東方三重殺 ~Take me out to the Barrage Game 作:akadashi
Take me out with the crowd. (観客席へ連れてって)
Buy me some peanuts and Cracker Jack, (ピーナッツとクラッカージャックも買ってね)
I don't care if I never get back. (家に帰れなくったってかまわない)
『スナイダーズは11日、樫田景都外野手(24)に戦力外を通告した。樫田は来月の12球団合同トライアウトに参加せず、このまま任意引退選手となる見通し。
樫田は2007年、ドラフト5位でスナイダーズに入団。持ち前の脚力でレギュラーを目指したが、怪我なども重なり一軍での出場はなかった。
今季はイースタンで31試合に出場し、打率2割4分1厘、0本塁打、9打点の成績を残していた。(毎日スポーツ担当記者 徳澤信士)』
掴める。
あと少し、手を伸ばせば、捕まえられる。
けれど、指の隙間から逃げていく。
諦めず、手を目一杯伸ばす。
けれど、もう少しで届かない。
負けずに、もう一度、手を伸ばす――。
影も形も見えない、『それ』を掴み取るために。
そして、掴み取った『それ』を、できるだけ長く、持つ為に。
今日も僕は、無為な時間を過ごす。
乾いたバットの音が響く、せせこましい球場の中で。
人生には、無数の分岐点があるのだと思う。
耄碌した老人でも、今を楽しむ学生でも、社会に生きるサラリーマンでも、家に留まる専業主婦でも。
彼らは、彼女らは、自分自身で分岐を選択し、生きている。そして、その分岐が正しかったことなのか、それとも間違ったことなのかを知らずに、死んでいく。
プロ野球選手。
僕は――樫田景都は、数えきれないほどの分岐と、そちらに進むのに乗り越えなければならない壁を乗り越え、今の職業に就いている。
年俸は六百五十万円。世間一般の考え方では充分かも知れないこの年収も、この世界では下の下だ――実際僕は、それに見合うほどの成績すらも残せていない。
二十四歳。プロの世界に飛び込んで、もう六年が経過しようとしている。
あと半月もすれば、六年目のオフへ、そして七年目のキャンプへと突入する。
六年。
これを長いと感じるか、それとも短いと感じるか――個人差はあるだろうが、大抵の人は相当長い時間だと感じるだろう。当然である。生まれ出たばかりの――ふと力を入れれば壊れてしまいそうな、そんな儚い存在である――赤ん坊でさえ、六年も経てば小学校に入学し、自立の一歩を歩む。さらに六年経つと、小学校は卒業して中学生。人間としての完成が磨かれる、成長の時期である。そうして、更に六年経つと――高校を卒業し、大人への第一歩を踏み出すことになる。
赤ん坊が大人へと成長する過程の、三分の一。
つまりは、六年間。
僕は一度たりとも、一軍の試合に出たことはない。
更に言えば、一度たりとも一軍に呼ばれたことはない。
六年もの間。
僕はこの、狭い二軍球場で、時間を無為に費やしていた。
……いつ、気付いたのだろうか。
いくら手を伸ばしても、届きやしないのだ、と。
僕が――いや、全ての野球選手が追い求める『それ』は。
姿が見えてこない。
僕が『それ』を掴み、一軍で活躍する姿が。
音が聞こえてこない。
球場に詰めかけた、ファンの大歓声が。
味が伝わってこない。
苦心の末にもぎ取った、勝利の味が。
僕はもう、プロ野球という世界を客観的に見れてしまうまで、堕落してしまった。
夢の世界に飛び込んだはずが。
夢の世界に入りきれなかった。
「樫田君」
その末路は。
夢を見きれず――現実の方に、逃避してしまった者の末路は。
「残念だが、球団は来年、君と契約を交わさないことを決めた」
戦力外通告。
――有り体に言えば、クビである。
かくして僕は、七年目のキャンプへと突入することもなく。
プロ野球界を去ることになったのだ。
僕は、分岐点で誤った選択をしてしまったのだろうか。
とすればその分岐点はどこだろう。
甲子園に出場した時だろうか。
中学の全国大会で活躍した時だろうか。
シニア・リーグで日本代表に選ばれた時だろうか。
初めてグローブを買ってもらった時?
初めてバットを振った日?
初めて野球をテレビで見た日?
――そんなものを知っても、今はもう、どうにもならない。
二軍で腐り、前に進むことを諦め、腕を伸ばすことを止めた時点で。
こうなることは、明白だったのだ。
「……いざ受けてみると、しんどい、な」
泣き言を漏らす。
道がないわけではなかった。これから先、どこかの球団が僕を獲得してくれるかも知れない。そうなったら僕は、晴れて夢の――今となっては悪夢のようだけれど――続きを見ることが出来る。これから何度か行われるトライアウトで結果を残せば、そうなる可能性もぐんと上がる。
けれど、僕はもう限界だった。
夢を見続けるには、現実を知りすぎてしまった。
腕を伸ばし続けても、報われないことを、知ってしまった。
トライアウトでいくら活躍をしようとも。
実績ゼロの僕を獲得する球団など、あるはずもないのだ。
街頭TVでは、就職率の低下が叫ばれている。氷河期なんてあってなかったようなものである僕には、そのリアルな数字と図星を付いた評論家の意見が、もはや他人事ではないもののように思えた。実際そうなのだから、当たり前だろう。元プロ野球選手なんて肩書き、社会に出ればうまくやらない限り役に立ちそうにもない。そもそもそのネームバリューを利用する程の価値がない。もう一花どころか、ずっと種のまま地面に埋まっていた花の名前が知られているはずがないからだ。
僕は一つ、溜息をついて俯いた。
――眼前に乗用車が来ていることにも気付かずに。
「は」
眼を向ける。白い車が、僕目がけて猛スピードで向かって来ていた。
けたたましく鳴るクラクションの音に、周囲の喧騒が一層大きくなった気がした。
このままだと轢かれる、避けなければ。僕は身体を横に投げ出そうとする――。
避けなければ、なんだ?
避けたところで、僕を待っているのは、暗い現実だけじゃないのか?
このまま轢かれたら、きっと入院するだろう。最悪命を落とす。野球だってしばらくは出来ない、いや二度と――。
二度と出来なくて、それが、何だというのだろう。
僕は迫り来る乗用車を目の前にして、身体を動かせなかった。
いや、動かさなかった。
「もう、いいんだ」
人事のように呟き、それに少し遅れて。
ボンネットを揺らした音が、耳に届いて。
僕の意識が無くなった。
目を覚ます。上体を起こす。
辺りはやけに薄暗い。何だここは、僕は車に轢かれたんじゃ――。
「あら。起きたのね」
ふ、と聞こえてくる声。
声の主である少女は、脚組をしながら椅子に座り、僕の眼前で微笑を浮かべていた。
「ええと」
「私の名前は古明地さとり。此処、地霊殿の主よ」
言おうとしていたことを先に言われ、面食らう。僕はつい、読心術でもあるのだろうか、と疑ってしまった。
「あら。よくわかったわね」
「…………?」
「お察しのとおり、私は他人の心を読める。勘が良いのね、自分でもそう思うでしょう」
「は、はぁ」
……いきなりそんなことを言われ、戸惑いながらも頷くしか無い僕。そんな僕を見て、少女――古明地さとりは「ふふっ」と笑い声を漏らし、
「具合はどうかしら?貴方、いつの間にか私の部屋で倒れていて……あの時は吃驚したわ」
「え?」
話を聞き、思わず声を上げる。ここで倒れていたって、僕は街で車に轢かれて――。
「あぁ、そう。貴方、『外来人』ね」
「……外来、人」
助っ人外人、みたいな?どうしてそんな扱いになっているんだ――と、いうか。
「一つだけ、聞きたいことがあるんだけど……」
「えぇ、どうぞ」
「ここは……一体、どこなんだ?」
その問いに、少女は目尻をつい、と上げてから、言った。
「ここは幻想郷」
――貴方の大好きな野球とやらが、全く知られて居ない場所、よ。
「……紫様、一体何をしているのですか?」
「藍。貴方、野球は知っているかしら」
「は……や、野球、ですか。まあ、どのようなスポーツか、ということは、一応知識としては」
「そう。ならいいわ」
「はあ……ところで紫様」
「なぁに?」
「いえ、先程からずっと、スキマの中を覗いているので……何かあるのですか?」
「風よ」
「……風?」
「近々、幻想郷に風が吹くわ。というよりは、風を『吹かせる』といった方が正しいかしら?」
「……言っている意味は、理解しかねますが」
「楽しくなりそうでしょう?」
「ええ。まあ、少々」
「それでこそ、私の式紙よ」
東方三重殺 ~Take me out to the Barrage Game
その時だったのだろう。
僕の止まっていた時間が、動き出したのは。
ゆっくりと、ゆっくりと、物語は紡ぎ出される。
プレイ・ボールの掛け声とともに。