【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です 作:シラヌイ321
律は、ストップウォッチを持っていた。
「一分でお願いします」
「何を?」
「最初の自己紹介です。今日は市の方も話すので、湊さんの説明は短めに」
翌日の朝、閉鎖工場の外にある休憩室で、俺たちは机を挟んでいた。
窓際の電気ポットが、ごぼ、と鳴る。
俺は湯を注ぐのを止め、律の時計を見た。
「名前と会社だけなら、そんなに要らないだろ」
「それで済むなら、そうしてください」
妙な念の押され方だった。
今日はカサネの相談がある。
市と管理側が、次に確認する物と日程を話す。そのうち本人がよいと言った部分だけ、律が公開用に撮影する予定だった。
工場の中はまだ写さない。カサネも、ここには来ていない。
カメラは蓋をしたまま机の端にあり、録画も配信も始めていなかった。
「じゃあ、俺も練習していい?」
「どうぞ。測ります」
紙コップを置き、律を見る。
「三枝環境サービスの三枝湊です。戦闘が終わった後に残る力を、種類ごとの缶へ――」
律の指が、時計を止めた。
「もう、説明に入りました」
「名前は言ったぞ」
「そこから先が一分に入るんです」
仕事を聞かれたと思うと、どこまで言うか迷う。
吸えない力だけ抜かすわけにもいかない。
律は椅子を寄せ、俺の言葉を書き留めずに聞いた。
「まず何の会社か。そのあと、今日ここですること。細かい条件は、質問が出た時に答えませんか」
「分かった。じゃあ、もう一回」
時計が動き出す。
「三枝環境サービスの三枝湊です。今日は、カサネが残したい物の相談に来ました」
口を閉じた。
律が時計を止め、画面と俺を交互に見る。
「それです。今のなら、後の話を始められます」
「だいぶ余ったな。一分」
「余った分を埋めなくていいです」
足そうとしていた一言を、飲み込んだ。
廊下から、硬い足音が近づいた。
カサネは扉の手前で体を横へ向け、角をぶつけないよう入ってきた。
市の相談担当も一緒だ。管理担当は壁際へ寄り、カサネの座る場所を空ける。
「湊。今日は、これ」
厚い手が、小さく畳んだ紙を差し出した。
前に残すと決めた六件を、担当と確かめた控えだった。石と蓋と瓶の並びには、カサネが丸を三つ足している。
「ここ、まだ動かさないよな」
「うん。今日も、勝手には動かさない。何か、追加で聞きたい?」
「瓶の水。運ぶ日、全部捨てるの?」
相談担当が自分の控えを開いた。
管理担当も、処分札を出さずに座る。
律は机の端のカメラへ手を置いた。
蓋には、まだ触れない。
「始める前に、撮影の確認をさせてください。話している姿と声を、公開する動画に使ってもいいですか。映したくない物や話したくないことがあれば、そこは撮りません」
カサネの指が、紙の折り目を押さえた。
カメラを見て、律へ目を戻す。
「俺、撮られたくない」
律はカメラから手を離した。
「分かりました。今日は撮りません」
電源を入れていないカメラを、蓋の付いたままケースへ戻す。
音声用の機材も、接続せずにしまった。
誰も、理由を聞かなかった。
カサネは、紙を俺の前から引いた。
「じゃあ、これも、また今度?」
「相談は、このままでいいよ」
俺が言うと、カサネは相談担当の控えを見た。
「撮らなくても、話していい?」
「もちろんです。今日、瓶の水のことを聞きたかったんですよね」
相談担当が、開いたページをカサネのほうへ向ける。
「作業の記録には必要なことを残します。それも、今ここで確かめながら書きます。公開の動画とは別です」
紙が、机の真ん中へ戻ってきた。
カサネの指が、三つの丸のうち、一番下へ置かれる。
「この音、変わっちゃうだろ。水、なくなると」
ポットの湯が沸き、律が保温へ切り替えた。
机の上には、カメラの代わりに紙コップが並んだ。
「今、ここから全部運ぶとは決めていません。運ぶことになった時の、水の扱いを確かめる、でいいですか」
管理担当の問いに、カサネがうなずく。
「瓶だけ、先に空っぽにするのは嫌だ。最後まで、音、聞きたい」
「分かりました。移す日を決める前に、水を残せるか、どの容器が使えるか、担当へ確認します。割れる物ですから、今ここで持って運ぶとは約束できません」
「じゃあ、来る前に教えて」
「はい。作業に来てから決めずに、先に連絡します」
カサネは、自分の紙へも丸を足した。
何の印か聞くと、瓶を先に空にしない話をした印だという。
「これだけだと、来た人に分かんないかな」
「隣に、今決めたことを書こうか」
「うん。俺の紙にも」
同じ文を二人で読み、担当の記録と並べて確かめた。
水の運び方は、まだ決まっていない。
先に聞く人と、返事をもらってから作業日を決める順番は、決まった。
律は紙に手を伸ばさず、カサネへ向き直った。
「動画は、予定を変更するとだけお知らせします。今日ここで話したことや、撮らない理由は出しません」
「うん。俺のことは、言わないで」
「はい」
カサネが紙を畳む。
律のカメラケースは、閉じたままだった。
「前の写真は、どうなる?」
俺が端末を出す前に、カサネが聞いた。
「石の並びを、次に同じように置けるよう残したやつ?」
「そう。あれは、使っていい。俺も、あとで見たいから」
「分かった。あれは作業用のまま。公開には使わない」
端末を出さずに返事をした。
前に一度いいと言ってもらったことを、今日の全部へ広げずに済んだ。
廊下へ出ると、工場側から雨滴の音がした。
カサネが途中で止まり、俺と律を見る。
「二人とも、聞く?」
律が、自分のケースへ目を落とした。
「持っていかなくてもいいですか」
「うん。それ、置いてきて」
相談担当が休憩室の管理者へ保管場所を確かめてくれた。律は閉じたケースを預け、両手を空ける。
カサネは俺たちがそろうのを待ち、今日入ってよい区画を担当と確かめてから、いつもの曲がった道へ入った。
青い石に一滴当たり、白へ流れる。
ちん、ちん、ぽん。
「今日は、こっちが先に鳴る」
カサネが、俺に場所を空ける。
俺は座り、律も一人分離れた所へ腰を下ろした。
次の一滴が落ちた時、律の手が上着のポケットへ動き、途中で止まった。
律は何も取り出さず、手を膝へ戻した。
カサネは瓶を見ている。
俺も何も足さず、次の音を待った。
休憩室へ戻ると、窓の下まで日が差していた。
カサネは相談担当と、工場側の次の確認へ戻った。俺と律は、預けた荷物を受け取りに来たところだ。
机のポットが、また小さく鳴った。
「さっきの短い自己紹介、覚えておいてください。別の回でも、使えますから」
律が時計をしまおうとした。
八秒で話せたなら、今度も同じくらいで済むだろうか。
俺の説明だけ、短くしてもらったままだ。
俺は時計を受け取った。
「律は、どう始めるんだ?」
「僕ですか。こんな感じです」
椅子を少し引き、背筋を伸ばす。
俺が押すと、律の声が一段明るくなった。
「今日は、先日お見せした清掃のお仕事、その後のお話です。画面に映っていないところで何を確かめているのか、三枝さんに伺っていきます」
机の向こうへ片手を差し出す。
俺は自分を指し、律がうなずいたので、頭を下げた。
「まず、ここへ来るまでのことを少しだけ。前回の講習では――」
話が始まった。
律は、相手が答える間だけ俺を見る。俺が口を開きかけると、時計の画面へ顎を向けた。
まだ、律の番らしい。
清掃の後にも確認が続くこと。
作業に入る前には、誰と何を確かめているのか。
どこを見てほしいかを、机の上へ順に置くような話し方だった。
五十秒を過ぎた。
律の手が膝へ戻り、声も落ち着く。
「それでは最初に、自己紹介からお願いしましょう」
俺は時計を止めた。
律が椅子を寄せてくる。
「どうでした?」
「俺が始めるまでに、一分かかった」
「これは導入です」
俺は紙コップへ手を伸ばした。
律も飲もうとする。そこで、時計を彼の前へ向けた。
「名前と会社なら、八秒だったんだけど」
「役割が違うんです。初めて見る方が入りやすいように、必要なことを先に――」
もう一度、時計を動かした。
律の説明が、ぴたりと止まる。
「何で今、測り始めたんですか」
「必要な説明が、どのくらい増えるかと思って」
律は俺の手から時計を取り、二つの記録を見た。
八秒と、一分。
長いほうの数字を消そうとして、指を止める。
「……僕の前置き、削れますね」
俺がうなずくと、律はまた椅子を引いた。
気をつけていたはずの明るい声が、戻る。
「はい、それでは。今日は前置きを短くするために、まず――」
自分で口を押さえた。
俺の手の中で、紙コップが少し鳴った。
「律。お茶、冷めるぞ」
彼は椅子へ座り直した。
「始める前が、いちばん長いんです」
「今のでよかっただろ、最初から」
律は返事をせず、両手でお茶を飲んだ。
管理担当が扉を開けた。留めていた金具の音に、俺は紙コップを置いて振り返る。
廊下に立てた案内用の支柱を、担当が指した。
「これは今から外します。機材は、どこまで運びますか」
律がケースの留め具を開かず、持ち手だけを起こした。
「一緒に、片づけさせてください」
俺は手袋を出した。
撮影はしなかった。帰る前に運ぶ物は、まだある。