「どうだった?」
会社に戻ると、応接用の机で待っていた牧野さんが、開口一番そう聞いた。机の上には薄い端末と、小さな工具の入ったケース。端末の画面では、黒い装甲の俺が駅前でノズルを回していた。
「おかげで、瓦礫を早く片づけられました」
「そうか。で、どうだった?」
同じ質問が返ってきた。
俺は靴を脱ぎかけた姿勢のまま、牧野さんの顔を見た。
「何が、ですか」
「音」
後ろで、灯也が小さく吹き出した。
牧野修平さん。父の古い知人で、あの装備を作った人だ。俺が装備を受け継いだ時、操作を教えてくれたのもこの人で、教えている間はずっと真剣な技術者の顔をしていた。
ただ、牧野さんの倉庫で俺が初めて変身した瞬間だけは、顔が違った。拍手をしていた。観客は牧野さん一人だった。
今、その時と同じ顔をしている。
「周りの人が、全員こっちを見ました」
「うん」
「相良さんには、本人かどうか確認されました」
「なるほど」
「近所の犬が、全部吠えてたそうです」
「そうか……!」
嬉しそうだった。
「牧野さん。音量、下げられませんか」
「下げられるよ」
「よかった。下げてください」
「最小で、あのくらいだ」
俺は黙った。灯也は、黙らずに笑っていた。
「使った感想を聞かれると思ってたんですけど」
「もちろん聞くよ。まず、脱いだ時に違和感はなかった? 関節とか、首の後ろとか」
質問に移った途端、牧野さんの手がケースへ伸びた。声の調子まで変わる。俺は作業着の裾をめくってベルトを外し、机に置いた。
*
牧野さんが点検をしている間に、手を洗い、今日の仕事を母に報告した。荷さばき場は終わった。作業後の写真もある。巻尺も持って帰ってきた。
母は頷いて、俺の手提げ袋に目をやった。
「それ、何?」
新聞紙の剣が一本、袋から飛び出していた。片づける時に、うっかり自分の袋へ入れてしまったらしい。
「……返してくる」
「あとでね。まず座って」
灯也が、隣の椅子を引いてくれた。
「助けられた人が、武器を持ち帰ってどうすんだよ」
「今、俺もそう思った」
机の向こうで、牧野さんが顔を上げた。
「何かあったのかい」
「魔王が増えて、最後は勇者に助けられました」
「そうか」
それで納得されてしまった。父の知人には、どこまで説明すればいいのか分からない。
母がお茶を置くと、牧野さんは端末をこちらに向けた。
「問題はないね。関節も、装甲の継ぎ目も。吸い込んだものの処理も、ちゃんとできている」
「大きいものが、思ったより簡単に入るので」
「試験の時は、あそこまで大きいものはなかったからね」
画面の中で、コンクリートの塊が吸入口へ消える。灯也が、身を乗り出した。
「これ、昔に作ったやつなんですよね」
「そうだよ」
「今の量産の装備でも、なかなか見ないですよ。この吸引量」
「量産のためのものじゃなかったからね。費用や部品を揃えるより、あの人に持っていてほしい機能を、できるだけ詰めた」
牧野さんの指が、机のベルトの縁に触れた。そこには、細かい擦り傷が残っている。
よく使う道具ほど、握るところに傷がつく。ほうきでも、ドライバーでも、それは同じだ。
「父とは、どこで知り合ったんですか」
装備を受け取った時も少し聞いたはずなのに、操作を覚えるので精いっぱいで、父が使っていた、というところしか頭に残っていなかった。
「私のいた開発施設に、清掃で来てもらっていたんだ」
牧野さんが、懐かしそうに笑った。
「最初にまともに話したのは、私の椅子が動かなくなった時かな。車輪にケーブルの切れ端やら何やら、いろいろ巻き込んでいてね。困っていたら、作業の合間にほどいてくれた」
「自分では、ほどけなかったんですか」
母が聞いた。
「私は、先に車輪ごと交換しようとしていたんだよ」
母は何も言わず、机の上のベルトを見た。牧野さんも同じものを見て、咳払いした。
「これは、ちゃんと必要なものを考えて作ったからね」
*
父はその施設で、何年も清掃を続けていたそうだ。鍵の閉まりにくい戸を調整したり、がたつく棚を直したり。仕事のついでに手を貸すうち、研究者たちとも話すようになった。
町でも、そうだった。父の仕事を聞かれて清掃員だと答えると、修理屋さんじゃなかったの、と返されることがよくあった。父が家の前で、他所の子の自転車のチェーンを直しているのを、俺も何度も見ている。
「施設で事故があってね。その時に、中に残っていた人を外へ出すのを手伝ってくれた。助けられた側が、何かお礼をしたいと相談したんだ」
その事故の話は、家でも何度か聞いたことがあった。父はそのあとも、いつも通り施設に通っていた。帰ってきた作業着を、いつも通り洗濯機に放り込んでいた。
装備をもらっていたなんて、当時の俺は知らなかった。
「ああいう場所に出入りする人を、薄い作業着一枚で歩かせたくなかった。それで、私たちの作っている技術を使えないかと考えたんだよ」
牧野さんが、端末の画面を切り替えた。装甲を着た俺の、正面からの姿。厚い肩。黒い仮面。胸を覆う、幾重もの板。
「怪人が襲いかかる前に、ためらってくれればいいと思ったんだ。殴り合わずに済むなら、その方がいいからね」
「それで、この形に」
「そう。見ただけで、相手が一歩さがる形に」
画面の俺から、牧野さんへ視線を移した。
理屈は分かる。分かるけれど、相良さんまで一歩さがっていた。
「父は、これを見て何て言いました?」
「まず、掃除機はどこかと」
母が吹き出した。俺も、つられて笑ってしまった。
「それでいいって言ったんですか」
「そのあとに、床を傷つけないか、濡れても平気か、何を吸っていいか。質問攻めだったよ」
「受け取った時、湊も同じこと聞いてなかった?」
母に言われて、黙った。聞いた。そこが分からないと、仕事に持っていけない。
「音も、父の注文だったんですか」
牧野さんの手が、止まった。
「……そこは、こちらの好みも入っている」
灯也が、さっきからうずうずしていた口をようやく開いた。
「悪役が主役で出てくる回の音ですよね、あれ。日曜の朝の」
「分かるかい」
「最後にオルガンだけじゃなくて、金管も残るのが」
「そこなんだよ!」
二人が端末に顔を寄せ合った。三分後には、俺の知らない番組名と年号が飛び交っていた。
俺は湯飲みを持って、母と目を合わせた。掃除の話が、どんどん遠ざかっていく。
「湊。お茶、冷めるよ」
「うん」
*
「そういえば、牧野さん」
灯也と牧野さんの話が一段落したところで、俺は昨日から気になっていたことを聞いてみた。
「掲示板で、父が『人類側のラスボス』って呼ばれてたって」
「ああ!」
牧野さんの顔が、ぱっと明るくなった。
「呼ばれてた、呼ばれてた。私がつけたんじゃないよ。世間が勝手にね。……いい名前だろう?」
「あの人は嫌がってたけどね」
母が、伝票をめくりながら言った。
「新聞にそう書かれた日、一日中、口きかなかったもの」
「掃除しかしてないのにラスボス扱いはおかしいって、私にも抗議に来たよ」
牧野さんは、その時のことを思い出したように目を細めた。
俺は、一度迷ってから聞いた。
「父は、いつからあれを着なくなったんですか」
掲示板には、ある時からぱったり見なくなった、と書いてあった。俺の記憶でも、父があの装備を使っていた話を聞いたのは、俺が小学生の頃までだ。
牧野さんが、母の方を見た。
母の手が、伝票の上で止まっていた。
「その話は、また今度ね」
声はいつも通りだった。でも、母はそれきり伝票から顔を上げなかった。
牧野さんが、小さく咳払いをした。
「それより、湊君。使ってみて、困ったことは?」
話を戻してくれたのだと分かったので、俺もそれに乗った。
「話しかけると、相手が一歩さがるんです」
「効果があったんだね」
「敵じゃない人も、さがります」
牧野さんの手が止まる。
「相良さんも、最初は何を出すのか分からなかったみたいで。道具を見せてから話しかけた方がいいかなと」
「そうだね。顔が見えないから、声をかけるのは大事だ」
「声は、聞こえてたそうです。低すぎて、別人みたいだったって」
牧野さんが、もう一度画面に目を落とした。黒い俺が、真剣にノズルを指している。その横で、相良さんが仮面を見上げて固まっている。
牧野さんの口元が、わずかに動いた。
「……作った側としては、いい形になったと思うんだけれど」
「今、仕事で使った時の相談をしています」
言ってから、少し強かったかと思った。でも牧野さんは、笑って端末を伏せた。
「そうだね。すまない。道具を使う人の話を聞かないと」
それからは、使いやすかったところを話した。足元がよく見えること。重いものを持っても、腕だけに負担がかからないこと。掃除機を持ったままでは無理な細かい仕上げに、すぐ道具を持ち替えられること。
牧野さんは今度は一度も音の話に戻らず、全部を手帳に書き留めてくれた。
点検を終えたベルトが、机のこちら側へ押し出された。
「このまま使って大丈夫だよ。気になることがあったら、いつでも連絡して」
「ありがとうございます」
持ち上げる。受け取った時と、同じ重さだ。どこかが新しくなったわけでも、知らない機能が増えたわけでもない。
それでも、縁の擦り傷に触れる指だけは、少しゆっくりになった。
「大事に使います」
「うん。使ってくれ。しまっておくより、その方があの人も喜ぶ」
俺は、いつもの道具と一緒に、ベルトを持ち出し用のケースへ収めた。
ふたを閉めたところで、母が隣に立っていた。手に、新聞紙の剣を持っている。
「これも、ちゃんと返してきてね」
借りたままの道具を、もう一つ受け取った。