私のことは親しみを込めて鬼龍院さんと呼びなさい 作:みみみみm
オレ、綾小路清隆は普通じゃない。
普通というものをいっさい知らないオレ自身であっても、その事実だけは簡単に分かってしまう。
この世に生まれ落ちた理由。
この学校に入る以前にいた環境。
そして、己の持っている常人離れした能力。
それらすべて。
オレを構成する数多のモノが、オレのことをどこにでもいるような一般的存在ではないと告げている。
どうしてそうなってしまったのか。
それを考えようとすれば、オレの脳裏には決まって一つの景色が映し出される。
どこまでも真っ白な壁。
時間の感覚すら曖昧になるほど均一な照明。
オレと同じ年代であろう子どもたちが、だんだんと消えていく部屋。
昨日まで隣にいた人間が、次の日にはいなくなっている。
それが何を意味しているのか、当時のオレは深く考えなかった。
考える必要がなかった、と言ったほうが正しいのかもしれない。
求められる結果を出せなくなった者は消えていく。
ただ、それだけだった。
齢二桁にも満たない子どもに行わせるべきとは思えない、どこまでも過酷な軍事訓練のごとき教育。
肉体の限界を測り、精神の限界を測り、知能の限界を測る。
そして限界を迎えた者から順番に切り捨てられていく。
感情を持つことすら、あの場所では一つの弱点になった。
泣くことも。
怒ることも。
誰かを憎むことも。
誰かに助けを求めることも。
必要なければ、捨てればいい。
そうやって余計なものを削ぎ落としていった先に、何が残るのか。
その答えとして存在していたのが、オレだった。
その名は、天才を人工的に作り出すために作られた閉鎖的教育施設───ホワイトルーム。
かの機関の教育で最後の最後まで残っていたオレは、ホワイトルームの最高傑作と呼ばれることになった。
“最高傑作”。
大層な呼び名だと思う。
だが、オレ自身はその言葉に特別な感慨を抱いたことがない。
何故なら、それがオレの価値を証明するものではなく、ただ単に「あの環境に最後まで適応できた」という結果を示しているだけだからだ。
そして、適応してしまった以上、オレには次の課題が必要だった。
敗北を最後に教えられたのは、どれくらい前だったか。
正確には覚えていない。
覚えておく必要もなかった。
オレを葬れそうな可能性を持っている相手には出会えなくなった。
辛酸を舐めさせられることも。
危機感を感じることも。
自分の判断を疑うことも。
いつの間にか、そういった経験から遠ざかっていた。
勝つ。
生き残る。
適応する。
ただ、それだけを繰り返してきた。
だからこそ、高度育成高等学校への入学が決まったときも、大きな期待はしていなかった。
どうせ学校というものに通ったところで、この事実が変わることはないだろう。
そう心のどこかでは思いつつ、オレは高度育成高等学校の門をくぐった。
自由。
青春。
友情。
恋愛。
世間一般では、そういったものを経験する場所らしい。
オレには、それらがどういうものなのか、未だによく分からない。
ただ、これまでとは違う環境であることだけは理解していた。
そして───結論から言おう。
二人、見つかった。
片や、同じ学年の同じクラスに在籍しているクラスメイト。
第一印象からして、普通ではなかった。
だが、その人間はあまりにも自由奔放な性格をしていた。
他人からどう見られるか。
自分がどう評価されるか。
そんなものをほとんど気にしていない。
能力だけを見れば、間違いなくオレと同じ領域に足を踏み入れている。
それでも、よほどのことがない限り、戦うことはないだろう。
理由は単純だ。
本人に、他者を打ち負かすことへの執着が───というよりかは、他者への興味がほとんどない。
強さを持っている人間が、必ずしも強さを振りかざすとは限らない。
そういう意味では、あの人間は少し特殊だった。
だからこそ、そこまでの興味が湧くことはなかった。
問題は――もう一人のほうだ。
彼女を初めて見た瞬間。
オレは自身の知っている世界が、音もなくひっくり返されるような錯覚に陥った。
最初は、ただの直感だった。
人間を見て、これほど明確な違和感を覚えたことはない。
何かがおかしい。
何がおかしいのか。
その時点では、オレにも説明できなかった。
表情。
姿勢。
視線。
呼吸。
歩幅。
周囲に対する注意の向け方。
一つ一つを観察していく。
どれも普通に見える。
それなのに。
何故か、視線を外すことができなかった。
いや。
正確には、外すべきではないと判断していた。
まるで、目の前にいる存在を一瞬でも見失えば、次の瞬間には自分の首元に刃物を突きつけられている。
そんな、根拠のない警戒心。
今までの経験から言えば、こういう感覚は無視しないほうがいい。
オレの直感は、これまで何度も命を救ってきた。
そして同時に、オレは一つの事実に気づいた。
彼女は、オレを見ていた。
ただ見ていたわけではない。
観察していた。
オレという人間を。
表面的な言動ではない。
もっと深いところ。
立ち方。
重心。
視線の動き。
周囲への反応。
おそらく、オレが意識的に隠している部分まで。
まるで、オレという人間を一枚ずつ剥がしていくように。
その瞬間。
ほんの僅かだが、背筋に冷たいものが走った。
不快感ではない。
恐怖でもない。
それに近い何か。
――警戒。
それが最も近い表現だった。
オレはこれまで、他人から観察される側ではなく、観察する側だった。
相手の癖。
思考。
行動原理。
感情の揺れ。
そういったものを読み取り、次に何をするのかを予測する。
必要なら誘導し、必要なら利用する。
それがオレにとっては当たり前だった。
だが、彼女にはそれが通用しない。
少なくとも、今までのやり方では。
そんな感覚を覚えた。
それが、どうしようもなく異常だった。
今までにしてきたオレの果てしない学習も、適応も。
身体能力を鍛えた時間も。
知識を詰め込んだ時間も。
あらゆる状況を想定してきた経験も。
すべてが塵芥に等しい。
そんな狂気を、彼女は何でもない顔でまとっていた。
そして、その怪物の名を────
鬼龍院楓花という。
名前を知ったところで、何かが変わるわけではない。
むしろ、分からないことが増えただけだった。
何故、あれほどの能力を持っているのか。
どこで身につけたのか。
何を目的として、この学校にいるのか。
そして何より───
彼女は、一体どこまで強いのか。
オレは初めて、自分から知りたいと思った。
それは好奇心だったのかもしれない。
あるいは、もっと単純なものだったのかもしれない。
自分と同じ場所に立つ人間がいる。
いや。
もしかすると、自分よりも上にいる人間がいる。
その可能性を、確かめたかった。
もちろん、すぐに戦うつもりはない。
そんなことをすれば、周囲から余計な注目を集める。
それに、今の段階では情報が少なすぎる。
相手の能力も。
性格も。
戦い方も。
何一つとして分かっていない。
分からない相手に対して不用意に手を出すのは、合理的とは言えない。
だからオレは、いつも通りに振る舞う。
何も知らない生徒として。
何の力も持たない人間として。
ただ、静かに彼女を観察する。
鬼龍院楓花。
この学校に入学して、初めて見つけた「理解できない存在」。
そして───
オレが長い間忘れていた感覚を、初めて思い出させた人間。
それが、彼女だった。
敗北する可能性。
それを考えただけで、胸の奥に僅かな変化が生まれる。
恐怖ではない。
むしろ逆だ。
今まで止まっていた何かが、ほんの少しだけ動き始めたような感覚。
もし彼女が、本当にオレの想像通りの怪物なのだとしたら。
もし、オレの持っているすべてを真正面からぶつけても届かないような存在なのだとしたら。
そのとき、オレはどうするのだろう。
逃げるのか。
利用するのか。
それとも───戦うのか。
まだ答えは出ていない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
高度育成高等学校に来た意味を、初めて見つけた。
少なくとも今のオレにとっては、それだけで十分だった。