1
アル・メナス暦1364年4月1日。ヴィントランド王国某所。
ナオミ・シルフィードは小さな研修室で、分厚い本を取り出した。彼女の頭には、一対の小さな角。身に纏う白衣とは対照的な濃い紫が、緑髪の間から覗いている。
本の表紙には見慣れない単語が並び、開いたページに数式や図表がびっしり詰まっている。彼女はその本をものすごい勢いで捲り始めた。静かな研修室に紙を捲る音が鳴り響き、隣のエルフの少女がギョッと振り向く。ナオミは全く意に介すことなく読み進め、瞬く間にページを減らしていく。
残りページが半分ほどになったころ。犬の耳を携えたリカントの女性が一人、部屋に入ってきた。エルフの少女は姿勢を正し、体を前に向ける。
「お待たせしました。ただいまから、今年度のNexaTech社、新入社員研修を始めさせていただきます。最初の講話は、私アネットが担当いたします」
女性が名札を見せながら挨拶をする。少女もよろしくお願いしますと挨拶を返し、頭を下げた。だがナオミはそちらを向くことなく、無言でページを捲っている。
「あのー……研修、始めますよ?」
アネットは恐る恐るナオミに話しかける。ナオミはチラッと、視線だけをアネットに向けた。そして小さくため息をつくと渋々本を閉じる。エルフの少女は思わず眉を顰めた。
「えっと、コホン。そ、それではまず、出席をとりますね。えー……ナオミ・シルフィードさん」
アネットに呼ばれ、ナオミは無言で右手を上げ、すぐに下ろす。アネットは少し乱暴に、手元の名簿にチェックを入れた。
「えー、続いては!ミネット・リエーブルさん!」
「はい、私です」
アネットの荒ぶる声に、隣の少女、ミネット・リエーブルが愛想よく手を上げた。アネットもホッと息をつき、丁寧に名簿にチェックを入れる。
「はい、全員出席ですね。事前に通達があったと思いますが、お二人は入社時の成績が大変優秀でしたので、特別プログラムになります。今日はその第一日目ですので、よく聞いてくださいね」
そう言ってアネットは部屋の照明を消し、備え付けのクリスタルに手をかざした。すると正面のモニターが起動し、『NexaTech社会社概要』と表示された。
「では最初に、会社概要をおさらいします。お手元の外部向け冊子二ページから、一緒にご覧ください」
指示通りミネットは冊子を捲った。年表形式で会社の沿革が書かれており、画面も同じものに変わった。ナオミは微動だにせず、モニターを見つめている。
「弊社は四十年前、Next重工という社名で創立しました。現CEOのシャンベルタン博士が小さな町工房だったご自宅を拠点として、魔動機の整備、修理、開発などを手掛けていました。大きな転機は二回。一回目は、シャンベルタン博士がドルン、ザーレィシリーズを開発したこと。ここヴィントランド王国における警備用魔動機シェアの、かなりの割合を占有するに至りました。二回目は七年前。記憶定着術式という新技術を開発し、魔動機性能を大幅に向上させたことです。社名がNexaTech社に変更されたのも、この時でした」
アネットの説明を聞きながら、ミネットは几帳面な文字でメモを取る。ナオミは退屈そうに半目を開け、頬杖をついていた。
「ヴィントランドは湾岸国家ですから、その立地を生かして、他国への販売も積極的に行われました。現在ドルン、ザーレィのシリーズは、ブルライト地方全土に広く普及しています。会社も大きくなり、建物もここ本館と隣の研究棟の二つがあります」
画面が切り替わり、左側には二つの建物の写真、右側にはいくつかの事業が並んでいた。眩しさに、ナオミとミネットは目を細める。
「今は警備用魔動機が主力ですが……新しく参入したルーンフォーク事業のほかに、記憶定着術式の発展や新素材開発にも力を入れています。当面の目標は、国営事業への参画です。そんな弊社の製品ですが――」
アネットの説明は続き、ミネットのノートは瞬く間に埋まっていった。一方、アネットの笑顔は次第に引きつっていった。
「……では、以上になります!今日の最後にちゃんと話を聞いていたか、テストがありますからね!成績が悪いと特別プログラムから外されることもあります。ナオミさん、いいですか!」
アネットが声を上げた。ナオミは、いつの間にか開いていた本から目を離すことなく
「ええ、わかったわ」
とだけ答える。隣でミネットは困ったように目を逸らした。
「何か質問がありましたら、人事部研修課までどうぞ!」
アネットは研修室を後にする。バタンと大きな音を立てる扉に、ミネットが首をすくめた。二人きりになったところで、ミネットは大きく息を吐いた。
「何か?」
ナオミは視線を本に向けたまま尋ねる。ページを捲る速度はまったく落ちていない。
「いえ、その……失礼じゃないかなって、思いまして……」
「話は聞いていたわ。内容も暗記した。何か問題?」
「あ、えっと……別に……」
それきり二人は黙り込み、ミネットは下を向いた。次の講話が始まるまでの間、本を捲る音だけが響いていた。
その後の研修も座学が続いた。終始変わらぬ態度のナオミに対し、ミネットは熱心に研修を受けていた。対照的な二人の態度にスタッフは困惑していたが、誰に対してもナオミの態度は変わらなかった。終始講師たちに睨まれたまま一日が終わり、最後にペーパーテストが課される。
「試験中にメモや資料を見ても構いません。今日聞いた内容を思い出して解答してください。では、始め」
合図とともに、ミネットはとりためたメモを見ながら回答していく。一つ、また一つと空欄が埋められるたび、カリカリとペンの走る音が響く。だが――
「できたわ」
開始数分でナオミが立ち上がった。驚いて固まる試験官に、ナオミは答案を差し出す。
「もう終わり?まだ五分も経ってないよ?」
怪訝そうに尋ねる試験官に、ナオミは表情を変えずに答える。
「穴埋めに五分もかからないわ。今日はもう、これで終わりよね。このまま退室していいかしら」
「いや、ちょっと待って。そこに座っててください。今採点するから」
ペンを取り出す彼をしり目に、ナオミは仕方なく席に戻りただ虚空を見つめていた。しばし間が空き、試験官が唸りを上げる。結果は、満点だった。
「もういいかしら。時間を無駄にしたくないのだけれど」
「いや、えっと……時間になるまでこの部屋にいてください。勝手に出歩かれては困ります」
「……はぁ、わかったわ」
ナオミはそのまま本を読み始めた。二人のやり取りを横目で見ていたミネットは、内心ヒヤヒヤしながら回答欄を埋めていく。結局、ミネットが解答し終えたころには、その日の終業時刻間際になっていた。ミネットは回答を提出し、試験官が採点する。
「はい、ミネットさんも満点です。では、今日の研修はここで終わります。明日も同じ時間に出社してください」
試験官の宣言で、その日の研修は終わりとなった。ナオミは荷物をまとめ足早に研修室を去る。後ろ姿を見送ったミネットは
「何?あの態度」
盛大にため息をついた。
研修室を出たナオミは、その足で会社の中庭に向かう。本館と研究棟の間に設けられたスペースで、観葉植物や休憩用のベンチが設置されていた。ナオミはそのうちの一つに腰かけ、再び本を読み始めた。あっという間にそれを読み終え次の本を取り出そうとしたとき――彼女の頭に衝撃が落ちた。
「~っ!だ、誰!?」
頭を押さえてナオミが振り向く。そこには青筋を立ててこぶしを握る、初老の男性の姿。白髭を生やし、引き締まった体でビジネススーツを着こなしている。彼を見た途端、ナオミの肩がピクリと動いた。
「お、お爺ちゃん……何よ、いきなり……」
そう呟くナオミに、その男性、現NexaTech社CEOシャンベルタンが低く震えた声を放つ。
「何、ではない。聞いたぞナオミ。研修でずいぶんな態度だったようじゃな」
彼の言葉にナオミは口を尖らせる。
「話は、その、ちゃんと聞こえていたわ。内容も暗記した。テストも満点だった。……何が問題なのよ」
「問題に決まっておるだろうが!お前たちの為に、会社の者が研修を組んでくれてるんじゃ。それがわからんのか!」
「うるさいわねぇ。知らないわよそんなの。資料だけ配ってくれれば、こっちで勝手に覚えるわ。それをわざわざ集めて講話?非効率だわ」
「バカ者!実際に話を聞くことが大事なんじゃ!それに、同僚と顔を合わせたり、先輩社員に挨拶したり、人との繋がりを築く場でもある。新人はそうやって社会のルールを学ぶものなんじゃ」
「必要ないわ。大体、私の希望は研究開発部よ。研究棟の職員ならまだしも、本館の職員と話して、何になるっていうのよ。いいから、さっさと研究開発部に入れなさいよ。結果出してやるから」
「ダメに決まってるだろう!大体その態度は――」
会社の中庭に二人の声が響き渡る。建物からは仕事を終えた社員が続々と出てきて、何事かと横目で見ながら通り過ぎていく。夕方の喧騒の中、やがて二人はゼイゼイと息を切らして睨み合った。シャンベルタンが大きくため息をつく。
「ナオミ。NexaTech社の社訓はなんじゃ?」
息を整え、静かに問う。ナオミは頬を膨らませてポツリと呟く。
「……〝すべての人に魔法を〟」
それはシャンベルタンがNext重工を立ち上げたときから掲げていた理念。会社が大きくなった今も受け継がれていた。
「そうじゃ。お前の才覚は、わしもよく知っている。それは否定せん。だからこそ、お前がうちに入りたいと言ったとき、わしも賛成したんじゃ。ナオミの才能は必ず会社の為になるとな」
ナオミは何も言わず目を逸らす。シャンベルタンはさらに何か言おうと口を開きかけたが
「はぁ、はぁ。社長、こちらにいらっしゃったんですね」
そのタイミングで、秘書らしき女性が駆け寄ってきた。シャンベルタンは口を閉ざし、女性の方へと振り返る。
「ラージャハ帝国のブルクハルト様より連絡がありました。至急、折り返しが欲しいとのことです」
秘書の伝達に、シャンベルタンは声を詰まらせた。そして小さく首を振ると、目を逸らしたままの孫に
「とにかく研修はまじめに受けるように。いいな」
言いながら、ナオミの頭をポンと撫でた。さっき小突かれた場所が、暖かい感触に包まれる。ナオミはポツリと「……わかった」とだけつぶやいた。
返事を聞いて、シャンベルタンは秘書と共に去っていく。ナオミは小さくなっていく背を見送り、見えなくなったところでベンチに腰を下ろした。そして再びカバンから別の本を取り出す。だが、先ほどのような勢いはない。
辺りはどんどん暗くなり、周囲に魔動灯の光がぽつぽつと浮かび上がる。文字もだんだん見づらくなり、ナオミは仕方なく本を閉じた。背もたれに体を預け、空を仰ぐ。
「何なのよ。社会のルールを学べって……」
ナオミのつぶやきが薄紫の空に溶けていく。冷たさを残した風が肌を撫で、空には小さな星がキラキラと煌めいていた。
2
二日目。ナオミは相変わらず退屈そうに虚空を見つめていた。それでも祖父の拳骨が効いたのか、頬杖をついたり、腕を組んだりはしていない。
「ナオミさん、メモは取らないんですか?」
担当者から尋ねられても、ナオミは必要ないと答えるだけだった。本当かと質問を投げかけられることもあったが
「ルーンフォークの教育期間は五年。〈ガン〉や〈マギスフィア〉の使い方を学んだあと、依頼者の――」
「国内の生産拠点は二つ。営業拠点は六か所あるわ。本社と、ユーシズとラージャハにある支社も合わせると――」
などと淀みなく答えてしまうため、誰も何も言えなくなってしまった。一方ミネットは熱心に話を聞き、配られた資料も種別ごときちんとそろえて机に置いている。質問を投げかけられたときも、メモや資料を見ながら正確に答えていた。
「ここからは、お二人専属の担当官が付きます。今から来ますので、しばらくお待ちを。今後は彼の指示に従うようにしてください」
午前中最後の講話で、二人はそう告げられた。ナオミはすかさずカバンから本を取り出す。紙をめくる音と時計の音だけが部屋に響いた。
「いつも、本を読まれていますね」
ミネットが隣から、恐る恐る声をかけてきた。ナオミは手を止め、視線だけをミネットに向ける。
「ええ、そうよ。時間がもったいないもの」
「……どんな本を、読まれてるんですか?」
一拍間を置き、ナオミが答える。
「意識と、魂の量子的揺らぎの関係について。大学時代にやり残した研究なのよ。配属されたら、製品に組み込んでやるつもり」
答えた瞬間、ミネットが息を呑む音が聞こえた。何か変なことを言っただろうか。疑問符を浮かべるナオミに、ミネットがさらに尋ねる。
「大学、出られてるんですか?」
「この間卒業したわ。学位は博士号四つ。飛び級だから学士と修士は持ってない」
ナオミが答えると、ミネットは目を見開いたまま黙り込む。数秒置いて
「す、すごいですね」
とポツリと呟いた。それきり、ミネットはまた黙り込んでしまう。
ナオミは無言で、本とミネット、交互に視線を巡らせた。ページを捲る手も止まったままだ。
「……あなた、歳は?」
今度はナオミが尋ねた。ミネットが一言「十五です」と答える。ナオミの眉が、僅かに動いた。
「なら、同い年ね。同期なんだし、敬語を使う必要はないわ」
ナオミの提案に、ミネットは戸惑いながら答える。
「い、いえ……これは、その、癖というか……」
「……そう。まぁ、別にいいけど」
それきり会話が途切れてしまった。再び訪れる静寂。時計の音が響く中、二人の表情は少しだけ和らいでいた。
二人が待っていると、研修室にレプラカーンの男性が入ってきた。茶色の毛と髭を携え、身長は一四〇センチくらい。レプラカーンの中では、大柄なほうだ。ミネットは姿勢を正し、ナオミは横目でミネットを見て、ぎこちなく彼女に倣う。
「お、いい姿勢じゃないか。感心感心。報告じゃ結構な奴だって聞いてたが、こりゃ杞憂だったか?」
男の気さくな雰囲気に、ナオミは少々面食らう。
「俺はイェスタフ。前は守人をやってたんだが、引退してからこの会社で世話になってる。今日から、お前たちの研修担当だ。よろしくな」
そう言ってイェスタフはニカッと笑う。ナオミは小さく「よろしく」とだけ答え、ミネットは愛想よく「よろしくお願いします」と返事を返した。対照的な二人の様子に、イェスタフは納得したように頷く。
「まぁ、いいだろう。さて、研修の話をする前に、お前たちに紹介したいやつがいるんだ。ギル、入っていいぞ」
呼びかけると、一人の少年が部屋に入ってきた。身長はイェスタフと同じくらいで、会社が支給する紺色のスーツに身を包んでいる。首には機械のリングが巻かれていて、部屋の照明を反射して銀色に輝いていた。
彼はナオミたちの前に立ち、ピンと背筋を伸ばす。
「初めまして。NexaTech社所属ルーンフォーク、製造番号NT-HGU-1019、パーソナルネーム〝ギル〟です。本日から、お二人の護衛を務めさせていただきます。よろしくお願いします!」
はっきりと通る、少し高めの声で挨拶した。そして深々と礼をする。
「こいつは五年前に生まれたモデルで、つい先日教育プログラムを終えたところだ。今日から最終テストってことで、お前らの護衛任務に就く。研修が終わるまでの三か月間、ギルもチームの一員だ。仲良くしてやってくれ」
イェスタフの言葉に、二人も頷く。
「わかりました。ギル君、ですね。私はミネット・リエーブル。今日からよろしくお願いします」
ミネットが丁寧なあいさつを返す。ナオミはというと、緊張しているギルの様子をじっくり眺めていた。見つめられたギルは硬い表情で背筋を伸ばす。ナオミの口元がフッと緩んだ。
「ナオミ・シルフィードよ。よろしくね、ギル」
ナオミの笑みに、ギルも嬉しそうに笑顔を返す。
「じゃあ、ギルも席についてくれ。ここからは、今後の研修プログラムについて説明するからな」
ギルが席に着くのを待って、イェスタフはスケジュールが書かれた資料を配る。三人が受け取ると、彼は説明を始めた。
「最初の一か月は、座学や部署研修だ。この間に会社全体のことを勉強してもらうが、ここは普通に入社した奴と大して変わらない。大きく違うのは、次の二か月だ」
三人がスケジュールを見ると、後ろ二か月の予定の多くが空白となっていた。よく見ると、カレンダーの隅に〝自由課題期間〟と書かれている。
「特別プログラムのお前らへの課題だ。最初の一月で学んだことを活かして、会社の問題点やその解決策、新しい企画なんかを考えて、プレゼン発表をしてもらう。後ろ二か月は、そのための準備期間だ。何をするかもお前たちに決めてもらうし、その段取りも、基本的にお前らで組んでもらうつもりだ」
説明を聞いて、ミネットとギルは何度も予定表を見返していた。ナオミは空白の二か月を見てもページをすぐ戻してしまう。
「再来週末に話し合う時間を設けてある。それまでは普通に研修を受けて、どんなテーマにするか考えておいてくれ。今の時点で、何か質問はあるか?」
三人は小さく首を振る。
「よし。それじゃ、午前中のプログラムはここまでだ。この後だが、お前らさえよければ、親睦も兼ねて社食にでも行かないか?もちろん、俺のおごりだ」
イェスタフの提案にミネットが遠慮がちに挙手する。
「あの、いいんですか?ご迷惑になるんじゃ……」
「なに、気にするな。これから三か月間、俺たちはチームになるからな。ついでに社食の案内もしてやれる。まぁ、無理にとは言わないがな」
「……わかりました。ありがとうございます」
ミネットが恐縮した様子で礼を言う。
「ナオミとギルはどうする?せっかくだし、いっしょにどうだ?」
イェスタフに聞かれ、昨日の祖父の言葉がナオミの頭をよぎる。
「……まぁ、そうね。ご馳走になろうかしら」
ぎこちなく、ナオミが頷く。ギルも嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます。僕も、ご一緒させてください」
二人の返事に、イェスタフも笑みを浮かべる。
「よし、決まりだな。社食は本館の七階だ。今の時間なら大丈夫だと思うが、人が多いからな。万が一混んでたらごめんな」
イェスタフを先頭に、四人は研修室を出た。廊下に差し込む昼の日差しと、通り過ぎる人たちの談笑が響く。時刻はすでに、昼の十二時を回っていた。
社員食堂は昇降機を降りてすぐの所にあった。奥の壁は一面ガラス張りになっていて、ヴィントランド王国の港町が一望できる。シンプルながらも清潔感があり、食堂全体に開放感のある空間が広がっていた。
食堂につくとすぐ、四人は注文用のクリスタル板に並んだ。幸いまだ混み始める前だったようで、列はそう長くない。
「俺は、日替わりでいいか。お前らは何にする?好きに頼んでいいぞ」
先頭のイェスタフが声をかける。ミネットはその言葉に甘え、鯖の生姜焼き定食を頼んだ。一方ギルは
「僕は会社から栄養カプセルが支給されますので、大丈夫です」
と申し出を断る。そんなギルにイェスタフは
「新人が遠慮するな。食事もコミュニケーションの一つで、立派な仕事だぞ」
と強引に押し切った。言われたギルは口元を緩ませ
「じ、じゃあ、その、ハンバーグ定食を……いいですか?」
おずおずと告げた。反射的にお腹を手で抑えている。イェスタフはニヤリと笑った。
「あぁ、わかった。Lサイズにしとくぞ。余ったら俺が食うから安心しとけ。ナオミはどうする?」
「ジャンボフルーツパフェ・デラックスミックスで」
「は?」
聞きなれない単語に、一行が固まった。
「だから、ジャンボフルーツパフェ・デラックスミックスで」
表情を変えず、ナオミがもう一度繰り返す。他の三人は状況が呑み込めず、未だ固まっていた。
「それ、昼食なんですか?」
思わず尋ねるミネットに、ナオミは動じることなく「何か問題?」と目線で訴える。二人が呆気に取られている中、イェスタフが
「お前、噂通りというか、なんというか……なかなかの大物だな」
そう漏らしながらメニュー表に視線を移した。書かれたパフェの値段は、イェスタフたち三人の合計金額とほぼ同じだった。
注文を終えた四人は、ソファ席に腰を落ち着けた。ナオミとミネットが隣同士に、ギルとイェスタフがその反対側に座る。自然と女性二人が目の前に座る形となった。
「最終テストが美人二人の護衛だなんて、ついてるじゃねぇか。なぁギル」
「そ、そんな!僕は、その……そういう変な気持ちは、ありません!」
イェスタフにからかわれ、顔を赤くするギル。
「ふふっ。私は嬉しいですよ。ギル君みたいないい子が、ボディガードになってくれて」
「そ、そうですか?それなら、その、よかったです……」
ミネットに微笑まれ、ギルは下を向く。そのままチラチラと二人の顔を覗き見ていた。
ナオミはと言えば、隣でまた本を読んでいた。ただし昨日と違い、表紙にはおいしそうなスイーツの写真と、『流行最先端!話題のヘルシースイーツ十選!』のタイトル。
「そういった本も読まれるんですね。昨日読まれていたのは、難しそうでしたが」
とミネット。ナオミは視線だけをミネットに向ける。
「脳を休めるのに、ちょうどいいのよ」
そう告げるとすぐに視線を戻す。おいしそうなスイーツの特集に、ナオミの口角が自然と上がった。
「えっと、その……ナオミさんは、本をよく、読まれるんですか?」
向かいに座るギルが控えめに尋ねる。ナオミは、今度は顔を上げて、ギルを真っ直ぐ見た。
「ええ、そうよ。時間を無駄にしたくないから」
「そ、そうなんですね。どんな本を、読まれるんですか?」
ナオミは少し考えて
「マナや魔動機術、理術なんかの専門書が多いわね。最近は特に、魂関連の本を中心に知識を深めているところ。数学の本は、うっかりすると後回しになるから、意識して読むようにしているわ」
言いながら、手に持った本を閉じた。そのままカバンにしまい、手をテーブルに置く。
「後はまぁ、雑誌とかかしら。あなたも本を読むの?」
ナオミに尋ねられ、ギルは嬉しそうに頷いた。こぶしを握り、言葉が少し早口になる。
「僕は、小説を読むのが好きなんです!英雄たちが冒険して、色々なところに行ったりとか。あと雑誌も読みます。綺麗な写真が載ってたりする観光雑誌とか、そういうのです。世界のどこかにこんな素敵な場所があるんだって思うと、ワクワクするんです!」
楽しそうに語る姿を見て、ナオミたちの顔が自然とほころぶ。ギルは身振り手振りを交えて、今まで読んだ小説の話や雑誌で見た景色などを語った。
「いつか僕も、世界中のいろんなところに行って、本で見た世界をこの目で見てみたいんです!」
そう言ってギルがテーブルに体を乗り出す。自然とナオミたちの顔が近くなり、ハッとなって下を向いた。
「す、すみません。つい……」
赤くなって照れるギルに、二人は目を細めた。
「素敵な夢だと思うわ。いつか、見れるといいわね」
「大丈夫、必ず見れますよ。私も応援しています」
二人の応援に、ギルの表情がパッと明るくなった。
談笑しているうちに番号が呼ばれ、それぞれが自分の料理を取りに行く。テーブルから醤油やソースの香りが立ち込め、ハンバーグの上のバターがとろりと溶ける。平坦な皿が並ぶ中、ナオミの前に聳え立つフルーツパフェが妙に際立っていた。
「そういえば、お二人はどこの部署の配属を希望されてるんですか?」
口元に赤いソースをつけたまま、ギルがナオミたちに尋ねる。口調も徐々に砕けてきた。
ギルの問いに、ナオミが最初に答える。
「私は研究開発部ね。研究内容は何でもいいわ。何でもできるもの」
自信たっぷりの様子に、ギルが若干面食らう。だが、ナオミはすぐに悪戯っぽく笑って
「当然、ルーンフォークのこともね」
そう言って身を乗り出し、紙ナプキンを持った手を伸ばす。そして「可愛い顔が台無しよ」と、ギルの口元のソースを拭った。ギルの表情が、再び固まる。
「ふふっ。からかい甲斐があるわね、あなた」
ギルの様子にナオミは楽しそうに笑った。テーブルが笑いに包まれ、ギルは照れながら頬をかく。
「で、でも、研究職希望だなんて、やっぱりすごい人なんですね」
気を取り直してギルが話す。心なしか、声のボリュームが大きくなった。
「ありがとう。でも大したことじゃないわ。自分にできることをするだけよ」
「そんな、すごいですよ!研究職の採用はすごく厳しいって、教育プログラムで教わったんです!会社が一番力を入れてるからって!ナオミさん――いえ、ナオミ博士、ですね!」
ギルのまっすぐな言葉にナオミは表情を崩す。小さく一言「ありがとう」と呟いた。
「ナオミ博士、ですか。博士は、何か作ってみたいものとか、あるんですか?」
隣で聞いていたミネットが会話に加わる。ナオミは「そうねぇ」と呟いて
「私は正直、何でもいいわ。どんな魔動機でも、完璧に作れるもの。一つの分野でしか活躍できない研究者なんて、三流もいいところよ」
自信たっぷりに答えた。そしてスプーンいっぱいの生クリームをおいしそうに頬張る。言葉と姿のギャップに、ミネットたちは苦笑いを浮かべた。
「それで、ミネットさんはどの部署をご希望されてるんですか?」
ギルが、今度はミネットに話を振った。興味津々といった様子にミネットは
「私は事務職志望です。今は研修の為にヴィントランドに来ていますが、配属はユーシズの支社を希望しています」
と答えた。するとナオミが驚いたように
「ユーシズ?なんで?」
と、大きな果実を口に運びながら尋ねる。ミネットは少し考えるそぶりを見せた後
「私の出身はユーシズなんです。両親が今もユーシズに住んでいて、二人じゃ大変だから、私も近くで働きたいって思ってます」
そう説明する。ナオミは相槌を打ちながらゆっくり咀嚼していた。
「ご両親の為に。素敵ですね!きっとご両親も喜んでくれますよ!」
無邪気に話すギル。だが
「……うん、そうですね」
返事が一拍遅れる。だが、それはすぐもとに戻った。
不意に、ずっと会話を聞いていたイェスタフが
「まぁそれなら、ナオミはもうちっと研修を真面目に受けた方がいいだろうな」
と言葉を挟む。ナオミの眉がピクッと動き「なぜ?」と問い返した。焼き菓子を持つ手が空中で止まる。
「研修での態度や同期との関係を見て、会社が配属先を変えることもあるからさ。数は少ないが、態度が悪すぎて、採用時とは別部署に飛ばされたやつもいる」
イェスタフの答えに、ナオミは面白くなさそうに口を尖らせる。気にすることなくイェスタフは続ける。
「ミネットは大丈夫だろう。俺の目から見ても優等生だ。だがナオミは、今のところ何とも言えないな。もうちっと社会のルールってもんを覚えた方がいい」
少しだけ真剣な口調になるイェスタフ。ナオミは、祖父と同じことを言う彼にムッとしながら
「何よ、社会のルールって」
と言い返した。イェスタフは苦笑いを浮かべつつも
「簡単に言えば、人は感情で動くってことだな。誰だって、嫌いな奴とは仕事したくないだろ?理論が完璧でも相手が嫌がったら、うまくいかないってことさ」
ナオミの目を見て、諭すように伝えた。釈然としない表情のまま固まるナオミに、イェスタフは
「ま、心配すんな。そのために俺がいるんだからな。ナオミにもわかるように、ちゃんと俺が教えてやるさ。それより、そろそろ飯を食おう。冷めちまうからな」
気さくな笑顔で話題を切り替えた。憮然としたまま、ナオミが焼き菓子を口に含む。チョコレートの甘さと苦みが、口の中いっぱいに広がった。
昼食を終え、ナオミとミネットは午後の座学を受けるために研修室へ戻っていた。ギルはルーンフォーク用のプログラムのため別行動で、本格的に合流するのはもう少し後になってからとのことだ。
研修開始までまだ時間があり、ナオミは雑誌の続きを読んでいる。途中さりげなく、視界の隅でミネットの様子を探った。彼女も資料を確認したりメモを見たりして時間をつぶしている。
そんな中、ミネットもこちらに視線を向けてきた。バッチリ目が合い、二人ともつい固まってしまう。
「……子供とか、好きなんですか?」
ミネットが突然、そんなことを尋ねてきた。脈絡のない質問にナオミは戸惑う。
「別に、そういうわけじゃないけど……なぜ?」
「いえ、その……ギル君には、普通に話していた気がしたので」
気まずそうに話すミネットに、ナオミはキョトンとした表情を浮かべる。
「あなたにも、普通に話してるつもりだけど」
しどろもどろに答えるナオミに、ミネットは少しだけ眉を顰めて
「そうですか?私は、棘があるように感じてますけど」
と言い返す。ナオミはますます戸惑い「……そう?」とだけ返した。ミネットは小さく息をつき
「そうですよ。今だって〝別に〟とか〝普通〟とか。そういう返答ばかりじゃないですか。そう言うこと言われたら、誰だって気まずいです。ギル君みたいに、もっと愛想よくしないと」
ここぞとばかりに言い返した。歯に衣着せぬ言い方に、ナオミが面食らう。言い返そうと言葉を探すがうまく出てこない。
「まぁ、その……覚えておくわ」
結局曖昧なことしか言えず、それっきり口を閉ざした。外からの雑音が、妙に大きく聞こえた。
沈黙に耐え切れず、ナオミは再び隣へ視線を向ける。ミネットはじっと、ナオミが持っている雑誌を見ていた。
「あなたも好きなの?甘い物」
ポツリと、ナオミが尋ねた。ミネットは一瞬驚いたがすぐに笑みを浮かべる。
「好きですよ。でも食べるより、作る方が好きかも。料理とか得意で、お菓子作りもするんですよ」
「ふーん。そう……ふーん?」
ナオミはミネットと雑誌、交互に視線を巡らせる。そんな彼女にミネットは少しだけ体を寄せた。
「その雑誌、私も見てもいいですか?どんなお菓子が載ってるか、気になります。もしかしたら、作れそうなのがあるかも」
「まぁ、別にいいけど……。でも、そろそろ研修が始まるんじゃないの?」
ナオミがチラッと時計に目をやる。だがミネットはすかさず
「大丈夫。あと10分23秒あります。片付けには1分3秒もあれば十分ですから、9分20秒はおしゃべりできます」
秒単位で時間を告げた。突然のことにナオミの反応が遅れるも、ミネットは気にせずすぐ近くまで体を寄せた。
「あ、ティラミスですね。博士、食べたことありますか?甘すぎない上品なチョコを使うとおいしいんですよ。でもスポンジをふわふわにするのに、少しコツがいるんです」
楽しそうに話すミネット。距離が縮まりナオミは一瞬身を固くしたが、ミネットは気にする様子もなく雑誌を指さした。
「初めて作った時はうまくいかなくて、少し焦げちゃったんです。一生懸命作ったんですけどね。でも、父と母に振舞ったらすごく喜んでくれたんです。こっちはアップルパイですね。母はリンゴが好きで、よく――」
ミネットの弾んだ声が部屋の中に響く。ナオミは相槌を打ちながら、時折彼女の顔を見つめた。少しだけ、胸の鼓動が高まる。
いつの間にか外からの雑音がなくなっていた。窓から差し込む光が明るさを増し、楽しげに話す二人を照らしていた。