深山町の古い民宿。
その一角にある静かな和室で、絵名は丸一日目を覚まさなかった。
強制的にこじ開けられた魔術回路の発熱と全身の神経を焼かれたような肉体の疲労。
それ以上に、キャスターをその手で消滅させてしまった精神的ショックと罪悪感が、絵名を深い眠りの底へと縛り付けていた。
枕元では、ゴッホが消えかかった霊体を休めるように小さくなりながらずっと絵名の寝顔を見守り続けていた。
そして、夕暮れ時。
障子戸が静かに開き、ゆっくりと足音が近づいてくる
「…絵名ちゃん?」
そこに立っていたのは、この民宿を営む
絵名達を迎え入れてくれた老婦人だった
血は繋がっていない
けれど、絵名にとって彼女はいつでも変わらない温もりをくれる存在。
おばあちゃんは、絵名がただ疲れて眠っているだけではないこと——この部屋の空気が、どこか以前とは違う澱んだ重さを帯びてしまっていることに長年の勘で気づいていた。
布団の上で、うなされるように絵名がゆっくりとまぶたを持ち上げる。
「…おばあ…ちゃん?」
かすれた声。
喉の奥がカラカラに乾いていた。
絵名が起き上がろうとすると、おばあちゃんは優しく首を横に振り枕元にそっと腰を下ろして小さな湯気の立つお盆を置いた。
「無理しなくていいよ。
ずっと眠っていたんだからね、お腹も減っただろう」
おばあちゃんは何も詮索しない。
聖杯戦争のことなんて知るはずもないからこそ、差し出す優しさはどこまでも真っ直ぐだった。
温かいお粥の椀を取り出し、優しくふうふうと息を吹きかけてから一口分をスプーンですくって絵名の口元へと運んでくれた。
「ほら、お食べ。
どんなに辛いことがあったって、温かいものを胃に入れれば、少しは生き返るからね」
そのあまりにも穏やかで、日常の匂いのする温もりに触れた瞬間、絵の中で張り詰めていた糸がプツリと音を立てて切れた。
「っ…おばあちゃん、私……」
お粥を飲み込むこともできず、絵名の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる
自分が魔術師になってしまったこと___
人を消滅させてしまったこと、
そして家族とも離れてこんな非日常に足を踏み入れてしまった恐怖——そんな本当の悩みや秘密を口にすることは絶対にできない。
魔術の世界のことは一言も話せない。
けれど、押し寄せる恐怖と孤独に耐えきれず
絵名は小さく震えながら、ただ子供のように泣きじゃくった。
「怖いよ…私、
どうしたらいいのか…わかんないっ」
「よしよし、いいんだよ」
絵名が何を悩んでいるのかその深さを知ることはない。
それでも、ただ怯えて震える少女の頭を、しわの刻まれた温かい手で優しく包み込むように撫で下ろしてくれた。
詮索せず、ただ「ここにいていいんだよ」と包み込んでくれるその手のひらの温もりが、今の絵名にとっては救いだった。
自分の抱えている秘密を打ち明けることはできない。
弱音の核心を口にすることもできない。
それでも、あふれる涙を隠そうともせず
ただおばあちゃんの温もりにすがりついて、絵名は声を殺して泣き続けた。
夜が明け始め____
おばあちゃんが部屋を去り静けさが戻った部屋布団の中で、絵名は真っ暗な天井を見上げていた。
泣き腫らした目は痛むが、不思議と胸のつかえは少しだけ軽くなっていた。
体の中であのとき焼き付けられた魔術回路が静かに、しかし確実に脈打っている。
それはもう痛むような熱ではなく、新しい自分の一部として定着した「異物の血管」の感覚だった。
そして、枕元には心配そうに自分を見つめるゴッホの気配がある。
(…私は、一人じゃない)
家族とも知り合いとも離れ、血生臭い魔術の世界に片足を突っ込んでしまったとしても。
この手で掴み取った狂気と温もりが、自分の側にはちゃんとある。
絵名は震える息を整えると涙を拭い彼女は静かに、しかし力強く覚悟を決める。
甘えられない現実のなかで、自分だけの色彩を貫いていくための戦いを