【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です 作:シラヌイ321
「三枝さん。今日は床のほうですか?」
市の受付で、最初にそう聞かれた。
足元を見た。俺の靴は、会社を出る前に拭いてある。
「床は、汚してないと思いますけど」
「いえ、床の清掃に来られたのかと。三枝清掃さんですよね」
「三枝環境サービスです。今日は写真を持ってきました」
昨日、集会所へ忘れ物を取りに行った、その翌朝。
母さんと俺は、市の後処理窓口に来ていた。工場で見つけた規格外の缶について、撮った場所もその場で説明してほしいと連絡を受けている。
回収具も缶も、車に積んでいない。午前は写真を出し、午後の現場へ行く前に会社で道具を積む予定だ。
母さんが名刺を差し出した。
「よく似てるんですけど、こちらです。今朝も、床の洗浄剤を買わないかって電話が来まして」
「申し訳ありません。担当を呼びますので、少々お待ちください」
受付の人が電話を取った。母さんは俺の袖を引いて、横の椅子へ向かう。
「洗浄剤、断ったの?」
「うん。でも電話の前に床を見たら、そろそろ買わなきゃと思っちゃって」
「向こう、半分合ってたな」
「会社は間違えてたけどね」
呼出音が、待合の端から聞こえた。
名札を着けた女性がこちらへ歩いてくる。片手に薄い本を持ち、指で挟んでいたページへしおりを入れた。
「三枝環境サービスの方ですね。工藤朝帆です。こちらでお話を伺います」
名札にも、同じ名前がある。
朝帆さんは受付へ戻り、会社名を最後まで伝えた。電話で略された名前が、そのまま清掃業者の来訪欄へ入っていたらしい。
「今日の件は、缶を発見した方の説明です。床の作業とは分けてください」
受付の人が直すのを待ってから、俺たちへ向き直った。
「お待たせしました。写真と、場所を確認します」
案内された小さな面談室で、俺は端末を机に置いた。
朝帆さんの本は、閉じたまま鞄へ入る。
「本、読んでたところでした?」
「始業前に少し。昨日買ったので、続きが気になって」
「すみません、途中で」
「しおりは入れました。戻る場所が分かれば大丈夫です」
椅子を引く音が、三つ続いた。
俺も、今日の仕事へ戻れるよう、選んだ写真を先に開いた。
缶の側面を拡大すると、朝帆さんが顔を寄せた。
「この番号の物ですね。もう一本は、市の別の保管場所にあります。そちらも現物で同じ番号を確認しています」
「うちで使った青い缶とは、別ですよね」
「はい。今日伺うのは工場のほうです」
母さんが会社の持出し記録を出す。
朝帆さんは、照合する分だけ自分の机へ寄せた。
「場所の写真もお願いします。缶の右側、どこですか」
「壁です。入口から入って、右の奥に」
画面の右を指したつもりだった。
朝帆さんの指は、写真の反対側にある。
「こちらが入口ですね?」
「あ、それは窓です。入口は撮ってる俺の後ろで」
端末を自分のほうへ回した。
入口は背中。缶は右前。窓は左。
朝帆さんへ見せるため、もう一度回す。
「この左が、俺から見て右で――」
母さんが、俺と端末を交互に見た。
「湊、今、どっち向いてるの?」
「工場の入口から、中を見てる」
「私は、あなたの顔を見てるんだけど」
俺も母さんの顔を見ていた。
これでは、工場の入口が母さんになる。
「向きを合わせたほうが早いですね」
朝帆さんが机の端へ移り、画面を俺と同じ方向からのぞいた。
ようやく左右がそろったので、俺は写真の窓を示す。
「ここです。缶は、この下。撮ったときは、こう、少ししゃがんで」
椅子から腰を浮かせ、机の脇で膝を曲げた。
高さも合わせれば、もっと伝わるはずだ。
「低い位置から撮ったんですね」
「もう少し下です。番号も撮りたかったので」
右膝を床につける。
机が邪魔で、腕を伸ばせない。横へずれ、端末を両手で構えた。
朝帆さんもしゃがみ、写真と俺の目線を見比べている。
「そこから窓が見えたんですね」
「はい。窓の前に、台があって。この机ぐらいの高さで」
ちょうど机がある。
反対側へ回れば、台の向こうへ缶を撮ったときと同じになる。
「少し回っていいですか」
「お願いします」
椅子を押し込んで通る。
机の向こうでしゃがむと、端末の高さに天板が来た。
朝帆さんから画面が見えなくなったので、下から差し出す。
「ここで、こうです」
俺の手と端末だけが、机の下から出た。
母さんが椅子に座ったまま、こちらをのぞく。
「……湊、何してるの?」
「撮った場所を説明してる」
朝帆さんが、床へ近づけていた顔を上げた。
「あ。撮った姿勢は、そこまで同じにしなくて大丈夫です」
俺は端末を出したまま止まった。
「姿勢は、いらない?」
「入口と窓に対して、どこに缶があったかを確認したくて。写真に印を付けてもらえれば」
母さんが、机の上の持出し記録を寄せた。
空いた場所へ、朝帆さんが位置を書き込むための図を置く。
「そういう図、あるんですか」
「あります。先にお見せすればよかったですね」
俺の頭の上で、紙がとん、と鳴った。
最初から、机の上だけで済む仕事だった。
「どうぞ、戻ってください」
机の縁に頭をぶつけないよう、横へ出た。
朝帆さんが椅子を引いてくれる。母さんは俺の膝についた、白いほこりを払った。
「受付の人、合ってたじゃない」
「会社は違っただろ」
「床のほうですか、って」
床を見た。
右膝をついていた所だけ、白いほこりが薄くなっていた。
「俺で床を拭く予定は、入ってなかった」
朝帆さんが口元を押さえ、図を俺へ滑らせた。
「床は別の方にお願いします。三枝さんは、こちらへ」
「はい。今度は指だけで」
入口から壁まで、指を動かす。
朝帆さんがそれを図へ書き、窓の位置を俺に確かめた。
こんなに楽なら、最初に座ったままでいたかった。
図ができると、朝帆さんが写真の受取先を端末で示した。
母さんと宛先を読み合わせ、選んだ発見時の写真を送る。
朝帆さんの端末が、短く鳴った。
「届きました。番号の写真と、周囲が分かる写真。図と一緒に調査担当へ渡します」
画面の写真を、俺も一緒に確かめた。
これで提出できた。
母さんは会社の記録へ戻り、正規の缶の番号と、持ち出した先を朝帆さんへ伝える。
「工場のこれは、うちの在庫ではありません。あの場所で見つけて、市の担当へ渡した物です」
「市の受取記録とも一致しています。三枝環境サービスが持ち込んだ缶という扱いは、直します」
朝帆さんが、会社名を省かずに書き直した。
俺が渡した物と、俺の会社の物は、別だった。
「同じ番号なのは、どこかで記録を間違えたからですか?」
母さんが聞く。
朝帆さんは、二本分の記録を並べた。
「それだけでは説明できません。現物が二本あります。どちらに、いつ番号が付いたのか。まず運ばれた経路を調べます」
「中身は?」
「調査担当が確認しています。今、同じ物だとは言えません」
端末の写真だけでは、俺にも分からない。
同じ番号の二本を一つにして、話を終えるわけにはいかなかった。
「今日は、ここまででいいですか。午後、別の倉庫を見に行くので」
朝帆さんのペンが止まった。
「次の予定があったんですね。何時に出れば間に合いますか」
「会社で道具を積んでからなので、十一時には」
「では、今日聞くことはここで終わりにします。照合の途中経過は、明日の午後三時に会社へ連絡します。分からなかった所も、その時にお伝えします」
母さんが予定を入れた。
俺も、午後の仕事へ戻る時間を確かめる。
「ありがとうございます。分からないまま待つの、どこまで準備しておけばいいか迷うので」
「はい。先にご予定を聞けばよかったです。次は、膝をつかなくても済むようにします」
「そこは俺も気をつけます」
朝帆さんが立ち、鞄から本を取り出した。
俺たちを見送ったあと、別の部屋へ届けるのだという。
「貸すんですか。その本」
「隣の係の人に。私は昼に続きを読みます」
「先に貸しちゃって、大丈夫ですか」
「昼までには返してもらいます。そこは、最初に聞きました」
母さんが俺の膝を見た。
もう何も言わず、廊下へ出た。
会社で弁と空き容量を点検した。空缶の留め具を閉じると、かちり、と鳴る。緩みがないことを確かめ、道具を車へ固定した。
午後の依頼は、幹線道路側の倉庫で、搬出前に残った力がないか確かめる仕事だ。桜通りを片づけたから、ほかの場所まで安全になったわけではない。
倉庫に着くと、入口の金網が風で鳴っていた。
担当者の案内で、立入線の外から荷物を見る。まだ発生源の停止など、現場の確認を待っている。回収具は車に残した。
「先に、こっちを返しておきたかったんです。清掃の会社の物じゃないかと」
倉庫の人が、台の上を指した。
黒っぽい円筒が一本ある。細い首と、脇へ張り出した口。
工場で見つけた、あの規格外の缶とよく似ていた。
「その缶は、うちの物ではありません」
午前に言った言葉を、もう一度言った。
台へ近づかず、倉庫の人にも動かさないでほしいと頼む。
「いつ、ここへ来たんですか」
「運搬の人が置いていったと聞いたんですが、私が受けた物ではなくて。引取りに来るそうなので、返していいのかと思って」
「受け取った方と、運んだ方に確かめてもらえますか。市にも、俺から連絡します」
車へ戻り、朝帆さんへ電話をかけた。
似た外見の缶を、別の倉庫で見つけたこと。番号はまだ読めておらず、触っていないこと。倉庫の人が受取りの経緯を確かめていることを伝える。
『場所を教えてください。現場の担当へつなぎます。缶はそのままでお願いします』
住所と倉庫の連絡先を、許可を得て伝えた。
向こうで、朝帆さんが復唱する。
会社名も、今度は最後まで合っていた。
『今は、立ってお話しされていますか』
「立ってます」
『分かりました。位置の図が必要なら、こちらから先にお送りします』
俺は車の窓に映った、自分の膝を見た。
今度は、そのまま立って返事を待った。