絵名とゴッホが蔵へ向かって去っていった
夜の静寂。
凛は腕を組み、二人が消えていった闇の奥を
険しい表情で見つめたまま動けずにいた。
「信じられないわね」
ポツリと漏らした凛の声には、まだ隠しきれない動揺が混ざっていた。
「あの子…一般人の女子高生に見えたのよ?
魔術のいろはも知らない、ただの素人。
それなのにあの血走った『目』。キャスターの神代魔術の隙を完璧に見抜いて突破してきたっていうの……!?」
背後で壁に寄りかかっていたアーチャーが、どこか意味深な笑みを浮かべて肩をすくめた。
「魔術師としての『格』や『回路の量』だけで勝敗が決まらないのが聖杯戦争の恐ろしいところだ、凛。あの娘が持っているのは知識ではない。狂気的なまでの観察力と執念だ。
ある意味そこらの半端な魔術師よりよほど
タチが悪い」
「……それだけじゃないわ」
凛は自分の肘を抱えるようにして身を震わせた。
「あのサーヴァント。
基本7クラスのどれにも当てはまらない。まるで、この世界の器から溢れ出しているような不気味な気配だったわ」
「ああ。あれは聖杯戦争の理の外にいる存在だ。…野放しにしておくには、あまりに危険すぎるな」
「ええ。次に会った時はただの『素人』としてじゃなく明確な『敵』として対峙しなきゃダメそうね」
凛は深く溜め息をつき、赤いコートの裾をひるがえして新都の方角へ歩き出した。
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凛とアーチャーの気配が完全に遠ざかったのを確認して、竹林の深い影からふたつの人影がそっと姿を現した。
「...あぶなかった。
遠坂に見つかったら、絶対にまた『なんでまた首を突っ込んでるのよ!』って怒鳴られるところだった……」
冷や汗を拭いながら胸を撫で下ろすのは、衛宮士郎だ。
「だから言ったのです、士郎。
凛に内緒でこのような独断専行をするのは感心しない、と」
隣で青いドレスに身を包んだ少女——セイバーが、呆れと警戒が入り混じった眼差しで士郎を嗜めた。
しかし、士郎の視線は凛たちが去っていった方向ではなくもっと先——絵名とゴッホが消えていった深山町の住宅街の方角に注がれていた。
「でも、セイバー。
今のはやっぱり普通じゃなかったろ?」
「…ええ」
セイバーの凛とした表情が、すっと引き締まる。
「柳洞寺のキャスターの結界を破ったあの光……あれは剣技でも、神話の魔術でもありませんでした。…まるで、命と魂を削った恐ろしいまでに悲しく、そして美しい気配」
士郎は自分の胸のあたりをキュッと掴んだ。
あの少女が凛に向かって言い放った、「自分たちの居場所を守っただけ」という叫び。
遠くから見ているだけだったが、士郎の心にはその言葉が強く刺さっていた。
「あの女の子、すごく傷だらけだった。
目も流血していて。それでも隣の女の子を守るために必死で立ってた」
「士郎……」
「聖杯戦争の仕組みとか、魔術師の理屈なんて俺にはよく分からないけど...あの子たちは誰かを害するために戦ってるんじゃない。ただ……生きるために、自分たちの大切なものを守るために戦ってるんだ」
士郎のまっすぐな瞳を見つめ、セイバーは静かに眼を伏せた。
「正体の分からぬ異例のサーヴァントとマスター。関われば私たちもただでは済まないかもしれません。ですが……」
セイバーは腰の剣に手を当て、士郎を見つめ返した。
「貴方が彼女たちを敵とみなさないのであれば、私もまた、無道な刃を向けるつもりはありません」
「ああ。ありがとう、セイバー。
...行こう。遠坂にバレる前に家に帰らないと」
月明かりの下、士郎とセイバーは絵名たちが向かった深山町の夜闇を静かに見つめ直してから、衛宮邸へと戻っていった——。