——夜の深山町
一日中眠り続け、ようやく熱が引いた身体を引きずって絵名は外の冷たい空気を吸うためにひとりで宿の周辺を歩いていた。
ゴッホは、魔力の消耗と霊基の安定のために霊体化させ、絵名の影に潜むようにして気配を消させている。
周囲から見れば、絵名はただの夜更かしをした一人の少女にしか見えない。
しかし、頭の中はあの夜の感触でまだぐちゃぐちゃだった。
自分が魔術師になってしまったこと...そして人を消滅させてしまったという消えない罪悪感。
「...はぁ...」
ため息をつきながら自動販売機で温かい缶コーヒーを買ったとき、背後から一切の気配を感じさせない傲岸不遜な声が響いた。
「ほう。
死の淵であれほど見苦しく怯えていた雑種が
少しはマシな面構えになったかと思えば…相変わらずの目をしている。」
「っ……!?」
絵名がハッとして振り返る。
そこに立っていたのは、夜の闇の中でも黄金色の輝きを放つ鮮烈な美貌の男だった。
周囲の空間が、彼を頂点として歪んでいるかのような圧倒的な王の威圧感
完全にたった一人で、この化け物じみた英霊の前にさらされていた。
「っ、アンタ……!」
絵名は恐怖で足がすくみそうになるのを必死にこらえ、しかし逃げ出さずにその真紅の瞳を睨み返した。
名前も知らない。
何者なのかも分からない。
けれど、あの日に自分の絵をコテンパンに否定していった「あの男」だということは一発で分かった。
ギルガメッシュは優雅に笑いながら、
ふっと鼻を鳴らした。
彼の瞳には、あの夜に蔵で起きたすべての出来事が映し出されていた。
絵名が恐怖の底から絶叫し、魔術回路を焼き付け魔女の霊基をその手で粉々に粉砕して消滅させた瞬間を、彼の持つ千里眼は最初から最後まで余すことなく観測していたのだ。
「隠す必要はないぞ。
お前の影に潜む小間使いも、今は気配を消しているようだな。だがそれ以上に面白いのは貴様自身だ」
ギルガメッシュは一歩、
また一歩と優雅に歩み寄り絵名のすぐ間近まで詰め寄った。
「自分の描く世界を守るためと称し、血を流し
生ける者を自分の手で消し去り
自ら進んで身を堕とした。
どうだ、雑種。神代の魔女を焼き潰したその一時の感情に任せて人間を捨てた気分は。
さぞ甘美なものだっただろう?」
ギルガメッシュの言葉に、絵名の背筋が冷たく凍りついた。
_____図星だった。
なぜ、この男は知っているのか。
自分がキャスターを消滅させたこと、自分がもう普通の人間ではないこと——すべてを、まるで初めから見ていたかのように言い当てている。
「っ……!」
言い返そうとして、喉がキュッと締め付けられる。
人を消滅させてしまったあのときの吐き気が蘇りそうになる。
けれど絵名は震える拳を強く握りしめ、ここで怯えたらすべて負けを意味するような気がして、必死にその真紅の瞳を真正面から睨み返した。
「…綺麗事だけで、
自分の絵が守れるわけないでしょ」
掠れていたが
はっきりとした
逃げない声だった。
「手放したくないものがあるなら私は、私の手でこの世界を塗りつぶす。それが魔術師だとか、化け物だとか言われるような生き方だとしても…私が選んだなら文句ないでしょ!」
名前すら知らない傲慢な男に、自分のすべてを笑われてたまるか。
絵名のその剥き出しの反骨心を聞いた瞬間、ギルガメッシュの真紅の瞳がわずかに鋭く、
そして強烈な光を帯びて見開かれた。
——次の瞬間。
「……ククッ……ハハッハハ!!」
夜の静寂を切り裂くように、ギルガメッシュの豪快な笑い声が響き渡った。
それは嘲笑ではなくあまりにも愚直で、あまりにも生々しすぎる人間の業をぶつけてきた少女に対する、底知れない愉悦に満ちた笑い声だった。
シビレを切らして襲いかかってくるわけでもなく、ただ圧倒的な王として彼女の足掻きを品定めするように。
「いいぞ、いい面構えだ!
怯えながら震えていたあの夜から、わずか数日で火を灯したか。素晴らしい実に素晴らしいぞ、雑種!」
ギルガメッシュは愉快そうに唇を歪めると、まるで値踏みをするのをやめ、一つの「特等席の観客」として絵名を見据えた。
「一体どこまで血に染まり、どんな地獄の絵画を仕上げるのか...我が宝物庫の片隅から、せいぜい楽しませてもらうとしよう。
途中で筆をへし折られるなよ名もなき小娘」
それだけ言い残すと、ギルガメッシュは黄金の波紋の中に自らの体を溶かすように音もなく夜の闇へと消えていった。
静まり返った夜の道路
ようやくプレッシャーが消え去り、絵名は膝の力が抜けそうになるのを必死にこらえその場に突っ立っていた。
「絵名さん…っ!」
影の中からゴッホは体力からがら、慌てて実体化して駆け寄り絵名の体を支える。
「…大丈夫、よ」
絵名は肩で荒い息をしながら、消えていった方向を睨みつけた。
名前も知らない。
何者なのかも分からない。
けれど、あの傲岸不遜な男に言い返したことで、心の奥底でモヤモヤと渦巻いていた恐怖や罪悪感が、少しだけ自分の選んだ覚悟へと昇華されたような気がした。
私は、私の選んだ色で描き続ける。
震える足を奮い立たせ、絵名はゴッホと共に
再び静まり返った夜の道を歩き出すのだった。
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深夜、冬木教会。
仄暗い礼拝堂の片隅で、静かにワイングラスを傾ける男がいた。
その黄金の輝きは、教会の厳かな空気すらも自分色に染め上げるように傲然と放たれている。
「――ほう」
窓の外の闇を見つめたまま、ギルガメッシュがふっと退屈を紛らわすように唇を歪めた。
その背後、聖餐台の陰から黒衣を纏った神父——言峰綺礼が音もなく歩み寄ってくる。
「また、夜の散歩のようだったが…
何か面白いものにでも出会ったか?」
言峰の低い声に、ギルガメッシュはワイングラスを軽く揺らしながら邪悪で、それでいてどこか底抜けに楽しげな笑みを返した。
「面白い、か。…ふっ、言葉のあやとしては適切だな、綺礼。この冬木で久しぶりに虫酸が走るほど醜くそして足掻きをする雑種を見つけたのでな」
「貴様がそう評する人間となると、通常とは違うようだが……」
言峰の真紅の瞳ならぬ、暗い眼差しがわずかに細められる。
ギルガメッシュはグラスを置き、先ほど夜の路上で対峙した小娘の姿を思い返すように、愉悦に満ちた声を響かせた。
「ああ。
初めのうちは、死の恐怖に怯えみっともなく震えていただけの小娘が。神代の魔女が仕掛けた罠の端っこでただ泣き喚くことしか知らんような、雑種だった」
「それが、どうした?」
「だがな、綺礼。あやつは自らの手で地獄の扉をこじ開けた。恐怖に負けて逃げ出すどころか
執念で自身の魔術回路を無理やり焼き付け、あまつさえ神代の魔女をその手で焼き潰し——消滅させてみせたのだ」
ギルガメッシュの言葉に、言峰の眉がわずかにピクリと動いた。
人間が恐怖を乗り越え、自分の手で「死」を司る側に堕ちる。
それは言峰綺礼という男が最も好み、そして観察せずにはいられない「人間の歪みと美しさ」の領域だった。
「…神代の魔女を、素人だったはずの娘が。
それはまた、見事な転落劇だな」
「そうだ。血に塗れ、自分が選んだ茨の道に怯えながらも、『これが私の選んだ色だ』と言うて見せた。美しくなどないだが——」
ギルガメッシュは不敵に、牙を剥くように笑った。
「その『絶望』と『覚悟』の混ざった娘がこの聖杯戦争の終わりにどのような地獄を完成させるのか。…我いう王の宝物庫の片隅で、せいぜい退屈を紛らわす劇を見せてくれることだろうよ」
ギルガメッシュの言葉に、言峰は何も言わず
ただ静かに目を伏せた。
その胸の奥底で、狂おしいまでの底知れぬ興味の炎が小さく揺らめくのを隠しながら。