【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です 作:シラヌイ321
「返すだけなら、五分で済みます」
運搬車から降りた男は、腕時計を見てそう言った。
倉庫の奥で、金網が風に鳴っている。油と段ボールの匂いが混じる中、黒い缶は台の上から動いていなかった。
「受け取ってない物を、どうやって返すんですか」
先ほど缶を示した受取担当が、台から二歩離れたまま答える。
倉庫主は入口で腕を組んだ。
「うちの場所にある。だが、うちの物ではない。それだけだ」
「俺は、ここへ運べと言われました」
「私は受領印を押してません」
「だから、引き取りに来たんです」
三人の声が、閉じたシャッターへ跳ね返った。
俺は立入線の外で、朝帆さんがつないだ市の現場担当を待っている。缶には触れていない。番号も、正面へ回り込まないと読めない位置にある。
「五分で済むとは、まだ言えません」
運搬担当の手が時計から離れた。
「どれぐらいかかります?」
「時間を決める前の確認です。返す相手も、これを動かしていいかも、まだ決まってません」
倉庫主が缶へ顎を向ける。
「清掃の人なら、持っていけないのか」
「俺が回収するのは、停止して、持ち主から離れた残滓だけです。缶そのものの持ち主は決められません。中も開けません」
「じゃあ、誰が決める」
「記録を調べる人です。俺は、今ここに回収できる残滓があるかを見る側です」
そこを一緒にすると、持ち主を決めるために缶を動かすことになる。
運搬担当が荷台の昇降板へ手を伸ばした。下げる前に、俺は片手を上げる。
「昇降板も、そのままでお願いします。積む準備になるので」
「板を下ろすだけです」
「五分で済ませる人が下ろすと、次は積みます」
手が止まり、昇降板は縦のまま残った。
受取担当が小さく咳をする。倉庫主の腕は組まれたままだが、靴先だけが運搬車から離れた。
白い車が金網の前に止まった。市の現場担当と測定員が降り、短い挨拶のあと、倉庫主へ立入範囲を確認する。
市の現場担当が記録用の端末を開いた。
「缶には触れず、運ばれた経路から確認します。倉庫主さんは、置かれたと知った時刻。受取担当の方は、引継ぎを受けた時刻。運搬担当の方は、搬入指示を受けた記録をお願いします」
役割ごとに呼ばれると、今度は声が重ならなかった。
倉庫主は朝の巡回表を出した。始業時には台の上にあり、夜間記録には記載がない。
受取担当は前日の引継ぎ欄を見せた。外部からの受領は二件。どちらにも缶はなく、署名にも自分の名はない。
運搬担当は会社の経路票を開いた。
「この倉庫へ一件。昨日の十六時四十分。返却品扱いです」
「受領者は?」
市の担当が聞く。
運搬担当の指が、画面の下で止まった。
「空欄です」
「写真はありますか」
「荷下ろし前の一枚だけです。缶は保護箱に入っていて、ここには写ってません」
写真には、閉じた荷台と倉庫の外壁があった。日時と場所は残っている。渡した相手と、保護箱を開けた記録はない。
測定器の起動音が一度鳴った。
「周囲に活動中の発生源、生命反応、制御中の力は確認されません。缶の外側にも漏れを示す数値は出ていません。内部は開封せず、未確認のままです」
市の現場担当が告げる。
黒い缶から完全に外れた古い固定帯が、台の脇の床へ垂れていた。帯の端が少し浮き、風が止まっても床へ戻らない。
「あれは?」
「弱い浮遊系です。缶から漏れている反応ではありません。帯に付いていた別の残滓で、持ち主から離れ、停止しています」
測定員が数値を読み上げた。
俺にも、細い筋が帯から床へほどけているのが見える。黒い缶の内部は分からない。外側に、そこから続く筋もない。
「帯だけなら、青い缶で回収できます。台は先に支えてください」
俺が頼むと、市の担当が台の脚を確かめた。
倉庫主は壁際の支持具を指す。運搬担当は車から輪止めを持ってきた。受取担当は、作業区画の外へ出す荷物を選び始める。
「待ってください。三人とも、缶は動かさないで」
三人の手が同時に止まった。
「支える物は、市の担当に渡してください。どこへ置くかも、測定が終わってからです」
「うちの倉庫なんだが」
「だから場所を教えてください。置くのは、今の測定に合わせます」
倉庫主は腕をほどき、支持具を市の担当へ渡した。
運搬担当も輪止めを床へ置かず、市の担当へ手渡す。受取担当は空いた棚を示し、移す荷物の伝票を自分で確かめてから区画線の外へ下がった。三人が離れたのを見て、測定員が支持位置を指す。市の担当が台の脚へ支持具と輪止めを置き、黒い缶を動かさずに揺れがないことを確かめた。
俺は点検済みで空き容量に余裕のある浮遊系青缶を出し、管理番号を読み上げて収容量の開始値を記録した。弁を確かめ、回収具を黒い缶ではなく、床へ離れた帯の端だけへ向ける。
低い作動音が、倉庫の床を這う。
浮いていた帯が、少しずつ自分の重さを取り戻した。測定員の合図で手を止め、数値を確かめ、残りを収める。缶の容量計は上限から遠い。閉弁して、留め具をかけた。
収容量の終了値を記録し、閉弁と封印を確かめる。市の担当が管理番号、収容量の開始値、終了値、封印記録を順に読み返した。
「帯は、もう浮きません。普通の固定帯として外すのは、缶の搬出方法が決まってからにしてください」
「持ち主と中身、搬出先が確認できません。普通の返品物としては動かせません。現位置で隔離を続けます」
市の担当が、台と床へ仮の立入表示を置く。
俺が回収具を車へ戻している間に、倉庫主が赤い支柱を二本持ってきた。
「それ、どこへ置きます?」
「人が入らないようにする」
市の担当が示した線の外へ、支柱が二本立つ。
受取担当は別の入口から黄色いコーンを四本運んできた。
「こっちからも台が見えるので。間違って近づく人がいるかもしれません」
コーンが支柱の外へ並んだ。
運搬担当は荷台から折り畳みの表示板を出す。
「車から見えないと、また荷物だと思われます。搬出待ち、でいいですか」
「まだ搬出先が決まってません」
「では、搬出禁止」
「勝手に決めないでください」
受取担当が端末で表示を作り直す。
倉庫主は天井の照明を一列だけ点け、監視カメラの向きを市の担当と確認した。運搬担当は昇降板へ「使用停止」の札を掛けた。
市の仮表示一枚だった場所に、支柱二本、コーン四本、表示板一枚、追加照明、停止札がそろった。
黒い缶は、どこから見ても近づけない。
「ここまで必要ですか」
俺が聞くと、三人が順番に答えた。
「うちの場所にある以上、触らせない」
「受け取ってない物を、受け取ったことにされたくないので」
「次の運転手が、積めと言われても困ります」
「持ち主の決まっていない缶が、この倉庫で一番丁寧に扱われてますね」
三人が、囲いの中を見た。
倉庫主が追加照明を一つ消した。
「明るさは、これで足りる」
「搬入指示を出した会社は?」
「いつもの集荷元ではありません。経路票には、仲介番号だけです」
市の担当が番号を控え、朝帆さんへ照会する。
返事を待つ間、倉庫の時計の秒針が聞こえた。
『その形式は、灰市を通る取引記録で使われるものと似ています』
朝帆さんの声が、端末から小さく届く。
『ただし、番号の登録先はまだ一致していません。灰市から流れた物とも、黒環が関わった物とも、今は決めないでください。運送会社の原票と、市の受入記録を照合します』
「分かりました。現場は、移動禁止を継続します」
市の担当が通話を終えた。
持ち主は決まらない。中身も、工場の缶や市の保管品と同じとは言えない。
分かったのは、受領の記録が一つ抜けていることと、仲介番号がいつもの集荷元と違うことだけだ。
倉庫主が、赤い支柱の位置を数センチ直した。
「これは、いつまで置く」
市の現場担当が端末を閉じる。
「市が搬出先と手順を決めるまでです。途中経過は、明日の午後三時に三枝環境サービスへ連絡します。この倉庫にも、必要な範囲を市からお伝えします」
運搬担当が腕時計を見る。
「五分では、済みませんでしたね」
「五分で積まなくてよかったです」
男は昇降板の停止札を確かめ、次の配送先へ連絡を入れた。遅れる時間を伝え、返事を待ってから車へ戻る。
受取担当は引継ぎ欄に、受取人不明、移動禁止と入力した。倉庫主は囲いの外を一周し、通路の幅が残っているかを自分で見た。
俺は青い缶を車へ固定する。
回収したのは、床へ垂れていた停止済みの浮遊系だけだ。黒い缶は開けず、運ばず、誰の物とも書かなかった。
金網がまた鳴った。
囲いの内側では、持ち主の決まっていない缶が、追加照明一つ分だけ暗くなって待っていた。
翌日の午後三時、会社の湯沸かし器が止まった。
洗った手袋から、薄い洗剤の匂いがする。母さんが湯飲みを二つ置いたところで、会社の電話が鳴った。
「三枝環境サービスです」
母さんが名乗る。短く返事をしてから、俺へ受話器を差し出した。
「工藤さん。昨日の件」
「うん。三時ぴったり」
受話器の向こうで、紙をめくる音がした。
『途中経過をお伝えします。運送会社の原票にも、受取人の確認はありませんでした。仲介番号の登録先は、まだ特定できていません』
「灰市の記録に似ていた番号は?」
『照合中です。似ているだけで、同じ経路とは決められません。現物は昨日の位置で隔離を継続しています。三枝さんが回収した帯の残滓とは、別に扱います』
分かったことと、分からないことが、同じ時刻に届いた。
俺は昨日使った青い缶の記録を開き、固定帯から回収した分だけが書かれているのを確かめる。
「次の連絡は、いつになりますか」
『運送会社から回答が来た時点です。遅くとも二日後の正午までに、一度ご連絡します』
「分からないままでも?」
『はい。今回も、その範囲をお伝えします』
母さんは俺の湯飲みを受話器のそばへ寄せ、自分の分には手をつけない。
「ありがとうございます。昨日の倉庫について、うちで追加して調べることはありますか」
『ありません。現場の記録照合はこちらで続けます。三枝さんは、昨日の回収記録をそのまま保管してください』
「分かりました」
通話を終えると、母さんが予定表を開いた。
次の欄には、カサネがいた閉鎖工場の仕分けとある。管理側から届いた一覧では、残っている物がまとめて「廃材」と書かれていた。
「明日、これを全部分ける予定なんだけど」
「カサネに聞く前に、捨てる札は貼らないで」
「安全確認が先。それから本人に聞く。でしょ」
「うん。置き方にも、理由があるかもしれない」
母さんは処分札の束を、予定表の上からどけた。
空いた所へ、何も書いていない仕分け札を置く。
「じゃあ、残したい物を先に本人へ聞こうか」
湯飲みの底が、机にこつんと鳴った。