そのラスボス、本業は清掃員です。   作:シラヌイ321

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本作は、旧題「【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です」の内容を見直し、第1話から書き直した再構成版です。


第1話 ヒーローが勝ったので、出勤します

 戦いが終わった現場には、だいたい三種類のごみが落ちている。

 瓦礫と、怪人の残留物と、見物人の飲みかけだ。

 いちばん手強いのは三つ目だと言うと、同業者以外はたいてい笑う。でも本当の話で、瓦礫は重いだけだし、残留物は専用の缶で吸えば片づく。踏まれて乾いたカフェラテだけは、ブラシで何度こすっても輪っかの形に残る。

 

 だから俺は規制線の外で戦闘終了の放送を待ちながら、ずっと紙コップを数えていた。

 七個。看板の陰に、もう一個。

 

『怪人の撃退を確認しました。〈スクリーン〉、勝利です!』

 

 スピーカーの声に、柵の向こうで歓声が上がった。撮影用のドローンが、広場の真ん中に立つ白い装甲のまわりをくるりと一周する。

 〈スクリーン〉。光の板で人を守るヒーローで、本名は相良真白さんという。駅前の現場では何度か一緒になった。清掃で来ただけの俺にまで毎回「お疲れさまです」と頭を下げてくれる、たぶんこの業界でいちばん感じのいい人だ。

 

 係員が柵を開けた。俺は台車を押して広場へ入り、ざっと見回して、頭の中で数字を出す。

 二時間半。駅への通路さえ空けば、あとはどうにでもなる。

 

 その通路が、問題だった。

 

 駅の案内看板が根元から折れて、通路を斜めに塞いでいた。その下に、外れた縁石と大きなコンクリートの塊が折り重なっている。看板が倒れきらないよう、相良さんが片膝をついたまま光の板で支えていた。

 

「相良さん、お疲れさまです。それ、ずっと持ってるんですか」

「三枝さん! よかった。下ろしたいんですけど、裏に黒いのがついてて」

 

 覗き込むと、看板の裏に、赤錆を溶かしたような筋が貼りついていた。怪人の残留物だ。素手で触れば肌がかぶれるし、靴で踏めば駅の中まで連れていくことになる。このまま看板を寝かせたら、下の瓦礫まで全部汚れる。

 

「先に回収します。もう少しだけ、そのままお願いできますか」

「はい。重さは平気です。腕がしびれてきただけで」

 

 それは平気とは言わない気がする。急ごう。

 

 肩にかけた回収缶から管を伸ばし、先端を看板の裏へ差し入れた。錆色の筋が、ずるりと吸い口へ引き込まれていく。缶の重みが、手のひら一枚ぶん増えた。最後の一筋まで取りきって、先端を抜く。

 

「取れました。看板は横に倒して大丈夫です」

 

 光の板が傾き、看板がゆっくりと地面へ寝かされた。

 それで、全部見えた。縁石が三つと、人の胴ほどもあるコンクリートの塊がひとつ。台車には載らない。俺が抱えても、たぶん持ち上がらない。

 

 柵の向こうでは、駅へ行きたい人たちが待っていた。スーツの男性が腕時計を見て、ベビーカーを押した女性が、反対側の長い階段を見上げて小さく首を振った。

 

 仕方ない。

 俺は台車の陰で、作業着の裾をめくった。

 

 腰に巻いているのは、うちの会社の備品じゃない。亡くなった父が使っていた、清掃用の装備だ。父の知人が作ったもので、俺も一通りの操作は教わって、人のいない倉庫で何度か試してある。

 性能に文句はない。

 問題は、音だ。

 

「三枝さん?」

「すみません。ちょっとうるさくなります」

 

 バックルの起動部を押し込み、回した。

 

『AWAKEN』

 

 腹の底を殴るような低い声が、駅前広場いっぱいに鳴り渡った。

 続いて金管が立ち上がり、オルガンが重なる。どこにスピーカーが仕込んであるのか、作った本人に聞いても教えてくれなかった。足元から伸びた光が、俺を中心に大きな輪を描いていく。

 柵の向こうの話し声が、ぴたりと止んだ。

 

『鎧を纏え』

 

 足首から順に、黒い装甲が噛み合っていく。脛、膝、腿。一枚留まるごとに金属音がして、それがいちいち曲の拍に合っている。合わせる必要は、あったんだろうか。

 腰回りが閉じ、胸の前に厚い板が滑り込み、張り出した肩の装甲がそれを両側から押さえた。

 

『力を示せ』

 

 両腕を黒い外殻が走る。指を握ると、手の甲の装甲が連なって低く唸った。

 視界の端に、自分の肩が入る。初めて着た時、これで家の玄関を通れるのか本気で心配した部分だ。結論を言うと、横を向けば通れる。

 

 柵の向こうで、小さな男の子が「かっこいい」と言った。

 隣にいた母親が、その子の肩を自分の方へ引き寄せた。

 

『その手で、道を切り開け』

 

 襟元から装甲がせり上がって頬を覆い、最後に、顔の前で仮面が閉じた。

 一瞬だけ真っ暗になり、すぐに景色が戻ってくる。仮面の内側で、自分の呼吸がやけに近く聞こえた。胸から細い光が走り、肩へ、腕へ、指先へと届く。

 

『降臨』

 

 最後の一音で、背後の光が翼のように大きく開いた。金管が揃って鳴り切り、その余韻が駅舎の壁に跳ね返って消えていく。

 広場に、俺の黒い影が長く伸びた。

 

 拍手はなかった。

 誰も、何も言わなかった。

 

 足元を見ると、相良さんが片膝をついたまま俺を見上げていた。さっきまで看板を支えていた手が、中途半端な高さで止まっている。

 

「……三枝さん、ですよね?」

「はい。聞こえますか」

 

 仮面を通すと、俺の声は自分でも驚くほど低くなる。作った人いわく「仕様」だそうだ。

 相良さんの肩が、びくっと跳ねた。

 

「聞こえます。聞こえますけど。え、これ、清掃の道具って……」

「はい。まず、足元を空けますね」

 

     *

 

 バックルに触れると、手の中に長い柄が収まり、その先に大きな吸入口が組み上がった。

 相良さんが、膝をついたまま半歩さがった。

 

「今度は、何が出るんですか」

「掃除機です」

 

 柵の位置を確かめる。吸入口の向く先に人はいない。端から順に行こう。

 スイッチを入れた瞬間、地面の破片が一斉に震えた。小石が吸い込まれ、縁石がふわりと浮き、最後にあのコンクリートの塊が、一度ためらうように揺れてから吸入口へ消えた。

 

 手前から、舗装が見えてくる。

 気持ちいい。この装備でいちばん好きなのは、正直ここだ。

 

「……それ、入るんですか」

「入ります。俺も最初、同じことを聞きました」

 

 答えになっていない、という顔をされた。俺もそう思う。でも入るものは入るのだから、こちらとしても説明のしようがない。

 

 大物が片づくと、その下から潰れた紙コップが出てきた。こぼれたカフェラテに土埃が貼りつき、くっきりと靴底の模様までついている。

 やっぱり、最後に残るのはこいつだ。

 

 掃除機を収めて、洗浄機に持ち替えた。水で表面を流してから、ノズルの先を半周回す。白い蒸気が細く噴き出し、こびりついた茶色い輪が、端からめくれるように剥がれていった。

 

「蒸気まで出るんですか!?」

「こっちへ回すと、切り替わるんです」

 

 見えやすいように、もう一度手元でやってみせる。

 相良さんはノズルを見て、それから俺の仮面を見上げた。

 

「その格好で、家電の説明みたいに言わないでください!」

 

 だって、ほとんど家電なんです。とは言わなかった。言ったらもっと怒られる気がした。

 

 拭き取りまで終えたところで、相良さんがちり取りを構えたまま立っていることに気づいた。看板を下ろしてから、ずっとそうして待っていたらしい。

 

「先に休んでください。ずっと支えてもらっていたので」

「でも」

「掃き集めるまで、お願いすることがないんです」

 

 相良さんは空のちり取りと、俺の腕を見比べた。

 

「……その姿で言われると、断りづらいですね」

 

 慌てて手を下ろし、台車から水を一本取って渡した。相良さんはようやく通路の脇に腰を下ろし、ふう、と長く息を吐いた。

 

 装甲を解除して、いつもの保護面をつけ直す。残った細かい破片は、普通のほうきで集めた。この量なら、こっちの方が早い。

 休み終えた相良さんが最後のひと山を受けてくれて、係員が柵を動かした。

 

 待っていた人たちが歩き出す。

 ベビーカーが、さっきまで縁石の転がっていた場所をまっすぐ通っていった。押している女性は、足元なんか見ていない。

 見なくていいようにするのが、俺の仕事だ。

 

     *

 

「三枝さん。少しだけ、紹介させてもらってもいいですか」

 

 相良さんが、頭上のドローンを指した。いつからこっちを向いていたのかは、聞かないことにした。

 保護面を上げ、袖で汗を拭う。

 

「三枝環境サービスの、三枝湊さんです。今日の現場を片づけてくださいました」

「清掃で来ています。……お騒がせしました」

 

 相良さんが、端末の画面をこちらへ向けてくれた。配信のコメント欄が、見たことのない速さで流れている。

 

〈ラスボスが掃除して帰るところだった〉

〈あの登場で掃除機なのかよw〉

〈さっきの蒸気、普通に汚れ落としてたぞ〉

 

 画面の中では、黒い俺が真剣にノズルを回していた。仮面なので顔は見えないけれど、たぶん真剣な顔をしていたと思う。

 白い装甲の相良さんと並ぶと、どう見ても俺の方が最後に倒される側だった。

 

「普段も、その装備でお仕事を?」

「必要な時だけです。普通のお部屋なら、普通の道具で掃除します」

「お部屋も頼めるんですね」

「はい。どこから手をつけたらいいか分からない、という時も、まずご相談ください」

 

 コメント欄に、短い質問がひとつ流れた。

 

〈人が住まなくなった場所でも頼める?〉

 

「空き家でしょうか。まず見せていただいて、どこまでできるか相談します」

「……ということだそうです。困った時は、三枝環境サービスさんへ」

 

 端末の向こうから、ライトハウスの配信担当の声がした。

 

『今日の勝利報告、清掃会社の紹介で終わりますね』

 

 相良さんの口が、閉じた。

 なぜか俺まで、一緒に頭を下げていた。

 

     *

 

 回収缶を台車に固定していると、背中に声がかかった。

 

「さっきの話、僕も頼んでいい?」

 

 低い。地面の下から響いてくるような声だった。

 振り返ると、通路の脇に怪人が立っていた。灰色の体に、何枚も重なった甲殻。頭に二本の角。俺の顔を丸ごと覆えそうな大きな手の、その爪の先に、スマートフォンがちょこんと載っている。

 

 相良さんが、俺の前に出た。さっきまで座り込んでいた人とは思えない速さだった。

 

「何の用ですか」

「戦いじゃないよ。掃除、頼みたいんだ」

 

 空いている方の手が、ゆっくりと上がる。スマートフォンの画面には、さっきまでの配信が映っていた。

 

「人が住まなくなったとこでも、見てくれるって。言ってた」

 

 あの質問を打ったのは、この人だったのか。

 

「お名前を、伺ってもいいですか」

「カサネって呼んで」

 

 俺は、カサネさんの爪の先を見ていた。

 スマートフォンの画面には、ひびが一本も入っていない。保護フィルムの角も浮いていない。この爪で、毎日これを丁寧に扱っているということだ。

 それだけ分かれば、俺には十分だった。

 

「怪人が寝てるとこでも、いい?」

 

 最後のひと言だけ、声が小さくなった。

 俺は台車から手を離した。

 

「まず、現場を見せてもらえますか」

 

 答えた途端、作業着の袖をぐいと引かれた。

 相良さんだった。にこりともしていなかった。

 

「三枝さん。まさか、一人で行くつもりじゃないですよね?」

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