6
NexaTech社の本社は、二つの建物からなる。一つは、会社の主要な部署や役員たちが集まる本館。もう一つはNexaTech社が扱う商品を研究する研究棟だ。
本館は七階建ての直方体のビルで、各階の壁面を透明なガラスが覆っている。外からでも廊下を通る従業員の様子がよくわかる作りになっていて、開放的な印象を抱く人も多い。
一方研究棟は本館の南側に建てられていて、灰色の無機質な素材で覆われた五階建ての建物だ。一階の渡り廊下とは別に三階同士をつなぐ通路が設けられていて、社員の移動に使われる。この通路を利用するのは専ら、本館に用事がある研究職や技術職の職員だ。
あの休日から次の出社日。三人はイェスタフにプレゼンのテーマを話した。使用者の意思だけで動かせる魔動機という荒唐無稽な話に驚きつつも、子供たちに届ける魔法というコンセプトと具体的な計画を出され、イェスタフはとりあえず承諾した。そしてそのために、会社のいろいろな部署を見学したいという希望を叶えるため、スケジュールの調整や部署への交渉などを一手に引き受けた。
「なに、新人の成長を促すのが俺の仕事だ。余計なことは気にせず、俺に任せておけ」
イェスタフは僅か二日でもろもろの調整を終え、見学スケジュールを提示した。
そして今。ナオミは三階の渡り廊下をイェスタフと二人で、研究棟へ向かって歩いている。歩きながらナオミは何かの紙束を読んでいた。いつものようにハイペースで捲るのではなく、所々何事かを記入しながら読み進めている。
「なぁ、ナオミ。それは、今読まなきゃならないのか?」
「時間を有効利用してるだけよ」
取り付く島もないナオミの答えに、イェスタフはさらに大きな息を吐く。
「ったく……頼むから、何かにぶつかったりしないでくれよ?あと研究棟に入ったら、さすがにしまってくれ」
イェスタフの有無を言わせない口調に、ナオミは「なぜ?」と顔を上げる。
「今回のは会社が決めたスケジュールじゃない、お前たちの希望で受ける研修だ。お願いしますって頼んでる奴らがそんな態度とってたら、誰だって気分悪いだろ?」
ナオミは少し考えるそぶりを見せたが、素直に従った。しまう直前に見えた表紙には『無意識』『魂』などの文字が見てとれた。
「それにしても、出てきたテーマがおもちゃ作りとはな。こういっちゃなんだが、正直意外だったぜ」
「悪かったわね。何か問題?」
「問題なもんか。むしろ、すごくいいと思ったぜ。『すべての人に魔法を』が、うちの会社の社訓だからな。子供たちに届ける魔法ってのは、素敵でいいモチーフだ」
それはどうもと、ナオミは満更でもなさそうに答えた。
やがて廊下の突き当りにある白い扉の前に差し掛かり、隅にある端末にイェスタフがカードをかざす。音もなく開いた扉をくぐり、二人は研究棟の中へと足を踏み入れた。
研究棟は機能ごとにエリア分けされており、上層階は理論研究と設計、下層階は大型魔動機のメンテナンスや素材開発のフロアとなっている。三階は中型から大型魔動機の試験エリアになっていて、耐久性の高い素材で作られた壁や、重量を支えるため強化された床が敷き詰められていた。
照明が照らす硬質な廊下を、ナオミはイェスタフの後について歩いていく。廊下のガラスから中の様子を覗けば、大型の〈マギスフィア〉を動かす装置のチェックをする人や、大型ドルンを組み立てているドワーフ、光学ディスプレイに映るザーレィや人型魔動機の映像を眺めながら議論する人々が見えた。
扉の一つでイェスタフは足を止め、ナオミに振り返った。
「さて、ここがご所望の警備用魔動機開発課だ。この課の見学は初めてだったな。急だったから今日は見学だけだが、話は通してあるから安心しろ」
「ありがとう、助かるわ」
扉を開いた瞬間、中から金属音や人々の話声、魔動機の駆動音が耳に響いた。入り口で二人が立っていると、奥から作業着に身を包み、工具を持ったドワーフが歩いてきた。
「お!来たなイェスタフ!」
鉄を打ち合う音を割って飛び込んでくるような声のドワーフに、イェスタフが笑顔で手を上げた。
「よう、ブルーノ。元気そうだな」
そう言って二人は握手を交わす。レプラカーンとドワーフは背丈が似ていることもあり、さながら旧友との再会のようだ。
「今日は助かった。急な依頼だったが、迷惑じゃなかったか?」
「なぁに、お前さんの頼みだ。いいってことよ。ま、今度一杯付き合ってもらうがな。それに――お嬢さんの方にも、俺は興味があったからな」
ブルーノと呼ばれたドワーフはナオミの方を向き、鋭い視線を向ける。
「噂は聞いてるぜ。まだ新人研修だってのに、あちこちでうちがやってる研究に、口出ししてるってな。そんな奴はうちの会社じゃ初めてだ。どんな奴か気になってしょうがなくてな」
敵意ではなく一人の技術者としての視線を向けられ、ナオミもそれを真っ向から受け止める。
「ナオミ・シルフィードよ。今日はありがとう。よろしく頼むわ」
短く言って、ナオミは手を差し出す。イェスタフは焦って止めようとしたが、それより先に二人は握手を交わした。
「ブルーノだ。ここで技術主任をやってる。しかし、シルフィードってことは……やっぱお前さん、シャンベルタン博士の血縁か?」
「ええ、そうよ。シャンベルタンは私の祖父。でも今は、そんなこと関係ないでしょ?」
歯に衣着せぬ物言いをするナオミに、イェスタフがたしなめようとする。だがそんな彼の行動は、またもやブルーノの豪快な笑いによって遮られた。
「ガハハハッ、違いねぇな。俺たち研究者や技術者は、そういうのは抜きでやってくもんだ。なかなか気に入ったぜ、お嬢さん」
そう言って笑うブルーノに、ナオミは軽く口角を上げて答える。
「おいナオミ。お前、もう少し言葉遣いに気をつけろ。相手は目上だぞ?」
眉をひそめて注意するイェスタフ。だが、ブルーノが割って入る。
「かまわねぇよ、イェスタフ。悪いが、そういう面倒なことは本館でやってくれ。研究棟じゃ、それぞれができることをする。敬意を払う対象は立場じゃねぇ。技術と研究そのものだ」
言い切られたイェスタフは苦虫を嚙み潰したような顔をするが、ブルーノはかまわず続ける。
「お嬢さん――ナオミだったな。今日は、お前さんの希望でここへ来たって聞いてるぜ。ってことは、お前さんは今、新人じゃなく一人の研究者だ。違うか?」
ナオミは首を縦に振った。ブルーノはニヤリと笑い
「歓迎するぜ。ついてきな」
そう言って二人を案内し始めた。イェスタフは何か言いたそうにしていたが、二人の背中を見てため息をつくだけだった。
「ここではうちで扱ってる魔動機の性能テストや、試験機の組み立てなんかをやってる。普段は主力商品のドルンやザーレィが多いが、たまに小型の警報器だとかのテストをすることもあるな」
部屋の様子を説明しながら二人を先導し、部屋の壁面中央にある光学ディスプレイへと案内する。窓から部屋を覗いたとき、数人の研究者が議論をしているのが見えた場所だ。
「最近上の連中が、ドルンとザーレィを統合させたモデルを考案してきてな。今は専ら、その試作機のテストをすることが多い。分析データを集計してまた上に送るのも俺たちがやってる」
ディスプレイには手にハンマーを持ち、背中に円筒状の部品を背負う人型の魔動機が映っていた。丸い頭に太い腕、だがそれを支えるはずの胴体や足は細い。ぎこちなく歩行するたびに細い脚部が揺れ、バランスをとるためか大きく腕を振っていた。
「ふーん。ドルンとザーレィを、ねぇ」
ナオミは手帳を持ち、何やら熱心にメモをしている。そばで見ていたイェスタフは驚愕したが、何とか表情に出さないようこらえた。
「昨日まで運動テストをしていて、今データ分析をしている最中なんだが、お前さん、見てみるかい?」
「ええ、面白そうね。お願いするわ」
メモをしながら答えるナオミ。ブルーノはそこにいる研究者に声をかけた。
「よぉ、ちょっといいか?」
「あ、主任。どうしたんですか?」
「新人の研修だ。朝のミーティングで話しただろ?この子がドルンとザーレィの統合機について聞きたがってな。すまんが、データの説明をしてやってくれ」
その言葉に、そこにいた研究者の視線が一斉にナオミへ向いた。
「ナオミ・シルフィードよ。今日は見学だけだけど、よろしく頼むわ」
彼らの表情が一斉に固まる。
「シルフィードって……」「おいおい、マジかよ」「やっぱり、あの噂は……」「え、嘘……本当に?」
ナオミの性を聞いてざわつく彼らをブルーノが制する。
「いいか。ここじゃ、立場も血縁も関係ねぇ。ここにいる誰もが一人の技術者、一人の研究者だ。この新人も、そのつもりで来た。それなのにお前たちが浮足立ってちゃ格好がつかねぇだろ。わかったら、さっさとこの子にデータを見せろ」
その言葉にそこにいた研究者たちはハッとなり、気を引き締めなおした。
「すまねぇな、ナオミ。まだまだケツが青い奴らばっかりでよ」
「いいのよ別に。気にしないで」
そう答えるナオミにイェスタフが小声で
「お前はもう少し見習え」
とつぶやいた。
画面では統合機がふらふらと頼りなく歩いており、それに合わせて魔動機のデータや運動グラフなどが、絶えず数値を変化させていた。統合機がバランスを崩すたび、瞬間的に数値やグラフが大きく変化し、閾値を超えたデータが赤色に変わった。
「上の階の連中が言う通り組み立ててはみたんだけど、見ての通り問題は山積みだね。重心は定まらないし、無理やり連結したパーツ同士の稼働範囲が被ってる。おかげでちょっと動いただけでバランスが崩れるし、各部位の伝達信号まで干渉しあって、めちゃくちゃな動きをする。おかげで、まっすぐ歩くのもままならない状態さ」
データを指さしながら、ランドンと名乗る若い人間の男性が、ナオミに現状の説明をする。ナオミは相槌を打ちつつディスプレイの情報を見て、自分の手帳に熱心にペンを走らせた。
今度は隣から人間の女性が声をかけてきた。
「演算速度にも問題大あり。もともと設計もコンセプトも全然違うタイプだから、定着させてる記憶もバラバラなのよ。そのせいで無駄な命令が多すぎちゃって、やたらマナを消費するの。燃費が悪いったらないわ」
と彼女は両手を上げるポーズを見せる。
「私、パメラ。よろしくね。ねぇ、あなたはどう思う?この不格好で燃費が悪い上に全然使い物にならない魔動機」
言いながら顔を寄せ、楽し気にナオミに尋ねた。ナオミはちらっとパメラに視線を向け、ついでディスプレイを眺める。そして、何やら思案した後
「くっつけただけね」
パメラと同じ表情で答えた。それを聞いていた周囲の研究者も、思わず吹き出す。
「面白いね、キミ。多分今のセリフ、ここにいる全員が思っていたことだよ」
とランドン。ナオミはなおもペンを走らせながら話す。
「それで?なんでこんなもの作ろうとしてるのかしら?」
「さあ?多分、ドルンやザーレィシリーズが販売軌道に乗ったから、新しい警備用の魔動機でも考えようとしたんじゃないかしら」
パメラが苦笑しながら答え
「もしくは、開発者の趣味だな」
とランドンが口を挟む。
「でもまぁ、私たちの仕事は、この子がちゃんと製品になって、活躍できるようにしてあげること。せっかく生まれてきたんだから、面倒を見てあげないとね」
画面の中で魔動機は頼りなくふらつき、ついに足がもつれて倒れてしまった。床に張り巡らされた衝撃緩衝用の防護魔法陣が発動し衝撃を和らげる。緊急停止術式が作動し、魔動機はその駆動音を止め沈黙した。
「ま、見てのとおりよ。こいつをどうにかしたくて考えてるけど、みんなで手をこまねいてるってわけ」
何かいいアイディアない?とおどけるパメラに、ナオミがすかさず
「なら、こうしなさい」
と、今まで書いていた手帳のメモを破って、パメラに手渡した。
「え、何?」
とっさに受け取ってしまったパメラが驚くが、かまわずナオミは続ける。
「記憶定着術式を改良した、学習型の術式よ。ラフスケッチで悪いけど、伝達信号の共干渉を自動で学習して、自己修正するように組んでおいた。それと、運動範囲の干渉は、連結部位同士の回路結合の問題ね。大した工夫もせずくっつけてるから、部位同士がうまく連動できてない。しかもそれを制御するのに余計なメモリを食ってるから、燃費が悪い原因もそこでしょうね」
そう言いながらさらにペンを走らせ、手帳に何事かを記入していく。そしてある程度たったところで、そのメモを破りパメラに手渡してくる。
「データと一緒に、これを五階の開発部に渡せばいいわ。そうすれば、少しはマシなものが下りてくるでしょ。あぁ、清書くらいは自分たちでやってね」
平然と渡してくるそのメモを、パメラやランドン、他の研究者たちも覗き見る。ブルーノもその中に交じっており、ドワーフの彼にも見えるよう、そこらにある椅子に座って近づけた。
「なぁ、お前さん。これをいつ考えた?」
術式の素案や数式、各部位のパーツの絵とその回路図。そこに書かれている問題点とその解決策を見ながら、ブルーノが尋ねる。
「今以外にいつ考えるのよ。初めて見たのよ?この魔動機」
あっさり答えたナオミに、そこにいる全員が絶句する。彼らの様子を尻目に、ナオミがなおもペンを走らせる。
「あと、ドルンとザーレィを結合させるなら、関節部位の改良も必要ね。無理やりくっつけてるせいで、負荷がかかりすぎてる。本来の二機の特性を殺さないよう、可動範囲はある程度確保しておくわ。それからマナ供給システムは、駆動系、制御系、外部センサーの三系統に分けた方がいいわね。個別に出力を調整すれば、燃費も多少はマシになるでしょ」
カリカリという音と共にさらに何ページかペンを走らせ、メモをちぎってパメラに渡してきた。渡されたメモをパメラは唖然とした表情で眺めており、ランドンも食い入るようにのぞき込む。他の研究者もそこに混じり議論を交わし始めた。
「おい、おめぇら。今すぐ隣の部屋で、このメモの内容を精査しろ。俺もすぐに行くから、先に作業を始めてるんだ。今日中に終わらせるぞ」
ハッとなった彼らは、少し早足になって隣の部屋へと向かっていく。すれ違い様にパメラが
「今度、お昼でも一緒にどう?あなたの話、じっくり聞きたいわ」
とウィンクをしてきた。
「いいわね。ご一緒するわ」
パメラは満足そうな顔で隣の部屋へ向かっていった。
「ナオミ。悪いが誰かさんのおかげで、今日の俺の仕事が増えちまった。残念だが、俺が案内してやれるのはここまでだ」
ブルーノが腰に手を当て、敬意のこもった視線をナオミに向ける。同様の視線をナオミもブルーノに向けた。
「形になるまで、二か月ってところかしら。ちょうど、私の研修が終わるころね。楽しみにしているわ」
「ガハハッ!言うじゃねぇか。噂通り、すげぇ嬢ちゃんだ。ま、あれだけのモンを見せつけられちゃ、俺たちも黙っちゃいられねぇ。期待してろ」
胸を叩いて豪快に笑いながら、一人取り残されていたイェスタフの方へと向く。
「悪いなイェスタフ。一杯飲む約束だが、しばらく先になりそうだ。二か月って宿題を出されちまったからな。しばらくの間、こいつは貸しにしとくぜ。それと――」
一度言葉を区切り、嬉しそうに弾んだ声で
「この子はすげぇ新人だ。お前がしっかり面倒を見てやれ。面倒な連中に目を付けられねぇようにな」
それだけ言い残して、その場を去っていった。
そのあと二人には別の職員が合流し、設備やそのほかの開発、研究について、簡単な説明をしてくれた。その間もナオミは手帳にペンを走らせていて、研究や課題について説明を受けたときは、助言や新しいアイディアを提唱していった。イェスタフはそのたびにはらはらしたが、現場の技術者たちと対等の目線で話すナオミに感心し、次第に彼女に任せるようになっていた。見学の時間が終わり開発課を去るころには、技術者たちはナオミに深い興味を抱くようになり
「今度時間を取って、じっくり話をさせてくれ」
と口々に誘いの言葉を口にしていた。
「お前……本当にすごい奴だったんだな」
本館へ戻る途中。イェスタフが声をかける。
「そう、ありがとう。私の方こそ助かったわ。とても有意義だった」
素直にお礼を言ったナオミに、またもやイェスタフは驚きの表情を見せる。
「なぁ、失礼を承知で言うが……なんか変なものでも食ったか?」
イェスタフの軽口に、ナオミは「殴るわよ」と間髪入れず答える。そのまま横目で彼を睨んだ。
「あははっ、すまんすまん。でも、さっきの部署での活躍は、本当にすごかったぞ。メモを取ってたのもよかった。安心したぞ」
笑みを浮かべるイェスタフにそれはどうもと返しながら、ナオミは本館へと歩いていく。そして本館についたところで、互いに昼休みに入った。
7
午後。二人は三階の通路で待ち合わせていた。ナオミは先に来ていて、例の紙束を読んでいた。あちこちにペンでメモをし、鋭く目を光らせながらかじりついている。少しして、イェスタフが手を挙げながら、待ち合わせ場所にやってきた。
「よう、待たせたな。また何か読んでるのか」
周囲を気にせず読みふけるナオミに、やれやれと言った様子で話しかける。だが、ナオミはそれに反応せず、ひたすらページに何かをメモしながら読み進めている。
「ナオミ?」
イェスタフがもう一度声をかけたところで、ようやくナオミは彼に気づいた。
「……ん?あぁ、ごめんなさい」
「ずいぶんと集中してたみたいだが、それ論文か?」
イェスタフが、ナオミの持っていた紙束を差して尋ねる。
「えぇ、私が大学時代に書いた論文よ。残念なことに、在学中には完成しなかった研究だけどね」
小さく息を吐いた後、ナオミは論文をカバンにしまう。イェスタフはふと、彼女がいくつもの博士号を取得していることを思い出した。その中の研究で、卒業までにやりきれなかったものがあったのだろうか。
「行きましょう。午後もよろしく頼むわ」
そんなイェスタフをよそに、ナオミが先に歩いていく。
「待て待て、俺が先頭だ。俺が持ってるカードキーがないと、研究棟へはいけないだろ」
後ろから声をかけ、自分より背が高いナオミを小走りで追いかけていった。
研究棟の四階は、大きく二つのフロアに分かれている。階段を上ると左右に長い廊下が走っていて、向かって右側にあるのが素材開発課、左側にあるのがルーンフォーク研究課の部屋だ。右奥の突き当りには資料室、左奥の突き当りには休憩室が設置されていて、飲み物を飲みながらくつろぐ社員の姿が見える。
そんな廊下を、ナオミとイェスタフは素材開発課へ向かって歩いていた。ツンと鼻を衝く消毒液のような匂いがする廊下を、白衣の研究者が紙束を抱え、カツカツと床を叩きながら駆けていく。気温はさほど変わらないはずなのに、冷たく湿った空気がまとわりつく。
「素材開発課は本部が二階にあるんだが、こっちは四階のサテライトでな。ルーンフォーク研究課と共同で、素材開発とかをやってるそうだ」
振り向きながら、イェスタフがナオミへ説明する。
「すまないな。先方の都合で、素材開発課とルーンフォーク研究課の見学は、一度に済ませてくれって言われてるんだ。悪いが、今日はこれで我慢してくれ」
「大丈夫、問題ないわ。むしろ好都合よ」
とナオミが答える。
「好都合?どういうことだ?」
言葉の意図を捉えかね、イェスタフがナオミに尋ねた。
「今はまだ、なんとも。そのうちちゃんと話すわ」
珍しく歯切れの悪いナオミに、イェスタフは首を傾げた。だが、すでに約束の時間が迫っており、先方を待たせるわけにもいかないと思い直す。
「まぁいいさ。お前のことだから、いろいろ考えてんだろ。だが、あくまで新人だってことは、忘れないでくれよ」
念を押すイェスタフに、ナオミも首を縦に振る。二人は目的地に辿り着き、イェスタフはインターフォンを鳴らした。中からの返事を待って、二人は部屋の中へと入っていった。
素材の劣化防止のためか、部屋の中は強めの空調が効いていた。乾燥した冷たい空気が肌を撫で、イェスタフは思わず身震いする。白衣を着ているナオミは平気なのか、表情に変化はない。
部屋の中には制御パネルや、マナの残留量を検知する装置などがあり、それぞれ奥へ続く扉の近くに設置されている。素材のサンプルや薬品保管棚も見受けられるが、とりわけ目を引くのは、奥の壁に設置されている大きなモニターだった。縦四列、横二行の計八マスの長方形のマス目に区切られていて、それぞれのマスには何かを計測している研究者や、マナを遮断する防護服に身を包んだ研究者が、何かの実験をしている様子が映し出されていた。
「おぉ、来たか、イェスタフ」
ディスプレイのそばにいた人間の老人と、若々しい姿のエルフの女性が、二人の方へ歩いてきた。老人はイェスタフの姿を認めると、片手をあげ声をかける。
「しばらくぶりだな。調子はどうだ?」
皺がかかった声でイェスタフの肩をたたく老人は、白髪で白い顎髭を生やし、歳は恐らく七十歳近く。シャンベルタンのような豪快さこそないものの、その背筋はピンと伸び、発せられる言葉には深い知性と理性が宿っている。女性は肩まで伸びた金髪と、エルフ特有の長身で、四人の中では最も背が高い。
「お久しぶりです、ネイサン博士。本日は急なお願いにもかかわらずお引き受けいただき、感謝いたします」
イェスタフは背筋をまっすぐ伸ばし、老人に向かって深々と頭を下げる。そして今度は女性の方へと向き直り
「レナーテ博士も、お忙しい中お時間を頂き、ありがとうございます」
再度頭を下げ、女性も笑顔でそれに答える。挨拶を終え、イェスタフはナオミに振り返った。
「こちらはネイサン博士。素材開発課の課長をされている。こちらの女性はレナーテ博士。ルーンフォーク研究課の課長の方だ」
ネイサンと呼ばれた老人が、あごひげを撫でながら笑顔を見せる。
「そう畏まらなくてもいいんじゃよ、イェスタフ。若者の面倒を見るのが老人の役目じゃ。それに、わしらも久しぶりに、ナオミに会いたかったからの。なぁ、レナーテ」
「ええ、もちろん!私も会いたかったわ。久しぶりね、ナオミちゃん」
レナーテは笑いながら両手を合わせ、弾んだ声でナオミに声をかけた。だがナオミは引きつった顔で、つまらなそうに顔を逸らす。
「ちょっとぉ、無視はひどいんじゃない?お姉さん悲しいわ」
腰に手を当て、頬を膨らませるレナーテ。やり取りを見ていたイェスタフがナオミに
「おい、ナオミ。挨拶をしろ、挨拶を!相手を誰だと思ってるんだ!」
と焦った様子で叱る。叱られたナオミは不承不承といった様子でつぶやく。
「久しぶり、レナーテ。相変わらずね」
「ええ、久しぶり!ナオミちゃんも元気そうね~!」
言うや否や、レナーテがいきなりナオミに抱き着いた。
「がっ、は、離れろ、暑苦しい!あぁ、もうっ!あなたもういい歳でしょ!」
「まぁ、ナオミちゃん。女性に歳の話は厳禁よ。心はいつまでも若いままなんだから」
あからさまに嫌がり、離れようともがくナオミ。が、レナーテにがっしりとつかまれて離れられない。
「ったく、200歳超えのババアのくせに……痛っ、ちょっと、抓るな!」
「こ~ら~?言っていいことと、悪いことがあるんじゃない?ナオミちゃん」
レナーテが笑顔で青筋を立て、思いっきりナオミを抓る。そうしてしばらくじゃれあった後、ようやくナオミを解放した。
「あー、もう……パワハラで訴えるわよ」
服の乱れを正しながら、ナオミがレナーテを睨む。だがレナーテは全く堪えていない様子で
「いいじゃないのよ、これくらい。私は貴方のおむつだって変えたことあるんだから」
あっけらかんと言い放った。ナオミの目から、スンと光が消える。
「わかった。セクハラも追加ね。イェスタフ、倫理委員会に連絡して。現行犯でよろしく」
「ちょ、ちょっと、ごめんって。冗談だってば、冗談。何年かぶりに会えたから、お姉さんうれしかったのよ」
眉を八の字に寄せ、顔の前で手を合わせて謝るレナーテに、ナオミはため息をついた。
「まったく……忘れてたわ。この二人がいることを……」
そうつぶやいた後、姿勢を正してネイサンに向き直る。
「ネイサン博士も元気そうね。変わりないようで安心したわ」
「ほっほっほ。ナオミの口の悪さも相変わらずじゃの。石を投げてきた悪ガキに、お前が【ジャンプブーツ】で蹴りかかったのを思い出すわい」
「いつの話をしてるのよ、ったく……」
「十五の小娘が何を言っとるか。わしから見れば、まだまだひよっこじゃよ」
カラカラと笑うネイサン。ナオミはもう一度深いため息をついた。そんな三人の様子を見ていたイェスタフは、恐る恐る尋ねる。
「あの、お二人はナオミと、どういうご関係で……?」
「なぁに、大したことはない。わしもレナーテも、この会社がまだNext重工だった頃から、シャンベルタンと付き合いがあったからの。奴の工房に行くたびに、ナオミとよく会っていた。それだけの話じゃよ」
昔を懐かしむように答えるネイサンにレナーテが続く。
「そうなのよ~。小さかったころのナオミちゃんはね、本当にかわいくてお転婆で、抱っこしてあげるといつも――」
「マジで訴えるぞ、くそババア」
そう言って睨みつけてくるナオミに、素直にレナーテは引き下がる。
「まぁいいわ、さっさと研修を始めるわよ。二人とも、案内してちょうだい」
ナオミはペンとメモを取り出した。ネイサンとレナーテも、先ほどまでの雰囲気を改め真面目な表情になる。
「ふむ、そうしてやりたいのはやまやまじゃが……少々、面倒なことになっての」
そう言ってネイサンがあごひげを撫で、レナーテも困った様子で腕を交差させる。
「何?私たちが見学に来るって、連絡が入っていたんじゃないの?」
そう言って、ナオミはイェスタフを見る。イェスタフも手元のスケジュール帳を確認しているが、今日のこの時間で間違いなかった。
「ええ。二人が来るのは、今日で間違いないわ。だけどね、ちょっと会社の偉い人が来ちゃったのよ。ここの合成室を貸してくれってね。さすがに無視するわけにはいかなくて、申し訳ないけど、少しだけ待っててもらえるかしら」
手を合わせて謝るレナーテ。イェスタフは仕方ないと引き下がったが、ナオミは不満そうに顔を歪めた。
「誰よ。そんな図々しい奴は」
苛立ちを露にしながら、ネイサンとレナーテに尋ねる。
「会社の上の方だと言ったじゃろう。無理に追い払うわけにもいかん」
そうネイサンが答えるが、ナオミはますます不機嫌になる。
「もう、そんな顔しないの。もう少しで終わると思うから、ここで待ってて。埋め合わせに、ナオミちゃんの大好きなフルーツパフェ、ご馳走してあげるから」
レナーテのその言葉に、ナオミはふんっと鼻で息を吐き、不機嫌そうにそこらの壁によりかかった。そしてカバンから例の論文を取り出し、再び読み始める。そんなナオミにイェスタフが駆け寄り
「ナオミ。気持ちは分かるが、社会じゃよくあることだ。それに、見学ができなくなったわけじゃない。すまないが、ここは我慢してくれ」
そう諭すが、ナオミはイェスタフにチラッと視線を送ったきりで、再び論文に集中し始めた。無言になったナオミに、イェスタフは深いため息をついた。
「すまんな、ナオミ。なるべく早く、二人が見学できるようにするからの。もう少しだけ辛抱――」
ネイサンがそこまで言ったところで、奥の扉の一つが開いた。そこから出てきたのは、皺ひとつついていないスーツに身を包んだ、長身の男。短く刈り上げられた黒髪と鋭い眼光を宿したその瞳は、その場の空気を一気に硬質なものへと変貌させる。皺が刻まれた肌は男性が歳を重ねていることを感じさせるが、その体躯や瞳から溢れる活力は、彼が少しも衰えていないことをうかがわせた。
彼を見たイェスタフは一気に緊張し、両手を横につけて気を付けの姿勢をとる。
「終わったぞ、ネイサン博士」
周囲の様子を気にするそぶりも見せず、低く厳かな声で、男はネイサンへと話しかけた。
「ふむ……して、成果はどうじゃった?」
「20%といったところだな。残念だが、マナによる強化を施せば、どうしてもルーンフォークの魂と拒絶反応が出る。いくらか反応は抑えられたが、これではまったく使い物にならん」
男は腕を組み上からネイサンを見下ろした。そのあとすぐレナーテに向き直り
「すぐに次の素材を考案するぞ。数か月以内には結果を出す。お前も来るんだ、レナーテ。これは命令だ。いいな」
と有無を言わせぬ口調で言い放った。
「アラン部門長。申し訳ありませんが、本日はこれから、ここにいる新入社員の研修の予定が入っています。ですから――」
「キャンセルしろ」
アランと呼ばれた男の鋭く冷たい声。レナーテもその言葉に押し黙る。
「これが今、わが社の最重要プロジェクトであることくらい、お前も分かっているだろう?新人の研修などいつでもできる。わかったらとっとと来るんだ」
「そこまでじゃ、アラン」
無理やり連れだそうとするアランとの間に、ネイサンが割って入った。アランがぎろりと眼光を向ける。
「何をする、ネイサン博士。今大切な話をしているんだ」
「わかっとるよ、そんなことは。じゃが、新人の研修も大事なことじゃ。そもそも、先に予定を組んでいたのは、あちらさんなんじゃからな」
そう言って二人は、ナオミとイェスタフの方へ目を向ける。視線を向けられたイェスタフは額から汗を流し、直立不動でその場に立ちつくしていた。一方のナオミは
「…………」
彼らの視線を無視し、ペンを走らせながら論文にかじりついていた。イェスタフは弾かれたようにナオミへ手を伸ばし
「馬鹿野郎!こいつをしまえ!今すぐ!」
早口でナオミに言い、強引に論文を下げさせる。あからさまにムッとした表情を浮かべるナオミだったが、目の前にいる長身の男と目が合い、小さくため息をつく。
「……で、終わったのかしら?なら早く、私の見学に移りたいんだけど」
アランの鋭い視線に動じることなく、ナオミが平然と尋ねる。壁によりかかったまま腕を組み、不機嫌さを隠そうともしない。
「この娘がその新人か?」
ナオミから視線を逸らすことなく、アランはネイサンに尋ねる。
「そうじゃ。ナオミ・シルフィード。これだけ聞けば、お前さんにもわかるじゃろう?シャンベルタン博士の、お孫さんじゃ」
それを聞き、アランは少し目を見開く。
「お前が……あの記憶定着の基礎理論を、八歳で立ち上げたという……」
「そうじゃ。七年前、お前さんとシャンベルタン博士が実用化したあの技術の、真の生みの親じゃ」
ネイサンが静かに告げると、そばにいたレナーテがアランに見えない角度で、誇らしげな笑みを浮かべた。
「ナオミ。こやつはアラン・スターキー。NexaTech社、研究開発部門の部門長をしとる。簡単に言えば、この研究棟のトップじゃな」
アランのことを、ネイサンはそうナオミに紹介する。それを聞いたナオミが一瞬反応するも、何も言わず黙って聞いていた。
「まぁいい。たとえあの理論の提唱者であろうと、今はただの新人だ。どちらが優先なのかは言うまでもない。これ以上余計な時間を使わせるな」
「部門長、お言葉ですが――」
レナーテが言い返しかけるが、すかさずアランが遮る。
「新規参入したばかりのルーンフォーク事業を軌道に乗せるには、今しかないんだ。早く第二世代ルーンフォーク開発の計画書を見せろと言ってきている投資家もいる。開発が遅れれば、投資家たちの目はすぐ他に移るだろう。そうなれば、市場での信頼は地に落ち、我が社は計り知れない損失を被ることになる。今歩みを止めるわけにはいかん」
レナーテは何も言い返せず、苦虫を嚙み潰したように言葉を飲み込む。そしてアランはナオミたちの方へ向き
「ナオミ、といったな。君の見学は、たった今キャンセルになった。午後のスケジュールについては人事部に相談して指示を仰ぐといい。わかったな」
そう念を押し、これ以上言うことはないと言わんばかりに、二人の返事を待った。そんなアランに、ナオミは大きなため息をつき「……わかったわ」と答え
「それで、どんな素材を開発していたの?」
いくらか表情を和らげ、手帳とペンを取り出して平然と尋ねた。アランは明らかに気分を害し
「君に付き合ってる余裕はないということが、さっきの会話で分からなかったのか?気になることがあるなら、後でその辺の職員にでも聞け。これ以上会社の邪魔をするなら、君の評価を著しく下げることになるぞ」
そう声を荒げる。だが、そんなアランの様子にも表情を変えず
「知らないわよそんなの。大体、あなたのさっきの様子、研究が行き詰まったんじゃないのかしら?そんな時に焦っても結果なんて出ないんだから、課題の洗い出しとか、解決方法の模索とかが先でしょ?」
そう言って手帳にペンを走らせる。
「貴様……解決できるつもりか?調子に乗るのもいい加減にしろ!」
「そんなつもりないわよ。何も聞いていないんだから、わかるわけないでしょ」
一拍おいて、ナオミは言葉をつづけた。
「前にギルがうちに来て、マナを扱うところを見たけど……それを見れば、投資家が何を言い出しそうかは想像がつく。お世辞にも、マナの扱いがうまいとは言えなかった。5年の教育プログラムを経てあれじゃ、何十万ガメルもかけて生み出す価値はない。だからこそ、もっと費用対効果がいいモデルを考えろって急かされている。そんなところかしら。まったく、自分の利益しか頭にない投資家が考えそうなことね」
すらすらと自分の推理を話すナオミ。後ろではレナーテが、誇らしさと困惑が入り交じった表情で苦笑いしている。
「おいナオミっ!いい加減にしろ!!申し訳ありません、部門長!この新人も悪気があるわけではないんです!私がしっかり指導いたしますので、この場はどうかお許しください。ナオミ!お前もだ!」
いてもたってもいられなくなったイェスタフが、深々と頭を下げる。ナオミはイェスタフへ苛立たしげな視線を送っただけで、なおも手帳にペンを走らせ続ける。
「課題は――マナの伝導率と反応速度ね。それを向上させつつ、魂と拒絶反応を起こさない、微細なマナ制御を可能にする神経素材。耐久性と柔軟性を持った筋肉繊維も必要か……魔力で強化しつつ、収縮・膨張を制御させる構造にして――難しいけど、いくつか試せそうな案はあるわ」
さらに高速でペンを走らせ、次々にページを埋めていく。そしてそのメモをちぎって差し出した。
「使えそうなものがあったら使いなさい。もう試験済みの案があっても文句言わないでよ。何も聞いてないんだから」
差し出されたメモをアランは睨むような視線で見つめ、一向に受け取ろうとしない。お互い睨み合い、部屋の中に鈍い機械音だけが流れる。動こうとしない二人に代わり、横からネイサン博士がそのメモを受け取った。
「ほう、これは……」
ネイサンの表情が真剣なものへと変わっていく。横にいたレナーテもそのメモを覗き込み、「わぉ」と目を見開いて嬉しそうに
「さすが、ナオミちゃんね」
と小声でつぶやく。
「素材の検討だけなら、あなたと他の研究員でも始められるでしょ?悪いけどこれ以上、私の見学の邪魔をしないでちょうだい」
「貴様……っ!」
カッとなったアランはナオミに詰め寄ろうとする。それをネイサンが
「落ち着け、アラン」
と間に入り、アランが何か言うよりも先にメモをアランに差し出した。アランは忌々し気に顔を向け、荒々しい手つきでそれを受け取る。
「ナオミ、お前もじゃ。お前さんの気持ちもわかるが、さっきから目上の者への言葉遣いがなっとらんな。少し黙っていなさい」
ネイサンの静かな叱責。ナオミはばつの悪そうな顔で視線を逸らした。
「アラン、ナオミの態度については、わしが代わりに謝罪する。後でわしら――シャンベルタンからもきつく言っておくから、この場はわしに免じて、許してやってくれ」
目の前で頭を下げるネイサンに、アランは舌打ちをしながら頭を振り、いくつか呼吸をして落ち着きを取り戻す。続けてイェスタフも頭を下げ
「本当に申し訳ありません、部門長。私からも、きつく指導いたします。……ナオミ!お前もだ!いい加減にしろ!」
と語気を荒くして叫んだ。ナオミは、かなりのふくれっ面をしながら
「……悪かったわよ」
と一言。その謝罪に、ネイサンもレナーテも大きくため息をついた。
「その謝罪についても、あとでお説教じゃな。それはそうと、アラン」
ネイサンがアランへと向き直る。
「確かにこやつは生意気な小娘かもしれんが、そこに書かれている技術は別じゃ。お主も、見てみるといい」
ネイサンに諭され、アランは渋々メモに目を通す。そして内容を見たアランの表情が、驚愕と苛立ちが入り混じったものに変わっていく。
「これは……」
一言だけつぶやき、その双眸がさらに険しくなる。そして一枚一枚メモをめくりながら、何度も確認していった。
「気に入らんかもしれんが、こやつも頭脳だけは一級品でな。そこに書いてある素材は、十分検討に値するもののはずじゃ。であれば、ここで言い争っている時間は、おぬしにはないのではないか?」
その言葉に、アランはしばらくの間黙っていたが……やがて小さく頷いて顔を上げる。
「ナオミ、と言ったか」
名前を呼ばれたナオミが「……何よ?」とアランへと顔を向けた。親に叱られる直前の子供のような、どこか拗ねた表情。それを見たアランは眉間の皺を緩ませ、急速に頭が冷えるのを感じた。
「今回は礼を言っておく。ここにある素材は、確かに検討に値するものだ。協力、感謝する」
素直に礼を言い、幾分か落ち着いた声で
「今回の件、こちらに非があったことは認める。確かに、先に予定を組んでいたのは君たちだ。すまなかったな」
と今度は頭を下げた。その態度に、ナオミは一層ばつが悪い顔になる。
「とはいえ、君はまだこの会社では新人だ。身分と立場をわきまえ、言動には気をつけるんだ。君のためでもある」
諭すように付け加えた後、アランはレナーテに向かって
「この新人の研修の面倒を見てやるんだ。素材の検討は先に進めておく。終わり次第、会議室へ来い」
そう言い含め、部屋を出ていった。
「ふぅ、やれやれ。一時はどうなることかと思ったがの」
ネイサン博士の一言で、皆が緊張から解放された。ナオミを除く三人は大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
「ネイサン博士、申し訳ありませんでした。私の管理能力不足です」
「なに、いいんじゃよ。理不尽な目にあったことは間違いないんじゃからな」
頭を下げるイェスタフに、ネイサンが笑顔で答える。
「あやつも悪気があるわけではないが、どうにも真面目過ぎてな。一人で抱え込む悪い癖がある。お主にも、苦労を掛けてすまなかったの」
「いえ、そんな。私は別に、何も……本当に、申し訳ありませんでした」
謝罪しながら、イェスタフはナオミへと視線を向けた。するとレナーテが、彼らから視界を遮るように、ナオミの前に立った。不貞腐れて視線を上げないナオミの頭を、レナーテはなだめるように撫でる。
「まったく、ナオミちゃんの負けず嫌いも、相変わらずね。お姉さん、ひやひやしたわ」
そう言って、ナオミの頭を撫で続ける。
「だって……」
ナオミはポツリと漏らし、抵抗せず撫でられたまま
「……悪いのは、あいつの方じゃない」
と不満そうにつぶやく。
「うん、そうね。先に約束をしていたのはナオミちゃんなんだから、ナオミちゃんには先に見学する権利がある。それなのに勝手に割り込まれて、あんな風に一方的に予定を決められたら、誰だって嫌な気持になるわ。私だって、ナオミちゃんが言い返してくれて、ちょっとスッキリしたしね」
おどけながらも優しく諭すように、ナオミをそっと抱きしめる。
「……暑苦しい」
悪態をつきながらも、されるがままのナオミ。そんなナオミに
「はいはい、そうね。でもダメ。お姉さんの話を聞いて」
そう前置きして
「大人にはね、いろいろな都合があって、時には無理を強いることもあるのよ。さっきの人も、会社のことを思っていただけ。ナオミちゃんに意地悪したかったわけじゃないわ」
そこで言葉を区切る。少し間をおいているうちに、白衣を着た研究者が二人、測定室から出てきた。レナーテはさりげなく、ナオミが視界に入らないよう体の位置をずらした。彼らが部屋から出るのを見届け、レナーテは続ける。
「ナオミちゃんがすごいってことは、私もネイサンも知ってる。でも、あんな言い方はダメよ。たとえナオミちゃんがどんなにすごい人でも、周りの人がすぐにわかってくれるわけじゃない。何を言ってもいいってことにもならないわ」
一つひとつの言葉を丁寧に選びながら、ゆっくりと伝える。
「……わかってる。でも……」
それだけ言って言葉に詰まり、言い淀むナオミ。また少し間が開いて、レナーテがナオミに話す。
「うん、そうね。言いたいこともたくさんある。だからこそ、ちゃんとした言葉で、ちゃんとした態度で話をしないと」
いつの間にかナオミは、額をレナーテの胸元に押し付けていた。その頭を、レナーテは優しくひと撫でする。ナオミの小さな角が体に当たり、鈍い痛みが伝わってきた。
「ナオミちゃんなら、できるわよね。なら、お姉さんに謝ってみて」
ナオミの体が僅かに揺れる。そして、レナーテにだけかろうじて聞こえる小さな声で
「……ごめんなさい」
そう呟き、レナーテの体に額を強く押し付けた。レナーテも、それを黙って受け止める。
「はい、よくできました。偉いわよ、ナオミちゃん」
最初の調子に戻ったレナーテにナオミは
「子ども扱いするな……」
少し鼻に詰まったような、不貞腐れた声で呟いた。
二人の様子を見ていたイェスタフは、居心地の悪そうに手足を動かし、部屋のあちこちに視線を巡らせていた。そんなイェスタフに、同じく二人を見守っていたネイサンは、あごひげを撫でながら話しかける。
「すまんの、イェスタフ。見ての通り、頭はずば抜けていいが、中身はまだまだひよっこでな。苦労を掛ける」
「い、いえ。それが、私の仕事ですから」
遥か目上の老人に頭を下げられ、イェスタフは狼狽えながら返事をする。
「ナイトメアであるがゆえに、同年代と遊ぶ機会もほとんどなくてな。おまけに小さいころから頭が良すぎたせいで、話ができるものなど、シャンベルタンやわし、レナーテくらいなもんじゃった。そのせいで、人との関わり方がよくわかっとらんのじゃ」
静かに語るネイサンの言葉に、イェスタフは黙って耳を傾ける。
「あれでも大学に入って、少しはマシになったんじゃがな。だが、まだまだ社会へ出るには幼すぎる。身内びいきなのは百も承知だが、これからもどうか、気にかけてやってくれ」
ネイサンの真摯な言葉に、イェスタフは瞳を閉じて、一呼吸置く。そして
「ナオミを特別扱いはしません。あいつも、大勢いる新人の中の一人です。ですが、新人を一人前の社員にするのが、私の仕事です。であれば、私は何があっても、職務を全うするのみです。新人を見捨てるなど、ありえませんよ」
静かに、だが力強い言葉で答えた。ネイサンは満足そうに頷く。
「頼もしい限りじゃな、よろしくたのむぞ」
二人がそんな会話をしていると、ナオミはそっとレナーテから体を離す。そして、目と鼻をレナーテの体に隠れてそっと拭いた後、赤くなった目を隠すことなく
「それで、どこから見学させてくれるのかしら?」
と声を上げた。
「ごめんなさいね、二人とも。お待たせしたわ」
ナオミを気遣い、レナーテが間を取り持つように話しかける。
「反省したかの?ナオミ」
ネイサンの穏やかな問いかけ。ナオミは面白くなさそうな顔で、だがまっすぐネイサンの顔を見て頷く。
「それならいい。アランの態度にも問題はあったし、お前さんの気持ちも十分わかる。嫌な思いをさせて、すまんかったな」
とネイサンに頭を下げられ、またナオミはばつが悪そうに顔を背ける。そんなナオミに寄り添いながら、レナーテが
「もういいじゃない。ナオミちゃんも反省してるんだから。元はと言えば、勝手に割り込んできた部門長が強引だったんだし。ねぇ」
と笑顔でナオミの肩に手を置き、ナオミも無言で頷く。
「それより、早くナオミちゃんの見学を始めましょう。時間がもったいないわ」
「そうじゃな。ナオミ、こっちへ来なさい」
ネイサンがナオミを部屋のディスプレイの下へと案内し、ナオミも手帳とペンを構えネイサンに続く。
「ここ四階のサテライトは、ルーンフォーク研究課と共同開発をするために設けられていてな。そこの扉の奥にある合成室と測定室で、ルーンフォークに用いられる新素材や、その性能調査なんかをしとる」
ネイサンはディスプレイを指しながら説明する。表情に張りが戻りつつあるナオミは、ペンを手帳に走らせながらネイサンの話に耳を傾け、ディスプレイと手帳の間で視線を行き来させている。
「さっきアランも言っていたが、今は第二世代ルーンフォークの開発を最優先で行っていてな。行き詰っていたところだったんじゃが、ナオミのおかげで突破口が見えた。助かったぞ」
そう語るネイサンの表情は誇らしげで、目の前の少女の才能と情熱、そして成長を喜んでいた。ネイサンにまっすぐ褒められたナオミは、ほんのりと頬を赤らめる。
「まだ提案しただけでしょ?実現できるかは、やってみないとわからないわ。うまくいかなくても、文句言わないでよね」
心なしか早口で言い切るナオミ。
「そんなことしないわよ。ナオミちゃんが頑張って考えてくれたんだから」
とレナーテ。
「トラブルはあったが、元々わしもレナーテも、ナオミの知恵を借りたいと思っておったんじゃよ。見学を同日にしてもらったのには、そういう理由もあったんじゃ」
「そうそう、おかげで助かったわ。お姉さんが抱えていた課題も、何とかなりそうよ。ありがとう、ナオミちゃん」
二人の言葉に、ナオミは顔を隠すようにディスプレイに目を向け、黙ってペンを動かす。
「ルーンフォーク開発以外の研究は、二階の本部で行っておる。ドルンとザーレィの統合機に使う新素材や、賦術に使うマテリアルカードの開発もやっとるな」
ネイサンは近くにある端末からデータを呼び出し、ディスプレイの隅に表示させた。開発中の素材が一定の間隔で、物質組成や第一原質、マナ偏移などと一緒に表示され、ディスプレイの隅へと流れていく。ナオミはカリカリとペンを走らせながら、すっかりいつもの調子に戻って尋ねる。
「統合機なら午前中、映像だけだけど見たわ。データも一緒にね。一体誰?あんな、ただくっつけただけの機体を提案したのは」
「そう言ってやるな。警備用魔動機としてドルンやザーレィは優秀じゃが、防衛用に作ったはずのバレンドルンやシールンザーレィは、思うように成果が上がっとらん。兵器を専門に開発しとる他社にシェアを奪われぬよう、上も必死なんじゃよ」
ネイサンが説明するも、隣で聞いていたレナーテは
「それにしたって、くっつけただけよねぇ」
苦笑いしながらナオミに同意する。ネイサンも咳払いでお茶を濁した。
「うむ、まぁ、その、なんじゃ……何であれ、会社の決定であれば、形にせねばならん。ナオミ、お主はどう思う?」
「設計段階での解決案は、三階に見学へ行ったとき提案しておいたわ。ある程度は形になると思うけど、今の素材じゃ、どうしても限界があるわね」
一度ペンを止め、顎に手を当て思考を巡らす。
「近接用のドルンは高硬度で衝撃吸収に優れた素材で作られてるけど、砲撃用のザーレィはマナの光弾を射出する必要があるから、ドルンと比べて硬度が低くて魔法耐性が高い素材が使われてる。くっつけるなら、近接戦に耐えうる耐久性や衝撃吸収性能と、光弾の使用に耐えうる魔法耐性――はぁ、まったく……」
再び手帳にペンを走らせ始めるナオミ。ぶつぶつと何事かつぶやきながら考える少女を、ネイサンとレナーテは静かに見守る。
「表面をコーティングして、内部にマナ回路を仕込める構造にすれば、多少はマシか……いくつかの原質を改良して、多層構造になるように覆って、個別の役割を持たせれば――難しいけど、何とかなりそうね」
またしばらく、ナオミは黙って手帳に何事かを書き記していく。ペンが紙を擦る音と、四人の息遣い、魔動機の低くうなる駆動音だけが部屋を満たす。
「感想を聞いただけじゃったのにのう。本当に、困った小娘じゃ」
ネイサンの楽しそうなつぶやき。そして少しの時間がたったころ、ナオミは今まで書いていたメモをちぎってネイサンに渡した。
「骨格と装甲に使えそうな素材の改良案よ。衝撃を別のエネルギーに変換して再利用する層や、マナ回路を埋め込む層なんかを多層的に配置してみたわ。生き物の骨みたいに多孔質構造にしてあるから軽量化にもなるはずだし、黒の原質を組み込んで硬度と耐久性も持たせてある。ザーレィのマナコーティングはそのまま残しておいた。これで試してみて」
アランに渡したより何倍も多いメモを受け取り、ネイサンは丁寧に目を通す。そしてそれとは別にまたメモをちぎり、今度はレナーテに渡してきた。
「あら、私にもプレゼントかしら?」
驚きつつも受け取るレナーテ。それにかまわず、ナオミは渡したメモの説明をしていく。
「第二世代ルーンフォークの、追加の改良案。さっきの男に渡した分は筋肉繊維や神経素材の案だけど、今渡したのは肌と皮膚に関する部分よ。マナを通すことで組成を変化させられる構造になってるから、部分的に硬質化させたり、逆に柔軟性を持たせたりすることができる。私の予想通りなら、外見や質感も自在に変えられるはず。よかったら、試してみて」
さらっと言い切ったナオミの言葉に、レナーテは呆気にとられる。そして、渡されたメモの内容に驚愕しながらも、可愛がっていた少女の才能に誇らしさを感じていた。
「これで運動能力やマナ操作の精密性が向上させられるはずだし、ルーンフォーク本体の耐久性能も上がる。骨格は、今ネイサン博士に渡したアイディアを参考にすれば、何とかなると思うわ。これなら、投資家も納得すると思う」
そこでナオミは一息つき、ペンをくるくる回しながら低い声で
「勝手な話よね、本当に。自分たちで生み出しておきながら、思っていたのと違うからすぐ次を作れ、だなんて。魔動機と違って、ルーンフォークにはちゃんと、意思も魂もあるんだから。まったく……」
と眉をひそめ、自虐的につぶやく。ナオミの脳裏に浮かぶのは、不器用ながらも誠実に、一生懸命職務を全うしようとする少年の姿。
ナオミの言葉に思うところがあるのか、レナーテの顔にも陰りが滲む。
「そう、そうよね、本当に。優しいのね、ナオミちゃん」
「……うまくいけば、投資家も文句は言わないはず。お願いね、レナーテ」
気恥ずかしさを隠すように、視線だけをレナーテに向けるナオミ。そんな少女に、レナーテも精悍な色を取り戻し
「大丈夫よ、お姉さんに任せて。ナオミちゃんをがっかりなんて、させないわ」
と答えた。
それからナオミたちは、合成室や測定室、ジェネレーター室を見学していった。実物のジェネレーターや培養液の研究などを見ながら、課題に対して様々なアイディアを提唱していく。見学が終わるころには、午前中と同様、そこにいる研究者たちからぜひ話を聞きたいと、多くの誘いを受けていた。
そうして時間が過ぎていき、見学も終わりの時間を迎える。
「ネイサン博士、レナーテ博士。本日はありがとうございました」
本館へとつながる通路まで見送りに来たネイサンとレナーテに、イェスタフがお礼を言う。
「いいんじゃよ。こちらも、ナオミが来てくれて助かった。まぁ、トラブルもあったがの」
そう言って笑みを浮かべるネイサン。
「それについては、本当に申し訳ありません。改めて、私からも指導いたします」
とイェスタフ。ナオミが隣で、嫌そうな顔で視線を逸らす。
「あんまり怒らないであげてね。ナオミちゃんも反省してると思うから。ねぇ」
レナーテがナオミの顔を覗き込むように話しかける。不承不承といった感じでナオミは頷き
「その、まぁ……悪かったわよ、本当に……」
ときまりが悪そうに答える。
「わかっていますよ。ですが、それはそれ、指導は指導です。ナオミ、本館に戻ったら、まずは反省文だ。いいな」
ナオミは面白くなさそうに、顔をそむけた。だがイェスタフは
「反省するのは、言葉遣いや態度についてだけだ。お前が理不尽な目に遭ったってのは、みんなわかってる。嫌な気持ちになったことまで、反省する必要はないからな」
と続けた。そう言われてナオミも「わかったわよ」と素直に頷いた。
「研修頑張ってね、ナオミちゃん。一緒に仕事ができるのを、楽しみにしてるわ」
「ナオミの顔が見れて、安心したわい。わしらはここで、お前を待っとる。しっかりな」
ネイサンとレナーテが、ナオミを送り出す。そんな二人に、ナオミが
「うん……その……今日は、ありがとう、ございました」
ぎこちない敬語で挨拶をした。キョトンとした三人だったが、それも一瞬のことで、全員思わず吹き出す。
「ふふっ、どういたしまして。偉いわね、ナオミちゃん」
「お主が敬語を使うとはな。長生きはするもんじゃ」
笑いながら話す二人の様子に、ナオミが
「チッ……言うんじゃなかった……」
と面白くなさそうな顔でつぶやいた。