「会社の広告って言ったよな?」
「言った。だから会社名をいちばん大きくしてる」
灯也が画面を指した。会社名は確かに大きい。その下で、保護面をつけた俺がほうきを握っていた。顔に深い影が落ち、背後から逆光が差している。
映画なら、最後の扉を開けた先で、玉座に座って待っている人の照明だ。
「もう少し、明るくならないか」
「了解」
背後の光が強くなった。
俺の顔は、ますます見えなくなった。
「そっちじゃなくて、顔を」
久住灯也は、近所に住んでいるゲーム仲間だ。画像を作る仕事をしていて、その腕を余計なところにも使う。金曜の夜に四人で集まって遊ぶだけの予定表に、『終焉の金曜日』と題をつけてきたこともある。やったのは普通の協力プレイで、終焉したのは俺のキャラクターだけだった。
駅前の配信から一夜明けて、会社の電話は朝から鳴りっぱなしだった。ただし、仕事の依頼はほとんどない。
あの黒いのは本物ですか。掃除機の型番を教えてください。息子がサインを欲しがっているんですが。
母はその全部に「清掃のご依頼でしたら承ります」と答え、受話器を置くたびに肩を回していた。
見かねた灯也が、昼前にふらっと事務所へ来て言ったのだ。何を頼めるのか一枚にまとめて載せておけば、少なくとも型番の電話は減る、と。
それで今、三枝環境サービスの事務所の隅で、俺たちは広告を作っている。
灯也が光の向きを変えて、ようやく俺の顔が見えた。相良さんに使っていいか確認した、装甲を脱いだあとの写真だ。ちょうど背中を伸ばした瞬間なので、姿勢だけはいい。
黒い鎧の写真も候補にはあった。でも、普通の部屋の掃除も頼めると伝えたかったから、こっちを選んだ。そのはずなのに、こっちも十分に強そうだった。
「この顔、そんなに怖いか?」
「怖いっていうか、今から誰かに何かを宣告しそう」
「言ったよ、その時。『台車、そっちに置いていいですか』って」
「その音声つけたら、逆に怖いぞ」
灯也が笑いながら、文字を置く場所を空けた。
「で、何を書く」
「何を頼めるか。清掃と、片づけと、残留物の回収」
「あとは?」
俺は、昨日のカサネさんの指を思い出していた。清掃一式、の四文字の上で止まった、あの太い指を。
「捨てられたら困るものまで、勝手に片づけるわけじゃないって、分かるといい」
「なるほどね。『残したいものは、先にお知らせください』」
灯也が打ち込んだ一文は、保護面の俺の、ちょうど口元に収まった。
残したいものは、先にお知らせください。
二人とも、しばらく黙った。
「……写真と離そうか」
「そうだな。これ、俺が言ってるみたいに見える」
「お前が言ってるんだよ。問題は、言い方が見えることだ」
文字を下へずらすと、今度は会社名が窮屈になった。灯也が写真を小さくする。そこでようやく、俺は普通の大きさの人間に戻れた。
*
「そういえばさ、これ見た?」
文字の位置を調整している間に、灯也が自分のスマートフォンをこちらへ滑らせてきた。
掲示板だった。『【駅前】黒い鎧の正体【スクリーン配信】』。スレッドの番号は、もう四つ目になっている。
「見てない。見ると気になるから」
「見とけ。ここ」
灯也の指が、ひとつの書き込みを叩いた。
〈清掃用ラスボスじゃねえか! この音と黒い鎧、また見られるとは思わんかった〉
その下にも、似たような書き込みが続いていた。人類側のラスボス。安心と信頼のラスボス。掃除機の人。掃除のおじさん。昔、あの姿で人を助けて、そのあと必ず掃除して帰る人がいた、と。
画面を、二回読んだ。
「……親父だ」
「だよな。親父さん、有名人だったんじゃないの」
「知らない。掃除の人だよ。そんな話、一回も聞いたことない」
父があの装備を仕事に使っていたことは、知っている。でもそれは、大きなものを動かす時とか、危ない現場に入る時とか、その程度の話だと思っていた。家で父が話していたのは、どこのビルの窓が拭きにくいとか、どの洗剤が油汚れに強いとか、そういうことばかりだった。
人類側のラスボス。
あの父が。夕飯のあと、ソファで靴下を脱ぎっぱなしにして、毎晩のように母に怒られていた父が。
「懐かしいね、それ」
振り返ると、伝票の束を抱えた母が、俺たちの後ろから画面を覗き込んでいた。
「知ってたの?」
「知ってたよ」
「なんで言わなかったんだよ」
「家では言わないでって、あの人に頼まれてたから」
母は、ふっと笑った。
「恥ずかしかったんでしょう。あの音」
それは、ものすごく分かる。
分かってしまったので、それ以上は聞けなかった。母はもう画面から目を離して、パソコンの方の広告を覗き込んでいた。いつもの、社長の顔だった。
*
「電話番号、もう少し大きくして」
「そこから?」
「頼みたい人が連絡できないと、困るでしょう。それと、営業時間も入れて。昨日の夜中、一時に電話が来たから」
「何かあったの?」
「急ぎの仕事かと思ったら、掃除機はどれを買えばいいかって相談」
灯也の肩が震えた。
「それで、どうしたの」
「明日お店で持ってみてくださいって言った」
灯也は笑いを噛み殺しながら、俺の顔より電話番号を大きくした。母は満足そうに頷いて、最後に、写真の俺の頬を指した。
「湊。ここ、汚れてる」
「作業中だったんだよ」
「広告にするなら、拭いてから撮ればよかったのに」
「広告になると思ってなかったんだよ」
「作業着は汚れててもいいけど、顔はね」
「基準が分からない」
言い返す言葉を探している間に、灯也がその汚れを消してくれた。画面の中の俺だけが、きれいになった。
仕上げに、母が仕事内容を声に出して読み上げた。室内の清掃。片づけ。怪人残留物の回収。相談の時に伝えてほしいことが三つ。
「相談だけでも大丈夫です、って入れようか」
「いいけど、湊。その場で全部引き受けてこないでよ」
なぜか灯也まで、俺を見た。
「湊は、見に行ったまま帰ってこないタイプだもんな」
「帰ってきただろ」
「俺んちの床が水浸しになった時も、そう言ってた」
去年、灯也の部屋で洗濯機の排水があふれた時のことだ。電話をもらって駆けつけたら、床一面が浅い池になっていて、灯也本人は机の脚を持ち上げたまま納期の話をしていた。俺は結局、日付が変わるまで床を拭いていた。
「一人でやるには、多かったから」
「そう。だから今回は、俺がやる番」
灯也は画面へ向き直った。文字の端を揃え、電話番号の下に余白を作る。俺が横から直すところを探しても、もう見つからなかった。
「……ありがとう」
「まだ保存してない。消えたら困るから、礼はそのあと」
俺は、素直に待った。
*
【ヒーロー総合掲示板】
【清掃用ラスボス】三枝環境サービスについて語るスレ
112:名無しの観測者 ID:hako8
公式の広告出たぞ
113:名無しの観測者 ID:7qB0ss
悪の組織の構成員募集にしか見えない
114:名無しの観測者 ID:nagi4
よく読め
「残したいものは、先にお知らせください」
115:名無しの観測者 ID:Qe31
脅しじゃん
116:名無しの観測者 ID:nagi4
違う
清掃業の基本だ
117:名無しの観測者 ID:7qB0ss
顔より電話番号がでかい広告初めて見た
118:名無しの観測者 ID:hako8
営業時間 9:00〜18:00
119:名無しの観測者 ID:Qe31
ラスボスに定時がある
120:名無しの観測者 ID:7qB0ss
営業時間をわざわざ太字にしてるあたり
夜中に電話したやつがいるだろ
121:名無しの観測者 ID:mop6
掃除機どれ買えばいいか聞いた
明日お店で持ってみてって言われた
122:名無しの観測者 ID:nagi4
お前かよ
123:名無しの観測者 ID:hako8
社長さんに謝れ
124:名無しの観測者 ID:mop6
持ってみたら重かったので
清掃を頼むことにします
125:名無しの観測者 ID:Qe31
結果的に営業成功してて草
*
広告を載せて一時間後、事務所の電話が鳴った。
母が受話器を取る。灯也と俺は、なんとなく息を止めた。
「はい、三枝環境サービスです。……あ、いつもお世話になっております」
なんだ、と灯也が肩の力を抜いた。いつもの取引先らしい。
「ええ、今載せたものです。はい、息子です。……写真が? ああ、仕事中でしたので。普段もあの顔です」
普段は、もう少し気を抜いていると思う。
母が予定表を開いて、受話器を手で押さえた。
「湊。町工場の裏の、共同の荷さばき場。分かる? 管理人さんが、片づけてほしいものがあるって。黒い汚れも見つけたらしいから、まず確認して」
「黒い汚れ」
「残留物だと思う、って」
俺は車の鍵を取った。
灯也がついてこようとして、母に「あなたは保存」と止められていた。
*
荷さばき場には、律さんも来ていた。
灯也の知り合いで、映像の仕事をしている小野寺律さん。会社の仕事紹介を撮らせてほしいと灯也経由で連絡をもらっていて、管理人の許可も取れたので、今日から撮影に同行してもらうことになったのだ。
「僕のことは、いないものと思ってください」
律さんはそう言って、本当に気配を消すのがうまかった。何度か、振り返ってからいることに驚いた。
管理人に案内された奥には、割れた木枠や板が積まれていた。その端に、黒いものがべったりと貼りついている。
近づいて、しゃがむ。
墨を何度も重ね塗りしたような、底の見えない黒。古い機械油の匂い。
スマートフォンを出して、昨日撮った写真を開いた。カサネさんの工場の入口を塞いでいた、あの金属板だ。
見比べるまでもなかった。
同じ黒だ。
「どうかしました?」
いつの間にか、律さんのカメラがこちらを向いていた。
「いえ。回収、始めます」
残留物を缶に収め、木枠と板を決められた置き場へ移し、塞がっていた搬入口を空けた。管理人が試しに台車を一台押してきて、奥まで引っかからずに往復できるのを確かめると、ほっとしたように笑った。
「せっかくだから、広告の顔で一枚お願いしていい? うちの若いのに見せたら、喜んでてさ」
「広告の顔、ですか」
ほうきを持ち直し、背筋を伸ばして、顎を引く。
管理人の指が、画面の上で止まった。
「……緊張しなくていいよ」
難しい注文だった。
帰りの車の中で、俺は回収缶の重さを思い出していた。
駅前の残留物は、錆の色だった。駅前の怪人は、もうライトハウスに引き渡されている。
カサネさんの工場と、この荷さばき場は、底の見えない黒。カサネさんの友達の寝床にも、黒いのが置いていかれたという。
昨日と今日で、三か所。
どこも、誰かが黙って「捨てていった」場所だ。