妹と不倫した夫の処刑日~実の妹と肉体関係を持った男の末路~   作:桐山さくらこ

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もう私に頼らないで

その夜、京介は真由へ連絡した。

 

〈会って話したい〉

 

 しばらくして、返事が来た。

 

〈今は会いたくない〉

 

 京介は画面を閉じた。

 

 今は、なのだから、時間がたてば話せるだろう。真由までずっと怒っているはずはない。

 

 そう思おうとした。

 

 同じころ、真由は自室で古い写真を見ていた。

 

 高校時代の沙耶と自分が、並んで笑っている。前髪には、色違いの花の髪留め。

 

 あの日、自分から半分こしようと言った。

 

 友達でいてほしかった。明日も一緒に笑いたかった。

 

 沙耶の家で、自分は何と言っただろう。

 

 親友だと思っていたのに。

 

 あの言葉を思い出すと、顔が熱くなった。

 

 真由は沙耶との連絡画面を開いた。

 

〈あのときは私も傷ついて、ひどいこと言ってごめん〉

 

 読み返し、指が止まる。

 

 私も。

 

 沙耶に傷つけられたということに、またしようとしていた。何も知らされていなかった友達が真実を聞いたことを、自分への攻撃のように受け取っていた。

 

 書いた文を消した。

 

 今度は、短く打った。

 

〈裏切ったのは私なのに、沙耶を責めた。ごめんなさい〉

 

 送ってからも、画面を見ていた。

 

 やがて既読がついた。

 

 返事はなかった。

 

 新しい文章を打つ欄を開きかけて、やめた。もう一度話してほしいと頼むことが、また沙耶の時間を欲しがることになる気がした。

 

 別の通知が届いた。

 

 京介だった。

 

〈この前は悪かった。俺も余裕なくて〉

 

 いつものように返せば、また話ができる。

 

 そう思った瞬間、電話の声が戻ってきた。

 

 なんで余計なことまで話したんだよ。

 

 真由はスマートフォンを机に置いた。

 

 沙耶へ送った謝罪にも、兄から届いた謝罪にも、続きの言葉は現れなかった。

 

*

 

 それから二週間ほどたったころ、真由は一人暮らしの部屋を探し始めた。

 

 きっかけは、母の何でもない一言だった。

 

「土曜日、京介が来るって。お父さんのパソコン、見てくれるそうよ」

 

 真由は予定もないのに、その日は帰りが遅くなると言った。

 

 兄が来るたび、家を空け続けるのだろうか。

 

 自室へ戻り、賃貸物件のページを開いた。家賃のほかに、電気も水道も食費もかかる。通勤に使える路線を調べ、毎月の給料からいくら残るか書き出した。

 

 ここなら会社まで三十分ほど。けれど、駅からの道はどうだろう。

 

 兄に聞こうとして、手が止まった。

 

 自分で見に行けばいい。

 

 内見の予約を入れた。母が京介にも一緒に行ってもらったらと言ったときには、一人で大丈夫と答えた。

 

 父に初期費用は足りるのかと聞かれ、貯金を確かめたうえで足りると伝えた。

 

 決めることは思ったより多かった。それでも、何かを決めるたび、兄に連絡しなくても進められることがわかった。

 

 契約に必要なものを手帳へ書き、揃えた項目には線を引いた。兄の返事を待たずに予定が決まることに、まだ少し慣れなかった。

 

*

 

 さらに一か月ほどして、沙耶と京介の取り決めがまとまった。

 

 慰謝料、預貯金、残っている荷物の扱い。一つずつ確認し、書面にした。沙耶は、読んでわからないところを曖昧なまま残さなかった。

 

 京介が署名する手元を、黙って見ていた。

 

 ずっと待っていた区切りだったのに、大きな喜びは来なかった。長く息を止めていて、ようやく少し吐けたような感覚だった。

 

「来週、休みを取ってるから。届を出してくる」

 

「そうか」

 

 帰り際、京介が言った。

 

「体、気をつけて」

 

 沙耶はうなずいた。

 

 その気遣いを受け取っても、ここへ戻る必要はない。

 

「じゃあ」

 

 静かに別れた。

 

 後日、届を出したという連絡が来た。

 

 京介は画面を見て、これで終わったのだと思った。

 

 次に浮かんだのは、真由の顔だった。

 

 沙耶とは終わった。これで真由には、もっと自由に会えるのではないか。

 

 なくしたものの大きさを考える前に、まだ残っていると思っていた相手へ、気持ちを向けた。

 

*

 

 週末、実家を訪ねた京介は、玄関の段ボールを見て足を止めた。

 

「真由、来週引っ越すのよ」

 

 恵子に言われ、二階へ上がった。

 

 妹の部屋の棚は、半分ほど空になっていた。机の上には新しい鍵がある。真由は箱へ本を詰めていた。

 

「一人暮らしするの?」

 

「うん」

 

「なんで言わなかったんだよ」

 

「言ったら、止めるでしょ」

 

「心配するのは当たり前だろ」

 

 真由は本を箱に置いた。

 

「もう、自分で決めたから」

 

 京介は入口に立ったまま、部屋を見回した。自分の知らないうちに話が進んでいたことが、落ち着かなかった。

 

「沙耶と、離婚した」

 

「……そう」

 

「何を言っても、駄目だった」

 

 真由はうつむいた。

 

「私も、謝ったけど、返事はない」

 

 その声を聞き、京介は一歩中へ入った。

 

「真由まで、いなくならないでくれよ」

 

 妹は顔を上げた。

 

「お兄ちゃん、全部話すって言ったよね」

 

「何の話?」

 

「私が沙耶に話したら、怒ったでしょ」

 

 京介が口を閉じた。

 

「私も、怖かったんだよ。何て謝ればいいかわからなくて。それでも話したら、余計なことって」

 

「あのときは、余裕がなかったんだ」

 

「私にもなかったよ」

 

 言われて、京介は黙った。

 

 真由は、自分が沙耶へしたことを忘れたわけではなかった。被害者のような顔をしても、沙耶の友達に戻れるわけではない。

 

 だからこそ、このまま兄のそばへ戻ってはいけないと思った。

 

「もう離婚したんだし、普通に飯に行ったり、話したりするくらいはできるだろ」

 

 京介が言った。

 

 真由は兄を見た。

 

「また私に、話を聞いてほしいの?」

 

「お前にしか話せないことだって、あるよ」

 

 目に涙が浮かんだ。

 

 昔、兄の泣いた顔を自分だけが知っているのがうれしかった。強い兄の弱さを、受け止められるのは自分だと思っていた。

 

「バカ……」

 

 京介の表情が、少し緩んだ。

 

「そう言われると、私、聞いちゃうんだよ」

 

 彼が何か言いかけた。その前に、真由は首を振った。

 

「だから、もう言わないで!」

 

 箱のそばへ、涙が落ちた。

 

 京介は動かなかった。

 

「駄目だってわかってたのに、私も続けた。沙耶が何も知らずに笑ってたのに、やめなかった」

 

 真由は目元を拭った。

 

「もう、同じことしたくない」

 

「あんなことは、もうしない。ただ、話すだけで」

 

「前も、一度きりって言ったじゃん」

 

 京介の言葉が途切れた。

 

「もう、お兄ちゃんには会わない。新しい部屋にも来ないで」

 

 言ってから、胸が痛くなった。

 

 けれど、痛いからといって取り消したら、何も変わらない。

 

「お前までいなくなったら、俺はどうしたらいいんだよ」

 

 真由は兄を見た。

 

 いつか、必ず助けると言ってくれた人だった。その人に頼り、特別でいたいと願って、自分は大切な友達を傷つけた。

 

 これからどうするかは、兄が決めなければならない。

 

「もう、私に頼らないで」

 

 声は震えていた。それでも、最後まで言った。

 

「帰って」

 

 京介はしばらく立ち尽くしたあと、部屋を出た。

 

 扉が閉まる。

 

 真由は箱のそばへ座り込み、両手で顔を覆った。

 

 廊下の足音が遠ざかっても、呼び戻さなかった。

 

*

 

 引っ越しの日、真由の部屋には、ほとんど何も残っていなかった。

 

 家具を動かした跡だけ、壁の色が少し違っている。棚の奥から出てきた紙片を拾い、最後の袋へ入れた。

 

 手元には、一枚の写真があった。

 

 沙耶と並んで、色違いの髪留めをつけている。

 

 兄と付き合うより前の沙耶だった。真由といるから笑っていた。兄のことがなくても、自分たちは友達だったのだ。

 

 その時間を、どうして守らなかったのだろう。

 

 スマートフォンを開く。

 

〈裏切ったのは私なのに、沙耶を責めた。ごめんなさい〉

 

 既読のまま、返事はなかった。

 

 許してもらえるまで謝ろうとしては、いけないのだと思った。沙耶がこれ以上話したくないなら、それを受け入れなければならない。

 

 真由は写真を封筒へ入れた。

 

 泣いたからといって、友達に戻れるわけではない。それでも涙は出た。頬を拭い、何度か息を整えた。

 

「真由、そろそろ行くよ」

 

 階下から母の声がした。

 

「今、行く」

 

 鞄を持ち、部屋を出た。

 

 廊下で一度立ち止まったが、兄の部屋のほうへは行かなかった。

 

*

 

 京介は、自宅の食器棚を開けた。

 

 マグカップは、一つだけだった。

 

 沙耶が使っていたものは、最後の荷物と一緒になくなっていた。そこだけ空いているのが嫌で、京介は自分のカップを真ん中へ移した。

 

 そうしても、棚が埋まるわけではなかった。

 

 テーブルの端には、開けていない郵便物が重なっていた。今までも自分宛てのものは自分で見ていたはずなのに、沙耶がいなくなってから、目につく場所へ置いたまま忘れることが増えた。

 

 母から連絡が来た。

 

〈真由、無事に引っ越したわよ〉

 

 京介は妹との連絡画面を開いた。

 

 引っ越し、どうだった。

 

 それくらいなら送ってもいいのではないか。近くの店のことでも聞けば、普通に返事が来るかもしれない。




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