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ナオミが研究棟を見学している同日。ミネットとギルは作業用に与えられた本館の部屋で、二か月の自由課題期間のスケジュールを組んでいた。様々な書類や資料に埋もれ、社内外のあちこちに連絡を取りまくっている。
おもちゃ作りとテーマは決まったものの、三人の中で魔動機術に明るいのはナオミしかおらず、おもちゃの試作機を開発できるのもナオミだけであった。そのナオミが
「研究計画を立てるために、NexaTech社の研究棟を詳しく見学しておきたいわ。少しだけ、別行動をさせてくれないかしら?」
と申し出たため二人もこれを了承し、代わりに事務処理の多くを引き受けていた。ナオミはスケジュールや予算、物資や施設についての要望をミネットに伝えていた。
「はい、はい。ご無理をお願いしているのはもちろん承知です。こちらとしましても、必要な書類はすぐにご用意いたしますので、何卒――」
必死に頭を下げるミネット。手にはナオミの指示が書かれたメモが握られていて、心なしかプルプルと震えている。
机に対して対角線の位置に座っているギルは、会社設備の空き状況や出張手続き、そのための日程と予算編成と格闘している最中で
「ら、来月の七日から五日間は、あぁ、ダメだ!埋まってる!じゃあこっちは……は、博士が言ってた設備がない。でも、こっちならある、けど、あぁ、予算が――」
こちらも頭を抱え、泣きそうな顔で唸っている。
ナオミからの要望は四つ。一つは、ナオミの母校であるヴィントランド大学の研究室の使用許可で、デバイスに必要なデータ収集と改良を行うためだった。簡単に大学の施設を借りられるものなのかとミネットは反論したが
「私の名前を出せば借りられるんじゃない?コンラッド教授って人が何とかしてくれると思うわ、多分」
と平然と答えられてしまい、渋々ミネットも引き下がっていた。二つ目はNexaTech社の研究棟、もしくは実家、すなわちシャンベルタン博士の家にある工房の使用許可だった。こちらは魔動機の組み立てのためだ。
そしてナオミはこれらの施設を二~三週間連続で借りることを要求しており、メモには『集中して研究したほうが能率が上がる』としか書かれていない。その部分は今、ミネットの親指に強く押しつぶされている。
残り二つの要求は、低品質の魔晶石や様々な魔導部品の要望と、そして『予備期間』とだけ書かれた謎の一週間だった。当然ミネットもこの部分についてナオミに問い詰めたが、ナオミはやはり一言
「研究が思うように進まないことはざらにあるし、そのための予備があったほうがいいから」
とだけ告げ、それ以上はなにも言わなかった。そうこうしているうちにナオミは研究棟に行ってしまい、現在ミネットとギルの二人は、これらの対応に追われているところだ。
「――はい、ご対応いただきありがとうございます。それでは、失礼いたします」
ミネットが頭を下げながら通話を切る。ふと時刻を見ればもう夕刻で、この日の勤務時間が終わろうとしていた。
奮闘むなしくこの日に実現したのは、低品質の魔晶石を取り扱っている業者の調査と、いくつかの使用可能な施設の選定だけだった。特に魔晶石の確保にいたっては糸口すら見えていない。低品質の魔晶石と言っても、最低価格は一〇〇ガメル。一〇〇〇ガメルしか予算のない自分たちでは、どう頑張っても必要分は手に入らない。財務部に掛け合い予算の増額交渉もしてみたが、新人研修での予算増額など認められるはずもなく失敗に終わる。結局、予算内に収めるにはあまりに無茶な要求しなければならず、業者には連絡できずにいた。
ギルが担当した施設確保も難航していた。ナオミが要求する長期間の施設貸し出しは簡単に実現できるものではなく、また研修中の外部施設利用ということもあって、どの部署も難色を示していた。さらに予備期間というあいまいな期間を設定する大義名分が思いつかず、これについては全くの手つかずだ。
結局、残りは明日以降に持ち越しとなり、二人は生も根も尽き果てた様子で、ぐったりと体を机に投げ出した。二人の静かな息遣いと、穴が開かんばかりにメモを睨みつけるミネットの怒りが部屋中を満たす。
「あ、あのナイトメアぁ……覚えておきなさいよ……」
ミネットの怨嗟の声にギルが苦笑いを浮かべ、さりげなく机の上に散乱する資料を片付けている。
「あはは……お、お疲れさまでした、ミネットさん」
「まったく、本当に!こんなの実現できるわけないでしょ!私たちに無理難題押し付けて、自分はのんきに社内見学!?自分勝手なのもいい加減にしなさいよね!あーっ、もうっ!イライラする~!」
握りしめたメモに向かって叫ぶミネット。思わず力の入った手が机に当たり、机上の資料ががたがたと揺れた。
「み、ミネットさん、落ち着いてください。あの、ほら、僕、紅茶持ってます。一緒に飲みましょう」
そう言ってカバンから水筒を取り出し、コップに紅茶を注ぐ。たちまち上品な香りが部屋に満ちていき、ミネットも深呼吸しながら気持ちを落ち着ける。
「ありがとう、ギル君。いただきます……」
紅茶を口に含むと、仄かな甘さと爽やかさが、口内に広がった。
「ふぅ、美味しいです」
思わずミネットがつぶやき、ギルが安堵に息を吐く。
「それ、前にミネットさんが持ってきてくれたのと、同じ紅茶なんです。上手に淹れられてホッとしました」
ギルが無邪気な笑みを浮かべ、ミネットの表情も和らぐ。
「ありがとう、ギル君。おいしくできていますよ。あと、女の子へのさりげない気遣いも、ポイント高いです」
にっこりと微笑むミネットに、ギルは顔を赤くする。だが
「あ、あんまりそういうこと、簡単に言っちゃダメですよ」
と頬を染めながら、真剣な顔でミネットをたしなめる。
「あら、もっと照れてくれると思ったのに。意外ですね」
「ぼ、僕だって、何度もされれば慣れます。ミネットさんこそ、その……とってもお綺麗なんですから、軽々しく言っちゃだめです!」
真剣な顔でどもりながら告げるギルに、思わず吹き出すミネット。
「わかりました、気を付けますよ。ギル君がかわいくって、つい」
やわらかい笑顔で笑うミネットに、ギルは小さくため息をつきながらも、口元には笑みが浮かんでいた。
二人が紅茶を飲みながら談笑していると、不意に部屋の扉が開く。
「何やってんだい、あんたたち。いちゃつくのは、退勤してからにしておくれ」
やや低音のよく通る声と共に入ってきたのは、長い茶髪を後ろでまとめた、三十代半ばほどの人間の女性。しっかりとスーツを着こなし、釣り目と張りのある表情が仕事人という印象を与える。両肩には小さな〈マギスフィア〉が一つずつ、彼女から一定の距離を保ちながら浮いていた。
ミネットは女性の方へと向き直り、落ち着いた声で
「お疲れ様です、ヴァネッサ主任」
と声をかける。ヴァネッサと呼ばれたその女性は、前髪をかきあげながら部屋に入り
「あぁ、お疲れ様。だいぶ苦労したようだね」
机の上に置かれた書類をちらりと眺める。その言葉に、ミネットとギルは乾いた笑を浮かべた。
「それで、進捗はどうだったんだい?」
ヴァネッサは表情を引き締め、二人に問う。二人の思わず口を噤んだが、意を決したようにミネットが答える。
「……魔晶石の確保については、その……見通しが全く立っていません。予算内で博士の要求を実現するためには、一つ当たりの価格を、一〇ガメル以内に抑える必要があります」
ミネットがため息交じりに告げる。ヴァネッサは眉を小さく動かし、視線だけでミネットに続きを促す。
「ですが、そんな価格で取り扱ってる業者はあるはずもなく……価格交渉しようにも、こんな条件で交渉するわけにもいきません。仕方がないので、少しでも可能性のありそうな業者をリストアップして……それ以上は何もできていません。営業部や広報部にも掛け合って、可能性を探って入るのですが……」
ミネットは口を強く噤み、眉間に皺をよせる。言葉にすることで、自分の置かれた状況の理不尽さを再認識したのか、イライラした気持ちが再びこみ上げてくる。だがヴァネッサは
「そうかい。業者に連絡しなかったのは、いい判断だ。勝手にそんな無茶苦茶な交渉されたら、うちの会社の信用に関わるからね。報告はそれだけかい?」
と、ミネットを気にかける様子を一切見せず、さらに報告を促す。
「ダメもとで、財務部に予算増額の相談をしてみたんですが……うまくいきませんでした。以上です」
「財務部は?何て言ってた?」
表情を変えず、再度続きを促すヴァネッサ。ミネットは少し思い出すそぶりをして
「その……研修の予算は年間計画に基づいて決まっているから、新人の研修で増やすのは難しい、とのことです」
「まぁ、そうだろうね。それで、あんたはどうするつもりなんだい?」
なおも問い詰めてくるヴァネッサに、ミネットは口をとがらせる。
「……どうもこうも、増やせないなら仕方ありません。当たり前ですし……なら、その中で何とかするしかありません。まぁ、その、できるとは到底思えませんが……」
かなりイライラした様子でミネットが言い放つ。その様子に、隣で聞いていたギルは緊張した様子で体を固くしていた。
「なるほどね、よくわかったよ。それじゃギル、次はあんたの報告を聞こうか」
なおも表情を変えないヴァネッサは、今度はギルに向き直る。驚いたギルは体をこわばらせ、目を泳がせた。
「はっ、はい!えっと、その……」
作業中必死にとっていたメモを読み返し、何から報告するべきか必死に考えを巡らせる。
「主任、ギル君がしていた施設利用の進捗ですが――」
「ミネット、あたしはギルに聞いてるんだ。あんたには聞いてないよ」
代わりに報告しようとしたミネットを、ヴァネッサが有無を言わさず遮る。さらにムッとした顔をするミネット。険悪な空気が二人の間に流れ、ギルは一層慌ててしまう。ヴァネッサは部屋にある椅子の一つに座り、ギルと目線を近づけた。
「ギル、焦る必要はないよ。ゆっくりでいい。自分の力で、やり遂げてごらん」
言葉を区切りながら語り掛ける。その言葉にギルも少しずつ落ち着きを取り戻し、そして報告を始める。
「し、施設の予約ですが……ナオミ博士の言ってた、その……長期間の確保が、難しいです。NexaTech社の施設も、一日とかなら借りられますが、一週間とかだと、開いてるところがないです」
たどたどしいながらも、しっかり報告していくギル。
「シャンベルタン博士の工房を利用するっていうのも、出張扱いになって……長期の出張なんて、できるのかなぁって思って、どうすればいいのか、困っています」
そこまで言い切り、不安げな顔でヴァネッサを見る。ヴァネッサは、ギルをまっすぐ見たまま尋ねる。
「総務部や財務部に、出張の相談はしてみたのかい?」
「い、いいえ、してません。研修中の出張なんて、認められるのかなぁって、思ったので……」
「無理だと思ったんだね。なら、あんたはどうするつもりだったんだい?」
「ど、どうするって、言われても……」
だんだん泣きそうな顔になるギル。たまらずミネットが口を挟もうとしたが、ヴァネッサは掌をミネットへと向け、再度それを遮る。結局ギルは答えられず「すみません……」と謝り、下を向いてしまった。
そこまで聞いてヴァネッサは何度か頷き、ようやく表情を和らげる。
「よくわかったよ、二人とも。一日大変だっただろう。お疲れ様だったね」
優しい笑顔で語り掛けるヴァネッサ。いきなり態度が変わり、二人は戸惑いの表情を見せる。そんな二人をよそに、ヴァネッサは〈マギスフィア〉にコマンドワードをつぶやく。すると光の粒子が机の上に現れ、収束し、形を成していく。ほどなくして、そこにはお茶の入った蓋つきの容器と、甘そうなスナック菓子がいくつか置かれた。
「差し入れだ。疲れたときは、甘いものが食べたくなるだろう?」
差し出されたそれを、二人は受け取った。少しの間それを眺めていたが、やがてお茶を一口含む。そこでようやく一息つくことができ、緊張の糸が解れた。
「あの、その……ありがとうございます。ヴァネッサ主任」
ギルがたどたどしくお礼を言う。ミネットも一緒に頭を下げ、今目の前で起こった光景について尋ねる。
「主任。今の魔動機術は、【スフィアシェード】ですか?」
「いいや、違うよ。そんな高度な魔動機術、さすがに使えやしないさ」
と答える。怪訝そうな顔をするミネットに、ヴァネッサは続ける。
「あたしが持ってる〈マギスフィア〉は特別製でね。市販されてる〈マギスフィア〉にはない性能が、いくらか備わってるのさ」
そう言ってミネットの目の前に〈マギスフィア〉を移動させる。よく見ると、市販の〈マギスフィア〉より若干黒色が強い。専用の部品が使われているのか形も微妙に違っていて、小さく会社のロゴも入っていた。
「今使ったのは、小さな物品を収納しておける魔動機術さ。規模は小さいが、【スフィアシェード】と同じようなことができる。まだ試作品だから、社内のいくつかの部署に支給されてるだけだがね。何人かの社員がテストも兼ねて、使わせてもらってるのさ」
〈マギスフィア〉を手で撫でながら、自分の分の飲み物をカバンから取り出す。
「ま、収納できる量が少ないから、これ一つじゃ、あんたたちへの差し入れ分で精一杯だけどね。足りなかったらごめんよ」
ヴァネッサは、おいしそうにスナック菓子を頬張るギルへと視線を向ける。ギルは思わず口元を拭いながら、恥ずかしそうに視線を逸らした。ミネットも、緊張の解れた表情で礼を言い、もう一つスナック菓子を頬張る。
「さっきは問い詰めるようなことをして悪かったね。厳しかったかもしれないが、報告も立派な仕事のうちだ。特に今回みたいに、新しいことを始めたり、無理難題に対処するときは尚更だね」
表情を崩して話すヴァネッサに、ミネットとギルから自然と肩の力が抜けていく。
「しっかし、なかなか愉快なお友達じゃないか。イェスタフから引き継ぎは受けたつもりだったが、あんた達に押し付けられた業務を聞いて、心底驚いたよ」
とヴァネッサ。その言葉にミネットが強く頷き「愉快で済めばいいんですが……」と口をとがらせる。
「なんか、納得できないです。面倒なことは全部私達に押し付けて、自分は得意な研究ばかり好き勝手してるみたいで。おかしくないですか?」
「あっはっは、研究棟の連中は変わった奴らだからね。あたしたちみたいな一般社員の感覚が、すっぽり抜け落ちてるやつも多いもんさ」
「そう、それなんですよ!本当に常識がないっていうか、無茶を無茶って思ってないっていうか。おまけに――」
今日だけで相当溜まっていたのか、延々と愚痴を吐き続ける。ギルも乾いた笑いを浮かべ、ミネットの言葉に相槌を打っていた。
「――ミーティングの時だって、説明も何もないんですよ!『研究に必要だからお願いね』とか、ほんっとうに簡単に押し付けて、自分でやってみろって言いたいです!これまでの研修だって、レポートが遅いとかさんざんイェスタフさんに怒られてて、自分だけじゃ絶対できないくせに!」
だんだん声が大きくなってきたミネットに、ギルが横から声をかける。
「ミ、ミネットさん、落ち着いてください。あの、紅茶です。どうぞ」
頬を膨らませたままミネットが、ギルがくれた紅茶を飲んだ。
「ふぅ……ギル君、おいしいです」
紅茶の甘さと香りに、いくらか落ち着きを取り戻す。
「博士にも、きっと何か考えがあるんですよ。僕たちも頑張らないと」
拳を握って励ますギルに、今度はヴァネッサが尋ねる。
「ギル、あんたは何か聞いてないのかい?博士の考えとやらをさ」
「え?いえ、その……」
口ごもりながら、指を口に当て思い出す仕草をする。
「博士に聞いても、『研究棟での見学の成果によるから、具体的なことは言えない』としか答えてくれなくて……すみません」
「ふーん、そうかい。それで、それを聞いたギルはどう思った?」
「どう、と言われても……ナオミ博士はすごい人ですから、きっとそうなのかなって。だから、僕も協力しないとって、思いました」
ギルの返答を聞いたヴァネッサが、「なるほどねぇ」と言いながら、椅子の背もたれに体を預ける。
「だから、ナオミって子の要求を飲んじまったわけだ。ミネット、あんたも同じかい?」
今度はミネットに話を振る。
「すごい人なのはその通りですが……正直、無茶苦茶な要求だと思いました。でも、それを叶えるのが社会人ですから。だから、できないなんてダメだって、思ったんです」
ミネットは拳を握り、唇を噛む。
「立派な心掛けじゃないか。ナオミって子は、いいお友達を持ったもんだね」
ヴァネッサはその答えに満足そうに頷く。だが、それも一瞬のことだった。表情を引き締め、穏やかながらも真剣な眼差しを二人に向ける。
「あんたらの気持ちは分かった。だが、それじゃあダメだ。その考え方じゃ、仕事はうまくいかないよ」
二人の表情が強張り、意義ありげな視線を向ける。だがヴァネッサは気にかけることなく続ける。
「無理なことは無理だって、断らなきゃだめだ。特に今回の件はどうだい。どう見たってあんたたちの手に余る。さんざん愚痴を言っていたが、実現なんてできっこないだろう?」
じっと二人を見つめ、今の言葉を噛みしめるのを待った。何か言いたそうにミネットが口を動かしたが、結局何も言わなかった。
「にもかかわらず、あんた達二人はやると、そう返事をしちまった。そこまでの過程にも色々あったんだろうが、それでも最後は引き受けた。だったら、そこには責任が生じる。やると返事をしちまった以上、相手もそれを期待する。信頼されたってことだ」
そこで一度言葉を区切る。背もたれから体を離し、二人の方へと身を乗り出す。
「協力したいと思った。できなきゃだめだと思った。その気持ちは大切だ。だが気持ちだけで引き受けてできないなんてことになったら、相手の信頼を裏切ることにもなる。だからこそ、自分のできることとできないことをしっかり理解するんだ。あんたたちを信頼してくれた、無茶苦茶なお友達のためにもね」
ヴァネッサが二人の肩に手を置く。
「あんたたちはどうだい?そのナオミって子のこと、信頼してるかい?」
静かな問い。二人は互いを見つめ、はっきりと頷いた。
「いい返事だ。それが仕事ってやつさ」
ヴァネッサは差し入れを取り出した方とは別の、もう一つの〈マギスフィア〉にコマンドワードを入力する。先ほどと同様光の粒子が机上に集まり、今度は何枚かの書類の形を成した。それを手に取り、二人の方へと見せる。
「ヴィントランド大学の施設利用とその出張許可、もらってきたよ。ダメ元だったが、コンラッドって人につないでもらってナオミの名前を出したら、ぜひ来てほしいってえらく歓迎されてさ。おまけに会社も、これから国営事業に携わりたいって思惑があるそうで、名門国立大学とのコネクションが欲しいそうだ。それを聞いて総務も財務も、渋々別予算を組んでくれたよ。後はあんたたちのサインだけだ。お友達の分は、あんたたちの代筆でいい」
キョトンとする二人をよそに、さらに別の書類をヴァネッサが見せる。
「ついでに工房の件も、担当部署と話をつけておいた。かなりグレーだが、CEOの家の工房なら、ギリギリリモートワークっていう大義名分が立つそうだ。よくわからん一週間も、それで申請しろってさ」
信じられないようなものを見る目で、二人は差し出された書類を見つめる。自分たちが一日がかりで何もできなかった問題が、ヴァネッサによってあっさり解決してしまったのだ。
「問題は魔晶石だね。低品質の魔晶石って話だが、あんたたちがもらったメモをよく見ると、『ゴミ魔晶石』って書いてある。これがどういうことか、もう一度お友達に聞いてごらん。なんとなくだが、解決の糸口が見える気がするよ」
ヴァネッサの指摘に、確かにとミネットが頷く。
「ゴミって……もしかして、言葉そのままの意味なんでしょうか?」
「さぁね、それは分からない。だからこそ明日、しっかり確認しておきな」
そう言ってミネットの肩を再度叩く。
「明日関係部署を回って、申請手続きと、迷惑をかけたお詫びとお礼の挨拶回りに行くよ。あたしも一緒に行く。半日で終わらせるよ。いいね」
「……わかりました。本当に、ありがとうございます、ヴァネッサ主任。それと、申し訳ありませんでした。感情的に、なってしまって……」
涙ぐみながら、ミネットが礼を言いつつ頭を下げる。
「それだけ真剣だったってことだろう?別にいいんだよ。たまに愚痴でも言って吐き出さないと、つぶれちまうからね。自分で気づけたのなら問題なしさ」
とヴァネッサ。息を飲んだミネットが、ぎゅっと服の裾を握りしめて下を向く。隣で聞いていたギルも、背筋をピンと伸ばした。
「はい……っ!頑張ります!僕、最後までやり抜きます!」
ギルの返事に、ヴァネッサは表情を和らげた。
「骨のある新人で助かるよ。とりあえず、もう退勤時間も近い。今日はここまでだ。明日、イェスタフとのミーティングが終わったら、またおいで」
翌日。二人は朝のミーティングを終えた後、ヴァネッサと一緒に関係各所への挨拶回りへと出向いた。二人は終始恐縮していたが、前日のうちにヴァネッサが根回しや調整を済ませてくれていたため、なんとか理解を得ることができた。中には二人の行動を咎める者もいたが、ヴァネッサがうまくとりなしてくれ、大事に至ることはなかった。
お昼を少し過ぎる頃にはすべての部署を回り終えることができ、二人はヴァネッサの手際や段取りの良さに驚いた。だが、自分たちがやるべきだったことのほとんどをヴァネッサにやらせてしまったことや、その後始末までしてもらったことで、二人は責任を感じていた。
「本当にすみませんでした。ヴァネッサ主任」
別れ際、ミネットが思いつめたように頭を下げる。ギルもそれに続いた。
「よしておくれ。新人がそこまでする必要はないよ」
ヴァネッサは片手を腰に当てる。
「あんた達のおもちゃ作りってテーマは、あたしもちょっと楽しみなのさ。うちの会社じゃなかなか見ないテーマだからね。そういう企画を物怖じせずに提案できる、生きのいい新人は嫌いじゃないよ。ま、やり方はまだまだつたないけどね」
ヴァネッサは楽しそうに笑いながら告げる。それを聞いて二人は頭を上げ、ほっとした表情を見せる。
「あんた達のプレゼン、あたしも聞きに行く。楽しみにしてるよ。頑張りな」
そう励まし去っていった。
9
ヴァネッサと別れた二人は遅めの昼食をとるため、社員食堂へと向かった。ピーク時を過ぎていることもあり、食器を返却する者や、午後の勤務に戻っていく職員が目立つ。ミネット、ギルの二人は食事のトレイを持ち、適当な空席を探して歩いていた。
「……すごかったですね、ヴァネッサさん。僕たちが全然できなかったことを、あんなにあっさり」
ギルが思い出すようにつぶやく。
「そうですね。とても勉強になりました。私たちもまだまだですね」
「でも僕、もっと頑張ろうって思いました。いつか僕も、誰かのお役に立てるようになりたいです」
「大丈夫。ギル君はもう、私たちを助けてくれてますよ。私の方こそ、みんなを支えられるようにならないといけませんね」
二人だけの反省会。お互い謙遜し合っていたが、それがなんとなくおかしく感じられ、二人で笑い合いあった。
そんな話をしていると、二人が視界の隅に見慣れた姿を捉える。緑の長髪と小さな角を携え、何かの論文を読んでいる白衣の少女。カウンター席の隅で食べかけのパンケーキもそのままに、完全に自分の世界に入り込んでいるようだ。
ほぼ同時に気づいた二人は、そちらへと歩いていく。彼女はこちらに気づく様子もなく、何事か書き加えながら論文を読みふけっていた。すぐ近くに立っても、二人に気づく様子はない。
「博士。隣、いいですか?」
ミネットが声をかける。声をかけられた少女、ナオミはようやく二人に気づいて顔を上げた。
「ん?あぁ、ミネット。それにギルも。ごめんなさい、気づかなかったわ」
ナオミはそそくさと読んでいた論文をしまい、二人の方へと体を向ける。ギルがナオミの隣に、ミネットがギルの隣に座った。背の低いギルが真ん中に来たため、後ろから見るときれいな谷になっている。
「博士!一日ぶりですね!博士もお食事ですか?」
ナオミに会えたのが嬉しいのか、ギルが弾んだ声で尋ねた。ギルの姿にナオミも笑みを浮かべ
「ええ、そうよ。午前中の見学が長引いたから、来たばかりだけどね」
そう言ってナオミは、食べかけのパンケーキを口に運ぶ。甘そうなはちみつの匂いがギルの鼻をくすぐり、お腹がきゅうと音を立てた。三人の顔に、思わず笑みが浮かぶ。
「ギル君、私たちもいただきましょう」
ミネットが声をかけ、二人も自身の食事をとり始めた。ミネットはいかにも栄養バランスのよさそうな、魚の味噌煮込み定食。ギルは赤いソースのかかったスパゲッティだ。
「博士、研究棟の見学はどうでしたか?」
口の周りについたソースを紙ナプキンで拭きながら、ギルが尋ねる。
「とても有意義だったわ。見学の目的もほぼ果たせたし、ある程度の見通しも立った。ありがとう。あなたたちのおかげよ」
腕を交差させながら二人を見て、ナオミが答える。
「二人はどう?お願いしていた準備はうまくいったかしら」
何気ないナオミの問い。その言葉に、ミネットのこめかみがぴくっと反応する。それに気づいたギルが
「み、ミネットさん、落ち着いてください。ね?」
と先回りしてなだめる。
「ええ、大丈夫ですよ、ギル君。私は十分落ち着いてますから」
笑顔で答えるミネット。だが、その目は笑っていない。
「な、なに?どうしたって言うのよ」
動揺するナオミに、ミネットは大きくため息をついた。
「――博士、昨日一日大変だったんですよ?」
眉を顰め、上半身をナオミの方へ寄せながら告げる。
「そ、そうなの?何か問題でもあった?」
「まったくもう。問題どころじゃありません!施設の確保に魔晶石の手配――どれもこれも、本当に難航したんですから!人事部の方が力を貸してくれて、どうにか大学訪問と博士のご実家の工房使用許可だけは実現しましたが……本当に苦労したんです!」
一気にまくしたてるミネットに、ナオミが体をのけぞらせた。ミネットもそれに気づき、椅子に座りなおす。
「すみません、取り乱しました……」
ミネットは水を一口飲み、間に挟まれたギルが乾いた笑みを浮かべながら、困ったように頬をかいている。
「……実現、したの?一日で?施設の要求、全部?」
ナオミが、呆然とした様子で聞き返した。フォークに刺さったケーキのハチミツが、皿の上に落ちる。
「全部、とまではいきませんでした。研究棟の施設確保はダメでしたが……代わりに、博士のご実家の工房は最大三週間まで、リモートワーク扱いで申請できます。大学訪問も、来週から七日間、出張扱いで申請できました。何とか博士の要求通りで――」
「ミネット」
そこまで言いかけたところで、ナオミが言葉を遮る。
「本当にありがとう。予想以上の成果だわ」
「え、えぇ……その、まぁ、頑張りました。ねぇ、ギル君」
今度はミネットがたじろいで、ギルに話を振る。突然話しかけられたギルは動揺しながら両の拳を握る。
「は、はい。博士のために、頑張りました」
「そう……ギルも頑張ってくれたのね。本当にありがとう」
そう言ってナオミは、ギルの頭にポンと手を置いた。ギルが嬉しそうにはにかむ。
「……もう、仕方ないですね」
ミネットが咳ばらいをし、気を取り直して尋ねる。
「問題は魔晶石の方です。博士は『ゴミ魔晶石』とおっしゃっていましたが……これってどういう意味ですか?私はてっきり、低品質の魔晶石のことだとばかり思っていたのですが」
聞かれたナオミは少し考えるそぶりをして、すぐに訂正した。
「あぁ、そうね。ごめんなさい、書き方が悪かったわね。魔力を使い果たした、廃棄された魔晶石が欲しかったのよ。元の魔力含有量が高ければありがたいけど、難しければそこは問わないわ」
ナオミは一度言葉を区切り、さらに続ける。
「魔力を入れる器にちょうどいいのよ。表面に特殊なコーティングをしてやれば、マナチャージクリスタルの代わりになると思うの。何とかならないかしら」
それを聞いて、ミネットとギルは顔を見合わせ、大きく息を吐いた。「博士……」そうミネットがつぶやき、そして
「……それなら、何とかなるかもしれません。廃棄物の再利用に関わるので、法務部の確認は必要ですが……そこさえ何とかなれば、コストは運搬費用くらいで済むはずです」
と、肩の力が抜けた様子で答えた。
「よかったですね!博士!」
ギルも隣で嬉しそうに告げる。だが、ミネットの言葉を聞いたナオミは指を口に当て腕を組み黙り込んだ。二人がナオミに声をかけるも、まったく微動だにしない。食堂のがやがやとした喧騒が、この時だけ大きく感じられた。
「あとは……私次第か……」
静かに、ナオミがつぶやいた。
「あの、博士……大丈夫、ですか?」
ギルが恐る恐る尋ねる。ナオミはふっと表情を和らげて
「ええ、大丈夫よギル。心配ないわ」
と答え、ミネットの方へと向き直る。
「ありがとう、ミネット。魔晶石の件は任せてもいいかしら?」
そう言うナオミの目は穏やかで、先ほどの気迫あふれる様子は感じられなかった。その表情に毒気を抜かれたような気持になったが、ミネットは気持ちを切り替える。
「わかりました、そちらは任せてください。今週中に用意しておきます」
「ありがとう。頼りにしてるわ」
ナオミは感謝を告げ、パンケーキを小さく切り、口へと運ぶ。それを見たギルも
「博士、僕も頑張ります!」
と決意を新たにし、パスタを口いっぱいに頬張る。
「ええ、ギルもよろしくね。お互い頑張りましょう」
そう顔をほころばせながら、ナオミはギルとミネットに答えた。
その後三人は、他愛もない会話をしながら食事を済ませた。会話の内容は様々で、ナオミは研究棟の内部の様子やドルンとザーレィの統合機のこと、そこで出会った研究者や知り合いが働いていたことなどを話した。ミネットとギルも、あちこちの部署に連絡しまくっていたことや、助けてくれたヴァネッサのすごさに感銘を受けたことなどを語り合った。聞いている最中、ナオミは若干ばつが悪そうではあったが、二人の話に相槌を打ちながら、頑張ってくれたことに改めて感謝した。
「それじゃあ、私はそろそろ行くわ。二人はどうするの?」
会話がひと段落したころ、ナオミが尋ねる。
「私たちも行きます。そろそろ休憩時間も終わりですし」
とミネット。三人とも食事はすでに終えており、目の前の皿やカップは空になっている。
「そう。なら、途中まで一緒に行きましょう」
ナオミはトレイを持って席を立ち、ミネットやギルもそれに続く。返却口に空の食器を返し、食堂を出たところにある昇降機の前に向かう。
昇降機の前には食事を終えた職員が列を作っていて、三人が乗るまでにはいくらか待つ必要があった。さりげなくギルがナオミとミネットの間に陣取り、二人もそれを気にする様子はない。
「明日はまた、三人で打ち合わせね。お互いの状況も確認しつつ、具体的な計画を立てましょう」
ナオミが二人に向かってそう提案する。
「はい!僕、頑張ります!」
「わかりました。私も精一杯頑張ります」
ギルははつらつと、ミネットが丁寧に返事をした。
「博士も頑張ってくださいね。特に、研究棟での見学の報告書を忘れないように」
「……わかってるわよ、まったく」
視線をそらして唇を噛む。三人の間に笑顔がこぼれた。
自分たちの番が来たところで昇降機に乗り込み、三階でナオミが降りる。
「それじゃあ、また明日ね」
手を振りながら昇降機を降りるナオミに、ミネットとギルも軽く手を振りながら答えた。そして――昇降機の扉が閉まるまで見送った後、一言
「今夜は、久しぶりの徹夜かしらね」
そうつぶやきながら、ナオミは研究棟へと歩いて行った。
その日の午後、ミネットとギルの二人は魔晶石の手配を進めた。魔力が切れた魔晶石に値段をつけるような業者はなく、二人は廃棄物回収業者を頼ることを考えた。だが法務部に廃棄物についての法律を確認した際、わざわざ業者を介さずとも、社内で使用済みの魔晶石が手に入るはずだと助言をもらった。そして総務部や研究開発部門に確認を取ったところ、毎週それなりの量の廃棄物が出ているということで、必要な分はそこで調達できることとなった。魔力が切れた魔晶石など何に使うのかと訝しがられたが、ミネットは
「えっと、何か特殊なコーティングをするとかで、マナチャージクリスタルのように使えるとのことです。技術的なことは、私も分からないんですが……」
と正直に答えた。そんな使い方など聞いたことがないとますます困惑する担当者だったが、ルールに則って破棄するようにと注意を促された上で、承諾を得ることができた。結果として、ナオミが要求していた量の魔晶石を、ほとんどノーコストで調達することができた。予算も大幅に節約でき、その分は魔動機の部品などの調達に充てられる運びとなった。
「これで博士も喜んでくれますね!」
うまくいったことが嬉しいのか、ギルも弾んだ声で告げる。ミネットも安どの表情を見せ
「ええ、うまくいきました。お疲れ様です、ギル君」
と笑顔で答える。
「後は報告書ですね。まだ時間はありますから、手分けして終わらせましょう」
ミネットが数枚の書類を取り出し、自分とギルの二人に配る。ギルも渡された書類をチェックしながら頷き、気合を入れなおす。
そして、退勤時間ギリギリまでかかったものの、二人は報告書の作成まで終えることができた。帰る前、ヴァネッサに成果を伝えに行った。
「よかったじゃないか。あたしも安心したよ。応援してるからね。精一杯頑張りな」
ミネットとギルも力強く「はい!」と答えた。そうして退勤の打刻をし、会社を出たところで
「それじゃギル君、また明日。お疲れ様です」
「はい!お疲れ様です!ミネットさん!」
そうして二人はお互いの方向へ歩き出し、それぞれの家路へ着いた。