【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です   作:シラヌイ321

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片づけが終わるまで、カメラはしまったままです。


第16話 見せない映像にも、仕事はある

 律は、カメラのケースを閉めたあとも、留め具を親指で押していた。

 

「閉まってるぞ」

「あ、はい。分かってます」

 

 返事をして、もう一度押す。

 いつもなら帰り道に撮ったものを確かめているのに、今日はケースから手を離すきっかけを探しているように見えた。

 俺も、弁を閉めたあとに容量計を何度も見直すことがある。忘れ物がないのに、何か一つ足りない気がする時だ。

 

 休憩室の外では、管理担当が案内板を外していた。

 カサネは相談担当と工場側へ戻っている。俺たちが帰るまで、ここで待っていてもらう必要はなかった。

 

「今日の分、撮れなくて困った?」

 

 口にしてから、聞き方が悪かったと思った。

 カサネが断ったせいで、という話にしたかったわけじゃない。

 

「いや。今、何か俺にも手伝えることがあればと思って」

「予定変更のお知らせは、戻ったら僕が出します。それは大丈夫です」

 

 律は持ち手を立てた。

 

「撮らないって決めたのは、後悔してないんです。ただ……帰ってから、何を見ればいいのかなって」

「見る?」

「いつもは映像を見直して、出したら反応を見るんです。最後まで見てもらえたかとか、どこで分からなくなったかとか。何も出さないと、今日の自分に何点をつけたらいいのか、分からなくて」

 

 ケースの上を指でなぞり、途中でやめた。

 

「相談、ちゃんと続きましたよね。あれでよかったのに、僕だけ物足りないのも、嫌なんです」

 

 俺は、すぐには返事ができなかった。

 今日の律に何点をつけるかなんて、考えたこともない。

 ただ、カサネが紙を机の真ん中へ戻した時には、ほっとした。律がカメラをしまうのを見てからだった。

 

「俺は、いてくれてよかったけど」

「ありがとうございます」

 

 律が笑った。声は小さかった。

 言った俺のほうも、これで気が済んだだろうとは思えない。俺だって「助かった」と言われたあと、帰ってから自分の説明を思い出して、もっと短く言えたなと思う日がある。

 

 廊下の向こうで、こつん、と音がした。

 案内板を外した三本の支柱を、管理担当が台車へ寝かせている。丸い台座の縁には、乾いた泥が付いていた。

 

「律。手伝ってくれるなら、あれ洗わない?」

「支柱ですか」

「うん。普通の泥。今日はあれが立ってたから、みんな迷わず来られた」

 

 律は支柱を見た。

 

「一回も、映してませんね」

「俺も、帰る時になって見た」

 

 偉そうに言えるほど、ずっと気に掛けていたわけでもなかった。

 管理担当に聞くと、外の洗い場を貸してくれた。洗って乾かしてから、休憩室の物置へ返すものだという。

 律はケースを乾いた室内へ置き、借りた手袋をはめた。

 

     *

 

 泥は、水を掛けると案外あっさり落ちた。

 俺が台座の縁を洗い、律が支柱を拭く。布を一往復させるたびに、曇っていた銀色が戻ってくる。

 

「これ、どこまでやれば終わりですか」

「泥を取って、水を拭いたら。傷は、そのままでいい」

「この線、さっきから気になってたんですよ」

 

 律が同じ所をこするのをやめた。

 細い傷だった。光の向きで白く見えたり、消えたりする。

 

「落ちなかったら、俺に聞いて。取れない物をずっと拭くと、疲れるから」

「経験あります?」

「塗装。下の色が出てきて、やっとやめた」

「それ、きれいになったんじゃなくて、削れてますよね」

「うん。母さんに、そこまで取るなって言われた」

 

 律が、布を当てたまま笑った。

 笑い終わってからも、口元が少し上がっていた。

 ほっとして、俺も残りの泥へブラシを戻す。さっきより、話しながら手を動かしやすかった。

 

 三本を乾いた場所へ並べると、洗い場には使った布が残った。

 管理担当から借りたものなので、すすいで、脇の干し台へ掛けて返す。

 干し台は二本の脚だけが出ていて、間に張るひもは箱にしまってあった。

 律は二枚目をすすぎ、俺は最初の一枚を絞った。

 

「洗濯ばさみ、どこですか」

「その箱だって」

 

 指した箱には、輪になったひもと洗濯ばさみが絡まって入っていた。

 管理担当が、しまう時に一緒に入れてしまったと言っていたやつだ。

 

 片手で引くと、全部ついてきた。

 両手が要りそうだったので、絞った布を律へ渡そうとする。律も両手に、二枚目を持っていた。

 

「あ、俺が持つよ。律、箱のほう頼める?」

「はい。じゃあ、これも」

 

 一枚目を左の腕へ掛け、二枚目を右へ受け取った。

 腕に広げると、布の端が地面へつかずに済む。

 これなら、律がほどく間だけ待てる。せっかく洗った布を、また泥の所へ置きたくなかった。

 

「三枚目も、先に絞っちゃいますね」

「うん」

 

 律が最後の布を絞った。

 俺の右腕と左腕を、順に見る。

 

「肩、いいですか」

「いいよ」

 

 肩へ掛かった布は、首の後ろへ滑りかけた。

 ひやっとして、思わず顎が上がる。

 

「冷たかったですか」

「平気。背中へ入ると、ちょっと困るけど」

「じゃあ、もう少し前で」

 

 律が布を直した。今度は、胸の前へ長く垂れる。

 俺が下を向くと、鼻に当たった。

 

「あ。そのまま、顔は上げててください」

「はい」

「左腕、もう少し外で。そっちの布と重なってます」

「こう?」

「そうです。右も少し。……いいですね」

 

 言われた位置で止まった。

 両腕に布を掛け、顎を上げ、胸にも一枚。

 律は一歩下がって全体を見た。

 

「うん。きれいに広がりました」

 

 俺も、三枚とも地面へついていないのを確かめた。

 よかった。どれも洗い直さなくて済む。

 

「それで、洗濯ばさみは?」

 

 律の視線が、足元の箱へ落ちた。

 まだ、開けた時のままだった。

 

「……すみません。つい、形を整えてました」

「うん。俺は、よく整ったと思う」

 

 右腕の布から、水が一滴落ちた。

 律は俺の顔を見て、唇をかみ、それから横を向いた。

 肩が揺れている。

 

「支柱を片づけたのに、一本増えてる」

 

 声に出すと、もう堪えられなかったらしい。

 箱を拾い上げ、笑いながらひもをほどき始めた。

 俺は腕を上げたまま待った。

 さっきケースの留め具を押していた時とは、ずいぶん違う顔だった。

 こうなるとは思わなかったが、今、手伝えているのは分かる。

 

「律。急がなくていいけど」

「はい」

「乾くまで俺に掛けるのは、やめてほしい」

 

 律がさらに笑って、ひもを落とした。

 急がせないほうが早いと思ったのに、また止めてしまった。

 

 

 律がほどいたひもを二本の脚の間へ張り、俺の腕から布を取った。

 三枚とも干し台へ移ると、腕が軽くなった。

 俺は肩を回し、律は洗濯ばさみを三つ、使いやすい向きへそろえた。

 

「今のは、撮らなくてよかったです」

「変だった?」

「カメラ持ってたら、布を取れないので」

 

 それは困る。

 俺はうなずいて、空いた手で残りの箱を運んだ。

 

 乾いた支柱を物置へ戻し、管理担当に置き場所を見てもらう。

 

「助かりました。次は、ここから出せばいいんですね」

「はい。三本とも、この列です」

 

 律が、自分の戻した一本を指した。

 扉が閉まるまで、その先端を見ている。

 

 休憩室で機材を受け取ると、律はケースの留め具を一度だけ押した。

 

「帰りましょうか」

「うん」

 

 俺が扉を押さえると、律が台車を出した。

 持ち手を渡す時にも、まだ少し笑っていた。

     *

 

 会社へ戻ると、母さんは電話を終えたところだった。

 俺が相談の控えを渡すと、水の運び方がまだ決まっていない欄へ目を留める。

 

「返事が来たら、先にカサネへね」

「うん。作業の日は、それから」

 

 母さんが控えを閉じる。

 机の端には、黒い缶についての連絡メモもあった。

 

「工藤さんからの途中経過、明日の夕方までだよね」

「そう。分かった範囲で、会社に連絡をもらうことになってる」

 

 今ここで、答えが出たわけではなかった。

 俺は明日の予定の横に印を付け、今日使った道具をしまった。

 

     *

 

 夜、青葉荘へ帰ると、二〇二号室の扉が開いた。

 灯也は眼鏡を押し上げ、俺の手元を見た。

 

「帰ってきた。今日、九時から空いてる?」

「うん。風呂入って飯食ったら」

「よし。この前、勝てなかったところ、いけそうなんだよ」

 

 言いながら、片手で空中に道を描く。

 右へ行きかけた指が戻り、今度は左へ伸びた。

 

「入口の敵は俺が引くから、お前はこっち。で、俺が合図したら橋を渡って。早いと落ちる」

「灯也が?」

「俺が。ちゃんと待って。すっげえ格好悪いから」

 

 落ちたところを想像して、笑ってしまった。

 灯也は俺を指した。

 

「笑うけど、助けに来てお前も落ちるだろ」

「前は、届くと思ったんだよ」

「二人いなくなって、敵だけ橋の上に残ったんだぞ」

 

 あれは、しばらく画面を見ていた。

 俺たちがいなくなっても、敵は律儀にこっちを待っていた。灯也が先に吹き出したせいで、俺まで操作をやり直せなくなった。

 

「じゃあ、今日は先に待ってる」

「頼む。勝ったら次の場所、見に行こうぜ」

 

 灯也の声につられて、まだ知らない景色が楽しみになった。

 そこまで行けるかどうかは、まず橋を渡ってからだ。

 

「九時な」

「おう。飯、ちゃんと食ってこいよ」

 

 俺は自分の部屋の鍵を開けた。

 靴を脱いで、スマホに九時の通知を入れる。

 誰かが待っている時間を、今日は俺も楽しみにしていた。

 

     *

 

【青葉荘・二〇二号室/端末に残る私信】

【止まり木・匿名相談】

 

窓番:夜帳さん。相談の続き、話せますか。

 

夜帳:少しなら。

 

夜帳:昔のことを知らない友達がいる。

夜帳:話したら、今まで一緒にいたことも、全部嘘だったって思われそうで、怖い。

 

窓番:その人に、何を伝えたいですか。

 

夜帳:あの倉庫で、救援を止めたこと。

夜帳:でも、友達でいたいって言っていいのか、分からない。

 

窓番:相手の答えを、ここで約束することはできません。

窓番:伝える言葉を、一緒に考えることはできます。

 

夜帳:……じゃあ、そこから。

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