【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です   作:シラヌイ321

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回収できるものと、修理してもらうもの。


第17話 その自転車は、まだ浮いています

 自転車の持ち主が、空中に残っている後輪を見ていた。

 

「これ、押して帰れませんか」

「今は押さないでください。手を放した先まで動くかもしれません」

 

 地面から指三本ほど浮いた前輪の下を、砂が転がっていく。自転車は横倒しになりかけた姿勢で止まっていた。スタンドは出ていない。こういう止まり方を、取扱説明書はたぶん想定していない。

 

 俺も想定していなかったので、まず測定担当を呼んだ。

 

 市から引き継いだ場所は、戦闘の終わった通りの端だった。退けた廃材の間に、前かご付きの自転車が一台残っている。飛んだ部材に巻き込まれたと聞いているが、そこまでは俺が見たわけじゃない。

 今ここに攻撃はなく、発生源の停止は隊から確認を受けた。持ち主の制御を離れた浮遊系の残滓が、泥よけと車体の間に絡んでいる。生命へつながるものではない。

 

「鍵だけでも取っていいですか」

「そちらも、下ろしてからでお願いします」

 

 男性の手が上着のポケットへ戻った。鍵をかけて停めた自転車が、鍵をかけたまま浮いている。帰る足がなくなった人に、ただ離れていてくれと言うのは簡単だ。離れた先で何を待てばいいかも伝えないと、次に手が出る。

 

「支えを入れて、残った力だけを抜きます。下ろせたら、車体の傷みを見てもらいましょう」

「その人も直してくれるんですか」

「俺は回収までです。修理は、自転車屋さんに」

 

 曲がった前輪が、ここからでも分かった。力を抜いた後に真っすぐになる予定はない。

 

 規制の外のベンチで、真白さんが左手を上げた。今朝、通院で外へ出ると連絡をもらっていた。帰りに、持ち主の男性から声をかけられたらしい。俺たちが来るまでは、男性と一緒にそこに座って待ってくれていた。

 右肩をかばう腕の位置は、前に会った時と変わっていない。

 

「三枝さん。修理先は、まだ決まっていません」

「分かりました。ここは俺たちでやります。真白さんも、そのまま座っていてください」

「はい。立つところから止められると思いました」

 

 立つ用事がありそうな言い方だったので、俺は一度ベンチの足元を見た。水のボトルが、少し先に置いてあった。

 

「これですか」

「それです。もう少しだけ左へ」

 

 届くところに置き直すと、真白さんは左手で受け取った。俺に頼んで済むことだった。俺も今、立ち上がる理由を一つ減らせた。

 

 母が車から支持台を出し、同行の作業員と置く位置を確かめる。俺は車体の重さが戻る方向を伝えた。手で押さえ続けるやり方にはしない。前後と横倒しを受ける器具を入れ、測定担当が周囲の反応を見ている間に、もう一度、誰も車体へ手を伸ばしていないかを確かめた。

 

 今日の青缶は、会社に保管してある二本とは別の、点検済みの空缶だ。開始値と番号を控え、浮遊系の容量に余裕があることを確認する。熱系の缶の弁は閉じたまま触らない。

 

 測定担当が、周囲の反応が安定していることを告げる。発生源の停止確認も変わっていない。

 

「下がる時に少し傾きます。支えは、そのままで」

 

 回収口を向ける。

 絡まった筋がほぐれるにつれて、前かごがゆっくり下がった。タイヤの底が支持台へ触れ、金具が短く鳴る。俺は音のした方を見て、支えの位置がずれていないことを確かめてから、残った細い筋へ回収口を戻した。

 

 最後の一筋が切れた。

 弁を閉じる。車体は跳ねず、支持台へ収まっている。

 

 開始値と終了値、周辺の反応を測定担当と照合した。缶は容量の範囲内で閉弁し、封印と番号を確認して、車の所定の枠へ固定する。

 自転車を自立させられるかは、まだ別の確認だ。

 

「もう浮きませんか」

「残った力は回収できました。ただ、前輪が曲がっています。乗らずに修理店で見てもらってください」

 

 男性は一歩近づき、前かごの縁へ目を落とした。かごの端に、小さな結束バンドが三つ並んでいる。

 

「これ、自分で付けたんです。袋を引っかけるのに」

 

 掌が、その三つの少し手前で止まる。

 俺は新しい自転車の値段を知らない。修理代も、店で見てもらうまでは分からない。だから、もう直りませんとも、買った方が安いとも言えなかった。

 

 母は修理店への運搬について、車体を固定する作業と運ぶ距離を分けて説明した。回収の費用は市の窓口で確認する範囲とし、私物を修理店へ運ぶ分と店の修理代を一緒にしない。

 

「お店で金額を聞いてから、修理するか決められます。運ぶのをうちへ頼むかも、ここで決めなくて大丈夫です」

「持ち帰って考えるにも、持ち帰れないんですよね」

「そうなんです。そこは先に金額を出します」

 

 母は、気の毒だから全部こちらでやる、と言わなかった。

 男性が聞き直した分も含めて、何をどこまで引き受けるのかを並べる。ここが曖昧なままなら、直った自転車に乗る時も、何か請求が残っていないか考えることになる。

 

 男性は運搬の見積もりを読み、店へ持っていく方を選んだ。

 

「お願いします。まだ、これに乗りたいので」

 

 母が行き先と受け入れを店へ確認する間、真白さんは男性へベンチの空いた方を示した。

 

「一緒に待ちませんか。私はまだ、座る方の係なので」

「じゃあ、俺もそっちの係で」

 

 席が二つ埋まった。支持具の確認は、作業員と声をかけ合って済ませる。二人がこちらへ目を戻したので、俺は車へ運べる段階になったことだけを伝えた。

 

 

 修理店の奥では、チェーンを送る小さな音が続いていた。油の匂いのする床へ固定台を置き、店の人に車体を引き継ぐ。

 男性も別の移動手段で来て、修理の説明を一緒に聞いた。

 

 前輪を交換するか、どこまで調整できるか。ほかにも傷みがないか。店の人は一度回して止め、費用と受け取りまでの日数を伝えた。

 男性は、かごの結束バンドを外さずに済むかと聞いた。

 

「かごは、このままで大丈夫ですよ」

「それなら、直してください」

 

 返事の後で、男性の指がやっとバンドへ触れた。

 うちの作業は、ここまでだ。自転車は直っていないが、次に何を待つかは決まった。

 

 控えを受け取る時、男性が運ばれる前のことを話した。

 

「最初、安くまとめて運んでくれるって聞いて、ほかの荷物と一緒に預けたんです。こんな所へ来るはずじゃなかったんだけど」

 

 母のペンが止まる。

 

「どちらへ預けたか、分かる物は残っていますか」

「受け付けた時のは、家にあると思います」

「市の窓口へ、そのまま伝えていただけますか。うちからは、今日伺った範囲だけ連絡します」

 

 まだ名前も控えも確認していない。安かったという話だけで、看板や黒缶と同じ所へ線を引くわけにはいかない。

 男性は窓口の連絡先を確かめてから、店を出ていった。

 

 母が俺へ向き直る。

 

「で、こっちもお願い」

 

 車に積んでいた母の買い物用バッグが、作業台の端へ置かれた。底の一角に、今朝の水たまりの泥が乾いている。

 

「ついでに拭くよ」

「これは私用。仕事で頼むから、ついでにしないの」

 

 俺は布を出しかけた手を止めた。

 客には言えた見積もりが、母親相手だと出てこない。さっきの説明を聞いていた俺が、まず練習することになった。

 

「じゃあ、底と持ち手。内側は触らない。これならいつもの小作業の分で」

「はい。それでお願いします」

 

 母が背筋を伸ばして頭を下げたので、俺もつられて下げた。修理店の人が奥からこちらを見た。母子で、泥の付いた袋を挟んで契約している。

 

 中身を母に出してもらい、閉じた内袋には触れず、外側を拭く。布を分け、底が乾くのを待って、母に仕上がりを見てもらった。

 

「いいね。じゃ、これも一緒に持って帰って」

 

 足元に、もう一つ大きな袋が出てきた。

 俺は小さい方を畳み、大きい方の持ち手をつかむ前に、一応言った。

 

「運ぶのは別の話だよ」

「うん。行き先を聞いて」

「どちらまででしょうか」

 

 変なところで丁寧になった。

 母が大きな袋を開ける。見覚えのある袖が、一番上から出ていた。俺が会社へ置いていった私用の上着だ。その下にも、俺のタオルと、俺の洗濯袋がある。

 

「青葉荘の二〇一号室」

 

 俺は袋の中を見た。もう一度、母を見た。

 

「お届けする相手は」

「三枝湊さん。帰ったらクローゼットへ入れてもらって」

 

 母の目が俺の手元へ動く。俺は持ち手をつかんだまま、行き先も受取人も訂正できなかった。

 

 自分の洗濯物の配達料を、自分に見積もるところだった。

 

「……それは俺が持って帰る」

「じゃ、お願い。袋も返してね」

 

 そこから母親の声に戻った。

 俺だけがまだ、接客の続きをする口になっていた。袋を車へ運びながら、修理店の人には聞かれていないことを祈った。

 

「お届け先、決まりましたか」

 

 奥から声がした。

 俺は自分の袋を少し持ち上げた。

 

「本人が取りに来ました」

 

 

 夕方、会社へ戻ると電話が鳴った。母が出てスピーカーに切り替え、俺は青缶の保管記録を書き終えてから隣に座る。

 

 朝帆さんからの途中経過だった。約束していた今日の連絡だ。

 黒缶の受取人と中身、そこまで来た経路は、まだ確定していない。現物は隔離を続ける。看板の原票と搬入前の写真についても照会中で、追加見積もりは承認待ちだった。

 

 俺たちからは、今日の自転車の持ち主が、安い運搬へほかの荷物と一緒に預けたと話したことを伝えた。控えは未確認で、本人から窓口へ連絡してもらう予定だと添える。

 朝帆さんは聞いた話と確認できた物を分けて受け取り、新しく照合できたことがあれば会社へ連絡すると言った。まだ、同じ業者とは決まっていない。

 

 受話器を置いた母が、明日の作業予定を俺の方へ寄せる。

 

「奥の区画に入る前に、待つ時間も確認しよう」

「うん。俺からも、朝に聞く」

 

 車の鍵を返して、私物の袋を持つ。仕事の記録と一緒に置きそうになって、持ち直した。

 

「それ、家までだよ」

「分かってる」

 

 明日の段取りは、まだ机にある。

 今日の荷物は、俺が家へ持って帰る。

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