衛宮邸の夜は、驚くほど静かだった
客間に用意された布団には、先ほどまで生死の境を彷徨っていたイリヤが眠っている
その呼吸はまだ浅いものの、ようやく落ち着きを取り戻していた
絵名はイリヤの寝顔をしばらく見つめたあと
何となくざわつく胸の落ち着き先を求めて、静まり返った母屋の縁側へと足を踏み出した。
冷たい夜気が頬を撫でる。
庭の木々が月明かりに照らされ、冬木の夜空には星がポツリポツリと瞬いていた。
「起きてたのか」
ふと、暗がりから聞こえた声に絵名が肩をビクッと揺らす
縁側の端、庭を眺めるように腰を下ろしていたのは士郎だ。
彼もまた、昼間の戦いやこれからのことで
頭を休ませることができずにいたらしい
「衛宮君...?
そっちこそ、こんな夜中に何してんのよ」
「ちょっと、風にあたろうと思ってさ
うるさかったか?」
「別に。私こそ眠れなかったから」
絵名はため息をつきながら、士郎から少し離れた縁側に腰を下ろした
しばらくの沈黙のあと絵名は膝の上でキュッと拳を握りしめた
居間の話し合いの時からずっと、心のどこかに引っかかっていた棘をどうしてもそのままにしておくことができなかった。
「ねえ、衛宮君」
「ん?」
「さっき居間でさ…貴方は自分が『すべての人を救う正義の味方になりたい』って言ったでしょ...」
士郎は少し驚いたように目を丸くしそれから静かにうなずいた。
「…ああ、言ったな」
「あれを聞いたとき...
正直おかしいって思った...」
絵名の声は震えていなかったがトゲを含んだ鋭いものであった。
彼女は夜空から視線を外し、まっすぐに士郎の横顔を睨みつけるように見据えた。
「自分の命も、これからの人生もすり潰して
顔も知らないどこかの誰かまで全部救うなんて…そんなの、綺麗事っていうよりただ自分を罰してるだけに見える。
自分のことなんてどうでもいいって顔して、勝手にボロボロになっていく姿は…見ていてすごく、痛々しいよ...」
その言葉に、士郎は息を呑んだ。
図星を突かれたのか、それともそんな風にまっすぐ否定されたことがなかったのか士郎は返答に詰まりわずかに目を伏せる
絵名の心の奥には、少女の姿が鮮明に浮かんでいた。
——宵崎奏
誰かを救うための曲を作り続けるために自分の心も体もすり減らし、いつか壊れてしまうのではないかと絵名がハラハラさせられてきた、あの頑なで優しい背中。
士郎を見ていると、その奏の姿がどうしようもなく重なって見えて仕方がなかったのだ。
「誰かを救いたいって思うのは...
きっと悪いことじゃないよ」
絵名は自分の膝を抱え込み、絞り出すような声で続けた。
「でもさ…そんな風に自分の存在を削り続けることでしか誰かを救えないんだとしたら、そんなの悲しすぎる。
衛宮君が助けたいって言ってるその中に、アンタ自身はちゃんと入ってるの…?」
冷たい夜風が、二人の間を吹き抜けていく
士郎はしばらく自分の両手を見つめたまま、動かなかった。
「……そうだな」
やがて、絞り出すようなけれどどこか苦い笑みを帯びた声が返ってきた。
「自分でも、自分が何をしたいのか時々分からなくなるんだ。
でも、誰かが泣いてるのを見過ごしたら俺はきっと自分が許せなくなるから」
その不器用すぎる答えを聞いた絵名は舌打ちしたい衝動をこらえながら、ふっと力なく息を吐いた。
(本当に...似てるんだから。
どうしてこういう人って、自分のことになるとバカみたいに頑固なんだろ)
呆れと、
苛立ちと、
そしてほんの少しの切なさが混ざり合いながらも、絵名はこれ以上追及するのをやめた。
ただ、冷えた夜気のなかで、二人の間に流れる空気はさっきよりもほんの少しだけ、お互いの痛みを分かち合ったような静けさに包まれていたはず