泥棒夫の処刑日~妻の金で兄嫁と不倫した男の末路~ 作:桐山さくらこ
小野江建設の受付。
裕子が資料の入った鞄を抱えている。
受付から連絡を受けた京介が、険しい顔で現れる。
「裕子ちゃん?」
「修に何かあったのか?」
「京介さんに、お話があります」
裕子は鞄の持ち手を強く握った。何から話せばよいのか考えているのに、最初の一言が出てこない。
「わかった。こっちに来て」
社長室で京介がデスクの向こうへ座る。
鞄の持ち手が手のひらに食い込んだ。ここで真子の名前を口にしたら、京介の家庭も変わってしまう。裕子はその痛みを知っているからこそ、すぐには話せなかった。それでも、黙っていれば守れるものは、もう何もなかった。
京介の視線を受け止めて、裕子は資料を取り出した。夫への怒りだけを話しに来たのではない。自分の夜勤の間に何が起きていたか、失われたお金がどこへ流れたか。信じたくないことを、信じられる順番で見てもらうために整理してきたのだ。
「そんな顔して、何があった?」
裕子は答えようとするが、声が出ない。
「裕子ちゃん?」
裕子が一度、唇を結ぶ。
「驚かないで、聞いてください」
「修が……私の口座からお金を盗んでいました」
「修が?」
「それだけじゃありません」
裕子がスマートフォンをデスクへ置く。
「真子さんと、不倫しています」
京介の表情が止まる。
京介は黙ったまま動かなかった。
「……今、なんて言った?」
「証拠があります」
裕子が映像を再生する。
画面の中で、修が真子を自宅へ招き入れる。
「今日は会えないと思ってた」
「裕子は夜勤だから、朝まで帰らないよ」
京介が画面を凝視する。
映像の中で、二人が抱き合う。
京介の手がデスクの縁をつかむ。
「まだあります」
別の映像を再生する。
修が裕子の鞄からカードを抜き取っている。
「この日時と、口座から引き出された日時が一致しています」
裕子が取引履歴を置く。
さらに、修が会社名の入った封筒から現金を抜く映像を見せる。
「……この封筒」
「会社のお金ですよね?」
京介が映像を止める。
「経理は真子に任せていた」
「最近、帳簿と現金が合わないことがあったが……」
京介が拳を握りしめる。
「二人でやっていたのか」
「修は、京介さんのことも笑っていました」
京介が顔を上げる。
「会社の金を抜いても、兄弟だから罪にならないって」
京介の目が鋭くなる。
「俺は……」
京介が言葉を切り、うつむく。
「いつか、あいつを俺の右腕にしたかった」
裕子が黙って京介を見る。
「甘ったれた根性を叩き直せば、やり直せると思ってた」
京介が自嘲するように笑う。
「とんだ思い上がりだったな」
京介がゆっくり顔を上げる。
その表情から迷いが消えている。
「裕子ちゃん」
「よく一人で、ここまで集めた」
「泣いて終わるのだけは、嫌だったんです」
「分かった」
京介が社内電話を取る。
「顧問弁護士を呼んでくれ」
「それから、経理資料を誰にも触らせるな」
京介が受話器を置く。
「二人が何をしたのか、全部洗い出す」
「逃げ道は残さない」
裕子が初めて、わずかに肩の力を抜く。
*
社長室。顧問弁護士が証拠資料を確認している。
「まず、誤解のないように整理します」
弁護士が修の発言を書き起こした紙を指す。
「親族相盗例は、親族間の一部の財産犯罪について刑を免除する場合がある、という規定です」
「何をしても合法になる、という意味ではありません」
「では、私の口座から盗んだお金は?」
「返還請求や損害賠償の対象になります」
「銀行の履歴と映像がありますから、修氏が引き出した事実も争いにくいでしょう」
京介が弁護士へ身を乗り出した。
「会社の金は?」
「会社は修氏の親族ではありません」
「会社資金の持ち出しに、親族相盗例を持ち出す余地はありません」
京介の口元が冷たくゆがむ。
「あいつ、とんだ勘違いやろうだな」
「帳簿と防犯記録を精査します」
「横領額が確定すれば、返還請求だけでなく刑事告訴も検討できます」
「不倫については?」
「裕子さんと京介社長、それぞれが配偶者と不倫相手へ慰謝料を請求できます」
「ただし金額は証拠や婚姻期間などで変わります。最終的には交渉か裁判です」
「一度で終わらせたいです」
弁護士が裕子を見る。
「もう二度と、修の嘘に振り回されたくありません」
「俺も同じだ」
弁護士が書類を閉じる。
「では、二人が言い逃れできない状況を作りましょう」
「ただし、私たちは法律の範囲内で動きます」
「当然だ」
京介が低い声で続ける。
「自分たちが馬鹿にした法律で、きっちり責任を取らせる」
*
週末の夜。
自宅の玄関。裕子が看護師のバッグを持ち、靴を履く。
「急な夜勤が入ったから、行ってくるね」
「大変だな」
修がソファから笑いかける。
「無理するなよ」
「うん」
裕子がドアを開ける。
一度だけ振り返り、修を見る。
修はもうスマートフォンへ目を落としている。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
玄関のドアが閉まる。
修がすぐに誰かへメッセージを送る。
マンション近くに停めた車には、裕子と京介、弁護士、それから社員代表が待機していた。
裕子のスマートフォンに、見守りカメラの通知が届く。
画面には、上機嫌で部屋を整える修が映っている。
「……来るぞ」
タクシーがマンション前へ止まる。
真子が周囲を確認し、慣れた足取りで建物へ入る。
裕子が膝の上で拳を握る。
「怖いか?」
「怖いです」
裕子がまっすぐ前を見る。
「でも、逃げたくありません」
「分かった」
「最後まで一緒に行く」
見守りカメラの音声が流れる。
「今日は会えないと思ってたから、うれしい」
「俺もだよ」
「あの看護師様々だな」
「金は夜勤で稼いでくるし、家にはいないし」
真子が笑う。
「京介も、あっさり事故で死んでくれないかしら」
車内の空気が凍りつく。
裕子が京介を見る。
京介は無表情のまま画面を見ている。
「まあ、あんなクソアニキでも、今は金を稼ぐ道具として役に立ってるだろ」
京介が静かに車のドアを開ける。
「社長」
「分かってる」
「手は出さない」
京介の目は冷え切っている。
「だが、もう十分だ」
一同がマンションへ向かう。
自宅前。裕子が鍵を握る。
手がかすかに震えている。
社員代表が、震える手を見て声をかけた。
「奥さん。無理なら、俺が開けます」
「いいえ」
裕子が鍵を差し込む。
「ここは、私の家です」
鍵が回る。
一同が静かに室内へ入る。
寝室から二人の声が聞こえる。
京介が寝室のドアの前に立つ。
裕子が京介の隣へ並ぶ。
二人が目を合わせる。
京介がドアを勢いよく開ける。
「おらぁっ!!」
「えっ!?」
「きゃああっ!?」
ベッドの上の修と真子が、布団をつかんで飛び起きる。
京介、裕子、弁護士、社員代表が入り口に立っている。
修の顔から血の気が引く。
「京介……?」
「修」
京介が一歩、部屋へ入る。
「人の妻に手を出しておいて、ただで済むと思うなよ」
「ち、違うんだ、これは……」
「何が違うの?」
修が初めて裕子を見る。
「裕子……なんで?」
「夜勤なら、朝まで戻らないと思った?」
「裕子さん、誤解よ」
「服も着ないで、何を誤解したらいいんですか?」
真子が言葉を失う。
「真子。お前が修と一緒に、会社の金へ手をつけていたことも分かってる」
「知らない! 私は何も――」
弁護士が書類を掲げる。
「帳簿と出金記録は保全済みです」
「言い訳は、後ほど正式な場で伺います」
修が布団を体へ巻きつけ、立ち上がる。
「ハッ……」
修が引きつった笑いを浮かべる。
「アニキって、本当に馬鹿だな」
「何?」
「親族相盗例って法律、知らないのか?」
修が必死に笑い続ける。
「兄弟のものを盗っても、家族の間なら罪にならないんだよ」
「だから真子を奪おうが、金を少しくらい抜こうが、警察は動かない!」
「俺は罪にならないんだよ!」
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