
高熱にうなされるような激しい眩暈と、眼球を内側から焼きゴテで炙られるような激痛。
自力で歩くことすらできなくなった絵名を
ゴッホは「ひまわりの蔓」を優しく網のように編み上げ、霊体化と現界を繰り返しながら隠すようにして命からがらホテルの部屋へと連れ戻した。
ホテルの暗い室内。
ベッドに横たえられた絵名は水で濡らしたタオルを痛む両目の上に載せ、荒い息を吐き出していました。
「はぁ…っ、はぁ……っ……!」
「ごめんなさい、マスターっ!氷、氷を持ってきます!湿布も……うぐっ、でもこんな現代の薬品で、魔眼の発動反動が治まるわけが……わたしが情けないばかりにっ!」
おどおどと部屋を往復し、髪を掻きむしりながら自分を責め立てるゴッホ。
絵名は熱を持った息を吐きながら、うっとうしそうに呟く
「……少し静かに、して...頭に響く……」
「ひぃっ……!
す、すみません……!」
ゴッホは小さくなってベッドの脇に正座し、
絵名は冷たいタオルの下でゆっくりと目を瞬かせる。
タオルの隙間から見えるホテルの天井すらまだ微かに「色と線のレイヤー」にブレて見えていました。
「…ねえ、フォーリナー。……私、さっきのあれ、何だったの」
絵名の問いに、ゴッホはおずおずと答える
「それは…『魔眼』と呼ばれるものです……。
本来なら、代々魔術の血を重ねた家系に稀に生まれるあるいは過酷な修練の末に獲得する
世界を『視る』ための肉体変異……」
「魔眼…魔術師の……力?」
「はい……。本来なら、魔術師として訓練を受けていない人間には発現しません…けれど、マスターは毎日毎日、息を吸うように世界を観察して色彩とデッサンの『破綻』を探し続けてきた。
その途方もない観察の『癖』と死の極限状態が噛み合って眠っていた眼球の回路が、無理やり焼き切れるように開いてしまったんです……」
ゴッホの言葉を聞きながら、絵名は自嘲するように乾いた笑いを漏らした。
「あは……何よそれ」
タオルを払いけけ、絵名は激痛の残る両目を開けさした。
天井の壁紙のわずかな歪み、家具の配置の角度のズレ、ゴッホの頭上に揺らめく不気味な黒い影の「密度の不均衡」すべてが、頼んでもいないのに勝手に頭の中に情報として雪崩れ込んでくる
(私が欲しかったのは……こんな力じゃない)
_________
「……よし。氷、買ってきますね!出来損ないのわたしだけど急いで走ってくるから……っ!」
そう言って、フォーリナーはパーカーのフードを深々とかぶり逃げるようにホテルの部屋を飛び出していった。
ガチャリ、とドアが閉まり室内に完全な静寂が訪れる。
「……はぁ……っ……」
一人になった瞬間、緊張の糸がぷつりと切れた。
私はベッドの上に倒れ込み氷のように冷たいシーツに顔をうずめた。
両目の奥がまだ焼けるように熱い。
目を閉じても、瞼の裏に「色と線のレイヤー」が残像となって焼き付いている。
_________『魔眼』。
フォーリナーから聞いたその言葉が、頭の中で不快な音を立ててリフレインしていた。
(何よ…それ。冗談じゃないわよ……)
自嘲するような吐息が零れる。
私の家はごく普通の家庭だ。
父親は有名な画家で、弟は歌に打ち込む高校生。魔術なんておとぎ話の世界の話だと思ってた。
なのに——なんで私なの?
なんで私が、こんな得体の知れない『眼』なんて持ってんのよ。
(...あはは。可笑しいわね)
痛む目を手甲で覆いながら、私は暗闇の中で唇を噛み締めた。
欲しかった。
ずっと、
ずっと欲しかった。
あいつ____お父さんみたいに、見た人の心を一瞬で奪うような絵を描く才能が。
まふゆの空虚な心に届くような、圧倒的な表現力が。
「才能がない」って切り捨てられた私を、私自身が誇れるような……本当の『絵描き』としての手が。
なのに、血を吐くような思いで絵の具を捏ねくり回して手に入ったのがこれ?
『破綻を解剖する目』?
『世界の不完全さを見抜く能力』?
(ふざけないでよ……ッ!)
視界が歪み、涙が耳元へとこぼれ落ちていく。
そんな目があったって私の描く線が綺麗になるわけじゃない。
色彩のセンスが劇的に上がるわけでもない。
私の手が、上手になるわけじゃないんだ。
プレイヤー(描く者)としての才能は与えられず、人の下手の部分や本物の才能の足元に転がる『差』だけを冷酷に見せつけられる鋭すぎる「観客」としての目。
(拷問じゃないこんなの…っ)
思い出すのは、あの絶望的なまでに強かった紫のサーヴァント。
私の目にはあいつの完璧な俊敏性の中にひそむ『わずかな重力線のブレ』が見えた。
それを見抜いてフォーリナーに指示を出して、私たちは生き残った。
さっきは「戦える」なんて、フォーリナーの前で強がってみせた。
あの子はおどおどして、自分を卑下してばかりだから。
私がしっかりしなきゃってマスターとして背伸びしてみせた。
でも——本当は悔しく消えていなくなりたい
くらいに
「私の……『描く手』じゃなくて『眼』でしか役に立てないなんて」
声に出すと、情けなさが喉の奥を突いた。
父親の言葉が頭をよぎる。
『絵名、お前には何もない』
ちがう。
何もないんじゃない。
私にあったのは、「何者にもなれない自分」を誰よりも正確に理解してしまう、残酷な観察眼だけだったんだ。
「……っ…ふぐっ……」
シーツを強く握りしめ、一人で私は泣いていた
フォーリナーが帰ってくる前に涙を拭わなきゃいけないから。あの子にこんな情けない顔
見せられない。
聖杯戦争なんて、、どうでもいい。
でも、
私は死なない。
あの子も死なせない。
この呪われた目でも何でも使って泥をすすってでも生き残って見せる。
……そしていつか。
この目で見つめるすべての『天才』たちの度肝を抜くような絵を、この下手くそな手で描いてやるんだから——。