妹と不倫した夫の処刑日~実の妹と肉体関係を持った男の末路~   作:桐山さくらこ

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全部話すと言ったのに

消えたままのテレビに、京介の姿が映っていた。

 

 廊下の向こうでは、沙耶が入った部屋の扉が閉まっている。物音はしなかった。眠れたのかどうかも、わからない。

 

 見られていた。

 

 その事実だけが、何度も頭に戻ってきた。

 

 認めたら、沙耶は出ていく。離婚したいと言った声は、聞いたことがないほど固かった。

 

 両親にも知られるのだろうか。どう説明すればいい。沙耶の母親に、何と言えばいい。

 

 スマートフォンには、結婚式の写真が残っていた。

 

 京介の腕に手を添え、沙耶が笑っている。

 

 なくしたくないと思った。

 

 だからこそ、今夜認めなければならなかったことを、京介はまだ後回しにした。

 

〈明日、話せる? 大事なこと〉

 

 真由へ送る。

 

 こういうときにまで、最初に頼ろうとする相手は妹だった。

 

*

 

 翌日の夕方、実家の台所で二人は向かい合った。

 

「お母さんたち、買い物に行ってる。話って何?」

 

 真由がお茶を置いた。京介は湯飲みに手を伸ばさなかった。

 

「沙耶に、見られてた」

 

 真由の指が止まった。

 

「年末。お前の部屋で、二人でいたところ」

 

「……あのとき、起きてたの?」

 

「そう言ってる」

 

 翌朝の沙耶の顔が、真由の頭に浮かんだ。

 

 食べられず、兄に触らないでと言った。自分が薬を持ってこようとすると、顔をそらした。

 

 全部、知っていたのだ。

 

「沙耶、何て?」

 

「離婚したいって」

 

 真由は口を押さえた。

 

「お兄ちゃん、謝った?」

 

「何もなかったって、言った」

 

 信じられず、手を下ろした。

 

「でも、私の部屋って言ったんでしょ?」

 

「どこまで見たか、わからないから」

 

 京介は真由を見なかった。

 

 何もなかったと言い張れば、沙耶は自分を疑うかもしれない。その期待が兄の言葉の中にあることを、真由は感じた。

 

 同時に、今まで自分も、見つからなければいいと思っていたことに気づいた。

 

「もう、やめよう」

 

「わかってる」

 

「前も、そう言ったじゃん。今度は本当にやめるからね」

 

「うん」

 

 真由は鞄からスマートフォンを出した。

 

「私も、沙耶に謝らなきゃ」

 

「待って。まず、俺から話す」

 

「また、何もないって言うの?」

 

「言わない。今夜、帰ったら全部話す」

 

 真由は兄の顔を見た。

 

「本当に?」

 

「うん。だから、お前からはまだ連絡しないで」

 

 画面には沙耶の名前があった。これまで何度も押した通話の印が、今は遠く感じられた。

 

 何と言えばいいのだろう。

 

 親友の夫と、しかも自分の兄と関係を続けていた。それを、どう謝ればいいのだろう。

 

「……わかった。ちゃんと話してよ」

 

 真由はスマートフォンを鞄へ戻した。

 

 兄を信じるという形で、自分もまた、沙耶へ向き合うのを先延ばしにした。

 

*

 

 その夜、沙耶は食卓で京介に呼び止められた。

 

「沙耶」

 

「何」

 

 京介の前には、まだ湯気の立つ茶があった。彼は両手をその横に置き、何かを言おうとしていた。

 

「昨日の話?」

 

 沙耶は座り直した。

 

 今度は話してくれるのかもしれない。

 

 聞きたいとは思えなかった。聞けば、あの光景が事実だったと、夫の口から確かめることになる。

 

 それでも、聞かなければ進めない。

 

「……聞いてるよ」

 

 京介の視線が、沙耶の左手へ落ちた。

 

 指輪だった。

 

 沙耶は外せないままでいた。昨日と同じものを身につけているのに、昨日と同じ意味ではなくなっている。それを見るのもつらかったが、外す瞬間を迎えるのも怖かった。

 

 京介はゆっくり口を開いた。

 

「明日、仕事は?」

 

「休みだけど」

 

「そっか。ゆっくり休みなよ」

 

 沙耶は待った。

 

 その先の言葉を待った。

 

 京介は茶を持ち上げた。飲んで、置いた。それきりだった。

 

「……それを、言いたかったの?」

 

 返事はなかった。

 

 わずかに持ち直していた体の芯が、また沈んでいった。期待した自分を責めそうになり、沙耶は膝の上の手を握った。

 

 期待させたのは、私ではない。

 

「もう、寝る」

 

 呼び止める声を背中に聞きながら、席を立った。

 

*

 

 翌朝、沙耶は便箋を出した。

 

 年末。客間に京介がいなかった。二階から声がした。真由の部屋で、二人を見た。

 

 一つずつ書く。

 

 思い出すと手が止まった。それでも、見たことと、あとから考えたことを分けて、短い言葉で残した。

 

 顔も声も、間違えるはずがない。

 

 便箋の横には、真由からの連絡が表示されていた。

 

〈大丈夫? 着いたら連絡してね〉

 

 まだ返していなかった。

 

 京介は話さない。このまま彼が話すのを待っていたら、何もなかったことにされてしまう。

 

 沙耶は新しい文章を打った。

 

〈京介のことで、二人で話したい。今日、うちに来られる?〉

 

 送信してから、便箋を押さえた。自分が書いた文字を、何度も目で追った。

 

 返事は、思ったより早かった。

 

〈午後、休みを取るね。二時ごろ行ってもいい?〉

 

〈うん。待ってる〉

 

 職場の休憩室でその返事を送った真由は、兄の言葉を思い出していた。

 

 今夜、帰ったら全部話す。

 

 だから沙耶に呼ばれたのだと思った。何から謝ればいいのか考えながら、午後の休みを申し出た。

 

 自宅で返事を読んだ沙耶には、その事情はわからなかった。

 

 真由まで、何もなかったと言ったら。

 

 その怖さだけが、指先を冷たくした。

 

 約束の時間が近づき、食卓に湯飲みを二つ並べた。菓子を出すか迷って、やめた。

 

 スマートフォンで録音の画面を開く。

 

 あとで、言っていないと言われたくなかった。自分の記憶を、自分だけで支え続けるのはもう苦しかった。

 

 開始の印に触れると、数字が動いた。

 

 録れている。大丈夫。

 

 画面を伏せたとき、玄関のチャイムが鳴った。

 

*

 

「……お邪魔します」

 

 玄関に立つ真由を、沙耶は見ていた。

 

 何度も家へ招いた相手だった。いつもなら、寒かったでしょ、という言葉が自然に出る。今日は、入って、と言うだけで精いっぱいだった。

 

 食卓に向かい合うと、真由は鞄を膝に置いた。

 

「お兄ちゃん、仕事だよね」

 

「うん」

 

 沈黙のあと、真由が頭を下げた。

 

「ごめん」

 

 沙耶の指が、湯飲みのそばで止まった。

 

「お兄ちゃんから、聞いたんだよね」

 

 京介から。

 

 何の話か尋ねようとして、声が出なかった。聞いていないと言ったら、謝罪をやめてしまうのではないか。夫と同じように、何もないと言い直すのではないか。

 

 沙耶は、別の問いを口にした。

 

「いつからなの?」

 

 真由はうつむいた。

 

「私が、二十歳のとき」

 

 音が遠くなった。

 

 二十歳。

 

 そのころ自分は、まだ大学生だった。京介とは付き合っていなかった。真由に会いに、あの家へ遊びに行っていた。

 

「結婚する前は、一度だけだったの。お兄ちゃんが家を出る前」

 

「私たちが、付き合う前から?」

 

「うん。翌朝、もうやめようって話して。それからは、本当に何もなかった」

 

 沙耶は手を握った。

 

 つい最近、何かの間違いが起きたのだと思いたかった。そうなら許せるということではない。ただ、自分が覚えているすべての時間まで、壊れずに済んでほしかった。

 

「私、付き合うことになったって、電話したよね」

 

「……うん」

 

「何を言ったか、全部しゃべったよね。うれしくて」

 

 真由は顔を上げなかった。

 

「どんな気持ちで、聞いてたの?」

 

「もう、終わったことだったから」

 

 小さな声だった。

 

「結婚するって聞いたときも、本当にうれしかったんだよ」

 

「じゃあ、どうして」

 

 沙耶の声が揺れた。

 

 式の控室で、真由は泣いていた。手を握ったら、握り返してくれた。あの涙まで疑いたくなかった。

 

 真由は湯飲みを両手で包んだ。

 

「結婚した年の、年末に……」

 

「最初に二人で泊まりに行ったとき?」

 

「うん」

 

「私、あの日も下で寝てたよ」

 

「わかってる」

 

「わかってて?」

 

「駄目だって、わかってた。でも、お兄ちゃんが部屋に来て」

 

 沙耶は唇をかんだ。

 

 兄が来たから。それで続きを説明できると思わないでほしかった。友達である自分が、同じ家で眠っていたことを、真由も知っていたのだから。




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