【掲示板・配信】そのラスボス、戦闘後の清掃員です 作:シラヌイ321
青い空缶が、一本しかない。
今日、見に行く現場は二つある。
食堂で昼を食べた翌朝。会社の器材置場で、俺は棚と点検票を見比べていた。
昨日までに使った青い缶は封印済みで、保管区画から処理施設へ送る専用トラックを待っている。追加の空缶は、まだ点検が済んでいない。
今すぐ車に積めるのは、目の前の一本だけだった。
「湊、黄色は数に入れないよ。こっち見ても増えないからね」
母さんに言われ、隣の棚から目を戻す。
「見ただけだって」
「そう? 指まで動いてたけど」
そっと手を下ろした。
数えたところで、浮遊系を入れられる缶が増えるわけじゃない。
弁と留め具を確かめ、一本を車に固定する。
母さんが鍵を渡してきた。
「まず見てきて。二つとも今日終わるとは、まだ言わないでね。私も手配の見通しを聞いておく」
「分かった。俺も量を見てから電話する」
「うん、こっちで受ける。気をつけていってらっしゃい」
最初に向かったのは、桜通りの資材置場だった。
昨日の食堂とは別の、まだ人を入れていない区画だ。
折れた荷台の上で、木片や板が少し浮いていた。下には、途中でちぎれた紫の筋が見える。
市の担当に発生源の停止と生命反応がないことを聞き、計器も確かめた。木片を浮かせているのは、誰の制御も受けていない残りの力だった。
隣の戸口で、店主が案内を書いていた。
俺に気づくと、ペンを止める。
「あの、今日には荷物を出せそうですか。案内を書いているんですが」
「先に量を見せてください。もう一か所にも行って、そのあとお返事します」
ここだけでも、かなりある。
俺は車から缶を下ろさず、次の搬入場へ向かった。
そちらも市の確認を聞き、荷物の下をのぞいた。途中で切れた紫の筋がある。
熱いものなら黄色に入れられたが、これでは二件とも青だ。
一本で足りる量じゃない。
荷物の持ち主が、車の荷台を空けて待っていた。
早く積んで出たいだろう。俺も、できるならそうしたい。
「お待たせしてすみません。交換の缶を用意できるか、会社に確かめますね」
少し離れて母さんへ電話した。
「両方とも青だった。一本じゃ足りない。まず一件目から、入る分だけでも進めたいんだけど」
『うん。こっちも聞いたんだけど、追加の点検が今日中に終わるかは、まだ分からないって』
「じゃあ、ほかから借りられないかな。そっち、当たってもらえる?」
『分かった、市と他の会社へ聞いてみるよ。どちらの人も昼までを希望してるけど、そこは約束してないからね』
「ありがとう。途中で止まることも、俺から先に話すよ」
資材置場へ戻ると、戸に案内が貼られていた。
店を開けるお知らせではなく、荷物を引き取るための問い合わせ先だった。
「今日は、今ある缶に入るところまで回収します。全部は取りきれません。続きは交換の缶を待つことになります」
「そうですか……。それなら、出せる物だけでも教えてもらえますか」
「市の方と、一緒に確かめます」
店主は持っていた鍵をしまった。
俺は回収具を持ち、荷台の前にしゃがんだ。
折れた荷台と浮いた板の下へ、支えを入れてもらう。
回収すれば重さが戻る。支えを確かめ、測定担当の合図を待って弁を開けた。
木片の下から、紫の筋が伸びてくる。
缶へ収まると、木片は、こつ、と荷台へ落ちた。
次は隣の板。その隣の、小さな束。
缶の目盛りが上がっていく。
空いた荷台の向こうで、店主が箱を指した。
「できれば、あの箱を先に出したいんです。あそこまで、どうでしょう」
市の担当が場所を確かめ、印を付けている。
俺は箱へ続くところを見て、回収具を止めた。
上限までは、まだ少し残っている。
でも、次の塊は入らない。
「ここで止めます」
弁を閉じ、封印具を留めた。
店主が指していた箱は、まだ奥に残っている。
缶の番号を記録し、どこまで取れたかを市の担当に伝えた。
店主が、戸の案内を押さえながら聞いてくる。
「続きは何時になりますか」
母さんからの返事を開く。
交換分は、まだ見つかっていなかった。
もう一件の搬入場には、手も付けていない。
「まだ時間をお約束できません。今日の四時に、手配がどうなったか、俺から電話します」
「四時ですね。分かりました、そこまで待てば様子を聞けるんですね」
「はい。間に合うか分からないまま、ここで待っていただくのも申し訳ないので」
店主はうなずき、案内の横に『四時』と書いた。
俺も端末に、電話の予定を入れた。
搬入場の人にも、今日はまだ回収できていないことと、四時に連絡することを伝えた。
会社に戻り、封印した缶を保管の担当へ渡す。番号と中身を一緒に確かめてから、手袋を外した。
手を洗って事務所へ入ると、もう昼を回っていた。
母さんの机には二件の書類が並び、湯飲みは空になっている。
「缶の返事、来た?」
「まだ待ってるところ。来たら教えるから、先にご飯にしよう。私もおなかすいちゃった」
弁当を開けて、二口食べた。
母さんの手元に、市の器材窓口と他の会社、それから運送会社の連絡先が見えた。
「食べたら窓口に行ってこようかな。貸してもらえるなら、そのまま受け取れるし」
「気になるのは分かるけど、まだ貸せるか分かってないよ」
「でも、受け取る場所くらい先に見ておけるだろ。ここで待ってるだけよりはさ」
母さんは俺を見て、湯飲みを差し出した。
「じゃあ、まずこれにお茶を入れてくれる? 私もひと息つきたい」
お湯を足している間に、電話が鳴った。
母さんが話し始めたので、俺は器材置場へ台車を取りに行った。
缶が用意できたら、すぐ出られるようにしておこう。
車の鍵。荷締めの帯。書類を挟む板。
台車に載せ、事務所の端へ寄せたところで電話が終わった。
「市の貸出分は、全部ほかの現場に出てるって。追加分は向こうで確認してくれる」
「そっか。じゃあ、窓口へ行ってもしょうがないな」
板を机に戻す。
次の電話が鳴った。
「ああ、ありがとうございます。助かります。では、こちらでまとめて受けますね」
母さんがメモを取り、俺に見せた。
「他の会社も、今日は予備がない。明日の朝なら、点検が済んだ交換分をまとめて送れそうだって。連絡は私にくれる」
「まとめて送ってくれるなら、探しに回らなくていいのか。ありがたいな」
帯を棚へ戻した。
まだ、運送会社が残っている。
俺は台車に地図を広げた。
「車をどこに寄せるか、聞いてこようか。受取口、いくつかあっただろ」
「私が今聞くから、ちょっと待って。その受取口の番号、教えてくれる?」
母さんが電話をかけた。
地図で指した番号を、そのまま電話の向こうへ伝えている。
使った缶は、車が引き取りに来てくれる。交換の空缶についても、ここへ連絡をくれる。
地図を押さえていた指を離した。
「……俺、出ていかないほうがいい?」
「うん、ここにいてくれると助かる。鍵、返して」
鍵を渡す。
台車には、地図だけが残った。
「これは?」
「畳んで」
畳んだ。
棚へ戻した。
……全部なくなった。
母さんが、隣の椅子を引いた。
「湊、こっちに来て。ここからは手伝ってほしいことがあるんだ」
ようやく出番が来たらしい。
俺が台車を押して近づくと、母さんは真ん中に鉛筆を一本置いた。
広い荷台に、鉛筆が一本。
俺は両手で持ち手を握ったまま、その細さを見た。
「これ、運ぶの?」
「書くの」
片手を離し、つまみ上げる。
指二本で済んだ。
「まだ消しゴムもある」
「二便目は出さないぞ」
鉛筆を机に置き、台車を返しに行った。
今度は手ぶらで戻って、椅子に座る。
母さんが二件の書類を寄せてきた。
「現場を見たのは湊でしょ。私、この書類だけだと箱の場所もよく分からなくて。四時の電話で聞かれそうなこと、今のうちにまとめてくれる?」
「……そうか。それは俺じゃないと分からないな。先に書いとく」
資材置場で、店主が指していた箱の位置を書いた。
取れた場所。まだ力が残っている場所。市の担当へ伝えたこと。
搬入場のほうには、まだ回収していない、と大きく書く。
母さんが俺の湯飲みにもお茶を足し、自分の弁当を開けた。
俺も残りを食べた。もう、どこかへ走っていく用事はなかった。
四時。端末が鳴った。
予定の通知を止め、まず資材置場へかける。
店主はすぐに出てくれた。
「三枝です。交換の缶は、明日の朝に届く見込みです。届いた物を点検してから、何時に始められるかお電話します」
『あの箱は、どうでしょう』
鉛筆で書いたところへ指を置く。
「場所は市の担当へ伝えてあります。持ち出せるかは、そちらからご案内します。俺のほうでは、まだ力が残っているところを続けて回収します」
『分かりました。じゃあ、朝に』
「はい。こちらからかけます」
搬入場にも電話した。
明朝の缶の見込みと、そちらは今日まだ回収できていないことを、もう一度伝えた。
二件とも切り終えると、母さんが聞いた。
「さっきまとめたので、答えられた? 鉛筆、役に立ったかな」
「立った。地図より、こっち持っててよかった。箱のことも、迷わず答えられたし」
答えた項目に線を引いた。
さっきまで行き先を増やしていた手で、今度は用事を減らしていく。
律から連絡が来たのは、そのあとだった。
市が出した作業案内を見たらしい。規制は続くことと、次の案内は翌朝になることが書かれていた。
その案内を紹介した、短いまとめ記事も送られてくる。
『案内、見ました。いい画が撮れそうでも先走らないように、俺もカメラを待機させます』
『まだ撮る予定、入ってないぞ』
『はい。だから待機です』
分かっているなら、いいか。
俺は端末を充電台へ置いた。
母さんの前には車の鍵と、明日の受取票が並んでいた。
「缶、届いたら一緒に見よう。俺も、使えるのを確かめてから電話したい」
「助かるけど、朝は早いよ。起きられる?」
「起きる。点検して、現場へ電話する」
五時になり、俺は空いた弁当箱を片づけた。
母さんも書類を閉じ、鍵をしまう。
「今日は、もう行き先を増やさないでよ」
「家、一か所だけ」
「そこは削らなくていいからね」
鞄を持って立ち上がった。
帰りは台車もいらない。
消しゴムは、手で運びました。