介護丸投げ夫の処刑日~妻を「もう用済み」と捨てた夫の末路~ 作:桐山さくらこ
夕方。
修一の部屋で、奈緒が、ベッドのそばで手紙を広げていた。
〈奈緒さんへ〉
〈毎日、ありがとう。〉
〈夜中に何度も起こしてしまったね。眠そうな顔を見て、すまないと思っていました。〉
奈緒が、便箋を両手で持っていた。
〈理恵さんとのご飯から、帰らせてしまった日も、ごめんな〉
〈あの服、よく似合っていたよ。楽しみにしていたのにな〉
奈緒が、涙をこぼしながら小さく笑っていた。
「……少し、きつかったんですよ。あれ」
〈帰ってきて、俺には怒らずに着替えを手伝ってくれたこと、忘れていません。〉
奈緒の指が、便箋の端を握っていた。
「お義父さんに、怒るわけないよ……」
便箋の余白に、涙が落ちていた。
〈澄江がいなくなってからも、花が咲くと奈緒さんが声をかけてくれました。一緒に庭に出るのが、楽しみでした〉
〈この家に来てくれて、本当にありがとう〉
〈今度は、理恵さんとゆっくり出かけなさい〉
奈緒が、手紙を胸に当てていた。
「……うん」
奈緒は、涙で濡れた顔を上げていた。
「私も、お義父さんと暮らせて、よかったよ」
六年分の夜を読み返すような手紙だった。休みたかったことも、疲れたことも、修一が嫌いになったことを意味しない。奈緒はそれをずっと、誰かに説明したかったのかもしれない。便箋を濡らさないよう、膝に置いて目を拭いた。窓の外で花はまだ咲いていた。
窓の外に、二人で世話をした鉢植えが並んでいた。
*
その夜。
居間で、達也が、一人で机に向かっていた。
机に、遺言の写しと離婚条件の書面が並んでいた。
達也のスマートフォンに、梨花が送ったマンションの間取りが表示されていた。
達也が、険しい顔で額を押さえていた。
家を売れないんじゃ、あのマンションは……
画面に、梨花から「いつ見に行く?」と届いていた。
達也は、スマートフォンを握ったままうつむいていた。
*
翌朝。
台所で、食卓に、一人分の朝食があった。
奈緒が、自分の席に座っていた。
達也が、奈緒の顔をうかがっていた。
「奈緒。少し、考えたんだけど」
「何?」
「離婚、急がなくてもいいんじゃないかな」
奈緒が、箸を置いて達也を見ていた。
「親父が亡くなって、俺も気が立ってた。あんな日に言うことじゃなかった」
「一年前から、付き合ってたんでしょう」
「それは悪かった。でも、何年も一緒に暮らしたんだから……」
奈緒は達也をにらんだ。
「小西さんとは、別れたの?」
達也が、目をそらしていた。
「そんなことより、まず、俺たちのことを決めないと」
奈緒の声は静かだった。
「……何も言ってないんだね」
達也は慌てて言葉を足した。
「あのさ、この家だって、二人で守っていけばいいじゃん。今までどおりに……」
「昨日までは、私に出ていけって言ってたのに?」
「だから、考え直したんだって」
奈緒が、冷めた目で達也を見ていた。
「お父さんの家が、私のものになるから?」
達也が、口をつぐんでいた。
「あなたと暮らしていくつもりは、ありません」
達也は肩を落とした。
*
後日。
喫茶店で、梨花と達也が、向かい合って座っていた。
梨花の前に、マンションの写真と間取りが載った住宅情報誌があった。
「この部屋、まだ空いてるって。土曜、見に行ける?」
「あのさ、その話、いったん待ってくれるかな」
「……どうして?」
達也は気まずそうに目をそらした。
「親父の遺言が出てきた。財産は、奈緒に渡すって」
梨花の笑顔が消えていた。
「家も?」
「そう」
梨花が、雑誌に目を落としていた。
「じゃあ、この部屋は……」
「今は無理だよ。奈緒にも慰謝料だ何だって言われてるし」
「私にも来たよ。請求書」
「だから、少し待ってくれ」
梨花が、不安そうに達也を見ていた。
「私とは、結婚するんだよね?」
「奈緒とは、話してるから」
「何て?」
「離婚を急がなくてもいいんじゃないかって」
梨花が、目を見開いていた。
「はあ?……奥さんと、やり直すの?」
「そうじゃない。今別れたら、家も金も、どうしようもなくなるだろ」
「私より、そっちが大事なんだ」
「二人で暮らす金だって、いるだろうが」
梨花が、怒りに眉をつり上げていた。
「お父さんが亡くなったらって、言ってたじゃん!」
隣の席の客が、二人に顔を向けていた。
達也が、周囲を気にして身を縮めていた。
「しー、声、大きいよ」
「私ずっと待ってたんだよ。次は、何を待てばいいの?」
「これが片づけば、ちゃんとするから」
梨花の前に、閉じた住宅情報誌があった。
梨花は、口を結んで達也を見ていた。
達也は肩を落とした。
*
数日後。
坂井法律事務所で、奈緒の前に、ホテルの調査写真が並んでいた。
「会社にも、このことを伝えたいです」
「お勤め先に、ですか?」
「はい。この日、会社には何て言っていたのか、調べてほしいんです」
奈緒の指が、写真の「8月7日 13:42」を示していた。
「私が具合が悪いときも、お父さんが危ないときも、仕事だからって……」
奈緒が、唇をかんでいた。
「でも、この時間は二人でホテルにいたんですよね」
「資料をそろえて、事実を伝えることはできます。勤務の扱いは、会社に確認してもらうことになりますね」
「はい」
「お伝えする内容も、一緒に確認しましょう」
奈緒が、写真に写る達也を見つめていた。
「お葬式でも、上司の方に、お父さんをずっと支えてたって言われて」
「夫、ありがとうございますって。その隣に、小西さんもいて……」
奈緒の目に、涙が浮かんでいた。
「私だけ黙って、何もなかったことにはしたくないです」
伝えるのは、自分の知っていたことと、日付のある資料に限った。勤務の扱いも処分も、奈緒が決めることではない。仕事を理由に助けを断った人が、その時間をどう使ったか。会社に確かめてもらうため、坂井と文章を一つずつ読み直した。
坂井が、奈緒の話を聞いてうなずいていた。
*
その夜。
自宅の机で、奈緒が、パソコンに向かっていた。
メールの宛先に、達也の会社の「人事相談窓口」とある。
件名は「社員の勤務日の行動について」。
添付欄に「行動記録・写真」「経緯」と表示されていた。
奈緒の手が、マウスに添えられていた。
パソコンの画面に「送信しました」と表示されていた。
奈緒が、椅子にもたれて息を吐いていた。
*
数日後。
会社の会議室で、大沢と達也が、向かい合って座っていた。
達也の前に、営業報告書とホテルの写真が並んでいた。
「八月七日と十四日。東川商事に確認したが、二日とも来ていないそうだ」
達也は、写真を見つめて顔をこわばらせていた。
「……これ、妻が?」
「人事に届いた。訪問したと報告されている時間に、ここにいたのか?」
「私用で、外に出ていました」
「小西さんと、ホテルに?」
「いえ、そうじゃなくて……」
大沢が机を叩いた。
大沢が、営業報告書を達也の方へ向けていた。
「では、なぜ訪問したことになっている?」
報告書の作成者欄に「小西梨花」、同行者欄に「高瀬達也」とある。
「入力は、小西に任せていました」
「君も一緒に行ったと書かれているが?」
達也の顔がこわばった。
大沢が、達也をまっすぐ見ていた。
「訪問したと書くように、君が指示したわけではないんだね」
「……はい」
*
そのあと。
同じ会議室では、梨花が、大沢の前に座っていた。
机の上に、先ほどの営業報告書があった。
「この二日、実際には訪問していないね」
「……はい」
「高瀬課長は、入力は君に任せていたと言っている」
梨花が、驚いた顔で大沢を見ていた。
「そう……言ったんですか?」
「君には、どんな指示があった?」
梨花が、膝の上で手を握りしめていた。
「メッセージが残っていると思います。確認して、持ってきてもいいですか」
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