_________暗い_________
あたたかくて、
冷たくて、
油絵の具のツンとした酸っぱい匂いが充満している空間。
(……なに……ここ……?)
重い瞼を開くと、目の前には狂ったような
『黄色』の世界が広がっていた。
黄金色のひまわり。
照りつける強い日差し。
けれど、その風景はどこか歪んでいた
空の青はキャンバスの上で絵の具を力任せに混ぜすぎたように濁り、激しい渦を巻いている。
『——見えない…本物が……わたしには届かない……』
かすれた男の声が聞こえる。
見知らぬ瘦せこけた男が、狂ったような勢いでキャンバスに色を叩きつけていた。
描いても、
描いても、
________満たされない。
誰からも理解されず、「狂人」と蔑まれ、手元に残ったのは大量のキャンバスと乾かない油絵の具だけ。
その男が抱える途方ない挫折感と、自分の存在すべてをかけて描いているのに届かない焦燥感。
「自分には何もない」という血を吐くような自己否定。
(なんなの、この人……。なんでこんなに胸が痛むの...?)
自分の胸の奥が締め付けられるように痛む。
まるで、自分が毎日キャンバスの前で味わっている苦しみそのものが、誰かの姿を借りて溢れ出しているみたいだった。
だが、夢は唐突に破綻する。
画面が激しくブレて、ひまわり畑が黒い海へと沈んでいく。
冷たい海の底から、蠢く不気味な黒い影が伸びてきて——その男の背中を喰らいそして今度は、小さな少女の姿を包み込んでいく。
『いや……嫌だ……!わたしを見ないで……!』
『こんな……狂ったもの……見せたら……っ!』
混ざり合う男の絶望と、少女の泣き声。
暗闇の底で、少女が頭を抱えて必死に何かから隠れようとしていた。
『ごめん、なさい…ごめんなさい。
わたしなんかが……っ』
(……あの子……!?)
絵名は夢の中で手を伸ばそうとした。けれど、黒い絵の具のような波に呑まれ視界が急速に遠のいていく——。
ハッと目を開けると、ホテルの暗い天井が視界に飛び込んできた。
「……っ……ハァ、ハァ……っ……!」
荒い息を吐きながら、絵名は跳ね起きるように身を起こした。
額にはじんわりと嫌な汗が浮かんでいる。
両目の奥の痛みは少し引いていたものの、夢の強烈な余韻で胸が激しく波打っていた。
(…なにあれ……。夢?)
頭を押さえる。
あの痩せた男の人は誰だったんだろう。
そして、なんでその影に怯えるようにあの
フォーリナーの泣き声が重なっていたのか。
(サーヴァントの過去…? ううん、でもあんな男の人とあの子、全然似てないし……。第一、あの黒い影は何よ……)
情報があまりにも断片的で、何一つ繋がらない。
ただ一つ確かなのは、あの夢から伝わってきた「吐き気がするほどの孤独と苦痛」だけだった。
「……ん……っ…マスター…?」
隣で小さな声がした。
見ると、ベッドの脇の床に丸くなり寝落ちしていたフォーリナーが目をこすりながら体を起こすところだった。
「あ…すみません、わたし、見張りもしないで寝てしまって……!お体、目は大丈夫ですか!?」
おどおどと自分を責めながら立ち上がる少女。
その姿は、さっきの夢の中で黒い海の底で泣いていた少女の影と重なった。
絵名は夢の混乱を悟られないよう、フンと鼻を鳴らして視線を逸らした。
「……別に。少しマシになったわ」
(……フォーリナー。あんた、一体何を抱え込んでるの……?)
「…で、アンタは何でそんなところで丸くなって寝てんのよ。ベッド使いなさいよ」
「ひっ…!い、いいえ!わたしのような出来損ないの召使いがマスターのベッドに入るなんて滅相もありません!床の硬さが……落ち着くんです……!」
「……変な奴」
絵名があきれたように溜息をつきながらベッドから起き上がると、サイドテーブルの上に置いてある自分のスケッチブックに目を留めた。
(あれ?位置、少しズレてる……?)
「……ねえ、フォーリナー。これ見たの?」
「!!???い、見てません!誓って見てません!人様のスケッチブックを勝手に覗くなんてそんな野蛮な真似、お天道様が許してもわたしが許しません!わたしはただのゴミクズですが盗み見だけは……ッ!」
露骨すぎるほど動揺して汗を吹き出させるゴッホを見て絵名はおでこを押さえた。
「はぁ。怪しすぎるでしょ。
まあいいわ。大したもの描いてないし」
(あの夢のこともあるし…突っかかる元気もないわね)
絵名は自分の胸のあたりをそっと抑える。
あの痩せた男の苦悩と黒い海の底で泣いていた少女の叫び。
ただの悪夢にしては重すぎる感触を振り払うように首を振った。
「それより、フォーリナー。
これからどうするかの話もしないとね私たちが生き残るための」