「なぜ、まだ動いている」
答えを探す前に、黒い腕がしなった。
投げつけられた鉄の棒が、まっすぐこちらへ飛んでくる。俺はほうきの柄を、反射的に前へ出していた。
かん、と硬い音がした。
棒は柄に弾かれて向きを変え、そこへ相良さんの光の板が割り込んだ。二度目に弾かれた棒は、誰もいない壁際へ落ちて転がった。
「湊さん、大丈夫ですか!」
「大丈夫です!」
黒い怪人は、倒れた足場の向こうに立っていた。こぶの浮いた肩で、荒く息をしている。俺の後ろの梁と、横倒しの容器とを、交互に見ていた。
「十二年ぶりだな」
「……え?」
「まさか、まだ生きていたとは」
どういう意味か、考える暇はなかった。
梁の向こうには、まだ人がいる。作業着の背中を丸めて、顔を伏せている。こちらへ来ようにも、足場の部材が床をふさいでいた。
「すみません。そこ、空けてもらえますか」
俺が言うと、怪人の足が止まった。
「……俺に言っているのか」
「はい。そこを通って、あの人を運び出したいので」
ほうきの先で、人のいない床を示した。怪人は俺を見て、それから、ほうきを見た。
「おまえは、何をしている」
「救助です。手を出さないでもらえると助かり」
最後まで言えなかった。
黒い腕が、横から振られた。
俺は作業員の人との間に踏み込んで、ほうきの柄を縦に立てた。
腕が、柄に当たった。
押し飛ばされると思って足を踏ん張った。でも、靴は床から一ミリも動かなかった。
代わりに、怪人の方が前のめりになった。
このまま倒れてこられると、後ろの人に当たる。俺は、ほうきを押し返した。
怪人の足が、床から浮いた。
すぐ横の空いた場所へ落ちて、床の上を滑っていく。倒れていた空の台車に背中から突っ込んで、ようやく止まった。
俺は、手の中のほうきを見た。柄も、穂先も、曲がっていない。
「湊さん、こちらを!」
相良さんの声で、我に返った。梁の向こうの作業員の人が、両腕で頭を抱えていた。
「当たってませんか!」
「だ、大丈夫……大丈夫です」
返事を聞いて、ようやく息を吐いた。
この装備の力は、俺が思っていたよりずっと大きい。押す先を見ていないと、守るつもりで誰かを怪我させる。
怪人が、ゆっくり起き上がった。背中に引っかかった台車の枠が、がしゃんと床に落ちる。
俺に向けていた腕を、そろりと引いた。
「その姿で……なぜ、そいつらを庇う」
「まだ、外に出られていないので」
半歩、横へ動いた。怪人と、人の間から外れないように。
「ここで戦われると、運べないんです。道を、空けてください」
怪人の目が、俺の肩から手元へ下がった。ほうきを、じっと見ている。俺が柄を握り直しただけで、片足が一歩さがった。
その踵が、横倒しの容器に当たった。怪人は振り返って、こぼれた黒い塊に腕を突っ込もうとする。
その間に、相良さんの光の板が立った。
「それ以上、持ち出させません」
怪人が板を叩いた。びくともしない。板の向こうに残った黒い塊に、手は届かなかった。
俺は、板の向こうの容器を指した。
「それも、あとで回収しますので」
その瞬間、怪人の全身が、目に見えて強張った。
「……回収」
「はい。残留物なので」
怪人は、俺を見た。容器を見た。もう一度、俺の手のほうきを見た。
そして、くるりと背を向けて走り出した。
「裏へ出ます!」
相良さんが手首の端末に叫ぶ。奥で扉の開く音がして、外にいた別のヒーローの声が重なった。
追いかけようとして、足が止まった。梁の向こうから、細い声がしたからだ。
「……行かないで」
振り返ると、作業員の人が、こちらに手を伸ばしていた。
「ここにいます」
ほうきを下ろした。相良さんが端末で追跡を外の人に引き継ぎ、俺に頷いた。
「湊さん。こちらを、お願いします」
「はい」
*
作業員の人は、片足を引きずったまま動けなくなっていた。梁が、その手前を斜めに横切っている。足を挟んではいないけれど、担架に寝かせて運ぼうとすると、梁の下では高さが足りない。
しゃがんで、目の高さを近づけた。
「後ろから、救助の人が来ます。そこまで出られるようにしますから」
作業員の人が頷いた。額の汗が、頬の粉を筋状に溶かしていた。
ほうきを戻して、また掃除機を出した。梁までの足元に残った破片を、手前へ寄せるように吸っていく。人のいる向こう側へは、吸入口を入れない。
通路が伸びた。救助隊の人が二人、こちらへ来た。
「この梁を上げれば、通れますか」
一人が、梁の向こうを覗き込んだ。
「通れます。ただ、上とつながってますね」
梁は、斜めに折れた足場の一部だった。持ち上げれば、上に載っている床板まで動く。相良さんが、ずっと光の板で受け止めている部分だ。
「相良さん。俺がここを持てば」
梁のいちばん太いところに手を当てた。相良さんが、俺の手元と頭上の部材を見比べた。
「そのまま、支えていられますか」
「さっきの板よりは重そうです。でも、持ってみます。まだ、離さないでください」
「はい」
掃除機を戻して、両手で梁をつかんだ。先に足の位置を決める。人のいる方へ動かないよう、真上にだけ力をかけた。
重さが、腕から肩へ乗ってきた。
梁が、浮いた。
相良さんが、光の板をほんの少しだけ下げる。上の重さが、一気にこちらへ移ってきた。
でも、手の位置は下がらなかった。
「持ちました」
「こちら、移します」
上を支えていた光の板の一枚が、梁の下へ滑り込んだ。床に散らばった部材を覆って、奥からこちらまで、平らな通り道ができる。救助隊の人が、その上に膝をついた。
「今、乗せますね」
二人がかりで作業員の人を担架に移し、俺の腕の下をくぐらせる。担架が通る時、作業員の人の顔が、ちょうど真下に来た。目が合ったので、仮面の中で頷いた。
「入口まで、もう通れます」
作業員の人も、小さく頷いた。担架が梁の下を抜け、引きずっていた足の先まで向こうへ越えた。救助隊の人たちは、止まらずに外へ向かっていった。
「湊さん。支柱を入れるので、そのままお願いします」
「分かりました」
支柱が運び込まれて、梁の下に据えられるまで、俺はその場に立っていた。合図をもらって、指示された位置へ少しずつ梁を下ろしていく。
最後に、手の中から重さが抜けた。
「大丈夫です。離れてください」
指を開いた。梁は、動かなかった。
*
外に出ると、空がやけに明るかった。
救急車の横で、最初に運び出した人が手を上げている。その隣に、二人目の担架が運ばれていく。
「倉庫内、全員の退避を確認しました!」
救助隊の声がした。相良さんの肩が、ようやく下がった。俺も、握ったままだった手を開いた。
黒い怪人は、裏の塀を越えて、川沿いの方へ逃げたらしい。外で待機していたヒーローが追ったけれど、途中の排水路で見失ったそうだ。
バックルを操作して、装甲を解除した。作業着の袖に、最初にかぶった白い粉がまだ残っている。払おうとすると、相良さんが水のボトルを差し出してくれた。
「先に、飲んでください」
「相良さんも、ずっと支えてたので」
「私の分もあります」
もう一本を掲げてみせる。俺は受け取って、二人で柵から離れて蓋を開けた。冷たかった。
ライトハウスの職員の人が、端末を持って近づいてきた。救助中の記録映像を確認しているらしい。
「中で怪人を押し返した方ですね。お持ちだった武器も記録に入れたいんですが、名称は」
「ほうきです」
「……形状の名前、ですか?」
「いえ。掃けます」
相良さんが、水を飲むのをやめた。
俺は入口の台車を指した。あそこには、普通のほうきも立ててある。
「あれと、同じ用途です。大きさは違いますけど」
職員の人は、何とも言えない顔で端末に何かを打ち込んでいた。相良さんは、ずっと顔を横に向けていた。肩が、小刻みに揺れていた。
会社に電話をかけると、母は最初に、二人とも外に出たのかと聞いた。出たと答えると、受話器の向こうで、短く息を吐く音がした。
『よかった。道具は?』
「入口の台車まで、引き出してもらえた」
『じゃあ、それを積んだら帰っておいで。今日は、もう何も追加しないから』
「分かった」
台車のところへ戻ると、相良さんが反対側を持ってくれた。少し浮かせると、車輪に挟まっていた破片がぽろりと落ちた。
普通のほうきで、それをちり取りに入れた。
十二年ぶりだな、と、あの怪人は言った。
十二年前、俺は十二歳だった。父が、まだあの装備を着ていた頃だ。
*
【ヒーロー総合掲示板】
【清掃用ラスボス】三枝環境サービスについて語るスレ その3
204:名無しの観測者 ID:hako8
ライトハウスの救助記録、一部公開されたぞ
川沿いの倉庫のやつ
205:名無しの観測者 ID:7qB0ss
見た
変身して最初にやったのが瓦礫の吸引
人のいない方から順番に
206:名無しの観測者 ID:nagi4
片づけの順番だ……
207:名無しの観測者 ID:Qe31
そのあと怪人の腕をほうきで止めてる
208:名無しの観測者 ID:7qB0ss
>>207
記録の武器欄「ほうき」
備考「掃ける」
209:名無しの観測者 ID:hako8
備考いる?
210:名無しの観測者 ID:mop6
いる
大事
211:名無しの観測者 ID:old4
先代もほうきで怪人止めてたぞ
こっちは懐かしくて泣いてる
212:名無しの観測者 ID:Qe31
怪人、最後「回収」って言われた瞬間に逃げてない?
213:名無しの観測者 ID:nagi4
回収されたくはないだろ
214:名無しの観測者 ID:Yd0m1
あれは本当に十二年前と同じやつか
215:名無しの観測者 ID:hako8
>>214
またお前か
216:名無しの観測者 ID:7qB0ss
>>214
十二年前って何
答えてから消えろ
217:名無しの観測者 ID:old5
十二年前……高架下の件か?
いや、まさかな
218:名無しの観測者 ID:Qe31
おっさん側も意味深になるのやめろ