嘘つき夫の処刑日~妻を悪妻に仕立てたイクメン夫の末路~   作:桐山さくらこ

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優しい夫の育児日記

陽介は、ごく普通の優しい夫だった。

 

 4年前、1人目の娘が生まれた日。

 

 産院のベッドで、汗だくの私の手を握って陽介はぼろぼろ泣いてた。

 

「美穂、お疲れ様」

 

「可愛い名前、2人で一生懸命考えようね」

 

 そう言って泣いたあと陽介は、生まれたばかりの娘を抱く自分の写真を何枚も、何枚も私に撮らせた。

 

「会社のみんなに見せたいんだ」

 

「俺、今日からイクメンだから」

 

 初めての子供が生まれて、よっぽど嬉しいんだろうな。

 

 そのときの私は、そう思ってた。

 

 夜中の授乳で眠れない私の代わりに朝5時に起きて、静かにミルクを作ってくれたりお互いに協力して育児をこなす。

 

 どこにでもある、普通の幸せな家庭だったと思う。

 

 でも、私が2人目を妊娠して、安定期に入った頃、陽介が急に、海外のドラマやアニメにどハマりし始めたの夜な夜なスマホで、字幕付きの海外ドラマを観てて気づいたら、リビングの本棚にも、洋画のDVDが増えてた。

 

「美穂も観なよ、めちゃくちゃカッコいいから」

 

 そう言われて、何度か一緒に観たこともあったんだけど。

 

 正直、私にはよくわからない世界観だった。

 

 ある夜、陽介が突然、真顔でこう言い出した。

 

「次の子供の名前だけど」

 

「男なら『騎士(ナイト)』」

 

「女なら『聖母(マリア)』がいい」

 

「これからはグローバルな時代だし」

 

「目立つ名前じゃないと、将来イジメられるぞ」

 

 正直、ドン引きした。

 

 背筋に、変な汗がにじんだ。

 

「そんな痛い名前、子供が大人になったときに恥をかくだけだから絶対に嫌」

 

「普通に誰でも読めて、落ち着いた名前にしよう」

 

 私がバッサリ却下した瞬間、陽介の顔が、見たことないくらい不機嫌に歪んで舌打ちが、リビングに響いた。

 

「チッ!お前は本当にセンスが古いなぁ」

 

「昭和の化石かよ!」

 

 その日から、陽介の私への態度に、トゲが混じるようになった。

 

 上の子とテレビを見ていたとき。

 

 仕事から帰ってきた陽介が、鼻で笑いながら通り過ぎた。

 

「ほんと、お前が選ぶ番組ってどれもこれも古臭いよな~」

 

「そんな化石みたいなのばっかり見せてるから、子供の感性が死ぬんだよ」

 

「……子供がこれ見たいって言ったから」

 

 私が小さく反論すると、陽介はスマホを持ったまま、心底呆れたようにため息をついた。

 

「あー始まった、ちょっと意見しただけで被害妄想w」

 

「これだから昭和脳の人間と話すのは疲れるわ」

 

 私が買ってきた上の子の洋服を見たときには、陽介は、それを指先でつまんで放り投げた。

 

「なにこれ、ダサ。美穂が選ぶものって、なんでこうセンスがないわけ?」

 

「やっぱり名前に変なこだわり持つ奴は、選ぶものも芋臭いな」

 

「服のセンス、名前と関係ないでしょ」

 

 陽介が言った。

 

「関係大あり。お前がセンスないから、子供までダサくなるんだよ」

 

「まともな感覚を育てられないなら、これからは全部俺が選ぶからな」

 

 私は陽介の言葉に傷つきながらも(そのうち、目が覚めるよね……)

 

 そう思って、深く考えずに流してしまってた。

 

 しかし、これがすべての始まりだったなんて、この時はまだ知らなかったんだ。

 

 数日後、地元の親友、さやかとランチに行った。

 

 駅前の、いつものイタリアンのお店。

 

 さやかは、私より一足先に2人目を産んでて育児の先輩として、いつも頼りにしてたんだよね。

 

 ナポリタンを口に運びながら、軽い気持ちで名前の話をしたら。

 

 さやかのフォークが、ピタッと止まった。

 

「はぁ!? 騎士に聖母!?」

 

「美穂の旦那、正気なの?」

 

「子供の人生なんだと思ってるわけ?」

 

「美穂、絶対に妥協しちゃダメだよ」

 

「うちも子供の名前を話してたとき」

 

「義母の『じゃあ、さやかさんに決めてもらえば』って一発で折れたよ」

 

「二人で納得できる名前がいいよね」

 

 さやかは昔からこうなの私のことになると、自分のこと以上に怒ってくれる。

 

 その親身さが、本当に心強かったんだよね。

 

 でもここから、陽介の行動が、急に奇妙になっていった。

 

「美穂は妊婦なんだから、寝てろよ」

 

「俺が家事も、上の子の面倒も、全部やるから」

 

 急に優しい夫に変わったんだ。

 

 (あれ、もしかして、名前のこと反省してくれたのかな)

 

 そう思ったのも、束の間。

 

 ある日、上の子がおもちゃを少し散らかしただけで陽介は、冷たい目で私を睨んだ。

 

「ほら、美穂がちゃんと見てないから、部屋が荒れる」

 

「あ、ごめん」

 

 陽介が言った。

 

「俺が片付けるからいいよ。お前は何もしなくて」

 

 言葉は優しい気がするんだけど。

 

 育児から、私を少しずつ排除していったんだよね。

 

 なんだか自分の居場所を取られていく感覚があったんだけど。

 

 (家事も育児も代わりにやってくれてるんだし、贅沢言っちゃダメだよね)

 

 そうやって、また自分を納得させた。

 

 それから数日後夕飯の支度をしようとキッチンに立つと陽介がすっと割り込んできた。

 

「あ、それも俺がやるから」

 

「美穂は座ってて」

 

 優しい言葉なのになぜか、有無を言わせない圧があった。

 

 (よかれと思ってやってくれてるんだよね、きっと)

 

 そう思い込もうとしたんだ…

 

 週末、上の子をお風呂に入れようとしたら。

 

 陽介が、当然のように先に浴室へ向かった。

 

「美穂はもう休んでて」

 

「俺がやるから」

 

 寝かしつけの時間も、同じだった。

 

「美穂はゆっくりしてて」

 

「俺がやるから」

 

 気づけば、家事も、育児も、ほとんど陽介がやるようになってた。

 

 なのに、何かがおかしい…

 

 陽介は、家事をするたびにスマホでカレンダーやノートに、細かくメモを取って写真を、パシャパシャ撮影してるの。

 

「何それ、メモ?」って聞いたら

 

「育児日記だよ、思い出に残しておきたいから」

 

 って、にっこり笑って答えた。

 

 でも、その笑顔が、なぜか、ちょっと怖かった。

 

 不審に思って、もう一度、さやかに相談した。

 

「それ、絶対に裏があるよ」

 

「もしかして、美穂が家事育児を放棄してる証拠を集めてるんじゃない?」

 

「それはちょっと考え過ぎだよ」

 

 さやかが言った。

 

「いいから、ちょっと私に任せて!」

 

「あいつの行動、裏で調べてあげるから」

 

 さやかは、そう言うと平日に有給を取って、陽介の行動を尾行してくれたんだ。

 

 正直、申し訳なさと心強さが、半分半分だったな。

 

 ある日、さやかから1本の激震の連絡が入った。

 

「美穂、やっぱり旦那、黒だったよ」

 

「若い女とファミレスで会ってる」

 

 心臓が、ドクンと跳ねた。

 

 さやかは、陽介が若い女とベビー用品のカタログを見ながら。

 

 ニヤニヤしてるのを目撃してさりげなく後ろの席に座って、スマホの録音を起動してくれたらしい。

 

 さやかが言った。

 

「めちゃくちゃ怖かったよ、心臓バクバクだった」

 

「でも、美穂のためだもん」

 

 LINEで送られてきた音声データを、震える指で再生した。

 

『マジであの古臭い嫁、早く別れたいわ』

 

『名前のセンスもダサいし』

 

『今さ、俺が家事も育児も全部やってるアピールの日記を毎日つけてるんだよね』

 

『共働きなのに嫁は何もしない育児放棄の悪妻ってことにすれば、慰謝料なしで一発で離婚できるからさ』

 

『ってか、逆に慰謝料ぶんどれるかもw』

 

 聞き覚えのない、若い女の甲高い声がした。

 

『すごーい! 陽介、頭いい〜!』

 

『おばさん、騙されてるの気づいてないんだw』

 

『次の子供の名前は絶対に騎士(ナイト)くんにしようね!』

 

『だろ?』

 

『やっぱり果穂は俺のセンスを分かってくれるよなー』

 

 スマホを持つ手が、ガタガタ震えた。

 

 怒りで、息がうまく吸えなかった。

 

 何度も、何度も、その音声を聞き返した。

 

 でも、ここで騒いでしまったら。

 

 どうせ言い逃れされるだけ。

 

「美穂、頭に来るのはわかるけど」

 

「ここはあえて、何も気づいてないフリしよう」

 

「証拠は、私が預かっとくから」

 

 さやかの言葉に、奥歯を噛みしめて頷いた。

 

 裏でさやかと連絡を取り合いながら。

 

 私は、陽介を限界まで泳がせることにした。

 

 でも、ただ待っていたわけじゃない。

 

 さやかに言われて私も、その日からスマホの録音を始めた。

 

 夕飯を作ろうとすれば。

 

『今日は私が作るよ』

 

 陽介が言った。

 

『いいって。余計なことしないで』

 

『俺がやった方が早いから、座ってて』

 

 上の子を保育園へ迎えに行こうとすれば。

 

『体調いいから、今日は私が迎えに行くね』

 

 陽介が言った。

 

『妊婦が無理すんなよ』

 

『倒れられたら俺が迷惑なんだよ』

 

 そんな会話を、日付がわかる形で一つずつ残した。

 

 陽介から届いたLINEも消さずに保存した。

 

『今日も俺が全部やる。お前は何もしなくていい』

 

『保育園には俺が行く。勝手に迎えに行くなよ』

 

 そして私は、陽介に言われた通り。

 

『今日もお願い。体がつらくて何もできない』

 

 と返信した。

 

 陽介が欲しがっている言葉を、あえて送ったんだ。

 

 案の定、陽介はすぐに既読をつけた。

 

 (きっとこの部分だけを、私が何もしなかった証拠として使うつもりなんだ)

 

 そう考えると、悔しくてスマホを握る手が震えた。

 

 それでも私は、何も知らない妻のフリを続けた。




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著者:さくらこ
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