おかしなコト
ハリーにとって、誕生日というものはあまり意味のある日ではなかった。プレゼントをもらう日ではない、祝ってもらう日でもない。少なくともダーズリー家においては。
だから十一歳の誕生日が近づいていることにも、ハリー自身はそれほど関心を払っていなかった。カレンダーの日付を見れば、自分が十一歳になることくらいは分かる。
だが、それだけだ。
むしろ彼が気にしていたのは、物置の奥に隠してある小さな箱だった。中には拾い集めた金属片やネジ、古い時計の歯車、壊れたラジオから取り出した部品などが詰め込まれている。
ハリーにとっては宝物だった。使えないものを集めているのではない、いつか使えるものを集めているのだ。壊れた時計を分解し歯車の組み合わせを変える。
ラジオの配線を繋ぎ直してダーノンの古い工具を借り、金属片を削る。
そうしているときだけは自分がダーズリー家の厄介者だということを忘れられた。何かを作って何かを直す。昨日まで動かなかったものがほんの少しの工夫で動き出す。
その瞬間が好きだった。
なぜ自分がこんなことを好きなのかハリーには分からない。ただ、手を動かしていると落ち着いた。
そして時々、頭の中に妙な感覚が浮かぶ。
――もっと上手くできる。
――こうしたら、もっと面白い。
そんな声が自分の中から聞こえてくる。それは血筋なのだと後になって知ることになる。
だがこの頃のハリーには知る由もなかった。ハリーの誕生日の少し前。ダーズリー家では、大きな話題が一つあった。
「ダドリー!」
ペチュニアの声が家中に響く。
「今日は何をする日だったか覚えているでしょうね?」
「動物園!」
ダドリーが叫んだ。ハリーは階段の途中に立っていた。
動物園。
その言葉を聞いてほんの少しだけ胸が弾んだ。ハリーは動物園に行ったことがない。写真で見たことならある。学校の図書館で本を読んだこともある。だからできれば行ってみたかった。
けれど――
「ハリーはどうする?」
ペチュニアが言った。ダーノンが眉をひそめる。
「置いていくわけにはいかんだろ?」
「でも……」
ペチュニアはハリーを見た。
緑の瞳。リリーと同じ瞳。
ほんの一瞬、表情が曇る。
「連れていけばいいじゃないか」
ダーノンが吐き捨てるように言った。
「ただし、余計なことはするな。分かったな?」
「分かった」
僕は素直にそう答えた。
ダドリーが不満そうに唇を尖らせる。
「ハリーなんか連れて行きたくない」
「ダドリー」
ペチュニアが窘めた。
「今日はあなたの誕生日なんだから、我慢しなさい」
「……ちぇっ」
ハリーは何も言わなかった。ダドリーに嫌われていることは、今さら気にしていない。むしろ不思議なのは、そんなダドリーが時々、自分のところへ来ることだった。
壊れた玩具や動かなくなったゲーム機、外れてしまった自転車の部品。そんなものを持ってきて、
「ハリー、これ直せ」
と言う。命令口調ではある。けれど直らなかったときに泣きそうな顔をするのも知っている。だからハリーは直す、理由は、自分でもよく分からない。
ただ――
泣きそうな人間を見るのは、好きではなかった。
動物園に着くとダドリーは大喜びだった。巨大な象。
騒々しい猿。色鮮やかな鳥。ハリーも夢中になって見て回った。家ではほとんど味わえない感覚だった。世界にはこんなにたくさんの生き物がいる。そんな当たり前のことがハリーには新鮮だった。
やがて一行は爬虫類館へ入った、薄暗い室内。ガラス越しにさまざまな蛇が展示されている。ハリーは足を止めた。
大きな蛇だった。
木の枝に身体を巻きつけほとんど動かない。その向かいには小さな説明板がある。
ブラジル。熱帯雨林。 大型の蛇。
なるほど、とハリーは思った。蛇は嫌いではなかった。
むしろ少し羨ましいと思った。自分たちとは違う場所で生きている。狭い箱のような家に閉じ込められることもなく好きな場所へ行ける。
もちろん、ここではガラスの向こう側だが。
「こいつ、ずっと動かないぞ」
ダドリーが言った。
「寝てるんじゃない?」
「つまんねえ」
ダドリーは周囲を見回した。
「他に面白いのないのか?」
ハリーは蛇から目を離さなかった。
すると――
蛇の目が動いた。ハリーと視線が合った、ほんの一瞬。
ハリーは首を傾げた、蛇がこちらを見ている。
妙な感覚だった。怖くない。むしろどこか当然だと考えた。
「こんにちは」
ハリーは小さな声で言った。当然、返事などあるはずがない。
だが――
蛇の頭が、わずかに持ち上がった。ハリーは目を見開いた。
「聞こえるの?」
蛇は舌を出した。しゅるり、と音がする。次の瞬間ハリーの頭の中に意味が流れ込んできた。言葉ではないが…けれど、何を言いたいのか分かる。
――ここは暑い。
ハリーは瞬きをした。
「暑いの?」
蛇がゆっくりと頭を動かした。
――ずっとここ。
――外に出たい。
ハリーの胸が妙に痛んだ。
「分かるよ」
思わずそう答えていた。自分でもなぜそんなことを言ったのか分からない。
「僕も、外に出たいときがある」
蛇はじっとハリーを見つめた。
――お前も閉じ込められている?
ハリーは少し考えた。
「……まあ、そんな感じ」
蛇の目が細くなる。
――変な子。
「よく言われる」
ハリーは笑った。そのときだった。
「ハリー!」
ダドリーの声が響いた。振り返るとダドリーがガラスの前に立っていた。
「何してるんだよ!」
「蛇と話してた」
「は?」
「こいつ、ここから出たいんだって」
ダドリーが大声で笑った。
「蛇がしゃべるわけないだろ!」
「でも――」
「嘘つくな!」
ダドリーはハリーの肩を押した。よろめいて倒れそうになる。
そして――ガラスの向こうの蛇を見た。蛇がこちらを見ている。その目に奇妙な苛立ちが宿っていた。
次の瞬間ガラスが消えた。ハリーは目を見開いた。そこにはもう透明な壁はなかった。蛇がゆっくりと身体を伸ばす。観客の一人が悲鳴を上げた。
「うわあああ!」
ダドリーが叫んで柵に寄りかかり消えたガラスの向こう側へと落っこちた。
「蛇が出た!」
周囲が一斉に騒ぎ始める、ハリーは呆然と立っていた、
自分が何をしたのか分からない。ただ蛇がこちらを見ている。そして頭の中に声が響いた。
――ありがとう。
蛇は床を滑っていった。僕はその後ろ姿を見つめた。
「……どういたしまして?」
呟いた瞬間。
「ハリー!」
ダーノンの怒鳴り声が、館内に響き渡った。ハリーは肩を竦めた。どうやら今日も、家に帰ってから長い説教を受けることになりそうだった。それでも胸の奥には奇妙な高揚感が残っていた。自分にはまだ知らない何かがある。そんな気がしていた。