【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です 作:シラヌイ321
七時四十分。橘回収の車が、俺の隣へ止まった。
運転席の窓から、ラジオの声が聞こえる。
『さて、昨日の問題の正解は――』
エンジンが切れた。
降りてきた男がドアを閉め、すぐ一度だけ振り返る。
鍵を見てからポケットへしまい、俺に手を差し出した。
「橘誠司です。三枝さん?」
「はい。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。先に車の位置、合わせましょう。帰りに入れ替えなくて済むように」
挨拶を終えた手で、もう搬出口を指している。
俺はまだ、おにぎりの二個目を飲み込んだところだった。
もう帰りの話をしている。早い人だな、と感心してから、自分の空いた包みを慌ててしまった。挨拶の次から待たせたくない。
今日の共同現場は、戦闘後に閉鎖された資材置場だ。
俺が残った力を回収する。その後、市と専門担当が運び出せる範囲を確かめ、橘さんたちが普通の資材を搬出する。
奥には、明日調べる別区画も残っていた。
橘さんは運転席から紙を取り、荷台の端へ広げた。
「搬出は三人。十六時にここを出ます」
「荷物が多そうですね」
「だから、空の道で時間を使いたくないんです」
俺の車を一台分だけずらすと、二台とも切り返さず出口へ向けた。
橘さんがうなずき、荷台の留め具を外す。
助手席側から降りてきた作業員二人も、自分の道具を取った。
「今日こそ四時ですね」
「ああ。帰って荷下ろしして、五時で終わる」
「了解です。じゃあ、椅子も降ろしときます」
若いほうが折り畳み椅子を三脚降ろし、二脚を休憩用のひさしへ運んだ。
橘さんは自分の分だけ、車のそばへ残す。
「俺は後でいい」
「昨日も聞きました」
「今日は共同だから、先に話すことがある」
作業員は何も言わず、三脚目もひさしへ持っていった。
橘さんは気づいているのか、搬出の紙から目を上げない。俺は運ばれていく椅子を見送った。橘さんの座る場所は、朝から確保されている。
*
八時、市の担当から最初の確認を聞いた。
発生源は停止し、持ち主の制御からも離れている。生命反応なし。支持が必要な箇所へ器材を据え、時間を置いた二度目の確認を待つ。
俺は立入線の外で、青い缶の弁と空き容量を確かめた。
「そこが終わるまで、奥は触れませんね」
「はい。俺も、まだ入れません」
「では、手前から先に出します」
橘さんが作業員に声をかけたので、俺は顔を上げた。
「待ってください。急いでも、確認が先です」
「こっちは終わってます」
橘さんの指が、手前の白線をたどった。
市の担当が、別の確認票を持ち上げる。
「こちらは普通の資材だけです。今朝、搬出を認めています。奥の支持にも使っていません」
よく見ると、台車の通り道も立入線に触れていない。
俺は閉じた弁から手を離した。
橘さんの先を急ぐ声だけで、危ないと思い込んだ。こちらを待つ必要のない仕事まで、止めるところだった。
「すみません。奥と一緒に考えてました」
「全部待たせると、全部遅くなりますから」
「じゃあ、俺の車の横も使ってください。今は道具を出し終わってます」
「それは助かる」
橘さんが手を上げると、二人が台車を押し始めた。
車輪の音が、俺たちの後ろを通っていく。
奥の二度目の停止確認が終わった。
測定担当の合図を待ち、俺は回収具をつなぐ。
浮いている薄板の下には、支持台が入っている。板の縁から伸びた筋を追うと、その先が折れた枠にも絡んでいた。
「枠の下も、お願いします」
支持担当が器材を追加する。
重さを受けられることを確かめてから、回収具の先を向けた。
筋が缶へ収まり、板が支持台へ下りる。枠が傾かないのを見て、次へ進んだ。
容量表示が上がる。
残りの筋を見比べ、上限の手前で止めた。閉弁し、封印する。番号と回収位置を書いてから、点検済みの二本目へ交換した。
橘さんの声は、後ろを通る台車のほうへ飛んでいた。俺には一度も、急げと言わない。
交換する手元を落ち着けられるのが、ありがたかった。
最後の筋を収めて回収具を離すと、外から彼の声がした。
「次、何待ちです?」
「この枠の検査です。終わるまで運べません」
「来る時刻は?」
市の担当が電話を確かめた。
「前の現場が延びています。今の見込みは十三時半です」
橘さんが腕時計を見た。
十時五十分。
俺の予定表には、この後すぐ搬出と書いてある。
「……その待ち時間、こっちには入ってません」
俺の声に、橘さんが紙をのぞいた。
「俺のほうにもないです。誰が何時まで残る計算でした?」
回収にかかる時間は書いた。
搬出の時間も聞いた。
その間に、三人がどう待つのかを、俺は聞いていなかった。
朝からあれだけ帰りの時刻を確かめていたのに。空欄を見ていると、腹の奥が重くなった。
今すぐ検査担当を連れてくることは出来ない。せめて、誰が待つのか分からないままにはしないでおこう。
*
ひさしの下で、母さんへ電話した。
留守番電話へ切り替わる前に、紙をめくる音が聞こえる。
「湊、どうした?」
「共同現場。検査が十三時半になる。俺の作業見積もり、待機が抜けてた」
「先に、何時から誰が待つのか教えて」
橘さんと時刻を確かめ、一人ずつ伝える。
母さんは途中で遮らず、最後に復唱した。
「発注側へ確認する。追加分が認められるかは、まだ決まってないから、先に約束しないでね」
「うん。今日の人数と順番は、橘さんと組み直す」
「お願い。次からは作業だけじゃなく、確認を待つところまで出して」
電話を切ると、橘さんが二枚の紙を重ねた。
「手前の荷物を先に一便。戻ったら全員で昼休憩。午後は検査が済んだ分だけ積む。残ったら、明日へ分けます」
「今日中に、全部出さなくていいんですか」
「全部出して、こいつらが帰れなくなるなら、いい段取りじゃないでしょう」
作業員の一人が、台車から顔を上げた。
「俺らだけ帰して、橘さんが残るのもですよ」
「分かってる」
「それも昨日聞きました」
橘さんのペンが止まった。
俺は空いた欄に、帰社後の荷下ろしまで書き足した。
「俺の回収缶は、うちの車で持ちます。そっちの積み直しには入れなくて大丈夫です」
「じゃあ、その分こっちを早く出せる。検査がさらに延びたら、十三時半にもう一度決めましょう」
市の担当にも順番と残置する可能性を伝える。
今日中、を線で消し、帰社と荷下ろしの時刻を書いた。
途中で残すのは気になる。けれど、橘さんがその紙を作業員に見せると、二人はうなずいて持ち場へ戻った。
帰る時刻も、先に分かっていたほうが働きやすい。俺の見積もりには、そこまで要るのだと思った。
手前の資材を積んだ車が出ていった。運転と荷下ろしは作業員二人、橘さんは市の担当と午後の順番を確かめる。俺は回収記録を整理した。
空の荷台で戻ってきた車を見てから、俺も自分の車から椅子を一脚出した。
正午前、母さんから折り返しがあった。
待機分は市の発注担当が確認中。実際の人数と時間を残すこと。それから、朝帆さんから缶の調査について連絡が来ていた。
今日正午までと約束していた途中経過だ。
「まだ受取人は分からないって。現物の隔離は続ける。次は明日の夕方までに、分かっている範囲を連絡してくれる」
「分かった。こっちの缶とは、記録を分けとく」
端末をしまうと、弁当の蓋が開く音がした。
*
橘さんは、弁当を開けなかった。
作業員二人を座らせ、自分は荷台へ歩いていく。
「先に食ってろ。午後のベルトだけ――」
「そろえてあります」
若い作業員が、口へ運ぶ前の箸で荷台を示した。
橘さんは途中で曲がり、台車へ向かった。
「じゃあ、車輪を」
「拭きました」
もう一人が、汚れた布を袋へ入れる。
橘さんが俺を見た。
「三枝さん、午後の確認を」
「十三時半に、もう一度です。俺も今、休憩にします」
橘さんが、荷台と台車と俺を順に見る。
どれも終わっている。ほっとして座ってくれると思ったのに、まだ足が椅子へ向かない。
俺の待機の抜けで予定を組み直した人に、昼まで抜かせるわけにはいかなかった。
それでも橘さんは、荷台の端に置いたペンへ手を伸ばす。
「せめて残りの順番――」
「さっき書きました」
俺が紙を差し出すと、橘さんは受け取った。
ちゃんと書いてあれば、安心して食べてもらえる。俺は帰社時刻のところを、指で押さえて見せた。
読んでいる間に、若い作業員が後ろへ椅子を開く。
もう一人が、足元へ弁当を置いた。
「ちょっと待て。俺を片づけるな」
「休憩場所へ戻してるだけです」
橘さんは椅子を振り返り、二人を見た。
「お前らを早く帰すために、今やってんだよ」
「橘さんだけ休憩が後ろへずれると、結局そこを待つんです」
若いほうが腕時計を指した。
朝、車の位置を直した時と、同じくらい無駄のない指だった。
橘さんは紙を置いた。
座ろうとして、また立ち止まる。
「飲み物、車に」
「ここです」
水筒が、俺の手から出た。
さっき頼まれて持ってきたものだ。
椅子の横へ置こうと思っていたけれど、今渡せば取りに戻らなくて済む。少し嬉しくなって、持ち手を橘さんへ向けた。
橘さんはしばらくそれを見て、受け取った。
「……三枝さんまで、そっちにつくんですか」
「こっちだと、四人とも同じ時間に食べられるので」
ひさしの下に、椅子のきしむ音がした。
橘さんが、とうとう弁当を開ける。
「誰の段取りだ、これ」
「朝から教わりました」
若い作業員が答え、今度こそ箸を口へ運んだ。
俺も座った。橘さんの隣で、作業用の面を外す。
向かいの二人が、こっちを見ている。
「どうかしました?」
「いや。橘さんを逃がさない最後の人が、あの講習の清掃員だったんで」
「逃げ道は空けてありますよ」
「そういう話じゃないです」
橘さんが水筒の蓋を開けた。
「空けといても、全部先回りされたんだよ」
向かいで二人が吹き出した。
俺は足元を見た。確かに、椅子までの道はきれいに空いていた。
あとは食べてもらうだけだ。橘さんが箸を割る音を聞いて、ようやく俺も弁当に手を伸ばす。
水筒を渡しただけなのに、ずいぶん大仕事を終えた気がした。
*
十三時半、検査担当が来た。
枠の変形が残っているため、運ぶには追加の固定が要る。今日出せる資材と、残す枠を分け、市の担当が搬出する範囲を示した。
回収が終わっても、曲がった金属は元には戻らない。
橘さんは固定具の手配を確認してから、今日の荷物を指した。
「こっちから。枠は残す」
二人が台車を動かす。
俺は自分の回収具を片づけ、封印した青二本の番号を控えた。缶は会社へ戻し、指定の引渡しまで固定枠に収めて運ぶ。
明日の区画には、誰も入らなかった。
十五時五十分。
最後の荷締めを終えた橘さんが、ひさしを振り返った。
「椅子、三脚」
「積みました」
「道具」
「照合済みです」
「じゃあ――」
二人が、運転席への道を空けた。
橘さんが一歩止まり、俺を見た。
「明日も、お願いします」
「はい。待つ時間も入れて、今夜送ります」
「短く書くより、抜けてないほうがいいです」
初めて会った朝より、少しだけ口元が緩んだ。
それから作業員へ向き直る。
「俺は自分で乗るからな」
「まだ何もしてませんよ」
車のドアが閉まった。
エンジンがかかり、ラジオが鳴る。
『今朝、答えを発表した問題。正解者の中から抽選で――』
橘さんの手が、音量のつまみに伸びた。
手が、つまみの上で止まる。
「……結局、答えは何だったんだ」
助手席で作業員が笑った。
車は十六時前に、出口を曲がっていった。
時計を見直して、俺まで嬉しくなった。今日の荷物は全部ではない。それでも、三人とも同じ車で帰っていく。
明日の紙には、待つ時間も入れる。今夜、母さんと確かめてから送ろう。