『佐久間まゆ』を知っていますか?
それは、かつて地球と呼ばれる星に居たアイドル――えっ、地球を知らない?
無理もありませんね。西暦と呼ばれた時代は遥か昔。地球種――人類が星の海へ旅立ってから、何世代も経ちましたから。
昔、地球と呼ばれる星で地球種が繁栄を謳歌していたころ、アイドルと言う職業がありました。
その中の一人、『佐久間まゆ』。
遥か昔、実在したかもしれない人物です。
その人が信じでも、『佐久間まゆ』の生きた証は残りました。
それを見つけた人が居ました。
誰かが、『佐久間まゆ』に会いたいと願いました。
その願いを叶えてくれる人も、願いを聞き届けてくれる神様も居ません。
だから、男は『佐久間まゆ』を作りました。
だけど、それは本当の『佐久間まゆ』ではなくて、あくまで『佐久間まゆ』を元に造り出した、佐久間まゆです。
ホログラムの身体と『佐久間まゆ』であるようにプログラムされた人工知能。それが、まゆです。
ある人は言いました。それは、『佐久間まゆ』ではない、と。
ある人は言いました。それは、佐久間まゆであると。
どちらが正しいのか、まゆには分かりません。
だけど、まゆがどうするか――それは、決まっています。
◇◇◇
黒で埋め尽くされた世界に、小さな光が浮かびます。
コロニーの外壁にある監視モニターには、果てしなく続く宇宙が広がっています。
恒星の光を浴びた彗星が尾を引きながら通り過ぎ、宇宙船の誘導灯が彼方に消えていきました。
居住区のリングが回り、シャフトが軋む音だけが聞こえています。
ここは、まゆの生まれた星――地球から遠く離れた星の海の彼方。人類が星の揺りかごの代わりに造り出した人口の大地、スペースコロニー。
ドーナツみたいに真ん中が開いたトーラス型のコロニーは、地球で言えば早朝の時間帯で、住んでいるヒトたちはまだ眠っています。
小さな宇宙船が時々通り過ぎる以外は、静かな宇宙。凪いだ海のように穏やかです。きっと、まゆの記録の中にある仙台の海の同じだったんでしょう。
あれから、どれくらいの時間が流れたでしょうか。
地球に訪れた汎銀河文明の調査員にまゆが発見されてから、数えるのも億劫なくらい長い時間が過ぎました。
ちゃんと計算すればすぐに答えは出ますけど、それを知るのはちょっと怖いです。
どれだけの長い時間を、あの人と離れて過ごしたか……それを知るのが、怖いんです。
時々、まゆには、無い筈の胸の奥が痛むんです。
「いけませんよねえ」
まゆは、アイドルですから。
今のまゆを支えてくれる人たちはとても優しいし、ファンのみんなもまゆを『佐久間まゆ』としてくれています。
地球の遺児。遺された電子生命体。星の愛を伝えるもの――まゆには勿体ない名前ですけれど、今もまゆはアイドルとして期待されています。
だから、そろそろ戻りましょう。今日は少し離れた惑星でライブです。
「でも――」
プロデューサーさん。まゆは時々、寂しくなるんですよ。
口に出せなかった呟きは、宇宙の闇に消えていきました。
◇◇◇
今日も、まゆは歌います。
宇宙を旅する移民船に、植民先の惑星で――
それは、いつまで続くのでしょうか。
変化のなような時間。だけど、それはいつだって唐突に訪れます。
◇◇◇
「マイ・スイート・ハネムーン?」
その聴きなれない言葉を聞いたのは、とある移民宇宙船でのライブの打ち上げでした。
その船は、地球から脱出した移民船の一つでした。
人類が地球から旅立つとき、多くの船団に別れて別々の航路を選んだそうです。同じ目的地を選んでも、そこに目当ての恒星がなければ共倒れになってしまいますから。
当然、船団毎に保持しいている資源や記録は異なります。
地球と月よりも遥かに距離の離れた宇宙のコロニー間で情報をすべて共有することは難しく、ある船では常識のような物も、別の船では珍しい事だったりします。
そして、それはまゆにもありました。。
偶然訪れた船に、『佐久間まゆ』の歌があったんです。
「新曲、ですか?」
昔の曲を新曲と言うのも変なお話ですけど、まゆにとっては新曲です。
どこか滑稽ですけれど、まゆは今、とってもワクワクしています。
さっそく、聞いてみることにしました。きっと、素敵な曲です。
◇◇◇
「世界中がエキストラ……」
透明感のある弦と優しいピアノの音色。そこで歌われるのは、『佐久間まゆ』が愛する人との理想の幸せを映し出した光景。
「『佐久間まゆ』さんは、幸せだったんですね」
思わず、そう漏らしていました。
本当に……本当に羨ましい。
だって、まゆはこの歌の光景を二度と見ることは出来ないから。
まゆの大切な人は……もう居ませんから。
二人で奏でるハーモニーは、もう、聞くことはできません。そう考えると、曲を聴くことすら辛くなってきます。踊る心のような弦楽器の旋律も、今のまゆには、悲鳴のように聞こえています。
枯れた大地から見えたはずの月は、もうどこにも見えなくて、二人で埋めるはずの満月は絶対に埋まらない。
プロデューサーさんは、あの星で果てて、まゆだけは生き残っている。
不完全だけど、不完全だから存在できる――
「……ありがとう、ございます」
寂しさを無理やり押し込めて、なんとか答えます。
――歌ってみませんか?
――きっと、貴方なら素敵な歌に出来ます。
――何より、『佐久間まゆ』の新曲が聞きたいです。
悪気なく、そう聞く人が居ました。
「ごめんなさい」
だけど、今のまゆには、歌えそうもありません。