深夜二時、いつもの防波堤。
「よっ……と」
元サラリーマンの釣りバカ中年、佐藤剛(54歳)は、愛用の磯竿にしなりを感じて笑みを浮かべた。根掛かりとは違う、ジワジワとした重み。大物のアオリイカか、あるいは巨大なタコか。
じっくりとタモ網を差し入れ、夜の海から引き揚げたのは——魚でもイカでもなく、怪しく蒼く光るサッカーボール大の半透明な結晶だった。
『……マスターノ 認証ヲ 完了。ダンジョンコア・No.0894、起動シマス』
「……は?」
頭の中に直接響く合成音。次の瞬間、防波堤に立っていたはずの剛は、見渡す限り何もない「真っ白な洞窟空間」へと転移させられていた。
ダンジョンコアの説明は要約するとこうだった。
「自分を拡張・発展させ、侵入者(冒険者)を引き寄せ、彼らがもたらす活力を吸い上げて維持する存在」であると。
普通なら「ダンジョンマスターになって魔物を配置し、冒険者を撃退せよ!」となるところだが、剛の思考は全く別のベクトルへと超速で旋回していた。
「……なぁコア。ここ、水張り放題か?」
『肯定。魔力(DP)ヲ 消費シ、水質・地形・生態系ヲ 自在ニ 設定可能です』
「よっしゃあ!!!」
剛の目が輝いた。
社畜時代、夢にまで見た「理想の釣り堀」を自分の手でゼロから作れるのだ。魔王城? 罠? 知るか! 釣りができればそれでいい!
こうして、世界で唯一の「フィッシングダンジョン」が開業することになった。
第1階層:【初心者向け】のどかな汽水湖とハゼ・シーバス
「ようこそ、ダンジョン『太公望の庭』へ!」
冒険者ギルドからの依頼で調査に訪れた新米パーティ「銀の剣」の面々は、眼前に広がる光景に呆然としていた。
暗くドロドロした魔物の巣窟を覚悟していたのに、そこにあったのは、爽やかな風が吹き抜ける美しい汽水湖と、木造の売店。そして麦わら帽子に釣り竿を担いだ笑顔のおじさん(剛)だった。
「あの……ここ、ダンジョンですよね? 凶悪なモンスターは……?」
「ん? ああ、水の中にいっぱいいるぞ。ほら、竿貸してやるから投げてみな」
剛に強引に釣り竿を持たされた新米剣士が、半信半疑で仕掛けを投げ込む。
数秒後——ガンガンッ!
「うわっ!? なんだこの強烈な引きは!?」
「竿を立てろ! 糸をゆるめるな! リールを巻くんだ!」
熱血指導のもと引き揚げたのは、体長50センチを超える黄金色に輝く「ジャイアント・ハゼ(魔物)」。
持ち帰って塩焼きにすると、あまりの旨味と魔力回復効果に冒険者たちは歓喜した。
システム: 冒険者が釣りを楽しみ、魚を持ち帰る(DP獲得&売店収入) 剛の収益: 冒険者が買う餌代・仕掛け代・ビール代
ダンジョン内は「釣りバトル」の熱気で包まれ、いつしか危険な戦いを嫌う冒険者や休日の騎士たちの憩いの場となっていた。
第2階層:【激流】清流の女王・ダンジョンアユとヤマメ
階層が進むごとに、剛のこだわりは炸裂していった。
第2階層に作られたのは、清らかな激流が流れる美しい山谷。
ここでは、仕掛けを流してアタリを待つ「友釣り」や、虫に見立てた毛鉤を振る「フライフィッシング」が楽しめる。
「ここは糸の太さが命だ。細すぎればモンスターのパワーで切られるし、太すぎれば見切られる……」
剛自慢の「シャドウ・ヤマメ」は、水面を叩くフライ(毛鉤)に豪快にアタックしてくる。引きの強さと食味の素晴らしさにハマった高級貴族や魔法使い達が、マイ釣竿を抱えて連日大押し寄せた。
第3階層:【ロマンの怪物】黒潮たゆたう外洋と大物ジギング
そして剛が最も力を入れたのが第3階層。
見渡す限りの群青色の海。波が打ち寄せる切り立った磯場と、剛が自作した船(魔力駆動)で行くオフショアエリアだ。
ここで狙うのは、体長2メートルを超える「ドラゴン・カンパチ」や、時速100キロで海底に突っ込む「カイザー・ヒラマサ」。
「いいかお前ら! 根に潜られたら一発でラインブレイク(糸切れ)だ! 体重を乗せてゴリ巻きしろ!」
大物と命がけの力比べ(ファイト)ができるとあって、腕に覚えのあるSランク冒険者や剛力のドワーフたちが大狂乱。
「魔王討伐より熱い!!」と、武器を釣り竿に持ち替えた戦士たちが、毎日筋肉痛になりながら大物を追いかけ回した。
エピローグ:世界最強の(釣り)ダンジョン
いつしか、剛のダンジョンは世界最高峰の娯楽施設となってしまった。
ダンジョンコアは潤沢すぎるDP(冒険者たちの興奮と歓喜のエネルギー)で超進化を遂げ、剛は「釣り神」として冒険者たちから崇められている。
「マスター、第4階層の拡張設計が完了しました。次はどのような水域にしますか?」
『うーん……深海ゾーンを作って、光る巨大イカのティップラン(イカ釣り)でもやらせてみるか。あ、あと居酒屋エリアのカウンター席を増設しておいてくれ』
「了解いたしました」
今日もダンジョンの受付には、竿を手にした冒険者たちの長い行列ができている。
麦わら帽子のおじさんは、冷えた缶ビールをプシュッと開け、満足そうに大海原を眺めるのだった。