断捨離夫の処刑日~妻と娘の宝物を捨てた男の末路~ 作:桐山さくらこ
数日後の休日。
健一が用事で出かけて、家には私一人だけ。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
インターホンが、激しく鳴った。
ドアを開けると、そこには、大量の段ボール箱と、巨大な風呂敷包みを抱えた義母のよしえとお義父さんが立ってた。
お義母さんが尋ねた。
「麻美さん! 健一は!?」
「 健一が『物を大切にする丁寧な暮らし』に目覚めたって聞いて飛んできたわ!」
「お義母さん、よく来てくれました」
「健一の部屋、あそこです」
「好きなだけ使ってください」
「まあ! ありがとう!」
義母は満面の笑みで、大量の荷物を抱えたまま、健一のこだわりの書斎へと勝手に入っていった。
私はそれを、冷めきった目で見送った。
数時間後、何も知らない健一が、機嫌良さそうに家に帰ってきた。
そして、自分の部屋のドアを開けた瞬間――
「なんだよこれ!俺のミニマルな書斎をゴミ屋敷にしやがって!」
モノトーンで統一された、健一こだわりの書斎のイタリア製のデスクの上には洗って開かれた牛乳パック。
昭和のちり紙の束。
謎の針金ハンガーが、隙間なく積まれてる。
健一の絶叫が、リビングまで響く――
お義母さんが言った。
「健一! 麻美さんから聞いたわよ!」
「健一が『物を大切にする丁寧な暮らし』に目覚めたって!」
「お母さん感動しちゃった!」
健一の顔が、みるみる真っ青になっていく。
「これね、健一が赤ちゃんの時に使ってたおむつカバーで作った雑巾!」
「こっちは、お父さんが30年前に着てた肌着!」
「これ全部、健一のエコ生活のために持ってきたからね!」
健一の幼少期のトラウマだった「汚部屋」が健一の聖域に、爆撃として投下された瞬間だった。
「汚いんだよ! 捨てろよ!」
健一が発狂しても義母は、笑顔のまま追い詰めていった。
「あんた、麻美さんの大切なコートや形見を」
「『物を大切にするため』に処分したんでしょう?」
少し、間を置いて。
「だったらお母さんの宝物も、当然大切にできるわよねえ?」
その言葉に健一は、ぐっと喉を詰まらせた。
リビングにいた私とお義父さんは健一の部屋に入った。
「健一、これ」
私は、テーブルの上に離婚届を置いた。
「ここに、サインしてね」
「は? 離婚?」
「お前、専業主婦のくせにどうやって生活していくんだよ!」
私は、冷ややかにスマホの画面を見せた。
「私、来月から元の会社に正社員として復帰するの」
「美羽の保育園も、もう決まったわ」
健一が尋ねた。
「はぁ?」
「忘れたの? 共働きの時は、私の方があなたより稼いでたこと」
健一が言った。
「あ……」
「あなたが『家庭に入ってくれ』って泣きついたから」
「私はキャリアを休止しただけ」
健一の声が、弱々しく揺れる。
「それを『無能』扱いして」
「娘の工作も、私の形見も、ゴミ扱いして捨てた」
健一が言った。
「で、でも、お前だって……」
「だって、何? 続けて言ってみてよ」
健一は、言葉に詰まった。
口をパクパクさせるだけで何も、出てこない。
私は、健一の目をまっすぐ見た。
「前に言ってたよね」
「『物に埋もれて育った人間の気持ちなんて、お前にはわかんない』って」
「でも、あなたは『自分の大切なものを捨てられる気持ち』がわかんないよね?」
健一が言った。
「い、いや、それは……わかると思う……」
「じゃあ、『お義母さんの大切なもの』もちろん捨てられないよね?」
健一の顔から、完全に血の気が引いていく。
「なあ、健一」
お義父さんが、低く冷たい声で言った。
「麻美さんから全部聞いたぞ」
「お前がやってることは、まともな人間のすることじゃない」
「俺は離婚に全面的に賛成だ」
「お前みたいな奴に、これ以上麻美さんや美羽を任せるわけにはいかない」
健一が言った。
「そ、そんな……親父、待ってくれよ」
お義父さんが言った。
「黙れ!このマンションは今すぐ売り払え」
「貸した頭金の500万も、1円残らずきっちり返してもらうからな」
「家を売って残ったローンは、これからお前が一人で、死に物狂いで返していくんだ」
「当然、父親としての養育費も毎月きっちり払うんだぞ」
健一が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「そ、そんな勝手な!」
お義父さんが言った。
「勝手に麻美さんの大事なものを捨てたのは誰だ!」
お義父さんの怒号が響く。
そしてお義父さんは、お義母さんが持ってきた段ボールの1つを力任せに開けた。
中には、健一が小さい頃大切にしていたおもちゃや、小学生のときの作文が入っている。
「これを読んでみろ」
お義父さんに突きつけられ、健一は震える手で原稿用紙を手に取った。
そこには、幼い自分が書いた『物を大切にしよう』という作文。
一文字ずつ、自分の過去の言葉を目で追っていく健一。
『ものをたいせつにしよう』
二年一組 しむらけんいち
ぼくのお家には、古いものがいっぱいあります。
お母さんが、これは健一のたいせつな思い出だからね、と言って、ぼくが赤ちゃんのときの服や、はじめて描いた絵を、ずっとたいせつにしまってくれています。
古いものを見ると、お父さんやお母さんがぼくをだいじにしてくれたことを思い出して、ぼくはとてもうれしい気持ちになります。
だから、ぼくも大きくなったら、かぞくのたいせつなものを、ずっとずっと、たいせつにまもれる大人になりたいです。
健一の手から、ぱらりと作文用紙が落ちた。
「俺は……なんてことをしたんだ……」
健一はその場に崩れ落ちて、頭を抱えた。
「麻美の大切なもの……美羽の思い出……」
「俺が、全部捨ててしまった……」
自分の歪んだプライドが、過去の自分に完膚なきまでに叩き潰されて、健一はただ絶望していたんだと思う――
「俺が悪かった!」
健一は、床に這いつくばって泣きついた。
それを、義母が容赦なく追い詰める。
「健一、男がみっともない声を出すんじゃないよ」
「ほら、この二十年前の缶詰まで、取っておいたのよ」
その後、住まいの処分や借金の返済、養育費について話を詰め、離婚が成立した。怒鳴っただけで手続きが進むわけではなかったけれど、私はもう、自分が困らないための確認を後回しにしなかった。
離婚成立から、三ヶ月が経った。
今、私はフルタイムのWebデザイナーとして働いてる。
美羽と二人、新築の小さな、本当に自分の好きなものだけに囲まれた、スッキリしたマンションで暮らしてるんだ。
休みの日は、美羽と近所のカフェでパンケーキを食べたり、週末には好きな雑貨屋さんを覗いたりする。ちゃんと「自分のための時間」が、戻ってきた気がする。
食卓の脇には、美羽が新しく描いた絵がある。額に入れるほどの大げさなことはしていない。娘が「ここがいい」と選んだ場所に置いた、それだけだ。けれど美羽は、帰ってくるとまずそこへ目を向ける。今日もある、と確かめてから、保育園での話を始める。
ある日、新しい作品を飾ろうとした美羽が、古い絵を手に持ったまま私を見た。
「こっちも、まだ置いていい?」
「うん。美羽が大事にしたいなら、置いておこう」
どこに置くかは二人で相談した。通り道に積まなくても、大切なものを残す方法はいくらでもある。美羽は棚の一段を選び、二枚を並べた。その顔を見て、私はようやく、自分の中に残っていた緊張が少しほどけるのを感じた。
捨てられたものは戻らない。祖母の形見を思い出すと、今でも胸が痛くなる。それでも、これからの美羽の思い出まで失われたわけではなかった。ここでは、二人のどちらかが嫌だと言ったことを、相手のためだと言い換えて押し切らない。物の置き場所と同じように、気持ちの置き場所も一緒に考えていきたい。
暮らしは、毎日すっきり整っているわけではない。仕事が長引けば洗い物もたまるし、美羽が遊んだ床には折り紙が散らばる。その景色を見て、私はもう無能だとは思わない。片づければいい。娘の話を聞いてからでも、間に合うのだから。
夕方の気持ちいい風が吹き抜けるリビングを、見渡した。
「ママ、今日のご飯なーに?」
美羽が、笑顔で走ってくる。
「美羽の好きなハンバーグだよ。一緒につくろうか」
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