3
次の日からは座学に加え、希望部署に出向いての実地研修が行われた。ナオミは若手や他の新入社員に混じり、簡単な実験、資料作成などをやらされていた。その手腕は本物で、渡された資料に対する理解度も、実験の精度も段違いだった。しかしナオミはどこか退屈そうで、手のかかる実験やディスカッション以外終始本を読んでいた。
一方ミネットは総務、財務、広報など、幅広い部署で研修を行った。一つひとつの仕事が早く丁寧で、こちらもいい新人が入ってきたと評判になった。口調も柔らかくコミュニケーション能力もあり、美人なエルフという評判も相まってたちまち人気になる。
しかしその几帳面な性格が災いしてか、指示命令を厳密にとらえすぎるところがあった。
「えぇ……勝手に去年と内容を変えられちゃうと調整に困るんだけど」
「私への指示は『別部署の穴埋めに十分間のプレゼン資料を作ってほしい。これ去年の資料だから参考にしてね』でした。『参考に』との指示だったので、参考にしただけでしたが」
「え、あ、いや……ごめん。内容は去年と、なるべく変えないでほしかったんだ。もう一度作ってもらえるかな」
「わかりました。すぐに作り直しますね」
このようなやり取りが頻繁に発生した。他にも、時間を分単位、秒単位で守ってしまうため、すれ違いが起こることもあった。
そんな日々が十日ほど過ぎた頃。イェスタフは二人の研修報告書を読みながら、今後の指導方針に頭を巡らせていた。能力だけなら二人とも、特別プログラムが組まれるだけあって、他の新人よりも頭ひとつ抜けていた。特にナオミは事前に聞いていた通り、研究者として第一級の能力を持っているようだった。
「それはまぁ、いいんだがなぁ……」
頭をかきながら、彼はため息をつく。能力が高いのはいいが、あからさまに退屈そうにしたり、本を読みながら仕事をしたりと、あまりにも業務態度が芳しくなかった。研究棟の社員はあまり気にしていないようだが、それでも今後、様々な軋轢が生まれることは想像に難くない。
一方のミネットも、ナオミほどではないが一癖あるようで、イェスタフが思っているほどの評価ではなかった。報告書の評価を要約すると『まじめで優秀で、仕事がやり直しになっても嫌な顔一つしない、とってもいい子なんだけど……』といった感じであった。
「なかなか鍛えがいのある新人だな、こりゃ。まぁ、能力が高いだけでも大したもんだろ」
イェスタフが時計を確認すると、もうすぐ今日の研修が始まる時間だった。彼は荷物をまとめ、ナオミたちが待つ研修室へ向かう。今日からはギルも、一緒に研修を受けることになっていた。
研修室につくと、中から三人の声が聞こえてきた。どうやら楽しそうに談笑しているようで、扉越しにもその雰囲気が伝わってくる。彼は気づかれないよう[姿なき職人]で姿と気配を消し、聞き耳を立てた。
「博士。お菓子を食べるときくらい、本を置いてください。ギル君も見てるんですから」
「嫌よ。時間がもったいない。非効率」
「あ、あはは……僕には絶対わからない本ですね」
「ギルもやってみる?脳の訓練にちょうどいいわよ」
「いえ、僕にはとても、できそうにないです」
「そう、残念ね」
「まったく。あと二分十七秒で始まるんですから、適当に切り上げてくださいね」
「わかった。それまでに読み終えるわ」
(ほう、これは……少しはいい傾向か?)
会話を聞く限り、ナオミはナオミなりに、二人とコミュニケーションをとっているようだった。本を読んでるのは相変わらずだが、ミネットもギルも、そんな彼女を受け入れ始めているらしい。ミネットの几帳面さもナオミは気にならないらしく、むしろ頼りにしているようにも見える。
イェスタフは安心しながら[姿なき職人]を解除する。そのまま扉を開け、今日の研修がスタートした。
挨拶しながら入るイェスタフを見て、ミネットとギルの二人が姿勢を正す。ナオミはマイペースに本をしまっていたが、時間ぴったりだった。
「よし、揃ってるな。じゃあ、今日の研修を始めるぞ。まずは、昨日までの部署研修お疲れさん。二人ともどうだった?」
イェスタフが人当たりよく尋ねる。
「はい、とても勉強になりました」
とミネット。対してナオミは「それなりに」と一言。
「うんうん、素直でよろしい。ナオミはまぁ、相変わらずだな」
イェスタフは苦笑しながら、気を取り直して三人に向き直る。
「さて、二人が入社してから、今日でちょうど二週間だ。前に説明した通り、一か月の基礎研修が終わった後は、二か月の自由課題期間になる」
そう言ってイェスタフが三人に資料を配る。そこには各部署で行っている取り組みや、業務内容が書かれていた。
「この資料や、これまで受けてきた研修の中からテーマを決めて、新しい企画や課題の解決策を考えて、プレゼンで発表する。内容もそうだが、チームワークも評価されるから、そのつもりでな」
そう言って一呼吸置くイェスタフ。ミネットとギルは、配られた資料を真剣に眺めている。ナオミは相変わらずのスピードで読み終えてしまい、その資料は早くも机上に置かれていた。
「テーマについては自由だが、二か月で検証や資料の用意、発表まで済ませられるものがいいだろう。部署に協力を仰ぐのもいいし、必要なら社外に出るのもアリだ。あんまり無理そうなら俺が止める。何か質問はあるか?」
少し間が開いて、ミネットが手を挙げた。
「えっと、いくつかあるんですが……。まず、過去の先輩方のテーマを見ることはできますか?」
「最初はナシだ。この自由課題は、優秀な新人が出てくることを期待して設けられてるからな。どうしてもテーマが決まらなければ見せてもいいが、まずは自分たちで考えてくれ」
「わかりました。二つ目です。外出はどれくらいまで許可されるんでしょうか」
「国外に出るとか無茶を言わない限りは、特に制約はない。ただまぁ、会社での基礎研修がなくなるわけじゃないし、常識の範囲内で頼むぞ。ちなみに外に出るときも、ギルが護衛についていくからそのつもりでな」
そう言ってイェスタフはギルを見る。任せてくださいと、ギルはこぶしを握りながら頷いていた。
今度はナオミが手を上げた。イェスタフが指名する。
「経費はどれくらい認められるの?あと、申請方法は?」
「最大一〇〇〇ガメルだ。使う場合は事前に申請するか、後日領収書を出すか、どちらかだな」
そこで一度言葉を区切る。そして、少しだけ真剣なトーンで
「会社の経費を使うのも、一つの経験だ。金ってのは願いみたいなもんだからな。会社が何に金を払うのか、お前たちに何を期待してるのか、それをしっかり考えて使ってくれよ」
と話した。ナオミはいつもの調子で「わかったわ」とだけ答えた。
「ま、それも俺がしっかり管理するから安心しろ。無茶なことには使わせないさ」
イェスタフは最後にそう付け加えた。
二人の質問が終わると、今度はギルが手を上げた。
「その……護衛任務がない日は、僕も何か、お手伝いしたほうがいいでしょうか?」
少し不安そうに尋ねるギルに、イェスタフは穏やかな声で答える。
「そうだな。基本的には二人の手伝いを頼む。お前は賢いし、優秀だからな。それに実際の護衛任務では、護衛対象の仕事を補佐することも多い。その予行演習だと思ってくれ」
「わ、わかりました、頑張ります!」
拳を握り、真剣な表情で頷くギル。ナオミとミネットの二人に笑みが浮かんだ。
「ほかに質問はあるか?……ないなら、今日の午前中は三人で、テーマについて話し合ってくれ。十二時になったら一度様子を見に来る。何かあったら人事部まで連絡してくれ。以上だ」
そう言ってイェスタフは研修室を出た。
「さて、テーマですけど、どうしましょうか。博士は何か案はありますか?」
最初に切り出したのはミネットだった。薄いグレーの手帳を片手に持ち、向かいに座るナオミに話しかける。手帳には几帳面な字で『2か月間の研修のテーマ』と書かれ、その下には『ミネット、ナオミ、ギル』の文字。隣では、ギルが真剣な顔で話を聞いていた。
「適当でいいんじゃない?『マナ情報の遠隔送受信装置の実現可能性』とか」
ナオミの口から意味不明な言葉が飛び出す。その答えにギルは首を傾げ、ミネットはあからさまに引きつった顔でため息をついた。
「あの、えーっと……ち、ちなみに、どういうもの、でしょうか……あはは……」
場を繋ぐように、ギルが作り笑顔を浮かべた。ナオミは気にかける様子もなく、涼しい顔で説明を始める。
「大したものじゃないわ。今の魔動機っていちいちスイッチを入れたり、〈マギスフィア〉に起動コマンドを入力しないといけなくて面倒でしょ。だから、命令情報を込めたマナを魔動機で飛ばして、それを受信側の魔動機が受け取って動くようにするのよ。適当に試作機作って製品化するって言えば、形になるでしょ」
自信たっぷりに言い切るナオミへ、ギルは乾いた笑いを浮かべる。
「まったく。私たちにそんなこと、できるわけないじゃないですか。真剣に考えてください。真剣に」
「私はいたって真剣だけど?」
問い詰めるミネットに、ナオミはあっけらかんと答える。ムッとした表情をするミネット。それを見たギルがあたふたしながら間に入った。
「そ、そうですよね!そんな魔動機が作れたら、素敵ですよね!」
その場を必死に取り繕いつつ、ナオミの顔色を窺う。
「でも僕も、もうちょっと、僕たちでやれそうなテーマが、いいんじゃないかなぁ、なんて……」
ギルの提案に、ミネットも少しだけ落ち着きを取り戻す。
「ギル君の言う通りです。もっとシンプルなものにしましょう。『横のつながりを意識した各部署の連携』とか、『開発コストを抑えた魔動機研究の在り方』とかです。そこから少しずつ、できる範囲で広げていきましょう。いいですか?」
「僕もそれがいいと思います!ね、博士。そうしませんか?」
二人に詰め寄られるナオミ。ナオミの眉が僅かに動いた。
「何なら見に来る?うちにあるわよ?その魔動機」
変わらない様子で答えたナオミに、ミネットとギルの表情が一瞬固まる。それにかまわずナオミは続けた。
「大学での研究の一つ。魂の量子状態を観測して、パターンを解析したのよ。意識の表層部分ならある程度解析が済んだから、あとは専用の魔動機で魂とリンクさせるだけ。送信側が作れれば、受信機はもっと簡単。魔動機を分解して術式に組み込むだけで、自由に動かせる魔動機の完成よ」
簡単でしょと言わんばかりのナオミ。ミネットは話についていけなくなったのか、ナオミの話をメモしながら、なんとか理解しようと努める。一方ギルは、今の話を多少なりとも理解できたようで、絶句している。
「……あの、博士……それ、本当なんですか?え、魂と魔動機をリンクさせるって……そんな技術、聞いたことが……」
絞り出すように尋ねるギル。
「当り前じゃない、誰にも言ってないもの」
表情を変えずにナオミは答え、さらに続ける。
「驚くことじゃないでしょ?【リジェネレイション】や【フィジカルギミック】だって、魂とリンクして情報を取り出してるんだし。【レイス・フォーム】みたいに、肉体と魂を分離させて行動する魔法もあるわ。魂との接続なんて、今更よ」
「今更って……それ、とんでもなく高位の魔法じゃないですか!【レイス・フォーム】や【リジェネレイション】が使える魔法使いなんて、人族の英雄クラスですよ!」
突然ミネットが大声をあげた。ビックリした二人が勢いよく顔を向ける。
「そうよ。でも、だから何?それを何とかするのが魔動機でしょ?」
「何とかって、そんな簡単に言わないでください!【リジェネレイション】と同等の技術だなんて、信じられるわけないじゃないですか!いい加減なことばかり言って、いくら博士でも許しませんよ!」
「な、なに?そんなにムキになることないじゃない」
いつになく声を荒げるミネットに、ナオミは体をのけ反らせる。
「べ、別にムキになってるわけじゃ……私は――」
言いかけたところで、ギルが怯えた顔をしていることに気づいた。我に返ったミネットは口を噤み、下を向く。
「その、すみませんでした。急に、大声を出してしまって……」
そう言ってミネットは黙り込んだ。ナオミはため息をつきながら肩をすくめ、体勢を崩す。
「まぁいいわ。明日は休みだし、信じられないなら見に来なさい。論より証拠。実物を見れば納得するでしょ」
言うことは言ったと話を打ち切るナオミ。それきり三人は黙り込む。時計の音がやけにうるさかった。
「あの……もしよかったら、別のテーマも考えておきませんか?ほら、たくさんあったほうが、いいと思いますし……」
沈黙を破り、ギルがおずおずと提案する。
「そう、ですね……ごめんなさい、博士、ギル君。対案もしっかり考えておきましょう」
「……はぁ、わかった。それで、何にするの?」
そうして再び話し合いが始まる。いくらかぎこちない雰囲気を残しつつ、その日の時間は過ぎていった。
4
「明日は一日家にいるから、適当に来なさい。実物を見ても納得できないなら、別のテーマにすればいいわ」
昨日の別れ際、ナオミはそう言って帰っていた。そして一夜明け、私服のミネットが、ギルとの待ち合わせの場所へ向かっている。ミネットの脳裏に、大声をあげてしまったことが浮かぶ。彼女の表情は暗く、その足取りも重かった。
待ち合わせの場所へは、時間ぴったりに着いた。ギルは少し早めに来ていたようで、手を振りながら駆け寄ってくる。
「こんにちは、ミネットさん。時間ぴったりですね」
明るい表情であいさつをするギルに、少しだけ顔をほころばせるミネット。
「こんにちは、ギル君。待ちましたか?」
「いえ、大丈夫です。僕も来たばかりですから」
今日はギルも私服で、シャツとジーンズに薄手のジャケットを羽織っていた。ミネットは白いニットにベージュのフレアスカート。その上からグレーのコートを着ている。手にはシンプルだが女性らしさを感じるバッグを下げていた。
「行きましょう、ミネットさん。社員寮まで案内しますね」
そう言ってギルは彼女の隣を歩いた。距離も歩調もちょうどよく、一緒にいるだけで不思議な安心感を感じる。見た目は小さくても男の子なんだなと、彼女は思った。
「ギル君。昨日は取り乱してしまってごめんなさい。怖かった、ですよね?」
気にしていたことをミネットが切り出す。ギルは顔を向け、少し困った表情をしたが
「あはは。少しビックリしましたけど、気にしてませんから、大丈夫ですよ」
とすぐに笑顔になる。抱えていた重石がフッと軽くなり、彼女はありがとうとお礼を言った。
「でも、本当なんでしょうか。博士が言ってたことって」
ギルが言葉を選びながら慎重に話す。
「NexaTech社でも、魂との接続なんて聞いたことがなくて……博士がすごい人だっていうのは、わかるんですが……」
それはミネットも同じ気持ちだった。専門的なことは分からずとも、高位の魔法と同等の技術というのは、信じがたいことだった。しかもただの高位魔法ではなく、【リジェネレイション】と同等と言われたことが、ミネットにはショックだった。なぜなら――
「あ、つきましたよ、ミネットさん」
ギルの言葉で思考が遮られる。気づけば目の前に、ナオミが住む社員寮があった。考え事をしているうちについてしまったようで、ミネットが驚く。
「あの、大丈夫ですか?もしかして、体調が悪いんじゃ……」
心配そうにギルが尋ねる。いけないとミネットは思い直し、気持ちを切り替えた。
「いえ、大丈夫です。ありがとう、ギル君」
ミネットの笑みに、安心して笑みを返すギル。ミネットが少しだけかがんで
「エスコートありがとう、ギル君。かっこよかったですよ」
とお礼を言った。頬を赤くしたギルがあたふたしながら
「あ、いや、あの、どういたしまして」
どうにかそれだけ答えた。
新しい環境で疲れていたんだろう。ミネットはそう自分を納得させ、せっかくの休日を楽しむことに決めた。
ナオミの住む社員寮は、本社からやや離れた場所にある。本社に通いやすいよう大通りに面しており、近くには日常品が購入できるマーケットもあった。ナオミの部屋は最上階の角部屋で、廊下を奥に進み曲がったその先にあった。他の部屋とは物理的に距離が開いており、突き当りには大きめの窓が設置されている。
部屋の前に着いたところで、ミネットはインターフォンを鳴らす。が、しばらく待ってみても反応がない。もう一度同じことをするが無反応。ギルが不思議な顔で
「おかしいですね。部屋、間違えたのかな」
そう言って、メモしてあった部屋番号を確認する。ミネットも同じように確認するが、間違いはない。再度インターフォンを鳴らすが、やはり無反応。まさか、ナオミが部屋番号を伝え間違えたんじゃ……ミネットがそう考えていると
「おや、お客さんかの?」
すぐそばで、二人に呼び掛ける声が聞こえた。声のした方へ振り返ると、そこには白い髭を生やした、初老の男性が立っていた。健康的でがっしりと引き締まった体つきをしており、精力的な印象をうかがわせる。だが落ち着きのある低めの声は知的で、深い理性を感じさせた。
手に紙袋を携えたその男性に、二人は見覚えがあった。そのことに気づいたのはほぼ同時で
「え……えぇ!?」
「まさか……シャンベルタン博士!?」
と、素っ頓狂な声を上げた。そしてすぐさま二人して姿勢を正す。そこにいたのは、NexaTech社の前身Next重工の創始者にして、現NexaTech社のCEO、Dr.シャンベルタンだった。
「いかにも、わしはシャンベルタンだが……この部屋に何か用かな?」
あごひげを触りながら、穏やかな声でシャンベルタンが問う。ミネットは咄嗟に
「は、はい!失礼しました。私、ミネット・リエーブルと申します。この春から、NexaTech社にお世話になっております」
そう言って礼儀正しく頭を下げた。ギルも慌ててミネットに倣い
「あの、僕はその、製造番号NT-HGU-1019、パーソナルネーム“ギル”です。この春、教育プログラムを終えて、ナオミ博士とミネットさんの護衛任務に就いています!」
普段より若干大きな声で、かなりの早口で言い切った。背筋をピンと伸ばし、緊張で表情は硬く、心なしか額に汗がにじむ。
「おぉ、今年の新入社員か。話は聞いているよ。ナオミがいつも世話になっているね」
彼は表情を崩した、人当たりのいい笑顔で話しかけた。二人は固い表情のまま、曖昧に返事をする。
「大変じゃろう、あの子の相手は。何せ、社会性の欠片もない生意気娘じゃからな。まぁ、わしが言えた義理ではないがな」
ガハハと豪快に笑う彼。ミネットは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。だが、ギルは相変わらずだ。
「あ、あの……シャンベルタン博士が、どうしてここに?き、聞いても、大丈夫でしょうか」
緊張した様子でギルが尋ねる。ミネットも同意見だと言わんばかりに、背筋を伸ばしたままシャンベルタンを見つめた。
「なに、孫の様子を見に来たんじゃよ。まったく、社員寮に放り込んで強引に自立させたのはいいが、ズボラすぎてろくに身の回りの世話をせんからな」
そう言って、手に持った紙袋を見せる。中にはタオルやシャンプーなどの日用品が、どっさりと入っていた。あっけにとられている二人に、今度はシャンベルタンが問いかける。
「君達こそ、どうしてナオミの部屋へ?もしかして、遊びに来てくれたのかの」
弾んだ声で問いかける彼に、ミネットが答える。
「遊び、と言いますか……研修でのプレゼン課題の件について、話し合おうということになりまして。それで今日、ナオミ博士に呼ばれて来たんです」
それを聞いてシャンベルタンが目を見開く。
「ナオミが?自分の家にか?」
「は、はい。博士が言うには、意思一つで思い通り動かせる魔動機が、自分の家にあるからと……」
たどたどしく答えるミネット。シャンベルタンは二人をまじまじと見た後、一瞬だけ目を閉じ
「そうか。ナオミがなぁ」
そう小さくつぶやいた。
「あの……私からも一つ、よろしいでしょうか」
今度はミネットが彼に尋ねた。頬に一滴の汗が流れ、声が少し震えている。
「何かの?大丈夫じゃよ、お嬢さん。今は、会社での立場は忘れてくれ。何もしやせんよ」
「ありがとうございます。では、その……ナオミ博士とは、どのようなご関係で?」
ミネットが聞いた途端、ギルも全身に力が入る。答えは既に察していたが、それでも固唾を飲んで返事を待つ。
「おや、ナオミから聞いてなかったのか。察しの通り、わしはナオミの祖父じゃ。いつも孫と仲良くしてくれて、ありがとうな。面倒な孫じゃが、これからも仲良くしてやってくれ」
気さくな笑顔で、シャンベルタン・シルフィードは答えた。
「おいナオミ!!開けんか!!お友達も来とるぞ!!いつまで待たせるつもりじゃ!!」
大声をあげながら、シャンベルタンは容赦なく扉を叩く。それを後ろで見ながら、ギルがミネットに小声で声をかけた。
「ま、まさか……シャンベルタン博士のご令孫、だったなんて……」
「はい、私も驚きました。全然、そんな雰囲気なかったですし」
「だ、大丈夫かなぁ……僕、今まで何か、失礼なこととか、言ってないでしょうか?」
泣きそうな声で話すギル。だがミネットはそれ以上に青ざめた表情で
「大丈夫ですよ、ギル君は。それより、私のほうが心配です。ええ、本当に」
と答える。ミネットの頭の中を巡るのは、これまで遠慮なくナオミに言い返してきた言葉の数々。そして何より、昨日感情的になってしまった、あの出来事だった。
「私……今日でクビでしょうか」
本気で心配になってきたミネットに、ギルが大丈夫だと励ましの言葉をかける。ふとミネットは、こんなに大声を出したら迷惑なのではと思った。だが、すぐそこの大きな窓のおかげで、あまり廊下へは響かない作りになっているようだ。
「いざとなったら全力で謝りましょう。お願いしますね、ギル君」
「は、はい……!」
そんな会話をしているうちに、かちりと扉から音がした。ようやく鍵が開いたのかと思うと、扉がゆっくりと、ひとりでに開いていく。
(あれ?マナが、揺らいだ?)
ミネットが目を見開く。魔法を使う前兆によくあるマナの揺らぎが、僅かに感じられたような気がしたからだ。だが今は見られない。近くで誰かが魔法を使ったのだろうか。
「ふぅ、ようやく開いたか。二人とも、お待たせしたの」
そう言って、シャンベルタンが二人を中へと促した。
中に入ったミネットは、思わず息をのんだ。1DKの小さな部屋の大半を占めていたのは、大量の本。足を上げなければ進めないほど積み上げられていて、床を見た目より一段高くしている。さらにその上には、脱ぎ掛けの服や書類の山。難しい数式が書かれた紙もそこらに散らかっており、ともすれば滑って転びそうだ。
台所に目をやると、そこには水につかったままの皿や、飲み物が入ったままのコップが無造作に置かれていて、数日放置されているのがありありと伝わってくる。生ごみの類が一切ないことが、唯一の救いだった。
(こ、これは……掃除したい)
ミネットが心で叫んでいると、不意にギルが話しかけてくる。
「あの、ナオミ博士は、どこにいるんでしょうか?」
「どこって……この部屋の惨状が気になって、それどころでは……」
「あ、いえ、そうじゃなくて、扉を開けたのは誰なのかなって思って」
言われてミネットは気づいた。部屋の扉が開いたとき、そこにナオミの姿はなかった。鍵も確かにかかっていたはずで、誰かが開けなければ部屋に入ることはできない。
「もしかして……博士が言っていた魔動機、でしょうか?」
首を傾げるギル。ミネットも同じことを考えたが、まずは話を聞くのが先決だ。
「おい、ナオミ!起きんか!いつまで寝とるつもりじゃ!」
「うるっさいわねぇ……聞こえてるっての……」
不機嫌そうな声と、ごそごそという衣擦れの音が聞こえてきた。二人は本の合間を縫って、寝室へ向かう。
寝室にはこれまで以上に本や脱ぎ掛けの服で散らかっていて、文字通り足の踏み場もなかった。シャンベルタンが通ったところだけ道のように物がよけられており、何もないのがかえって不自然なほどだ。
「んぁ?ミネット、何で……?あぁ、そうか。いらっしゃい。適当に腰掛けて」
大きな欠伸をするナオミ。ベッドの上で横になったままシーツにくるまっており、寝ぐせのせいかあちこち髪が跳ねている。
「腰掛けるって、いったいどこに?」
思わず突っ込んでしまったミネットだったが、ナオミが社長令孫だったことを思い出し、言葉を噤む。下手なことを言いすぎるわけにもいかない。
「その前に、まずベッドから出んか!お友達が来とるというのに、はしたない!」
孫を叱る祖父の言葉に、しぶしぶ頷きながらナオミがシーツから出てくる。だが――
「あぁ、まったく…!」「な…!?」「え、わ、わぁ!?ちょちょちょ、ちょっと、博士ぇ!?」
シャンベルタンは頭を抱え、ミネットはさらに絶句。ギルは手で顔を覆い、目を瞑って顔を背けた。
シーツから出てきたナオミは下着姿にYシャツを一枚羽織っただけの恰好で、隠すものは隠しながらベッドへ腰掛けた。普段の白衣と無造作な格好とは違い、顔立ちや体つきが整っていることが見て取れる。
「いいから、まずは服を着んか!お前も年頃の娘だろうに!」
「嫌よ、面倒くさい。私たちしかいないんだからいいでしょう?」
「そういう問題ではない!あぁもう、うちのバカ孫が本当に申し訳ない」
そう言って頭を下げるシャンベルタン。自分が勤める会社のCEOに頭を下げられ、ミネットは瞳を泳がせてしまう。
「あ、あの……僕からもお願いです。せめて、ズボンだけでも履いてください!お願いですからぁ……」
顔を真っ赤にしたままギルが、顔を背けながら懇願する。それを聞いたナオミは
「なにませてんのよ。製造年数5年のお子様が」
からかうように笑った。
「まぁいいわ。着替えるから、ちょっと待ってて」
ナオミがそう言うと、部屋の中に散らかっていたズボンがひとりでに浮かび上がった。そのままナオミの方へと飛んでいき、ミネットの視線が追いかけるように動く。よく見ると、ナオミの右耳に小さな魔動機がかけられていて、緑色の光がチカチカ点滅していた。
ズボンが彼女の手に収まると、その中から〈マギスフィア〉が出てきた。それは彼女の周りを一周し、ふよふよと漂う。
「座る場所は……ないわね。今作るわ」
今度は〈マギスフィア〉がアームのように変形し、そこらの本や服を器用に片づけていった。そして空いたスペースに掃除機と思しき円形の平たい魔動機がやってきて、クルクルと掃除を始めた。その間にも様々な魔動機が本を片付け、座布団を用意し、散らかった服を隅へとよけていく。そのたびに、ナオミの耳の魔動機がチカチカと点滅する。
(間違いない。少しだけど、マナが揺らいでる)
ミネットは、部屋の扉が開いたときに感じた揺らぎを、今度ははっきり感じていた。ナオミの耳の魔動機に合わせて流れや形が変わり、一定の規則で滑らかな挙動を描いている。
(もしかしてあれが、博士が言っていた魔動機?)
そんなことをミネットが考えていると、ナオミもズボンを履き終え、何とか常識的な格好になっていた。途中下着がチラチラ見えてしまっていたが、いちいち突っ込んでいたら話が進まないと思い無視する。
「さ、座って。ギル、もう目を開けて大丈夫よ」
ナオミが声をかけると、ギルが恐る恐る目を開ける。そしてYシャツにジーンズというシンプルな服装を見て、ほっと胸をなでおろした。
「まったく。もう成人しとるというのに、こいつは……ほれナオミ、頼まれてたものを持ってきたぞ」
そう言ってシャンベルタンは、持ってきた紙袋を手渡す。
「ん、ありがとう、お爺ちゃん」
袋を受け取ったのは、ナオミではなくアーム型の魔動機。先ほど同様〈マギスフィア〉が変形したものだ。器用に紙袋を開け中身を取り出し、必要なものを必要な場所へと運んでいく。
「本当にこの子は……下らんことに才能を使いおってからに……」
「だったら早く研究部門に入れなさいよ。すぐにでも製品化してやるから」
「駄目じゃ。まずは研修をしっかり受けろ。お友達も来とるんじゃから」
「ちっ、この頑固ジジイ」
「駄目なものは駄目じゃ。さて、わしはもう帰るぞ。お友達としっかり研修について話し合うようにな」
そう言ってシャンベルタンがミネットとギルに向き合う。
「まぁ、こんな孫じゃが、これからも仲良くしてやってくれ。頭のよさだけは、わしも保証する。わしの孫だからと言って遠慮することもないからな。バカをやったら容赦なくどついてやってくれ」
二人にそう言い残し、シャンベルタンは部屋を出ていった。
シャンベルタンが出ていったところで、ミネットとギルは大きく息を吐いた。伸ばしていた背筋を緩め、改めてナオミに向き直る。
「なに疲れてるのよ。とりあえず座ったらどう?」
ナオミの問いかけに、ミネットが憔悴した顔で答える。
「疲れるに決まってますよ、会社のCEOがいたんですから。はぁ」
ミネットは魔動機が用意した座布団に腰かけ、ギルもそれに倣う。腰までの高さまで積まれた本がバリケードのように二人を囲み、さながら要塞のようだ。
そんな中、ギルが座布団の上で正座をしながら、チラチラとナオミのほうを盗み見る。縮こまり、視線を床とナオミの間で往復させ、口をもごもごと動かしている。
「どうしたのギル。たかが下着でしょ。そんなに刺激が強かった?」
ナオミが不思議そうに尋ねると、横からミネットが口をはさむ。
「当り前じゃないですか。いきなり女性があんな恰好をしていたら、誰だって驚くに決まってます。もう少し、女性としての恥じらいを持ってください。ギル君だって、男の子なんですからね」
「はいはい、わかった。ギル、悪かったわね。謝るから、顔を上げてちょうだい」
素直に謝りながら、ギルに声をかける。だがギルは、相変わらず固まったままだ。
「ギル?」
様子のおかしいギルに、ナオミが再度声をかける。そこでようやくギルが顔を上げた。
「は、博士……あの、シャンベルタン博士のお孫さん、だったんですね」
正座のまま、ギルが恐る恐る話す。
「そうよ。だから何?」
「あ、いや、あの……すごい人だったんだなぁって、思って」
「どういうこと?何が言いたいのかしら?」
首を傾げるナオミ。だが、ギルは変わらず恐縮した様子で答える。
「いや、だって……シャンベルタン博士のお孫さんだなんて、すごいですよ。NexaTech社を作った人、ですし」
「それが?何か私と関係あるの?」
「え、あ、いや、その……すみません……」
「何で謝るのよ。何も悪いことはしてないわ」
ますます訳が分からないという顔をするナオミ。一方のギルは、恐縮しきっている様子でうつむいている。ベッドに座るナオミと座布団に座るギルという構図も相まって、一層ギルが縮こまるように見えた。
「博士。CEOの血縁の方と話すなんて、普通の人はすごく緊張するんです。ギル君の気持ちも考えてあげてください」
「そうなの?なんで?」
「いや、なんでって……偉い人のお孫さん、じゃないですか」
自分だって本当は緊張していると、ミネットは心の中で付け加える。
「バカバカしい。偉いのはお爺ちゃんでしょ?私じゃないわ。なら関係ないじゃない」
心底興味なさそうに足を組み、頬杖をつくナオミ。その視線の先ではギルが、申し訳なさそうに縮こまっていた。沈黙が、部屋の中に流れる。
「はぁ、わかった。ギル。私の祖父が誰だろうと、私たちには関係ないことよ。今までと同じように接してちょうだい」
幾分かやわらかい声で、ナオミがギルに声をかける。恐る恐る顔を上げるギル。
「いえ、そういうわけには……僕は、NexaTech社で製造されたわけですし……それこそ、シャンベルタン博士は、特別な存在というか……」
「そんなこと気にするジジイじゃないわ。あなたはあなた、私は私。さっきのお爺ちゃんを見れば、それくらいわかるでしょ?」
はっきりと言い切るナオミ。だがギルは、瞳を震わせ俯いてしまう。
「でも、僕はルーンフォークですから……」
「知らないわよ、そんなの。大体、ミネットはエルフで、私なんてナイトメアよ?種族の違いなんて今更だわ。何より、私は貴方のことを気に入ってる。何か問題?」
そう言ってじっとギルの目を見るナオミ。寝起きで眠そうではあるが、それでもまっすぐにギルを見ていた。
「いいんですか……?」
「私は気にしない。あとはギル次第よ」
そしてクシャッと、ギルの頭を撫でた。ギルが「わわっ」と声を上げ上目遣いで見上げる。
「差別されることで、ナイトメアに勝てると思うなよ」
ナオミは力強い瞳で、自信たっぷりの、不敵な笑みで答えた。ギルは頬を染め、嬉しそうにはにかんだ。
「さ、この話はもう終わり。そんなことより、魔動機の話をしましょう」
ナオミはそう言って、強引に話を打ち切る。ミネットはまだ気まずかったが、それより今は、ナオミの魔動機のほうが重要だった。
(【リジェネレイション】や【フィジカルギミック】と同等の技術……もしそれが本当なら……)
そんなことを考えていると、ナオミが耳にかけていた黒い魔動機を手に取り、二人に見せてきた。手のひらにすっぽり収まるほど小さなそれは、四角く平たい形状で、光を反射し鈍い光沢を帯びている。ところどころつなぎ目のような線が走っているが、隙間なくしっかりと接合されていて、壊れたりする様子はない。端に小さなクリスタルがついていて、先ほどまで光っていたのはこの部分のようだった。
「これが、昨日博士が話していた魔動機、ですか?」
ミネットがナオミに尋ねる。その声色は懐疑的で、いかにも半信半疑という様子だった。
「ええ。これは〈メンタルリンクデバイス〉。私のマナをこのクリスタルに飛ばすと、私の魂とデバイスがリンクするのよ。見ていて」
再びナオミが、デバイスを耳に着ける。すると、先端のクリスタルが再び緑色に光った。そしてやはり、ナオミの纏うマナがわずかに揺らぐ。
(やっぱり、何かの魔法なんじゃ……)
ミネットは疑わし気に、周囲のマナを注意深く観察した。確かにマナは揺らいでいるが、それ以外に魔法らしき痕跡は見当たらない。
「準備完了。あとは、受信機を内蔵した魔動機に命令を飛ばせば、その通り動くわ。ほら」
合図とともにデバイスが点滅し、アーム型に変形していた〈マギスフィア〉が戻ってきて、元の球体へと変化した。さらに円形の掃除機がクルクルと掃除をはじめ、玄関の扉からカチッカチッと鍵の音がした。そうかと思うと、今度は照明の明かりがついたり消えたりを繰り返す。
ミネットとギルはポカンと口をあけ、踊るように動く数々の魔動機に見入っていた。動きに合わせて、二人の顔がぐるぐる動く。ひとしきり動いたところで魔動機は元居た場所へ戻り、何事もなかったかのように沈黙した。
「どうかしら。少しは信頼できた?」
ナオミは涼しい顔で得意げに話す。二人は目の前で起きたことに理解が追い付かず、動きを止めた魔動機を順に見ていた。
「本当に、魂との接続、なんですか?」
懐疑的な声で、ミネットが問いかける。
「そうよ。まぁ、私専用にチューニングされているから、私以外うまく使えないけどね」
「……信じられません。本当は、ただの特殊な魔法なんじゃないですか?それこそ、姿を透明にした妖精を使役してるだけとか」
「冗談言わないで。穢れを嫌う妖精がナイトメアに近づくわけないでしょ?」
ため息をつきながらナオミは答える。ミネットは、それはそうだと納得しつつも、さらに別の可能性を探った。
「だったら、真語魔法の【ファミリア】で使い魔を呼び出せば……」
「い、いえ、僕の【マナサーチ】には、そういう反応はなかったです。だから、使い魔でもないかと……」
話に入ったギルが、探知器に変形した〈マギスフィア〉を見せた。確かに【マナサーチ】であれば、使い魔のような魔法生物が近くにいたとき、すぐに感知される。
「何?あなた、【マナサーチ】なんて使ってたの?」
「そ、それは、まぁ……一応、お二人の護衛ですし……」
「真面目ねぇ。休日くらい、肩の力を抜いたらどう?」
ナオミの言葉に、ギルは曖昧な返事を返す。心ここにあらずといった様子で、視線は相変わらず部屋の魔動機に向けられていた。ソワソワと体を揺らし、何か言いたげに口をもごもごさせている。なんとなくギルの様子を察したナオミは、やれやれと笑みを浮かべた。
「動かしてみる?ギル」
「えっ!いいんですか!!」
ギルがはしゃいだ声で即答し、すぐにハッとなって縮こまる。ナオミの頬が自然と緩んだ。
「少し待ちなさい。部屋の魔動機のスイッチを切るから」
再び〈マギスフィア〉がアーム状に変形し、さっきまで自動で動いていた魔動機のスイッチを落としていく。その〈マギスフィア〉も球体に戻り、音声コマンドが入力され沈黙した。
「これでいいわ。さ、これを耳に着けて。マナをクリスタルに飛ばしてみなさい」
差し出されたデバイスを受け取り、言われた通り耳に着ける。そしてマナを飛ばそうと魔力を込めた。だが……
「あ、あれ?」
一向にクリスタルは反応しない。ギルは一層集中し、魔力を練り続ける。
ギルのマナは全身から発散するように漏れ出ており、なかなか収束する気配がなかった。魔法がうまく使えないときによく似ており、最初はギルのように、うまくマナが収束しないのだ。
(そういえば私も、父さんに言われてたな。マナに身を任せなさいって)
なかなかうまくいかないギルの様子に、ミネットは幼き日のことを思い出していた。と同時に、やはりこれは何かの魔法だったのだと肩を落とす。
(バカみたい。勝手に期待して……そんな都合のいいこと、あるわけないのに)
【リジェネレイション】の単語が出てきてから、ほんの少しだけミネットは期待していた。脳裏に浮かぶのは、車いすで小さな魔動機をいじる、父の背中。
「あ!やった、つきました!」
弾んだ声で喜ぶギルに、ミネットは現実に引き戻される。さっきまでの緊張はどこへ行ったのか、緑色に点滅したクリスタルを嬉しそうにナオミに見せている。
「成功ね。私用のチューニングだから、他の人が使うとうまく接続しないのよ。本当はデバイスが自動で、マナの収束も補助してくれるんだけどね」
「そうなんですね。僕も実は、あんまり魔法とか得意じゃなくて、えへへ」
ギルは照れながら、人差し指で頬をかいた。
「さ、今度は魔動機を動かしてみて。鍵の開け閉めと、扉の開閉ならやってもいいわよ」
言われたギルは、本の山の向こうにある玄関のほうへと体を向ける。少しの間。そして――扉の方からカチッと、鍵の開く音がした。
「わっ!ほ、本当に動いた!」
ギルが驚いた声を上げる。逐一大きなリアクションを上げるギルに、ミネットが不思議そうな表情を向けた。
「え……ギル君、本当に、動くの?」
「は、はい!僕本当に、鍵が開くように考えただけなんです!そしたらその通り鍵が開いて!」
興奮した様子でしゃべるギル。ミネットは再度ナオミを見て、マナを観察する。ナオミのマナに変化はなく、魔法が使われた様子はなかった。
(まさか、本当に?)
ミネットがそう考えていると、今度はギルが扉を開けようとしていた。ドアノブが静かに回り、次の瞬間、ものすごい勢いで扉が開き壁にぶつかった。金属同士がぶつかる轟音が響き渡り、三人は思わずすくみ上る。
「~っ!えらく、威勢がいいわね……っ!」
耳をふさいで苦笑しながら、ナオミはギルのほうを向く。ギルも耳をふさいですくんでいたが、起きたことを理解し
「ご、ごめんなさい!あぁ、どうしよう。壊れてないかなぁ、本当にごめんなさい!」
必死に頭をぺこぺこと下げる。そんなギルに、ナオミが安心させるように声をかける。
「大丈夫よ。それより、扉を閉めてみて。なるべくゆっくり閉めるように、意識するのがコツよ」
「は、はい……っ!」
言われたギルは真剣な顔になり、扉に向き直る。すると、扉がゆっくりと閉まりだした。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり……だが今度はゆっくり過ぎて、なかなか閉まらない。
「ふふっ。不器用ね、あなた」
真剣なギルの表情に、ナオミは思わず噴き出してしまう。そして、ようやく半分が閉まったところで、デバイスから光が消えた。そしてそのまま反応しなくなる。
「あ、あれ?どうして?」
「残念。ギルの魔力切れよ。このデバイス、使用者に合わせてチューニングしないと、やたら魔力を食うのよ」
まだまだ改良が必要ねと、ナオミが付け足した。
「ありがとうございました、博士!」
ギルは満面の笑みでデバイスを手渡す。ナオミを見る眼差しは、すっかり憧れへと変わっていた。ナオミはそれを受け取ると、今度はミネットの方を向いた。
「あなたもやってみる?本当に魔法かどうか、気になるんでしょ?」
そう言って、ナオミはデバイスを差し出す。
「はい。正直、まだ信じられません」
「強情ねぇ。あなたらしいと言えばらしいけど」
「……すみません、性分なもので」
こわばった表情でデバイスを受け取り、耳に着ける。だが、人間やルーンフォークと違う長くとがった形状の耳に、留め具がうまく引っかからない。
「あぁ、そうか。そういう問題もあるのか」
隣で見ていたナオミがつぶやく。仕方なくミネットは手でそれを抑え、先ほどのギルと同様、魔力を込めた。ギルの時と違い、ミネットのマナはすぐに収束し、まもなくしてクリスタルが緑色に光る。
「へぇ、うまいもんね」
「すごい、ミネットさん」
ナオミは感心した声を上げ、ギルも感嘆の声を漏らす。
「これでつながったんですか?」
「ええ、そのはずよ。さ、扉を動かしてみて」
言われた通り、ミネットは扉の方へ向く。そして先ほどギルがやっていたように、扉が閉まるところを頭の中にイメージした。するとそれに合わせて扉が動き始める。だが――
(こ、これは……っ!)
扉を閉めるだけなのに、速度や動きが安定しない。少しでもイメージがブレれば、扉はあらぬ方向へ動いてしまう。
(思ったより、難しいっ!集中力がいりますねっ)
力んだ顔で何とか扉を動かしていくと、ようやく扉が閉まる。最後に鍵が閉まるところをイメージすると、カチッと音が鳴った。大きく息を吐くミネットに、ナオミとギルが「おー」と言いながら拍手を送る。
「やるじゃない。お爺ちゃんでも、最初はそんなにうまくいかなかったわ」
「えぇ……ありがとうございます」
ミネットがナオミにデバイスを返す。そして腕を回したり伸びをしたりして、強張った体をほぐした。
デバイスを受け取ったナオミは、自分の耳にそれをつける。クリスタルはすぐに緑色に光り、再起動された〈マギスフィア〉がアーム状に変形した。そして器用に、先ほどスイッチを切った魔動機を再起動させていく。その様子を見ていたミネットが、思わず息をのんだ。
(すごい、あんなに簡単に〈マギスフィア〉を)
ギルも、先ほどとは違った眼差しでナオミを見ている。実際にデバイスを使った二人は、その操作の難しさを肌で感じていた。自分たちは扉の開閉一つで右往左往していたのに、目の前のナオミはいともたやすく〈マギスフィア〉を操っている。それこそ、先ほどのデモンストレーションでは、もっとたくさんの魔動機を同時に操っていた。
(そんなこと、本当にできるの……?)
起こった出来事を受け止められず、疑いの目を向けてしまう。涼しい顔で魔動機を操るナオミを見ても、まだ納得ができなかった。
「まぁ、こんな感じね。何か質問は?」
ミネットの胸中をよそに、ナオミが二人に声をかけた。いつの間にか〈マギスフィア〉も球体に戻り、ナオミの肩の上で静止している。
「すごい、すごいです、博士!本当に思い通り動かせるんですね!」
興奮した様子でギルが話す。子供のような屈託のない笑顔に、思わず頬が緩むナオミ。
「改良の余地は残ってるけどね、チューニングが必要なとことか、燃費とか。他にもいろいろ」
楽しげに話す二人の横で、ミネットは目を伏せた。何か思い詰める表情で俯き、おもむろに口を開く。
「博士、その……質問があります」
「いいわよ、何かしら?」
「あの……何度も何度も、本当に恐縮なんですが……」
言いづらそうに、ミネットが一度言葉を区切る。
「本当に、本当に魂と、接続できるんですか?」
「はぁ?何よ、まだ疑ってるわけ?」
ナオミが眉をひそめて言い返すが、ミネットはひるまず続ける。
「ある程度思い通り動くことは、私にもわかりました。ですがだからと言って、身体機能を使っていないとは限りません」
「ったく……じゃあどうしろって言うの?後はもう、大学かどこかの研究室にでも行って、マナの量子解析でもするしかないわ。でもそんな数値、あなたにわかるわけないでしょ?ここまでして信じられないなら、私にはもうお手上げ」
ナオミはつまらなそうな表情で両手を上げる。
「あの、ミネットさん……一度、ナオミ博士を、信じてみませんか?」
「本当に強情ね。何なら、数学の論理式でも見てみる?あなたに理解できるか知らないけど」
たどたどしく話すギルに、ナオミが付け加える。だがミネットはうつむいたまま動かない。少しの間、三人の息遣いと衣擦れの音が、静かに流れた。
「もし、もしですよ……本当に、魂と接続できるのなら……」
ミネットは沈黙を破るように、静かに顔を上げる。
「私のお父さんでも、このデバイスを使えるようにすることはできますか?……足が動かなくても」