深夜25時。
4人のアイコンが点灯し、ボイスチャットから絵名の「ちょっと、これ聞いてよー!」という賑やかな声や、作業用のペンタブの滑る音が聞こえてくる時間。
だが、今日も画面の『えななん』のアイコンはオフラインのまま静まり返っていた。
「今日も、入ってこないね」
作業画面から目を離さず、奏がポツリと呟く。
作業通話には奏、瑞希、まふゆの3人だけが集まっていた。
「うん…。メッセージを送っても既読がつかないんだよね。どこか電波の悪いところにいるのかな」
瑞希は画面越しに明るく振る舞おうとしていたがその声には隠しきれない心配の色が滲んでいた。
この時点で絵名がナイトコードにログインしなくなってからもう数日が経っている。
「絵名、どこに行ったんだろう。
お母さんにはスケッチ旅行って言ってたみたいだけど」
「…私のせい、かな」
不意に、まふゆの無感情で低い声がスピーカーから落ちた。
奏と瑞希の手が止まる。
「…雪?」
「私が...『えななんの絵じゃ救われない』って言ったから。だから、絵名は消えたんじゃないの?」
まふゆの声には、怒りも悲しみもなかった。
ただ、自分の放った言葉が絵名を追い詰めてしまったのではないかという、冷たい事実だけを確かめるようなトーンだった。
だが、瑞希は静かに首を横に振った。
「違うよ、雪」
「……え?」
「ボク、分かるんだ。
えななんはね、逃げたわけじゃないよ。…雪のあの言葉にショックを受けたのは確かだろうけど、絵名は……絶対に諦めるような子じゃない」
瑞希は画面上の『えななん』のアイコンを見つめ、どこかわ愛おしそうな誇らしいような笑みを浮かべた。
「絵名はさ、どれだけ傷ついてもどれだけ泣いても、最後には立ち上がる人でしょ。……今頃きっとどこかでボロボロになりながら必死で自分だけの絵を描こうとしてるはずだよ」
「……うん」
奏も小さく頷いた。
「絵名は……強くなろうとしてるんだと思う。
私たちが作る曲に雪の...まふゆの心に届くような、自分だけの絵を見つけるために」
奏はキーボードに手を置き、静かにメロディを打ち込み始めた。
「だから待とう。えななんが帰ってきた時に一番最高の曲で迎えられるように。…私は曲を作り続ける」
「うん!ボクも、えななんがいつでもイラストを飾れるように、MVの動画枠を完璧にしておかないとね!」
ふたりの言葉を、まふゆは静かに聞いていた。
自分の「救われない」という言葉を受け止めて、なおも遠いどこかで足掻いている東雲絵名という存在。
(……絵名……)
まふゆは胸のあたりに小さく手を当てた。
冷え切った心臓の奥がほんの少しだけ、熱を持ったような気がした。
(……早く、帰ってきて。
絵名の絵を、見たい...)
暗い部屋の中、ニーゴの3人は絵名が帰ってくる場所を守るためにそれぞれの作業を静かに再開しだした。
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通話が静まり返り、奏のキーボードを叩く音と瑞希のマウスのクリック音だけが淡々と響く中。
まふゆは自室の明かりを消し、PCの画面から漏れる青白い光の中にただぽつんと佇んでいた。
(……自惚れてたのかな)
胸の奥に、冷たい重石のような塊が沈み込んでいく。
「まふゆの心が動くような絵を描いて見せるから!」
「私の絵で、まふゆを救ってみせるから!」
泣きそうな顔で、それでも真っ直ぐに自分を睨みつけて叫んでいた絵名の顔が暗闇の中に鮮明に浮かび上がる。
まふゆにとって絵名の描く絵に対して厳しい言葉を投げるのは、決して特別なことではなかった。
日常の作業通話のなかで、いつものように
「分からない」
「構図が変」
「色は汚い」
「救われない」と、感じたままの無感情な言葉を叩きつける。
そのたびに絵名が悔しそうにそれでも食らいついてくることに、どこかで甘えていたのかもしれない。
『感覚がないから』
『自分の心が分からないから』
それを無意識の免罪符にして、絵名がどれだけの血を吐く思いで描いたキャンバスに酷い言葉を投げつけてしまっていたのだろう。
(……それが、積もり積もって絵名を壊しちゃったのかな)
自分のその冷たさが、絵名をどこか遠い場所へ追い詰めてしまったのではないか。
もし、二度と絵名が帰ってこなかったら。
もし、二度とあの悔しそうなけれど命の通った瞳で自分を見つめてくれなくなったら——。
まふゆは自分の細い指先をじっと見つめた。
冷え切った指先がかすかに震えている。
(……嫌だ)
感情の死んだ心臓の奥底で小さく、けれど確かな波紋が広がった。
(嫌だ……
帰ってきて……絵名)
『分からない』なんて言い訳で逃げたりしないから。
絵名が命を削って描いたものを、私はちゃんと…この目で確かめたい。
(だから早く帰ってきて、絵名……)
まふゆは膝の上に置いた両手を強く握り締め、誰もいない暗い部屋で静かに目を閉じるのだった——。