灯也は、コントローラーを取らなかった。
いつもの場所には座っている。俺の部屋の、机の横。テレビにはゲームのタイトル画面が出ていて、二人目の参加を待つ音楽がのんきに繰り返されていた。
金曜でもないのに灯也がうちに来ること自体は、珍しくない。珍しいのは、来てから十分経っても、まだ一回も笑っていないことだった。
「どうした」
「先に、聞いてほしいことがある」
灯也は膝の上で手を組んだ。
「途中で言い訳みたいになるかもしれない。でも、最後まで言うから」
俺は、テレビの音量を下げた。
「昔、倉庫から荷物を運び出す連中を手伝ってたことがあるんだ。二十歳になる前」
灯也は、画面ではなく俺の顔を見て言った。
「最初は、引っ越しの手伝いだって言われた。日払いで、現金で。でも、普通の引っ越しじゃなかった。怪人が出て、避難指示が出てる地区の倉庫に入って、持ち主のいない間に中身を運び出す。そういう仕事だった。俺は外で、荷物を受け取ってトラックに積む係」
ゲームの音楽が、同じ小節に戻った。
「そいつらのトラック、荷台の後ろに赤い線が三本入ってた。リーダーが、強そうだろって言って、自分で塗ったんだ」
昼間、律さんの映像を見ていた時の灯也の顔を思い出した。
それから、もっと前。カサネさんの工場からの帰り道。
「……俺が、聞いた時」
「知らないって言った」
灯也の指が、組んだ手の中に食い込んだ。
「あれが、一番きつかった。お前に、普通に嘘ついたのが」
俺は手を伸ばして、ゲームの音楽を止めた。部屋が静かになった。
「それだけじゃないんだ」
灯也は、一度言葉を切った。
「ある日、近くで怪人が暴れてて、救援の車が倉庫の前の道を通ることになってた。そこに空き箱を積めって言われた。車が入ってこられないように。こっちの積み込みが終わるまで、邪魔されないように」
「道の上に?」
「うん。救援が来るんじゃないのって、一回は言った。でも、すぐ終わるからって言われて。俺、そのまま積んだ。車が曲がってきた時も、どかさなかった」
灯也は一度、息を吸った。
「車は通れなくて、別の道に回った。あとで知ったんだけど、救助に行った隊員の人が一人、怪我をしてた。遠回りした先で、人を運んでる時に、崩れてきたものに当たって」
すぐには、次の言葉が出てこないようだった。俺も、何も言わなかった。
「どこまでが、俺が道を塞いだせいなのかは分からない。でも、知ったあとも黙ってた。箱を置いたのが俺だって、誰にも言わなかった。そのあとすぐ、あそこからは抜けた。それで、終わったことにしてた」
知らない話だった。
金曜の夜も、去年の水浸しの床の時も、広告を作ってくれた昨日も、灯也は一度もそんな話をしなかった。
「……いつから、俺に言おうと思ってた」
「何回か。でも、言ったらもうここに来られないと思って」
灯也は、机の端に目を落とした。
「広告作ったり、片づけを手伝ったりしてたら、そのうち言える気がしてた。でも、何やっても、言ってないことは同じでさ」
何か言おうとして、口を閉じた。
広告を作ってくれたのは、本当に助かった。でも、それと今聞いたことを並べて差し引きする気には、なれなかった。
「律さんの動画、見ただろ。道が空いて、荷物を持った人が戻ってくるとこ」
灯也が言った。
「お前の仕事って、道を空けることだろ。俺は昔、それと逆のことをした。荷物を運んだだけだって、置いた場所が悪かっただけだって、ずっと自分に言ってたけど、違う。あそこを通す気が、なかったんだ」
灯也は持ってきた鞄から、茶封筒を出した。それと、古いスマートフォンを一台、机に置く。
「当時のやり取りが、まだ残ってた。いつ、誰といたか、分かるところは全部書いた。覚えてないところは、空けてある」
封筒の一番上に、手書きの地図が透けて見えた。川沿いの道と、四角い印。
「それと、これ。あいつらが運んだ荷物を一回置いとく倉庫があった。川沿いの。今もあのトラックが走ってるなら、たぶん同じ場所を使ってる」
「俺に、これを見せに来たのか」
「最初に話しておきたかった。俺の口から。……湊に許してほしいって言いに来たんじゃない。それは、違うと思ってる」
俺は、封筒に手を伸ばさなかった。ここで中身を読んでも、俺に何かを決められるわけじゃない。
「それで、どうしたい」
「話しに行く。相談だけして、都合の悪いところをぼかして帰るんじゃなくて。俺がやったこととして、全部渡す。倉庫の場所も」
「行く先は、決めたのか」
「警察に連絡した。明日、来てくれって」
俺は頷いた。灯也も頷きかけて、途中で止まった。
「一人で行くつもりだったんだけど」
「うん」
「入口まで、一緒に来てもらえないか。中では、自分で話すから」
明日の予定を思い出した。午前中は、会社で道具の手入れをする予定だった。
「何時」
灯也が時刻を言った。俺はスマートフォンで予定を開いた。
「母さんに、午前の予定を動かせるか聞く。たぶん行ける」
「……うん」
灯也は封筒を鞄に戻して、今度はファスナーまできちんと閉めた。
「湊、怒ってる?」
「怒ってると思う」
灯也の肩が、小さく動いた。俺は、そのまま続けた。
「まだ、うまく言えない。人が助けに行くのを、分かってて止めたんだろ。それを聞いて、明日から何も変わらないとは言えない」
「うん」
「でも、ここで一緒にゲームしてた時まで、全部嘘だったとは思ってない」
灯也が、机の上のコントローラーを見た。俺も見た。
「今日は、やめとく」
灯也が言った。
「分かった。明日は、駅のところで」
「うん」
玄関まで送った。いつもなら、階段を下りながら次に遊ぶゲームの話をする。今日は、どちらも何も言わなかった。
靴を履いた灯也が、振り返った。
「聞いてくれて、ありがとう」
俺は頷いた。
扉が閉まってから部屋に戻って、コントローラーを二つとも棚にしまった。
*
翌朝、灯也は約束より早く来ていた。駅前のベンチに座って、鞄の紐を両手で握っている。俺を見つけると、立ち上がった。
「おはよう」
「おはよう。行こうか」
途中で一度、灯也が立ち止まった。忘れ物かと思ったら、鞄を開けて封筒が入っているのを確かめていた。入っているのを見て、また歩き出した。
受付で、灯也が自分の名前を告げた。約束していた相手に会うところまで見届けて、俺は外に出た。入口の脇のベンチに座る。
しばらくして、短いメッセージが来た。
『時間かかりそう。仕事あるだろ、先戻ってて』
母からの連絡を確かめた。急ぎの仕事は入っていない。
『まだ大丈夫。外にいる』
返して、スマートフォンをしまった。俺が代わりに話せることは、何もない。だから、ここにいることにした。
昼前に出てきた灯也は、両手で顔をこすった。俺の隣に座って、鞄を膝に載せる。
「話した。記録も渡してきた。倉庫の場所も」
「うん」
「覚えてるところから話した。分からないところは、分からないって言った。また呼ばれるって。あの時の隊員の人のことも、向こうで確かめるって」
灯也は閉じた鞄を見下ろしてから、立ち上がった。
「待っててくれて、ありがと」
「帰ろう」
横断歩道で、並んで信号を待った。隣の灯也は、まだ少し黙っていた。俺も急かさなかった。
信号が青に変わる直前に、スマートフォンが鳴った。相良さんだった。
『湊さん、お仕事中にすみません。今朝、警察経由で情報提供があって、川沿いの倉庫を確認しました。例のトラックが、出入りしていました』
隣で、灯也が息を止めたのが分かった。
『明日、ライトハウスで中を確認します。手前の通路に、残留物がかなり落ちているんです。中の人を外に出す時に、足元を空けておきたくて。……回収を、お願いできますか』
俺は、灯也を見た。
灯也は前を向いたまま、小さく言った。
「行けよ。仕事だろ」
信号が、青になった。