自己紹介がひと段落し、テーブルの上に再び静寂が戻ったその時遠坂凛が、射抜くような鋭い瞳で絵名を見据えた。
「ねえ、東雲さん。
一つ、聞いていいかしら?」
「ん……?なに?」
「あなた、どうしてそこまで必死になれるの?」
凛の問いには、冷たい詮索ではなく聖杯戦争に参加する者としての純粋な疑問が混じっていた
「普通の一般人だった貴方がキャスターを倒して、あんなアインツベルン城の死地にまで飛び込んで命を張る理由はどこにあるの?
まさか、聖杯に何かどうしても叶えてほしい『願い』でもあるわけ?」
その言葉に士郎もわずかに息を呑み絵名の顔を見た
聖杯戦争に参加する魔術師のほとんどは、それぞれの野望や血塗られた悲願のために聖杯を求める。
士郎自身も「全ての人を救う正義の味方になりたい」という歪んだ、けれど切実な願いを抱えてこの戦いに身を投じていた。
「願い、ね……」
絵名はふっと視線を落とし、自分の手のひらに目をやった
あの夜、自分の描いた絵がイリヤを救い
少女が「お姉ちゃんが助けてくれた」と泣いてくれたこと。
そして、自分の心の中でまだ暗い檻に閉じこもり続けているニーゴの姿が脳裏をよぎる。
「そんな大層なもんじゃないよ。
聖杯がどうとか、奇跡で何かを叶えてもらうとか、正直今のあたしにはよく分からないし興味もない」
絵名は顔を上げ凛と士郎をまっすぐに見返した
「ただ……
目の前で誰かが理不尽に壊されそうになってて、それを自分の手でどうにかできるかもしれないってときに、知らんぷりして見過ごすのは嫌なのよ。
そんなことしたら、あたしは二度と絵を描けなくなる気がするから…それだけよ」
利害でも、
聖杯の奇跡でもなく、
自分の表現への誇りと目の前の人を救いたいという衝動
それは、凛や士郎が持っているものとは少し違うかもしれないが紛れもなく絵名自身の本音だった
(この子もまた、私たちとは違う...
地獄を歩いているのね)
凛はそれ以上追求せず、ふっと小さく息を吐いて納得したように頷いた
士郎もまた絵名のその言葉の重みを感じ取ったのか、静かにうなずきを返す
そして、絵名はふと
室内の別の場所に視線を走らせた
——彼女たちの傍らに控える「サーヴァント」たちのことだ。
士郎の傍らには黄金の騎士の甲冑を纏った少女
そして少し離れた場所には冷徹な視線を隠そうともしない白髪の男性が
絵名の横にはゴッホが...
お互いに「サーヴァントを従えているマスター」同士であることは分かっている
けれど、お互いのサーヴァントの真名。
歴史上の英雄としての背景については、まだ何も語られていない
(あの銀髪の弓の男…あんなに物騒な表情でこっちを見てる。一体どこの何者なんだか…
それに比べて、うちのゴッホはいつも変なテンションだし……)
絵名は心の中で複雑なため息をつきつつ、目の前の二人に次の言葉を投げかけた
「…で、遠坂さんたちこそ。
あの黄金の奴をどうにかしないと、あの女の子はもちろん私たちだっていつ狙われるか分かんないわよ。
これから、どうするつもりなの?」
絵名の問いかけに対し凛はふっと自嘲するような、けれどどこか覚悟の決まった笑みを浮かべた。
「…そうね。
あいつを野放しにしたままじゃこの冬木市に平穏なんて訪れないわ。ギルガメッシュをその手から引きずり下ろすこと、それが当面の最優先事項よ」
凛はそう言ってティーカップを置くと、少しだけ視線を伏せた
「…ちなみにさっきあなたが「聖杯の願いなんて興味ない」って言ったけれど、それは私も同じよ。
正確に言えば亡き父の悲願である『根源への到達』を果たすために私はこの場にいるけれど
心のどこかでは、ただ父の背中を追いかけて
誇り高い魔術師であり続けたいだけなのかもしれないわね」
家系の宿命
個人の意地
凛のその言葉には、遠坂家の当主としての気高さと、少女としての苦渋が混じっていた。
そして、その隣で静かに聞いていた士郎が
自分の両の掌を見つめながらぽつりと口を開く
「俺は遠坂みたいな立派な魔術師の家系でもなんでもない。
ただ、昔の災害で周りの人間が全員死んで
自分だけが生き残ってしまったんだ」
その声の低さに、絵名は思わず目を向けた。
士郎の瞳には年相応の少年とは思えない
底知れない痛みが宿っていた。
「そのとき、助けられなかった人たちの代わりに、俺は『すべての人を救う正義の味方になりたい』って思った。
それがどれだけ身勝手な願いだとしても...
目の前で誰かが傷つくのを見過ごせないから、俺は今ここに居る」
――すべての人を救う、正義の味方。
その言葉を聞いた瞬間、絵名の胸の奥でカチリと冷たい音がした
口には出さない。
今、この場でそんな綺麗事を否定する資格なんて自分にはないかもしれない
けれど、絵名の心に湧き上がったのは、共感ではなく——ほんの少しのざらついた戸惑いと、苛立ちだった。
(全部を、救う?)
(そんなの、できるわけないじゃない…)
絵名の脳裏に、かつて自分の手からこぼれ落ちそうになった瑞希やまふゆの姿がよぎる
自分が必死にもがいて、描いた絵でさえ
届く範囲は限られている
誰か一人を救うことでも精一杯なのだから。
目の前で泣いている女の子を救うのがやっとだった。
それなのに......
この少年は、顔も知らないどこかの誰かまで含めて「すべてを救う」なんて言ってる
それは誰かのための優しさなんかじゃなく、
ただ自分をすり減らして罰し続けるための歪んだ呪いにしか絵名には見えなかった。
(…なんだろ...
それって、
それじゃまるで……)
――他人を救う為なら自分の心も命もすり潰すように音楽に没頭する、奏の姿に重なって見える
自分を省みず、誰かを救うためだけに壊れていく姿がどうしようもなく似ていて、だからこそ見ていて胸が締め付けられるように苦しかった。
「…そっか。大変だね、色々と」
絵名はぐっと感情を飲み込みあえて冷めたような、そっけない声でそう吐き捨てた
士郎は絵名のわずかな声音の変化に気づいたのか、キョトンとまばたきをしたが絵名はそれ以上追及させまいと視線をそらした。
私達は「誰かを救いたい」という思いを抱えながらも、その向かっているベクトルは決定的に違う
温かなお茶の湯気が立ち込める居間のなかで
交わらないそれぞれの痛みが、静かにすれ違っていた。