一方、その頃_________
夜明け前の静寂が支配する冬木教会。
重厚な木製の大扉をくぐり、
カツン、
カツンと足音を響かせて聖堂へと足を踏み入れたのは青い全身タイツに身を包んだ槍兵——ランサーだった。
「やあ、帰ったかランサー。…顔色が冴えないな」
告解室の影からゆっくりと姿を現したのは神父の法衣を纏った男、言峰綺礼だった。
その瞳には生気がなく底知れない暗闇が揺らめいている。
「チッ……面目ねえよ、しくじった」
ランサーは苛立たしげに赤い槍を肩に担ぎ直し忌々しそうに唾を吐き捨てた。
「しくじった、とは? アーチャーとの戦いで不覚を取ったか?」
「いや、そっちじゃねえ。……通りすがりのガキを一匹、仕留め損ねた」
言峰の眉が、わずかに動く。
「……ほう。一般人の目撃者か。
お前の脚をもってして、逃がしたと言うのか?」
「逃げられたんじゃねえよ。殺そうとした瞬間
跳ね返されたんだ」
ランサーは視線を低くし、昨夜の未遠川沿いでの光景を思い返すように目を細めた。
「ただの素人のガキだった。魔術師の気配もねえただスケッチブック抱えて震えてるような女だ。…だがな、俺が槍を打ち込もうとした瞬間あいつが抱えてたスケッチブックから、とんでもねえ魔力が弾け飛んだ」
「スケッチブックだと?」
「ああ。描きかけの不気味な絵だよ。
あいつの強い念だか怨念だかが篭もってたのか知らねえが……そこから、召喚陣もなしに湧き出てきやがった。……俺の槍を弾くほどの、禍々しくて異質な気配がな」
言峰は無言のまま、己の右腕に目をやった。
その腕に刻まれた令呪ではなく大聖杯から流れてくる「世界の歪み」を、彼は確かに感じ取っていた。
今回の聖杯戦争は、規定の『7騎』で満たされているはずだった。
しかし——昨夜、冬木の地にあらかじめ用意されていなかった『8騎目』のサーヴァントが降臨した。システムそのものを掠め取るような、異例中の異例。
「……異質な8人目、か」
言峰の唇の端が歪んだ笑みの形に持ち上がる。
「面白い。聖杯が選んだ予期せぬイレギュラーというわけだ。……ランサー、その娘の正体や
召喚されたサーヴァントのクラスは分かったか?」
「さあな。
見たこともねえ歪な気配のサーヴァントだった。気味が悪かったんで深追いはしねえで引いてきたが……どうする? 監督役として叩き潰すか?」「いや——」
言峰は静かに首を振り、暗闇の奥を見つめた。
「静観だ。
他の陣営……凛やアインツベルンがこの『8人目』の存在にどう動くか実に見ものじゃないか。予期せぬノイズこそが、退屈な儀式を美しく狂わせる」
神父の冷ややかな声が、誰もいない聖堂に低く響き渡る。
「探し出せ、ランサー。
その『絵描きの娘』が冬木の街でどんな悲劇を紡ぐのか……特等席で見届けてやろう」
__________
冬木市郊外、夜の闇に包まれた長い坂道。
「……ッ、ガハッ……!?」
激しい衝撃と地響きとともに、衛宮士郎の体に絶望的な痛みが走っていた。
目の前に立ちはだかるのは漆黒の巨躯を誇る怪物――バーサーカー。その巨腕から繰り出される大剣の一撃は、建物の壁を一瞬で粉砕し
夜の空気を物理的な質量となって押し殺す。
(な……んだよ、あいつ……!人間どころか……悪魔か何かかよ……!)
士郎は激痛に耐えながら、息を呑んで立ち尽くしていた。
目の前では召喚されたばかりの黄金の髪の少女――セイバーが、見えない剣を構えて果敢にバーサーカーの猛攻を受け止めている。
だが・・・誰の目から見ても戦況は絶望的だった。一歩間違えれば命を落とす圧倒的な死の圧迫感。
その死闘の真っ只中。
遠坂凛は、物陰からアーチャーとともに息を潜め必死に魔術の構成を練っていた。
(くそっ……!なんなのよあの規格外の怪物……! アインツベルンは最初からこんな化け物を連れてきてたっていうの……!?)
冷や汗が額を伝う。
勝ち目が見えない。
どう打開すればいいか頭をフル回転させていたその時だった。
――ズキン、と。
凛の右腕、マスターの証である令呪の刻印が
氷を押し当てられたように冷たく疼いた。
「……え?」
「――凛」
頭上、大樹の枝に潜んでいたアーチャーの低い声が響く。
その声には、目の前のバーサーカーに対する警戒とは明らかに質の異なる不穏な緊張感が混じっていた。
「感じたか」
「…ええ。何よ、今の……。
大霊脈の底が、一瞬…酷く歪んだような……」
凛は思わず、戦場となっている坂道から遠く離れた「冬木市街」の方角――未遠川の流れる西の夜空を見上げた。
聖杯戦争のサーヴァント召喚は、大霊脈から莫大な魔術エネルギーを汲み上げる。
だからこそ、他のマスターやサーヴァントにとっても気配は微かに察知できるものだ。
今感じた気配は、
あまりにも歪で_________異常だった。
今のは――「綺麗な水に、異物の濁りが一気にドロリと混ざり落ちた」かのような生理的な気持ち悪さを伴う違和感。
「アーチャー…まさか、他の誰かが新しいサーヴァントを呼んだの……?
でも、枠はもう埋まってるはずでしょ!?」
「ああ。
バーサーカー、ランサー、ライダー、アサシン、キャスター……そして私とセイバーだ。召喚枠は完璧に塞がっている」
アーチャーは弓を構えたままその鋭い千里眼で遠く夜景の向こう――未遠川の河川敷付近を厳しく見据えた。
「システムの想定外……いや、聖杯戦争の『枠組み』そのものを侵すような不吉な気配だ。
あれは『英霊』の召喚というよりは…世界の隙間から異物が滲み出てきたような歪みだな」
「異物……?」
凛が息を呑んだ瞬間――
「――ふぅッ!?」
バーサーカーの刃を受け止めていたセイバーが、鋭い呼気を漏らしてわずかに体勢を崩した。
彼女の美しい緑の瞳が一瞬だけ細められ戦場の反対側、未遠川の方角へと向けられる。
(この気配は…何なのですかっ...聖杯の加護を受けぬ、歪んだ『影』のような……)
サーヴァントとしての直感が、遠方で生まれた「あり得ざる8人目の存在」に警鐘を鳴らしていた。
だが――
「どうしたのセイバー!集中しないと、バーサーカーに一瞬で潰されちゃうわよ!」
幼い少女――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの鈴を転がすような高笑いが響く。
直後、空気を切り裂いて迫るバーサーカーの大剣。
「――くっ……!」
セイバーは意識を強制的に目の前の死闘へと引き戻し、再び見えない剣を振り上げた。
(今は……目の前の敵に集中するしかありません……!ですが……あの街の向こうで、一体何が起きようとしているというのですか……!?)
凛も、アーチャーも、セイバーも。
遠くで生まれた「余計なノイズ」「8人目の異常事態」の存在を、確かにその肌で感じ取っていた。
けれど彼らにはそれを確かめに行く余裕など、一秒たりとも与えられていない。
目の前の怪物から生き残るために、彼らは命を燃やさなければならなかったからだ。
彼らが血を流しながら夜の坂道で抗っていたまさにその同じ刻。
冬木の街の片隅では、ただの女子高生に過ぎない東雲絵名が、漆黒のサーヴァントの手を握りしめ、自分たちの「生き残り」を賭けた最初の一歩を踏み出していたのだった。
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