【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です 作:シラヌイ321
「昨日の見積もり、届きました。待機の欄もありましたね」
翌朝、橘さんが車から降りるなり言った。
昨日の空欄が気になっていたので、読んでもらえてほっとする。今日は俺も、おにぎりを食べ終わっていた。
「母さんと確かめました。追加分の回答は、まだなんですけど」
「そこは会社同士で。今日の順番を合わせましょう」
昨日の曲がった枠は追加固定中で、今日は隣の区画だ。封印した青二本は会社に保管し、別の空缶を持ってきた。弁と容量計、番号は出発前に確かめてある。
橘さんも、青い缶を降ろした。
「そっちも使うんですね」
「講習と実技は受けてます。既知の弱い浮遊系だけですけど」
点検票と受講証、資格のカードが市の担当へ渡る。回収具には、先端の位置を固定する枠があった。
回収の話も出来る人なのか。嬉しくなって口を開きかけると、先に言われた。
「筋は見えませんから、こっちが使える説明にしてください」
「はい。場所と順番で」
今度こそ、待たせずに済むと思った。
区画には古い看板が重なっていた。長い一枚が斜めに浮き、その下に赤い縁の一枚が寝ている。
市と測定班が、発生源停止、生命反応なし、持ち主の制御から離れた残滓と確認した。板の下へ入らず支持台を差し込み、跳ねる側も押さえる。左右の帯を別々に留め、時間を置いた再確認のあと、回収具をつないだ。
「奥の、細いほうから取ります」
「細いの、どれです?」
橘さんは薄い看板を指していた。俺が見ているのは紫の筋だ。
「あ。板じゃなくて――」
がん、と下の看板が押さえに当たった。
裏返りかけた赤い縁を、帯が受け止める。俺は閉弁し、開始前の位置へ戻った。腹まで響く音だった。
「いったん止めます。下にも、別に残ってます」
押さえの追加と再測定を待ち、筋を追う。上下は別々だ。上だけ抜けば、下の重さの掛かり方が変わる。
「先に、そこの曲がって戻る所を支えてください」
「板は、だいたい全部曲がってます」
「右の、筋が分かれる――」
「分かれる物が、見えません」
橘さんの指が動かない。
焦るほど、俺だけに見える場所を話していた。
測定担当が床の四番を指す。俺は回収具を置き、線の外から見直した。赤い板の角に、白い塗装の剥げがある。
「四番から奥へ二十センチ。白く剥げた角の真下です」
今度は、同じ角に指が止まった。
位置と支持を確かめてから、下がる物も伝える。
「赤い板が台へ下ります。長いほうは、まだです」
「受けられます」
赤から順に回収した。俺が言い終わるところで、次の人の手が動く。それが嬉しかった。
上限前で閉弁し、別分類を混ぜず、開始と終了の値、番号と位置を記録して封印する。看板の曲がりは残った。
離れた小区画の帯は、独立した弱い浮遊系一種類だった。俺の分類を測定班が数値と照合し、橘さんの器材で扱える範囲だと確かめる。
「こちらは、お願いできますか」
「変化があれば、途中でも止めます」
床の印に枠を固定し、落ちる位置を確認して始めた。俺は筋を、測定担当は数値を追う。帯が下り、終了の合図で橘さんが閉弁した。封印と番号の照合も、自分で済ませる。
「最後まで、見えませんでした?」
「でも、どこへ下がるかは分かりました」
下りた帯を、二人で見た。一緒に終わらせられたのが嬉しい。
「次も全部、お願いしていいわけじゃないですけど」
「全部とは言ってませんよ。今日の範囲を、次も分かるように残しましょう」
まだ頼んでいない分まで断りかけていた。俺は記録へ書き足した。
*
昼前、看板が普通の資材として運べると確認された。
表の白い字は、大特売。
あの音を出して起き上がりかけたのが、これだったのか。字が読めると、少しだけ親しみが湧いた。
曲がった角まで養生し、橘さんの指示で運び出した。
午後、現場の記録と搬入時の控えを並べた。
橘さんが下の一枚を引き出し、俺は日付へ指を置く。
赤い看板の裏の管理刻印は、今日、位置を記録する時に確かめている。同じ刻印の荷物が、控えでは昨日の午後、隣の区画へ搬入されたことになっていた。
「今朝まで、こっちは誰も動かしてないんですよね」
市の担当が前日の立入記録を開く。
昨日の朝の写真にも、同じ欠けのある赤い縁が写っていた。今日回収した位置と同じだ。
「日付か、区画か。原票と、搬入前の写真も照会します。今は、ここまでの食い違いとして残します」
字が読めるようになれば、全部分かるわけでもなかった。
同じ刻印の別の品かもしれないし、控えが書かれた順番もまだ分からない。
俺は今日見た回収位置を変えずに書き、搬出記録とは分けて渡した。
缶は自分の車の固定枠へ収める。橘さんの缶も、本人が自分の車へ固定した。引渡しの記録は、それぞれに残す。
*
規制線の外で、荷物と道具の照合が終わった。
十五時五十八分。
「よし、帰るぞ。今なら四時に出られる」
橘さんが車の鍵を出した。
朝から何度も時計を見ていた人が、ようやく時間を気にせず笑った。
俺も道具袋を持ち直す。今日は帰ってから、少しゆっくりできそうだ。
「ああ、いたいた。そこの清掃の人」
資材置場の隣の店から、おばあさんが顔を出した。
振り返ると、まっすぐ俺を見ている。
この格好をしていると、目が合う前に顔をそらされることが多い。向こうから呼んでもらえると、それだけで少しほっとする。
「はい?」
「テレビで見たわよ。すごい力を吸い取るんでしょう?」
「吸い取るというか、回収です」
「じゃあ、これもお願いできる?」
両手で差し出されたのは、ジャムの瓶だった。
「ふたが開かないの」
俺は道具袋を下ろした。
瓶なら、すぐに済む。
それに、おばあさんの指先が少し赤い。来る前にも、ずいぶん頑張ったのかもしれない。
受け取って、ひねる。
ぽん、と開いた。
「まあ! さすがねえ」
「これは普通に開けました」
「遠慮しなくていいのよ」
遠慮ではなかった。
ただ、開いた瓶を見て嬉しそうにしているので、もう一度説明するのはやめた。
何の力を使ったことになっていても、ジャムは食べられる。
おばあさんが店へ戻り、もう一本持ってきた。
俺が手を出す前に、橘さんが受け取る。
「これなら俺でも。三枝さんは道具を積んでください」
ぽん。
「あら、あなたも!」
「はい。では、俺たちは――」
「ちょっと待ってね」
橘さんの手が、車の鍵を握ったまま止まった。
俺も道具袋を持ったまま待った。
おばあさんが戻ってくる方向を、二人で見ている。
三本目が出てきた。
「最後。これで最後だから」
「じゃあ、俺が」
年上の作業員が受け取った。
ぽん。
「助かったわあ。ありがとうね」
若い作業員も、両手を差し出した。
おばあさんが、その手を見た。
「ごめんね。もうないの」
手が、ゆっくり下がった。
「……ですよね」
俺は、下がった手を見てしまった。
さっきまで、自分の番を待っていたのだと思う。
朝からあれだけ荷物を運んでいた手が、今は何も持たずに下がっている。俺たち三人の開けた瓶を見比べているのが、気になった。
「よし。帰るぞ」
橘さんが車のドアを開けた。
「はい」
返事をした若い作業員は、まだ瓶を見ていた。
「俺も、開けられるんですけど」
「分かってるよ」
「けっこう力、あるんです」
「知ってる。朝、荷物持っただろ」
俺は、おばあさんの手元を見た。
瓶とふたは、三つずつある。
まだ、何とかなる気がした。
「一回閉めたら、もう一回開けられますよ」
若い作業員が顔を上げた。
「いいんですか」
「駄目だ。仕事を作るな」
橘さんに止められた。
たしかに、開いている瓶だった。
今から閉める理由は、俺たちの側にしかない。
「だって、俺だけ何もしてないんですよ」
「清掃しただろ! 今日ずっと!」
それも、そうだった。
あの人は朝から重い物を何度も運んでいた。瓶を一本開けなかったくらいで、なくなる働きではない。
俺が変な提案をしたせいで、かえって気にさせたかもしれない。
何か言おうとしたところで、おばあさんが瓶を持ち上げた。
「じゃあ……閉めてもらおうかしら。まだ使わない分もあるから」
「やります!」
若い作業員が、ぱっと受け取った。
さっき下がった肩が戻っている。
よかった。今度は本当に、必要な仕事だ。
ふたを合わせ、きゅっと回す。
念のため、もう一回。
続けて、残りの二本にもふたをした。頼まれていない分まで、きっちりと。
「はい。これで大丈夫です」
「ありがとう。じゃあ、こっちは今日使うから」
おばあさんが、ふたを回した。
回らなかった。
若い作業員が、すっと目をそらした。
俺も、瓶を見る。
さっき俺が開けたやつだった。
橘さんが車のドアを閉めた。
「開けるところからやり直しかよ!」
若い作業員の耳が赤くなった。
おばあさんは困ったように笑っている。
俺は、いったん車へ積んだ道具袋を横へずらした。両手を空けて、瓶を受け取る。
力を入れすぎただけだ。手伝いたかったのは、ちゃんと分かる。
「大丈夫です。今度は俺、閉める係に回りますね」
「誰も閉めなくていいです!」
役割を決めたほうが早いと思ったのだが、違ったらしい。
まずは、このふたを開けよう。
今度こそ、おばあさんがジャムを食べられるところまで。
ふたが開くと、おばあさんは今日使う瓶だけを先に店へ持っていった。
残る二本には、俺も手を出さなかった。
*
夕方、会社へ戻って保管を終えると、母さんが端末を差し出した。淹れたばかりのお茶の匂いがする。
「工藤さんから、さっき連絡。黒い缶の受取人は、まだ分からないって。現物は隔離を続けるそうよ」
「今日の看板の話とは、別だよね」
「うん。そっちの資料は、今から担当へ送る。どっちも、原票を照らすところから」
朝帆さんからの次の連絡は、二日後の夕方まで。分かった範囲を会社へ知らせてもらう。
時刻を記録してから、母さんが明日の予定を指した。
「カサネの相談。律さんも、撮影の確認に来るって」
「分かった。説明する時、先に本人にも見てもらう」
端末を返して、母さんの淹れたお茶を受け取った。
「今日は、何か追加があった?」
「瓶を三本、開けた。一本だけ二回」
母さんが、俺の顔を見る。
看板のことなら、もう記録に書いてある。
瓶のほうは、少し説明が要りそうだった。